九話「観測者」
彼は当事者になることを望まない。
間接的に関わり、物語を円滑に進める潤滑油であることを望む。
主人公にヒントを与え、時に案内人となり主人公を導く。
彼は村人Aであることを切に願う。
だから彼は、傍観者となった。
◆◆◆
午後四時半。
バリケード設置は順調に進み、このままいけばあと一時間足らずで完了する。
放送の準備も滞りなく進んでおり、予定時刻の午後九時には放送できる。
柊らの未来に僅かながら希望の光が差していた。
柊はというと、寝たのもたった四時間で、起きてからすぐに皆の作業に加わった。
そんな中、
「……原、先生?」
「やあ柊くん。昨日ぶりだね」
予期せぬ人物の登場が、柊の頭を混乱させた。
「いやはや、ここまで来るのに結構時間がかかったな~。歳はとりたくないものだよ、まったく」
肩辺りを自分で揉みほぐすしぐさをして、自虐的に笑った。
「えっと、なんで原先生がここへ?」
現在を受け入れる受け入れないの問題ではなく、予想外すぎて情報処理が追い付かないのだ。
「四ノ宮さんに教えて貰ってね」
「四ノ宮が!? どうして……」
「それは言えない。そういう約束で私はここへ来れている。が、まあ彼女も彼女なりに頑張っていると言うことだよ」
「はあ……」
柊は納得のいかないまま、とりあえず拠点の中心とも呼べる会議室へ原和を案内した。
「原先生!?」
そこにいた進でさえもこのリアクションである。彼がここにいるという事実はあまりに予定外であるからだ。
「さっき柊くんにも話したが、私がここへ来た理由、これた理由、それらはいくら聞いても、探りを入れても、答えるつもりもないし、答えられない。その代わり、私が出来ることなら何でもしよう」
原和はそう最初に釘を打ってから、優しく微笑んだ。
突然の原和の登場に初めは困惑していた進だったが、一つ短く息を吐いて、
「では私と、それから柊と、話というか、これまでの出来事の整理、考察をしていただけませんか?」
「いいのかね? 考察を私と交えてする、ということは私に情報を漏らすということになるのだぞ?」
「あなたがここへ来た時点で、情報漏洩を防ぐことは難しいでしょう。あなたはこの階まで上がってくるまでに見聞きしたものからある程度のことがわかってしまうはずだ。それに、この戦いに勝利することが出来たとしたら、大人側が無断でこのようなことを行ったことを弱味に情報開示を要求するはずですからね」
「……さすが進くん。君は頭がいいね」
「それでも自衛隊の協力をとりつけることが出来なかったんですから、まだまだです」
「謙遜が過ぎると嫌味だぞ? では、これまでに二人が何をして、何を見て、何を考えたのか、私に教えておくれ」
こうして小さなテーブルを囲んでの、三人での意見交換会が始まった。
◆◆◆
「テレパシー、開戦、囮、バリケード、竹筒……」
柊と進は持てる限りのすべての情報を、現在の状況を原和に提示した。
それからしばらく、原和は聞いたことを反復して口にしながら、情報を整理した。
「二点考察があるが、その前に一つ。作戦は完璧だ。これ以上ないほどにな。私でもこの作戦が意見にあがれば採用する。運任せなところも、相手を見て、考えた上での案ならば、それは確率だ。運ではない」
と、意外にも原和は柊が考えて、進が補填した作戦を高く評価した。それが柊には嬉しくて、思わず鳥肌がたつ。
「ありがとうございます。私も、現状はこれが最善だと考えます。相手の数がわからないのが不安なところですが、敵地で団体行動をしないところから察するに、あまり多くはないのではないかと考えています」
進はその称賛を寂々と受け止め、話を広げる。
「単独での行動から考えられるテレパシーの有無、か。私もそれを念頭に置いてしかるべきだと思うね。それにしてもテレパシーをインターネットや電話なんかと結びつけるとはね……」
