二話「出会い」
人は地球のことを知ったように思っているだけで何も知らない。何一つ知りはしない。
地球が生まれてから自分たち人間が生まれるまでのことを何一つ、知りはしなかった。
◆◆◆
僕の名前は像上写、一橋高校の由緒ある写真部の部長だ。と言っても例の事件後、部員は僕と副部長である川口さんの二人だけになってしまったけれど。でも、今回僕らは映像部と共に生徒会から依頼され、承諾した校外調査を行っている。事件直後にも関東遠征という関東全域に大規模な校外調査が行われたけれど(指揮したのは自衛隊)、今回は校外三十キロに絞られた近域の経過調査だという。どうやら一ヶ月に一回行うとリーダー会議で先日決まったらしい。勿論生徒側の独断行動。
現在は許された最大範囲三十キロ地点のビルの屋上にて、辺りを撮影している。お供は型は古いが味の出る写真部の部品のカメラだ。
町は当然のことながら活気なんてものはなく、一ヶ月たった道路には白線に雑草が生え、いたるところにホコリや土、砂ボコりがたまっている。風に流されてきたのだろうか。
建物は一ヶ月前とさほど遜色はなく、物理的被害なども確認できない。一ヶ月前にもあった調査でも思ったことだが、もし車に乗っていた人が突然消えたなら、一台くらいは建物や電柱に突っ込んでいてもおかしくはないと思うのだけれど、それはなく車同士の衝突すらない。
「まるで全員が消える前に車を止めたみたいだ……」
車を乗っていた人たちだけじゃない。料理をしていた人は火を止め、工事中の現場ではそれを中断したかの様だ。そう、消えることに備えていたかのように。
「そんなわけないですよ。実際、私たち生き残りは誰もそのことを知らなかったわけですし」
「でも、それが消えた人と生き残りの違いなのかも……」
「ならなんで、消えた人たちはそれを甘んじて受け入れたんですか」
「確かにそうだけど……でも世界的な集団催眠とか集団自殺とか……」
「仮にそうだとしても、死体はどこへ消えたんですか」
「それは──」
いつもこうだ。
言ってみるのはいいものの、後輩である彼女にはぐうの音もでない。確かに集団催眠や集団自殺なんていうものは有ったか無かったかと言われれば、有ったなんて可能性は皆無なのはわかっている。でも、そんなことでもないかぎり、町が無傷のまま人が消えるなんてことはあり得ないと思うんだ。そんな、なにもない風景に向けて、僕はシャッターを切る。
僕のカメラが今回の問題のそれをとらえたのは、ぶつつきをやめてから数時間後の校外調査からの帰路だった。
校外二十キロ地点。
「収穫はゼロだったな……」
別れて調査をしていた映像部と合流した僕らは、帰路の途中での一時休憩をかねた、情報共有を行っていた。
「一ヶ月前と変わったところと言えば少し廃れただけで変化なし、生徒会からのご希望には添えそうにはないな」
映像部部長、卯月はため息をついた。
生徒会からは周辺の経過調査だけでなく、消えた人たちへの手がかりの調査も頼まれていた。まあ、出来ればとのことだったが。
「一応サンプル用に家をこじ開けて撮ってはいるけれど、これといった成果はなしよ」
と映像部員。
生徒会からは一日以内に帰るよう言われているので、成果なしでも帰る他ない。
こういう場での発言が苦手な僕は小さく頷き、相づちをうつだけ。
「まあ、新聞部に頼まれてた橋高新聞用の写真は撮れているからよしとするか、見出しは確か"消えた活気の町"だったか」
見てくれと言って、卯月は首にかけたカメラに保存された写真を出した。それを皆は囲んで覗き込んだ。もちろん僕も。
「活気溢れるおもてなしの町」と大きく掲げられた商店街の看板を引いたところから撮った写真だった。看板は砂ボコりがついて汚れ、道にはゴミが舞っている。確かに消えた活気の町なんていう見出しにピッタリな写真だった。
「これからこれを一ヶ月に一回やると思うと気が乗らんな」
「確かに、足もうパンパンだよ……」
文化部である僕らにとっては片道三十キロなんて数字は、いくら電動自転車を使っていても少々キツイものがある。バスケ部のサポートメンバーは別だが。ちなみに一度は自動車の使用が提案されたけれど、安全性と大量の乗りおかれた車が道をふさいでいることから、比較的安全で道幅を気にしない電動自転車が採用された。バイクも安全性を考慮して使用が止められた。
「疲れたのはわかるけど、もう出発しよう。遅くなる前に帰りたいしね」
