八話「作戦」
感謝すべき人は、身近にいる。
そして感謝すべきことは、特に意味をなさない日常の片隅に消えて、気づけない。
例えそれが命の恩人であっても、目にも止まらず気付けはしない。
例えその命の恩人が親友であっても、その者の口から語られない限り気づかない。
だから、だから俺も気づけなかった。気づいてやれなかった。
天鳴地動から俺たちを守ってくれた恩人が、身近なあいつだったなんて。
◆◆◆
「助、こんを詰めすぎるなよ」
六月十七日、午前一時。
自衛隊側との会議、拠点への移動、麻流他の発砲、開戦、まさに激動と呼ぶにふさわしい一日が終わった。
今は見張り組以外のほとんどが、気を張りすぎていたのか、疲れて寝ている。
柊は一人、そんな中寝れずに作戦会議ように広げられた地図を理由もなく眺めていた。
そんな彼に、
「お前は寝なくていいのか? 古千」
親友である古千は缶コーヒーを二本もってきた。その片方を柊に渡して、
「俺はなにもやってないからよ」
と、困ったようにはにかんで、自分の缶コーヒーのプルタブをカチッとあける。
ぬるいそれを一口呷って、
「お前はすげぇよ」
と、呟いた。
「なにもすごくなんてないさ、できることは限られてる」
柊も受け取った缶コーヒーを開けて、ちびっと一口。
「できる限りを尽くせるのが凄いのさ」
初夏手前の少し暑い夜、中身はぬるくても缶はひんやりとして気持ちがいい。古千はそれを手の中で遊ばせる。
「全然スゴくなんてないさ。ただ責任を背負いっているだけだよ。こんなこと、やれと言われれば誰でもできる」
責任。柊の言うそれは今回の戦争に参加する生徒すべての命の責任だ。
彼の判断で、何人死んで、何人生きるかが決まる。
「俺は偉そうに頭を回しているだけさ」
「……お前がそういう奴なのは知ってたさ」
自分の価値を低く見積もる柊に、古千はまた笑みを浮かべてコーヒーを呷る。
「勝てるか?」
「わからん」
「そうか、なら勝たないとな」
「ああ」
二人は自然と地図に目を落とす。
「ここ、この公園。幼稚園くらいの時によく遊んだよな~」
古千は地図に小さく描かれた公園を指差して、過去に思いを馳せる。
「あの頃から、お前変わってたよな」
「そうか?」
「ああそうさ。友達の、なにちゃんだったかな? まあとにかく小さい頃の友達が引っ越す時も、あーそうなんだって、みんな嫌だってわめいているにお前だけすぐに受け入れてさ、お前が一番仲がよかった筈なのに、だ」
「ゆみちゃんか」
「そうそう! それでもサンタとかUFOとか幽霊とか、子供の頃はみんなが受け入れて、疑問すら持たないことにお前は、本当かな? いないよそんなの、なんて断固として認めないの」
その頃からもう、確実な現実は受け入れ、不確実な現実を拒む、という今の柊助という人間が出来上がっていたのだ。
「そういうお前も、そんなこんなで小学生の頃ぐらいにはあぶれ者だった俺とずっと友達でいるんだから変わり者だよ」
「俺は面倒見がいいからな~」
古千は自慢気に鼻を鳴らす。
「ああ、そうだな」
と、柊はあきれた顔をして頷いた。
「川口とはどうなんだよ?」
「……今する話か? それ」
「それを言ったらさっきまでの昔話もそうだろう。それに今だからいいんじゃん」
古千はニタニタとして柊の脇腹をつつく。
「……どうもこうもないよ、あれっきりだ」
「……ったくよ~お前らどこまで拗らせるんだよ。お兄さん感心しないな~」
「なに目線だよ、それ」
あれっきり。今年の冬、柊は付き合っていた川口と別れた。理由はなんだったかも覚えていない喧嘩。それっきり、柊は川口とは口を聞いていないでいる。
「それにさ、天鳴地動があってから考える余裕がなくなったせいか、好きとか、もうそういうのがわかんなくなった」
「……ま、お前がそれでいいなら俺はなんにも言うことないけどよ」
グビグビっと缶残ったコーヒーを一気に飲み干して、古千は「じゃ、俺もう寝るわ。お前も早く寝ろよ」と、嵐のように柊のもとを去っていった。
「川口、か……」
一人になった柊はコーヒーを一口含んでそう呟く。
天鳴地動が起きてから、日常と非日常が入れ替わり、色恋のことを考える暇など柊にはなかった。
