二話・紫馬簾菊《エキナセア》
教室の扉を開けて中に入ると、クラスメイトの視線が一瞬こちらを向く。が、私が倒れるのはいつものことなので、私が大丈夫だったことが分かると直ぐに視線を外して周りと話し出す。
最初の頃は大丈夫だったかとか心配して聞いてくれる人が多かったのに、今では話しかけてくれる人は誰もいない。なんとなく寂しい気分になるけど、今の私には友達が居るから大丈夫。桃ちゃんだけ居てくれればそれでいい。
席に着いてから、いつもなら少し本を読んでいるけど、保健室での一件もあって既に予鈴も鳴り終えたあと。教科書とノートを準備してから一分も経たずにチャイムの音が鳴り響いた。
「よろしくお願いしまーす。」
と、ほとんどの人が昼休みを終えたばかりで授業を面倒くさがってることが簡単に分かってしまう怠そうな声でそう言いながら礼をして座る。
座ったあと、すぐにカバンの中に左手を突っ込んでごそごそと漁り、胸ポケットに入る程度の小さなノートを取り出した。
私の席は窓から一番近い左端の席。保健室でいつも使っているベッド同様、一日中ほとんど陽の当たっている位置。教室左端の席に座れるのは、ゆずの姓の特権だ。や行である以上、出席番号順の席配置で左端以外に座る事はほぼほぼないと思う。教室の端の方なので、メモ帳に何か書き込んでいる程度なら特になんとも思われない。
まだ桃ちゃんを虐めている奴の名前も人数も知らないし、話も大まかな経緯を聞いただけだから、具体的な内容は分からないけど。先程聞いた内容は全てメモしておく。
...覚えている範囲でだが。
メモの後、メモ帳のページをめくり、前の方のページを開く。
そのページの上の方、友達をつくるという文字のすぐ左にチェックをつけた。
このメモ帳の最初の方のページには、残りの時間でやってみたい事がリストとして書いてある。○○に行ってみたい、○○をやってみたいといった内容のものがほとんどだけど。そのリストの一番上に、友達をつくるという項目があった。
もともとこのメモ帳は、リストに書いてあることをやっていきながら、その時の出来事や感想とかを書き記しておいて、二年後、病室で読み返せたらいいなと思って作ったものだ。ただ、書いてある事のほとんどが友達としてみたい事だったり、誰かと一緒に行ってみたい場所だったりしたため、早い段階で諦めてしまい、鞄の奥に入れたままになっていた。
やりたい事が沢山書いてあるし、自分が病死した後になってから親にこんなのが見つかったら、目も当てられない光景になるという事は分かっていたので、近いうちに処分する事すら検討していた。
でもこれからはきっと長い付き合いになると思う。
桃ちゃんを助ける為に情報をまとめたり、虐めている奴を貶める案を考えたり、そして、桃ちゃんと何か楽しい思い出を作れたりしたらいいなという少しの期待もある。
板書の合間合間にメモ帳へと書き記しながら授業を受け、気付いたら午後の授業も終わっていた。
放課後、桃ちゃんに何処かで会えないかと連絡を取ってみる。できるだけ早く桃ちゃんの状況を知りたいし、誰が主犯なのかも早めに知っておいた方がいい。
少しすると、桃ちゃんから返信がきた。今、図書室にいるらしい。場所が分かったので、荷物を持って教室を出る。図書室へ急いで向かいたいが、無理に走ったりするのは体に良くないので、少し早歩きで。
扉を開け、静かな図書室の中に入ると、司書が席を外している為、視界の中には誰もいない。軽く頭を下げ、
「失礼しまーす。」
と呟いて扉を閉め、桃ちゃんの姿を探すと、本棚の陰に置いてある小さなソファーの上に座っていた。というより、目を瞑って少しぐったりとしたようにもたれかかっていた。
疲れているようにも、考え事をしているようにも見える。
私の近づく足音に気付いたのか、不意に目を開けてこちらを見ると、
「鈴ちゃん。」
と言って立ち上がった。曇っていた表情が少し明るくなったように見え、少し嬉しさを感じる。
「えーと、お待たせって言えばいいのかな?今まで誰かと待ち合わせたりとかした事ないから、どう話し始めればいいのか分からなくて。」
人の顔色を窺ったりするのには慣れてはいるが、人と親しく接する事に関しては圧倒的に経験値が足りない。読んでいた本の中での、登場人物達の会話を思い出しても、実際にそんな風にはできそうもなかった。