そういって僕らはまた、自転車をこぎだした時だった。
「なんだ……あれ」
少し進んだ先で一人のバスケ部員から声が上がった。彼が見つめる先になにがあるのかと、視線をそちらへ向けるとそこには、異形の姿をもつ生き物がいた。それは映画でも見覚えのある、緑の化物。
「宇宙……人、なのか」
僕は思わず息をのむ。路地の先、まだ僕らには気づいていないらしい。
そして我にかえってふと思う、あの異形の生き物こそが生徒会からの依頼である消えた人たちへの手がかりなのではないかと、そう思うと体が勝手にカメラをそれに向けて、シャッターを切っていた。カメラマンの端くれとしての本能だろうか。
「に、逃げろ……‼」
撮ることよりも逃げることを優先させた卯月が声を殺して言うと、全員慎重に最大限速く、忍び足ならぬ忍びこぎでその場から逃げた。
そこからは焦りと恐怖であまり記憶がない。
結果から言うと、異形の化物を納めた写真は、奇跡的に手振れのない、僕の撮った一枚のみになった。
◆◆◆
「なに……この緑のやつ」
最初に声をもらしたのは生徒会書記の倉橋氷見だ。
「こんなの関東遠征の時には報告されてない。誰も見ていない!」
「……わからん。だが、これがいたのは事実だ。それは揺るがない。事実として寂々と受け止めなければいけないんだ。それに、少し頭を使えばこいつが天鳴地動を起こした犯人なのかもしれないというぐらいの想像はすぐにつく」
進は天鳴地動を起こした犯人かもしれないとそう言った。やはり頭の回転が速い。おそらくはもっと深くまで考えているに違いないだろうと柊は感嘆する。
「今日のところは一応の報告だ、詳しいことを写真部の連中から聞き終わった後、リーダー会議を行う。美香はリーダー会議の召集をかけておいてくれ」
進は広報担当である馬場美香にリーダー会議という生徒内にもいくつか存在する派閥のリーダーたちを集め意見交換をし、それを側の総意とし発表、実行する会議を開くために、リーダーの召集を指示した。
「わかった」
「四ノ宮と六輔、それに剛野手、各方面への根回しも今のまま続けてくれ」
この場に集まった一人一人に指示を与えていく。ちなみに上下関係を優先して先輩である剛野手にも進は敬語は使わない。剛野手もそれに不満はなかった。
「「「了解」」」
「では、今日はこれだけで解散する。柊、お前はなにかあるんだろ?」
「え、どうして……」
「それくらい顔を見たらわかる。後で聞いてやるから残れ」
たった一年と少しの付き合いなのに、この世で最も自分を理解しているこいつには敵わないと、柊は降参した。
「ここでのことは他言無用だ。俺が許可するまで外部へもらすことはやめてくれ、では解散!」
◆◆◆
衝撃的内容の割にはあっさりと視聴覚室での報告は終わった。生徒会の面々からは何の質問もなかった。
それはいつものことだ。生徒会メンバーの全員がリーダーである進を信頼し、なんとかすると信じている。そして彼らも進に頼られた時にいつでも力になれるようにし、それを進は信頼している。
柊と進を残した視聴覚室は、やや先ほどまでいた教室よりも大きく、特別緊張はしない。ここに原和がいたら別だったけれど。
「それで、何を気にかけている」
プロジェクターやパソコンの線を束ねながら進は柊に聞いた。
「今日、お前が紹介してくれたスクールカウンセラーの原さんのところに行ったのは知っているだろ」
「ああ」
「そこで俺は天鳴地動について話したんだよ。俺の考察とかも交えて、小規模な意見交換みたいなことかな」
柊は記憶力のいいほうだ。あそこで話した会話を一字一句違わずとは言わないまでも、それに近いレベルで進に話した。
「宇宙人……確かにその仮説を裏付けるものにこの写真はなりそうだが、やはり原先生の言う通り証拠が不十分すぎる。もっと情報量も証拠も欲しい。これでは生徒会メンバーは信じても全校生徒は信じてはくれないな……。それに三勢力間での主導権を獲得するには情報の価値が低すぎる。それにこのことは明確な事実としての物的証拠とまでは言わないが、少なからず証明できるものは欲しい、じゃないと俺たちが発表しても周りから見ればただの乱心者か、あるいは妄想家になってしまうからな」
進の言う通りだった。原和と柊の会話が成立したのはあくまでも、天鳴地動や消滅に対しての一定の共通した考え方を持っていてのことだ。原和や柊と同じ考え方をした人間は多くはない、むしろ少ないとも言える。しかもこんな状況で考え方の共通化など今さらやろうとて、不明瞭な事実では人の固定観念は揺るがない。こんなもので揺るぐものは、人によって固定された観念とは言わない。