川口に対する思いは、もう過ぎたものとして風化しつつあるのに柊は自覚していた。
だから尚更、日常を完全に失うようで、青春という高校生にとっての日常をアレに奪われるようで悔しくて、彼女の名前を口にする。
それはもう恋心とは呼べない、ただの執着心であることにも、柊は自覚している。だから「わからい」と古千に言った。
古千はいいやつだと、柊は心のそこから思っている。こんな自分をいつも気にかけてくれている最高の友達だと。
進にも色々な相談はする柊だが、恋愛相談なんて恥ずかしいものを出来るのは古千だけ。
「あいつを死なせる訳にはいかねぇからな……」
柊は貰った缶コーヒーを飲みきって、再び地図を睨む。今度は意思を、覚悟をもって。
古千を、みんなを死なせない作戦を考えるために。
◆◆◆
「結局、一睡も出来なかった……」
シバシバする目を冷たい水で顔を洗って強引に覚醒させる。
寝れなかったが、そのお陰でこの一晩である程度の作戦を考えることができた。
「コーヒー、そういえば礼を言うの忘れてたな」
後で伝えようと、濡れた顔をタオルで拭いて、地図のある部屋へと戻った。
「おはよう、進」
「おはよう、助。古千から聞いたぞ、寝てないんだってな」
「あいつ……」
口が軽いやつだったと、頭を抱えて思い出す。
「休まないと身が持たんぞ」
「わかってる。けどさ、寝不足概はあったと思うぞ?」
柊はやつれた顔で進に笑いかける。
「はぁ、ならその寝不足の成果を俺に話してから、早急に寝ろ」
寝ろ、と命令されてしまった。リーダーの命令は絶対である。それにこの状況下での徹夜は心身共に疲労する。
「……了解です」
「よし、では話せ」
「わかった」柊は地図に目を落とし、進もそれに習った。
「まずは昨日も言った通り、奴等を誘き寄せるのには放送を使う」
「奴等の目的をあくまで我々を圧倒すること、と考えるわけだな」
「そうだ。奴等は俺たちに準備期間をもうけた、全力をもって相手をしろってことだと俺は思う。たぶん奴等はゲーム気分だ。折角準備させておいてそれを無視するってことは考え難い」
「だがそれも我々を一ヶ所に集める、ないしは戦力をほどよく分散させるという作戦の一貫ならどうする。奴等に戦闘能力自体はなく、あくまでも天鳴地動に頼っているだけだったのなら、そういう姑息な手をもって我々ではなく学校側を叩くかもしれんぞ」
「そのときはそのときさ」
「……なに!?」
「そもそも俺たちだけで奴等に勝つということ自体が間違いなんだよ。もし学校側が攻撃にあったとしても、あそこには自衛隊の本体がいる。多少はもつはずだ。それこそ校内に立てこもったりすればな。その間に俺たちは全速で学校へ戻って援護すればいい」
「楽観的過ぎないか?」
「今の俺たちに三つ四つもパターンを考えて対策できる余裕はない。あくまでもここで向かい討つことに焦点を絞るべきだ。もちろん、学校側が襲われた時のことも最低限考えて帰還ルートは模索した方がいいがな」
「賭け、というわけか」
苦悶の表情を進は浮かべる。理由は柊の言うことに一理あるから。だがそれと同時にあまりに運要素が強すぎる点にある。
「そもそも勝てるかどうかが賭けさ」
柊は自嘲気味に笑う。
「だから少しでも当たりが出るように、昨日言った放送と、これから説明する作戦を用意する。ただまあこれがもし成功しても、戦いが苦しくなるかも知れないが……」
「言ってみろ」
「昨日言った放送で誘き寄せるって案だが、その放送内容を適当な煽り文句にする」
「それが作戦一か?」
進は拍子抜けしたような顔をした。
「そうだ」
「……全く、お前は頭がいいのか悪いのか、はっきりしないやつだな。続けて」
「煽られた宇宙人どもはつられてここへやってくる。楽観的って思うかも知れないけど、結構はまると思ってる。それから作戦二だけど……」
柊は地図に自分たちの今いる拠点から前方に扇形に線を引いていく。
「この扇の半径の線に沿ってバリケード作る。適当なのでいい、ここを最奥にして竹筒にする」
「一度入ったら出られないってう鰻とかの漁で使うあれか?」
「そうだ。この扇に誘い混んで中で叩く。戦力を分散せずに集中的に攻撃できる。が、その分一度にたくさんの数を相手どらないといけないし、放送の煽りで怒って凶暴化してるかもしれない」
