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「えー、よしみその服どこで買ったの?とっても可愛いね」
「あー、これね、青山で買ったんだ。数量限定なんだよー」
そうなんだ、羨ましいー、なんて、まるで気持ちのこもっていないような返事に、つい口元が緩んでしまう。興味がないのならハナっから聞かなきゃいいのに、と思うが、友達が珍しい服を着て来たら一応触れてあげるというのが配慮というものだろう。そんな女子の繊細な話題には耳も傾けず、隣では男子たちが全く関係のない話題で盛り上がっている。
「あのさ、みんなで免許合宿行くの、アリじゃね?」
「免許合宿?」
「ほら、俺の高校んときの友達がさ、楽しかったって言ってたぜ。それに、火曜よりコスパがいいらしい」
コスパか。大学生というものはなにかとコストパフォーマンスというものを重視する。時折言葉の意味をわかっていないんじゃないかと思うほど、コスパという3文字を機関銃のように乱射する。黙って聞いているとその男子はコスパという言葉を10回ほど、乱用した。その語彙力の低さに、俺はまたしても口元を緩ませてしまう。その時だった。
「おい、匠!お前なにひとりでニヤついてるんだよ気持ち悪いな。話ちゃんと聞いてた?匠もいかね?免許合宿」
不覚だった。男子の言う通りひとりで笑っていたら気持ち悪い。しかしそれはあくまで「ひとりで」笑っていた場合だ。その点、俺は決して気持ち悪くなどない。しっかりと話を聞いた上で、笑ったからだ。
「俺は遠慮しとくよ。ほら、夏休みはバイトで忙しいからさ。みんなで楽しんできて」
適当な嘘をついて丁重に断りを入れると、男子はええー、と、わざとらしくガッカリしたそぶりを見せて来た。そんな男子を俺は心の中で嘲笑う。それもそのはず、俺はこいつを友達だと思っていない。こんな言い方をすると語弊があるかもしれないが、その気持ちは決して、嫌い、というような感情からくるものではない。
若者の人間関係というのは怖いもので、異様な雰囲気を醸し出すものに対しては、容赦のない敵意が向けられる。いきなりなにを言いだすんだと、不思議に思われるかもしれないが、これはいわば俺なりの生きていく術である。
興味のない人間と付き合い、面白くない話にも参加し、本音では決して話さず、波風立てずに大学生活を送る。
「ねぇー、芳樹、ちゃんと話聞いてよ、結局明日どうする?」
さっきまでとても同じグループだとは思えないほど、関係ない話をしていた男子と女子がここで初めて混じり合う。芳樹、と呼ばれた、さっきまで免許合宿の話をしていた男子は、うーん、と考えている素振りを見せた。
面倒くさいので、俺はその後の話は聞いていない。ずっとスマートフォンを適当にいじっていた。
5分ほど経って、ようやく話がまとまったようだ。
「匠は?勿論いくよな?」
急に話の矛先が俺に向いてきて、ビックリした。明日はみんなで遊ぶという事は分かっていたが、どこに行くのかを知らず、また、興味もないので、断った。
「わりぃ、さっきっからなんか頭痛くなってきた。ちょっと無理かも。今日ももう帰るわ。」
あからさまな仮病を使い、俺は呆然と立ち尽くす芳樹たちに目もくれず、大学の学食を後にした。確かに大学の学生食堂というものは、ガヤガヤと騒がしく、耳がきんとして頭が痛くなるようだ。そういった意味では、嘘はついていない。建物の外へ出ると、もわっとした熱気とともに、夏の匂いがぷんと漂う。夏という季節のどうしようもないあつかましい雰囲気が、俺の気力を削ぐのかもしれない。
俺は何食わぬ顔で電車に乗り込み、大学から地下鉄で1本、4駅先の一人暮らしのアパートまで揺られた。電車の中はクーラーが効いていてとても心地が良い。涼しさに揺られて、このままずっと電車に乗っていたい気持ちになった。
自分のことを誰も知らない未知の土地まで。
そんな俺の理想と現実はほど遠く、たったの10分ほどで最寄りに到着した。さっきまで乗っていた電車内と、外との温度差に心身共に絶望しながらも、灼熱の太陽に見守られながら帰り道を歩く。暑さに見舞われながらもそこそこに栄える商店街を右に曲がり、大通りを真っ直ぐ歩いた突き当たりに、俺のアパートがある。
駅から10分ほど歩き、アパートに着く頃には既にTシャツは汗でビショビショになっていたが、
幸い俺の部屋は一階なので、階段を上がるというような地獄のような手間は無い。
俺は玄関を勢いよく開け、ただいまー!と、元気よく言い放った。勿論、一緒に暮らしている人間などいない。それにもかかわらず、部屋の奥から当たり前のように返事が返ってくるのだ。
「おかえり、匠、早かったな!」
俺はこの声に安心感を覚え、玄関に上がるや否や汗だくになったTシャツとジーンズを脱ぎ、ランニングと半ズボンという、どこかの百獣の王のような、ラフな服装に着替える。
部屋はひとつしか無い、風呂とトイレも一緒の、この部屋。クーラーとテレビをつけ、ベッドの上にごろんと横たわる。
「お前が帰ってくるまで、クーラーもつかねえから、アチアチだったよ」
「仕方ねえよ、ぬいぐるみのために光熱費なんか使ってられるか」
「ちぇーっ、差別だ」
俺は、決して暑さで頭がおかしくなったわけではない。いたって正常だ。そう、俺は確かに、同居人はいない。その代わり、同居物?がいる。声の正体は、ヘビのぬいぐるみ。名前はグレゴリーペックだ。俺はいつも「グレゴリ」って呼んでいる。今日は、暑い部屋に1人で留守番させられて、少々ご立腹のようだ。
「ていうかお前、一人暮らしのくせに1度もウチに友達連れてきたことないよな、ボッチインキャか?」
俺に憎まれ口を叩くこのグレゴリという男は、
俺と同い年の19歳だ。その時の記憶は勿論無いが、俺が産まれた年に、祖母からプレゼントされた物らしい。既に祖母は亡くなったしまったが、大事な形見だったので、山形から東京の大学に進学するにあたって、上京する時に持って来た。山形にいるときは、今のように喋るぬいぐるみではなかったが、一人暮らしを始めた初日に、部屋が狭いなどといきなり話し始めたのであった。最初は非現実的な状況に度肝を抜かれたが、祖母の形見だということもあってか、次第に自然と受け入れることができた。
勿論、他の誰にも口外した事は無い。
一体ボッチインキャなんて言葉どこで覚えたのか。多分、テレビだろう。
「ちげえよ。友達はいるよ。友達はな。だけど人間ってのはな、お前みたいに思ったことを何でもズバズバ言うやつは、嫌われるの。面倒くさいでしょ。」
「へぇー、俺、人間じゃなくて、ヘビでよかった」
いやいや、お前はヘビでもないだろう、と思いながらも、会心の自分の嫌味をひらりとかわされたことにムカついた俺は、グレゴリをヘッドロックで締め上げた。グレゴリは、うわぁやめろー、なんてふざけているが、ランニング半ズボン姿でヘビを締め上げるこの様子は、まさに百獣の王そのものであった。