事実とは明確であればあるほどいい。そして進の頭のなかにはもう、この事実を明確にするためのプランがたてられつつあった。
「俺はこれから原先生のところへこのことを報告しに行く。お前はさっき他言無用だと言っていたけれど、原先生にだけはこのことを伝えておきたいんだが、いいか?」
「そうだな、彼は自衛隊と同じ中立の立場を維持し、なおかつ自衛隊とは違い武力はもたない人だ、知力はあるがな。そういう人を仲間に迎えいれるのは案外骨が折れるが、頭脳として知識や状況を伝えておくのも悪くはないだろう。彼ほどの男が情報を横流しにするとは思えないし、仮にされたとしても逆に虚偽の情報を与えたりして相手の情報を錯乱することもできるからな」
「よかった」
「柊、すまんがついでに頼まれてくれないか、俺の質問の代弁を」
◆◆◆
つい三十分ほど前までいた教室に再び戻るのは変な感じだが、柊は扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼します。先ほどはどうも」
改まって挨拶をするとなにか恥ずかしい感じがぬぐえないかったが、柊は一応挨拶をした。
「また来てくれと言ったのは私だがここまで早く来るとはね、察するに先ほど放送で呼ばれた先であった出来事の相談。おそらくは天鳴地動に関することだろう?」
「先生の察しの通り天鳴地動に関してです。そこであった一つの報告に対しての見解が聞きたくて……それと生徒会長からの質問の代弁を」
「そうか、ならまず報告から聞こうか」
原和は立ったままの柊を先ほどまでと同じ席に座るよう促すと、まるでさっきまでの話が続いていたかのように全く同じ体勢で、同じ表情で聞く構えをした。
「まず見て欲しいのはこれです」
話をスムーズに進めるためにと、進から渡されていた写真のコピーを机に出した。
「緑の化け物……そうか、これが我々の仮説に登場しうる宇宙人というわけか」
当たり前のように疑いもせず写真にみいると、原和は誰がどこで撮ったのかと聞いた。
「それは会長からしたら言ってもいいのかもしれないですけど、ここは俺の勝手な判断で言うのはよしておきます」
「賢明だ。情報開示は最小限の方がいい、一応言っておくが私は興味深いことに関しての情報はあわよくば、と思っている。信用してくれるのはありがたいが、私への情報開示は最小限に、そして私から得る情報や仮説は最大限にという考え方がいいと思うよ」
この人は味方なのか敵なのか、はたまたどちらでもないのか、今一懐の読めないお人だ。
「肝に命じておきます」
原和は「そうしたまえ」と、首を二回縦に振った。
「質問を変えよう。写真はこの一枚だけかい」
「はい。やはりこれでは情報量が少ないと進も言っていました」
「だろうな。綺麗にとれてはいるが一枚では少ない。開示はしないだろうな」
「ええ、するつもりはないです」
「緑の化け物、これを仮にだが宇宙人としよう。この写真から宇宙人について予想できることをあげてみよう」
容姿から考える。足は六本、下半身は昆虫の腹のようになっていて人のようだとは言えない。体は全体的に人間よりも固そうな皮膚に覆われているように見えるし、大小の凹凸が体にはある。
下半身から背筋よく伸びた上半身はわりと人間に近いのかもしれない、それと間接の数や骨の役割なんかも似ているんじゃないか。
頭のバランスはよくはなく、例えるのなら妖怪ぬらりひょんがイメージしやすいか、それに似た後方へ伸びた頭蓋を持ち、目は大きくて耳は小さい。他に写真から読み取れる情報はないかと探すと、
「あ、生殖器がない……」
「うん、私も気にかかったのはそれだ、この写真から読み取れることが全てと仮に考えた時、この宇宙人はどうやってその個体を増やしているのかがわからないんだ。宇宙人には子孫を残す機能や考え方、つまりは種を保存するという生物にはあって当たり前の本能がかけているのかもしれない。それならばできるかどうかは別だけれど脅威を根絶やしにできないわけではないんだ、その種を増やす能力がないのなら存在する全ての個体を殺せば終わるんだからな、相手側の数的戦力拡大はあり得ないからね」