柊は最後に笑って「どうする?」と眉を上げた。
進は一つため息を深くついて、
「放送の案は再考する必要がありそうだが、竹筒作戦に関してはそれで大丈夫だろう」進は柊の背中を叩いて、「よくやった」と称賛する。
「あとは俺の仕事だ。皆を円滑に動かして今日中に間に合わせよう。明日は決戦だ。それに昨日の件で早まるかもしれない。休めるうちに休んでおけ」
「ああ、わかったよ」
進にさとされるがままに、柊は寝床に向かい、横になって目を閉じると、一瞬で睡魔に意識をもっていかれた。
◆◆◆
柊が眠りについてから一時間後、時刻は午前七時。
すっかり会議室と化した地図のある部屋には、リーダー会議に参加している面々と、それらが参加を認めた臨時の生徒、それから真田と麻流他が集まっていた。
「──と、これまでが、柊が徹夜をして考えた作戦の原型だ。なにか異論はあるか?」
柊の口から語られたことを進は柊に変わって集まったメンバーに話した。
「逆にでかい異論があるのにそれをスルーできてるお前がすごいよ」
六輔が呆れ気味に突っ込んだのは学校側対策のことをだろう。だが、ツッコミなだけで反論ではなかった。柊の意見が一番現実的に"勝つ"方法だからだ。
「この作戦に関してはもうすでに四ノ宮と馬場には伝えてある。学校の対策は学校側に残った仲間に任せて、俺たちは今出来うることをするぞ」
「出来うることって言ったってよ、そもそも今日中にそんなバリケードがはれるのか?」
剛野手は作戦準備の難易度に眉をひそめる。
「今その作戦に割ける人員は百四二人中九十人がやっとだぞ? 連絡中継、見張り、武器作成、この四つから人員はあまり割きたくない」
「わかっている。これから一日足らずで半径五キロのライン二つにバリケードを設置していかなくては成らない。それがいかに難しいことなのかもな。だが、それを簡単にする方法がある」
「なに、その方法って」
氷見が聞く。
「何も大層ご立派なバリケードを張れとはいってない。相手が通りたくない、通るのが面倒、と思わせればいい。そもそものこの作戦自体、運任せで作戦とは呼ぶにはあまりに脆い子供の浅知恵だ。が、それが通用するかも知れない相手だ。相手はこちらを完全になめきっている。面倒な方を通ってこちらの裏を突くよりも、正面圧倒が望ましいだろうさ」
進は得意気に続ける。
「柊は詰めが甘いから思いつかなかったらしいが、竹筒を使った漁法にはもちろん餌がいる」
「まさか囮か!?」
と六輔。
「正解。人道だのなんだと言っている暇などとうにない。バリケードは適当に物を積み上げたり、車を使って渋滞させたり、開戦直前に火を放ったりすればなんとかなる。あとは中央に誘い混んだ奴等を殺れるかどうかだ」
進が話終えると、静寂が会議室を包む。
囮というフレーズもそうだが、皆決めかねているのだ。急に実現めいてきた戦争、勝てる可能性、されどその作戦の穴。すべての要素を足すとなおのこと、自分の判断を人に委ねたくなる。
「いいんじゃねぇかぁ? 俺は賛成だぁ」
静寂を破ったのは麻流他だった。
「無駄に戦線拡げて、学校を守ろうとしたって実際問題守れないと意味がねぇんだからよぉ。それにもともと横に拡げてた簡易バリケードを半径にもっていけばバリケード設置も簡単にはなるだろぅ?」
意外にも麻流他はこの状況を、生徒側がやっていたことを把握していた。そして頭を回し、意見を出してくれた。
──やはりこの男、キレるな。
と、進も麻流他を一目置く。
「俺は構わない。だが、その囮って言うのは誰がやるんだ? あまりいい仕事だとは思わないけどよ」
一応賛成の意を見せた剛野手だが、冷静に囮という最も危険な役割に関して疑問を抱く。
「お前がやる、なんて言わないでくれよ? お前は俺らの大事な脳味噌だ、死なれちゃそれこそ終わりだ。で、あるならば誰がやる。誰にやらせる」
鋭い視線を進に向ける。
その言葉はまるで「誰かに死ねと命じろ」と言っているようにも聞こえた。
「……そうだな、綺麗事抜きで言えば陸上部、それからサッカー部なんかが適任だろう。できるだけ長距離走が得意なものが望ましい。そんな者たちでリレー形式で順々に囮をする、というのが一番現実的だろうな」