「うちの氷見ってやつの考えなんです」と柊。「それで、二つの考察って言うのは?」
「君は私のやり方を知っているだろ?」
「……先生は答えであろうものに導くだけで、たどり着くの自分たちで、ですよね」
「正解だ」
「ではヒントをいただきたい」
進は少しくいぎみなって頼む。
「そうさな。ではまず第一にテレパシー、電話ときて初めに考えたのはなんだい?」
「……ガスや水道、電気なんかも奴等が使っているから動いている、という当初からあった可能性が高まった?」
最後は自信がなくて疑問系になったが、柊の答えは正解だった。
「そうだね、ライフラインが生きている。これは天鳴地動後の最も大きい謎の一つだった。その謎の一端を君たちは覗いたのかもしれない。では、このことから導き出されるもう一つの仮説とはなにか、わかるかい? ヒントは先日の同盟交渉失敗の原因の一つだよ」
原和は人差し指を立てて、「さ、考えてごらん」と楽しそうに笑って柊たちになげかけた。
同盟交渉失敗の原因、それは危険、子供だから生徒だから、それから──、
「消えた武器……!!」
柊よりも一歩早く、進はその答えにたどり着いた。
「正解だ」
「関東遠征時に確認することの出来なかった武器や兵器、飛行機や船という長距離移動手段……。まさか、今回の戦闘でこれらの武器やその他が使われるってことか……」
進はその可能性に気付き、顔を少しだけ青くした。
「可能性は十分ありえる。彼らの口振りからするに我々のような"漏れ"が出ることは想定内だったろう。だからその想定内に力を持たせないために武器やその他を奪った、と考えていたのが今までだ。だが、今回のテレパシーの件で人間の叡知の結晶を彼らは彼らなりに利用しているかもしれない、という仮説がより一層強まった。ならばこの考えを一番可能性の高いものとしてするのも自然だろう」
「だがまあ戦闘での相手の銃器などの有無、それがなんであれやることは変わらないだろう。第一、相手がミサイルだのなんだのを持っているのだとしたら皆仲良く死ぬのが関の山だ。気にしなくていい」
柊はこの状況をどこか受け入れているようだった。それが出来ていない進はまだ頭を抱えている。
「……二点目、というのは?」
「これは君たちに対する問いになるのだが……果たして奴等はそれを使えるのか否か。君たちはどう思う?」
原和は意地の悪い笑みを浮かべて、二人を交互に見る。
柊は再び頭を回す、そして原和と初めてあったあのカウンセリングのことを思いだしていた。
宇宙人の写真を持っていた時に彼に言われたことを柊は思い出す。
──想像力と好奇心と探求心はつきることはない。
あの時は、写真をもとに彼らの特徴を見いだし、そこから考えられる可能性を考察した。そして今は、あの日から三日分も多い情報と、何よりも写真ではなく"現物"があるではないか、と気づく。
「進、昨日の、麻流他さんが撃ち殺した宇宙人の死体はどこにあるんだ?」
「……回収しろとは命じたが、やはり手元に置いておくのは危険だからな、近くの地下駐車場に止めてあった車の中に隠してある。GPS、が入っている少ない可能性をかんがみての判断だ」
進はそう言えばお前は今日の報告会に参加していないから聞いていなかったのか、と今朝報告された内容と撮られた写真を柊に提示した。
「写真は計十枚、俺が必要だと思った物だけを抜粋した。報告だが家庭用ナイフでなんとか切れるらしい。人間の皮膚とは根本から違うようで木の皮のようだと言っていた。爪は缶程度なら簡単に貫通するほど鋭く、虫に詳しい山岳部の山下先輩が関節や体全体を観察した結果、やはりその体は虫によく似ているようだ。あーそれと、生殖器はやはり無かったよ」
三人が囲むテーブルの上には十枚の写真がバラバラに拡げられた。