口調を敬語でなく、崩した感じの喋り方にするのが、今の私のせいいっぱいのフレンドリーだ。
「それは私も似たような感じかも。私も友達とか居なかったし。」
少し自傷気味に感じたが、その言葉を聞いて少し安心した。桃ちゃんから見て、私は変なふうには映ってないっぽいし、お互いに変に気を遣わない方が接しやすい。
とりあえず、周りを見渡して人が居ない事を確認した後、質問をする。
「えーと、じゃあ早速なんだけど、さっき聞いた話、もう少し具体的に聞いてもいい?相手が誰だかも分からないし、人数とかも分からないから。」
「う、うん。で、でもね、あの、助けてくれようとしてるのは嬉しいんだけど、やっぱり巻き込む事になっちゃうから、その、たまに話聞いてくれたりとか、一緒に何処かで遊んでくれたりとか、そういう事してくれるだけでいいよ。私のせいで鈴ちゃんまで虐められたりしたら嫌だし。」
「うーん...桃ちゃんがそう言うなら、分かった。でも、一応いろいろ聞かせて。私にできる事があるかもしれないし。」
「うん、ありがとう。話を聞いてくれる相手がいるってだけでとっても嬉しいから。」
桃ちゃんは、そう言って微笑むと、前回の話を少し細かいところまで話してくれた。
虐めている奴は前回話してもらった主犯となってる委員長を含めて三人。それぞれ名前は仙花雪水、蝶野瑠璃、秋風信子。雪水という人が主犯の委員長で、残りの二人はその友人らしい。去年は全員同じクラスだったけど、二年に進級してから、信子だけ違うクラスになったらしく、信子からの嫌がらせが増えたのはその頃から。
「えーと、じゃあ雪水って人が最初で、そのあと瑠璃って人と信子って人が混ざってきたみたいな?」
「うん。仙花さんが最初に突っかかってきて、その後に秋風さんが混ざって、しばらくしたら蝶野さんも混ざってきたの。ただ、秋風さんは仙花さんに合わせてるだけって感じがあって、仙花さんが何かする時に混ざるくらいだったんだけど、二年になって違うクラスになってから、自分から嫌がらせみたいな事をしてくるようになったんだよね。まぁ、他の二人に比べたらそんなに大したことはしてこないんだけど。仙花さん達に混ざって何かする時も、殴ったり蹴ったりとかはしてこなかったし。」
「えーと、よく分かんないけど。去年までは本人の意思じゃなかったって事?」
話を聞く限りだと、去年までの信子は雪水にやらされているように聞こえる。
「いや、それは分からないけど。でも、仙花さんは私がいると困る理由があって、蝶野さんはただ単に人が嫌がる事とかをしたいだけだと思うんだけど。秋風さんだけ、個人的な理由もよく分からないし、仙花さんに気を遣ってた感じがあったから。それに普段は、誰に対しても優しい人っぽいし。」
「えーと、つまり。雪水って人に嫌われたくないとか、自分も標的にされるのが嫌だから合わせてるとか?そういう事?だとしたら、なんで進級してから嫌がらせしてくるようになったんだろ?クラスが離れたなら、普通に考えたら嫌がらせとかも減りそうだけど。」
雪水達に見られている時間も、桃ちゃんに近付ける時間もかなり少なくなるはずだし、普通なら激減している気がする。
「やっぱりそうだよね?仙花さんが近くにいない時とかでもしてくるし、合わせてるって感じじゃないから、自分の意思でやってるのは間違いないと思うんだけど。全く心当たりがなくて。進級する前は、仙花さん達に混ざって何かしてきた時も、ちょっと申し訳なさそうな顔してたし、何か事情があるんじゃないかなって思うの。」
「じゃあ、まずはその秋風信子って人を調べてみる。」
「え、調べるって。あの、秋風さんなら多分大丈夫だとは思うけど、鈴ちゃんまで巻き込む感じになっちゃうのはやっぱり...。」
「いや、ほんとに調べるだけ。他の人達には優しいらしいし、私なら、どうにかして近づけば、話す機会とかもあるかもしれないから。うまく理由を聞ければ解決できるかもじゃない?」
事情があるなら解決できるかもしれないし、それに、桃ちゃんには言わないが、何かしらの弱みさえ握れば、やめさせる事もできる可能性がある。
「まぁ、確かにそうかもしれないけど。できればあんまり無理しないでほしい。仙花さんとか蝶野さんと一緒にいる事が多いから。その二人にはできれば近付かないでもらいたいし。」