「……そうか、だとよ陸上部、サッカー部。お前らに死んでほしいんだがどうだ?」
剛野手は後ろを振り返り、サッカー部主将相川千彰と陸上部主将鮫島翔悟に単刀直入な言葉で聞いた。
「……こればっかりは本当に任意での参加になるね……何人集まるかどうか……でも、僕はやるよ。サッカー部は男の華、囮なんて役割を担って生き残ればモテ期待ったなしでしょ」
相川は額に汗を滲ませながらも、軽口を叩いて笑ってみせた。カリスマ性のなせることか、命を投げ出す決断を即答。剛野手は相川を侮っていたわけではないが、その姿に驚きと尊敬を覚えた。
「鮫島はどうだ?」
「右に同じく」
と、鮫島も即答。鮫島に関しては汗一つかいていない。
「お前ら、いいのか?」
と進。
「男に二言はねぇよ」
相川は校則違反ギリギリの茶髪を振り払い、
「右に同じく」
鮫島はその仏頂面を少しも変えない。
「…………では、それで決まりだ」
「足の速いやつ何人かに、俺も声をかけてみるよ」
「ありがとう、剛野手」
剛野手には別に役割がある。だからこの囮の役割に参加することはできない。その人に恐怖を押し付けることしかできない悔しさが、彼を動かしていた。
「俺たちがやろうとしていることが、今ようやく形になりつつある。これから、辛い戦いが始まるだろう。だから、だからこそだ! バリケード、囮、この作戦のすべてを成功させるために皆、今日は頼む!」
『『おう!!!!』』
◆◆◆
会議、というか報告会の場が一度閉じられた後、相川、鮫島の二人は部員たちが待機する地下駐車場まで階段で下りていた。
「お前はさ、怖くねぇの?」
そう切り出したのは相川だった。
「死への恐怖ならある。なれば死ななければいい話だ」
鮫島はその低い声のトーンを変えずに淡々と答えた。
「……そっか、すげえなお前。その体と仏頂面と同じでメンタルまで鋼かよ」
少しだけ自嘲気味に、相川は笑った。
「俺はさ、怖いよ。今だって身震いが止まらねぇ」
相川は前を向いたまま、そう口にした。
百九十センチと背の高い鮫島が、頭一つ分違う相川へと目線を落とすと、彼の握り拳が震えているのが見えた。
「ならなぜあんな啖呵を?」
「……かっこよく、なりてぇからかな」
相川の握り拳に、尚いっそうの力が籠る。
「俺さ、中学じゃ目立たねぇで薄暗い奴でよ。高校入ってなんとか人と馴染めるように勉強して、サッカー頑張って、髪の色も変えて、自分にしてやれることを全部やったつもりなんだよ」
所謂高校生デビューというやつだと、相川は笑った。
「そしたらさ、皆が俺のこと気にかけてくれて、俺が皆のことを気にかけることを許してくれて、それが嬉しくてさ、もっと頑張ろうって思えた。そんなままがむしゃらに青春を謳歌して、間違ったりもしたけど、楽しくて」
過去を語る相川の目はどこかキラキラと輝いて見える。けれど、
「それなのに、あの日、あの出来事がすべてを蔑ろにしていった、すべてを奪い取っていきやがった」
それは過去であり、どうしようもない現在はここにある。
「何も無かったとこになった世界で、案の定俺は何も無くなったよ。けどさ、あいつら、進や柊は後輩なのにさ、あんなに頑張ってて、剛野手のやつも、あんなプライドの塊みたいだったやつが人の為だって言って後輩に頭下げてリーダー会議なんてものを作って。みんな、みんな頑張ってるのによ、俺には何もねぇ、何もしてねぇ」
拳は今も震えている。それが悔しさからなのか、死への恐怖からなのか、それとも別の、怒りなのかは鮫島にはわからない。けれど、
「だから、俺は囮を受け入れた。何もない俺をもう一度何か持つ俺に変えるために。それにさ──」
相川は拳から力を抜き、鮫島の方を向いて微笑んで、
「──サッカーの上手いイケメンよりもさ、世界を救ったイケメンな英雄、てのほうがカッコいいだろ?」
と、努力の賜物である後天的に勝ち取った"カリスマ性"を再び纏った。
「ああ、そうだな」
鮫島の顔が少し緩んだ気がした。
誰もがなにかを失い、失った分だけなにかを背負い、そしてなにかを取り戻し、得ようと必死に抗っている。
これはそんな者たちの物語。