正面、左右側面、背部、爪、顔面アップ、足下アップ、下からのアングル、上からのアングル、そして麻流他に撃たれた際の銃痕。
それらの写真は前までの離れた場所から撮られたものではなく、生きていないとは言えゼロ距離から撮られたもの。情報量が遥かに違う。
「爪、この場合鎌の方が的確か。手と呼べるものはないようだな」
柊と同じく今初めて写真を見る原和は好奇心を剥き出しにして、写真に食いついた。
「これじゃ銃なんかは扱えなくないか?」
「確かにな、言ってしまえばこいつは高い知能を持った人と同じくらいのサイズのカマキリだ。この鎌で引き金が引けるとは思えん」
柊の疑問に進は頷く。
「でもじゃあこいつらはどうやってライフラインの完了をしているんだ? それにこの姿じゃライフラインの管理どころか自分達の管理すら……」
柊は関東遠征のことを思い出す。
あの時、遠征隊は確かに発電所や水道局を訪れた。だがあの時は誰もいなかった。
なのにも関わらず、施設は稼働していた。
あの時は事件直後で皆の頭が混乱していた時期だ、見落とし、見誤りなど多すぎるくらいだろう。
「確かにな……ならこいつらの姿はこれだけではないのかもしれんな」
進は疲れたように目頭を押さえる。
そして柊は、写真を見て一つの疑問が沸いた。
「……口?」
「なに?」
「正解だ」
つい口に出てしまったそれに、進は首を傾げ、原和は指を鳴らした。
「ようやく気づいたか」
原和は満足気に何度も頷いた。
「すまん、説明を頼めるか」
進はまだわかっていない様子だ。
「理解した、っていうよりか本当に気づいたってレベルなんだけど、こいつの口を見てくれよ」
柊が指差したのは顔面アップの写真。
彼らの口元はまさに化け物と言った具合で、横についた歯のような突起物はカニにも似ていている。
「これで人の言葉が喋れるのか、ってな」
「そうか、放送……」
進はそこで思い出す。放送のことを。
放送、二日前に流れたそれは奴等、宇宙人からの忠告、宣戦布告ともとれる怪言。
そしてそれらは人の言語、正確に言えば日本語を話していた。ある統計によると日本語は世界有数の難語だと言われている。それを話したのだ。
だが、この口を見る限りそれができるとは思えない。
「漫画やゲームならまだしもこれは現実だ。この構造で人の言葉が話せるとは思えない。かと言って話していたのも事実。ならこの姿たとは別の、例えば人間のような者たちがいるかもしれない」
その可能性が一体何を意味するのか、柊は知っている。
「人間の中に、紛れ混んでいる可能性だってある」
進は言葉をつまらせる。
進は生徒会メンバーの中でも屈指の秀才だ。が、それでも柊のように現実に鈍感な訳ではない。それなりに驚き、悲しんだりするのだ。
「一つ」そう原和は切り出した。「彼らが本当にライフラインを動かしているとしたら、それは動かし方をしていることになるな。ならばその動かし方はどこで学習した? それに天鳴地動、柊くんがいるから消失と細かく言っておこう。この消失の線引きは誰がした? なぜ私たちが生きている。どうやって有効範囲を決めた?」
消失の線引き。それは原和と柊が初めて話した時にも出た話題だ。
進は苦い顔をして、その問いに答えた。
「……昔から彼らは我々人類の中に寄生し、反逆の時を伺っていた……。そして人界を把握した構成員とも呼べる者が人のいる範囲を設定し、消失を実行した……」
「それって……」
柊の顔から血の気が引いていく。
「…………我々生き残りとも呼べる七七八人を救ったのもまた、彼らの仲間だと言うことになるね」
重々しくも柔らかな口調でそう口にした原和の顔は何故だか笑っているようにも見えた。
◆◆◆
「人の中にいた敵と人の中にいた味方、か……」
三人での議論はあの後すぐに幕を閉じ、進は会議室を後にし、柊は原和と二人になった。
「かもしれない、だよ柊くん。今までの話はすべて仮説に過ぎない。一種の妄想だよ、妄想」