「分かった。その二人には気をつける。」
「うーん、でも。あ、そもそもどうやって近付くの?」
「えーと、多分なんだけど。その人保健委員じゃない?」
「え、分からないけど。そうなの?」
どこかで聞いた名前だと思ったが、たしか前に委員会で集まった時に見た気がする。備品の確認、補充や掲示物の張り替え等の当番を決めた時に、その名前が書かれていた。
「もし同じ名前の人が他に居ないなら、その人、多分同じ委員会だと思う。だから、その人が仕事してる時に私が保健室に行けば、自然に話せると思う。」
まぁ、知らない人に話しかけるのは苦手だけど。頑張ればなんとかなる。
「そっか。委員会の仕事してる間なら、他の二人も居ないって事だよね。」
「私、保健室によく居るけど、保健委員以外と会う事ってほとんどないから、大丈夫だと思う。」
「でもほんとに、危なかったら無理しないでね。」
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても、他の二人にだって、私をどうこうする理由がないんだから。」
「でも、私の友達だってバレたら、多分蝶野さんは狙ってくるよ。仙花さんは分からないけど。」
「大丈夫大丈夫。バレなきゃいいんだから。とりあえず、他二人には関わらずに、秋風信子って人の嫌がらせの理由だけ、なんとかして聞き出せればいいんだよ。そしたら、三人のうち一人は解決できるかもだし。」
「うん。分かった。ありがとう。」
一応、納得はしてくれたが、まだちょっと心配そうにしている。まぁ、自分が原因で友達が酷い目に遭うのは、想像しただけで嫌な気分になるし、そうなる可能性が少しでもあるなら止めたいというのは分かる。
「心配してくれるのは嬉しいけど、桃ちゃんはもうちょっと自分の事考えてもいいと思うよ?今まで一人で酷い目に遭ってきたんだし、少しくらい他人任せにしてもいいんだよ。」
「鈴ちゃん...。」
しばらく沈黙が続いたが、少しして、桃ちゃんは言葉を返してくる。
「でも、鈴ちゃんだって、酷い目に遭ってきたんじゃないの?原因は病気とかっぽいけど。酷い目に遭ってるってところは私と一緒だよ?私より身体中傷だらけだったし。鈴ちゃんも、私の事だけじゃなくって、自分を守ること考えなきゃだよ?」
確かにその通りかもしれない。ただでさえ、病気というどうしようもないもので他の人よりも辛い生活を送っている。そのうえで、危険な事に自分から介入してしまうのは愚かと言われても仕方のないことだ。
「そう...だね。桃ちゃんの言う通りかも。でも、私の病気はどうしようもない事だけど、桃ちゃんのはそうじゃないでしょ?原因をなんとかできるかもしれないなら、何かしてあげたいじゃん。」
それが私の本心。桃ちゃんは私とは違う。病気と違って、取り除く事ができるものに傷つけられている。保健室で見たあの傷は、本当なら無いはずのもの、本当なら、今も平穏にしていたはず。だから、これ以上傷ついてほしくはない。
「それに、身体についた傷痕は治せないけど、心についた傷は、虐めが無くなれば、時間はかかるかもだけど、ちゃんと治る。だから、もう泣かなくていいように、今は私を頼って?」
そこまで言われて、初めて桃ちゃんは、自分が涙を流していることに気が付いたらしい。ハッとした後、すぐに手でそれを拭った。
「まずは、二人で解決する事だけを考えよう?私を巻き込むのが後ろめたいって言うなら、終わった後で、いくらでもお礼してもらうから。ね?」
「うん。ありがとう。鈴ちゃん。」
桃ちゃんはそう言い、堰き止められていたものが決壊したように、止め処なく涙を流す。泣いてしまった事を少し恥ずかしそうにしながら、俯いてしまった桃ちゃんを、昔、手術を怖がって泣いてしまった幼い私に対して母がしてくれたように、優しく抱きしめる。
一応桃ちゃんの方が年上だし、少し失礼かなとも思ったが、そのまま胸元の方へ抱き寄せ、幼い子をあやすように頭を撫でていると、桃ちゃんは、最初少しだけ戸惑った様子をみせた後、私の腰へ手を回し、安心したように目を瞑った。
誰かに見られたら恥ずかしいな、なんて思いながら、十分以上も、二人だけの空間は続いた。
紫馬簾菊
花言葉 あなたの痛みを癒します
水仙
花言葉 うぬぼれ、自己愛、自己中心
瑠璃蝶草
花言葉 悪意
風信子(赤)
花言葉 嫉妬