珈琲を入れて来たんだと微笑んで、原和は背負って来たリュックの中に入っていた保温性の水筒を取り出して、紙コップに注いだ。
「はい砂糖」
「ありがとうございます」
湯気を立たせた珈琲とシュガースティックを受け取って、柊はとりあえず一服することにした。
「でも可能性は高い、ですよね」
熱い珈琲に息を吹きかけながら、柊は原和に訪ねる。
「そうだね、可能性は高い。むしろそうでない可能性の方が低いくらいだろうね。けれどいくら可能性があっても、証明されない限りは想像の域を出ない。深刻に受け止めるほどバカをみる」
原和は珈琲を一口呷って、
「念頭に置いて行動するのは悪くない、むしろいい。でも、それで行動に大きな制限をかけてはダメなんだ。あくまでも可能性の話、対策できることはして、わからないところは後で答えを出せばいい」
「……でも、でもそれでは全員を救えない、守れない」
「おや? 君ならわかっていると思ったんだが、進くんの方が理解していたようだね」
「なにを……ですか」
柊はもうそのことに気づいている。
「我々は万能ではない。今回の作戦、死者は出る」
柊を見据えて、原和はそう断じた。
「囮という存在を容認してる時点である程度切り捨てる覚悟があるのかと思ったんだが……君はいつまで日常にいるいつもりだい?」
初めて、ではない。彼の浮かべる笑みが怖いと思ったのは。そして、また、自分が浮かべる笑みも、同様のものなのだろう。
「俺は……」
それでも尚、柊助という青年は日常にありたがる。
綺麗事を並べ、囮という存在を把握しながらも、その責任を進に押し付け。
誰も死なない、傷つかない世界がある。と、思ってもいないことを思うふりをして、天鳴地動が起きる前の、ただ変な奴という日常の自分でありたがる。
本当は気づいている。天鳴地動に気づかされた。
確実不確実な現実云々とは違う、自分の異常性から目を背けている。
あの日、気づかされたはずの自分の狂気から自分を守ろうとする。
「君はこの状況に陥ったことに、後悔も、絶望もなにも抱いちゃいないだろう?」
…………………………………………。
それが柊助という人間だった。
「俺は……そうですね、なにも、思っていない。けど、友達を皆を死なせたくないのは本心、だと、思うんです」
断言できない。
けれど、柊はそれだけは譲らない。
「友達を失えば後悔をする。それは多分、この状況を後悔していない自分に、ですが……それでも、あいつらといるのは楽しい。この異常が日常の世界で、あいつらといる時だけが、本当の日常に戻れる」
「……そうか。まさか君にまだそんな通常が残っているとはね……私も人を見る目が落ちたかね」
そう、自虐的に原和は笑う。
「……前も言った通り、ここへ来たからには私もできる限りを尽くそう。死にたくはないしね。それに、私はスクールカウンセラーだ。生徒が悩む原因を未然に潰すのも仕事だろう?」
原和は珈琲を飲み干した。
◆◆◆
誤算、と言えば誤算だった。
彼は彼が主人公にあたいする存在だと確信していた。
偽りのベールを取りさえすれば、目的の為なら手段を選ばない、そんな悲劇のヒーローになれると確信していた。
けれどハズレた。
思いもしなかった、まさかあれほど醜く人であり続けていようとは。
あの日、彼の中に生まれた狂気は見届けたいという一つの願望。
この先、人類が勝利しようとも敗北しようとも、それを最後の最後まで見ていたい。……。
──見ていたい。観ていたい。視ていたい。診ていたい。看ていたい。満ていたい……。
彼、彼の名は原和。天鳴地動の日、彼はこの世に二度目の生を受けたと確信した。
新たなる世界の、創造を体感できる観客席にいるのだと、それも特等席。
「壊れないなら、主人公にならないなら……」
壊して主人公にしてしまえばいい。