「でも交尾をせずに繁殖する生物はこの星にもいます。もしかしたらこの宇宙人はそういうタイプかもしれないですよね。無理やりかもしれないけれど容姿も虫に似通ったところがありますし、虫にはメス単体で子を産むものもいますし、腹の中で子を育て口から吐き出すカエルもいる、だから生殖器がないと言っても繁殖が絶対的に無いとは言い切れないですよね」
「ああ、もしかしたらアメーバやゾウリムシのように細胞分裂を行って子孫を繁栄させているのやも知れん。あくまでも可能性の話だ、真実を知るまでは可能性がゼロになるこはあり得ない。例えば工場のような場所でクローンのように大量生産されているのやもしれんしな」
「想像が膨らみますね」
「想像力と好奇心と探究心はつきることはないよ」
不謹慎なのかもしれないが、この会話は実に有意義で楽しいものだった。想像と議論の材料は未知の存在、未だ知らない存在なのだ、答えのでない円周率を求め続けているような感じだと柊と原和は思った。
「まあ恐らくは君の虫に似ているという意見は正解だろうな。正しい解答だ。三本の指はそれぞれがカマキリの鎌のような形をしていて、下半身は昆虫のよう、垂直な壁も容易に登れそうだよ」
人と虫を掛け合わせたようなその存在は目もと以外は空想上の宇宙人には似てはおらず、耳の大きさからしてもあまり音は聞こえないのではないかという考察も上がった。一通りなめ回すように宇宙人(仮)の全身の考察を終えると、休憩と称し原和の入れたコーヒーが出された。
「口にあったかな?」
「は、はい。美味しい、です」
見栄を張ってブラックにしたのが間違いだったと反省しつつ、柊は必死に苦さを顔に出すまいとしたが、この男にはばれてしまっているだろう。
自販機のブラックなんかよりも一段苦いそれを美味しそうに飲む原和に少しの憧れを抱いた柊だった。
「飲みながらでかまわない、ああそれと、シュガーはそこの引き出しだよ」
やはりばれていたかと、恥ずかしい気持ちになりながら、指差された引き出しの中のシュガーを手に取り、コーヒーへ入れる。
「君はあの日、何をし、何を思っていた」
「あの日とは五月十日のことですか」
「もちろん、話したくないのなら別にかまわない」
「あの日は……」
あの日は、コンクリートに照りつける日差しが特に強く、梅雨入り前のやたらと暑い、少し異常な天気だったのを覚えていた。
各所では三十度をこえるところまであると、朝の気象予報士はしきりに汗を拭いていたか。
学校に行ったら行ったで、まだ夏じゃないだとかなんとか言って教師はクーラーをつけてはくれずに、教室は窓を開けても風が通らなくてムンムンと人の熱気と暑さでのイライラがたまっていった。
「暑い……」
口をついて出るこの言葉はどうやら他の生徒も同じらしい。うちわがわりに下敷きで風をあおぐ原始的な光景が繰り広げられていた。
「……そう言えば今日は一年が自衛隊の演習見学だったけか」
グランドに時おり響きわたる銃声を聞いた柊は、自分も去年のこの時期に一橋市にある駐屯地から自衛隊が特別演習の名の下、本来ならあり得るハズのない発砲訓練の演習や、大型車両、戦車の実物見学、装備一式の紹介などの一高校生男児としては好奇心を禁じ得ないロマンの詰まったイベントがあったことを思い出していた。
「たしかあの時は川口とまだ付き合ってた頃だったかな……」
そう、一年前までも派生してゆく思いでを浮かべながら、柊の斜め三つ前にいる元カノへと目を向けると、
「あ……川口のブラ透けてる……」
柊が元カノである川口の背中を直視したまま、気温とは違う暑さと背徳感が沸き上がっていた直後、世界が終わりという名のエンドロールへ向けて、音楽の授業をやっているのか威風堂々の合奏とともにそれはおきた。
天が鳴き、地が動いたのだった。
それからのことは回りのパニックと、あとから知った人が消えているという事実に飲み込まれた人の泣き叫ぶ声しか柊は覚えていない。
「世界の終わった日に元カノの透けた下着を見ていたとは、なかなか幸せな世界の終わりじゃあないか。君でもそういうことに興味をもったり、彼女がいたりしたのだな」
「スミマセン……」
意地悪なことは知っていたので言うだろうと思ったが、そこまで実直な事を言われるとは思ってはいなかった柊は恥ずかしくて、赤面した顔を下へと向ける。
「いじめがすぎたな、すまない」
「い、いえ……」
そう言いながらカップのコーヒーを飲み干すと、原和は聞いた。
「最後になるが、会長から頼まれた質問とは一体なんだね」
恥ずかしさで忘れかけていた御使いをこなすために、顔をあげて口を開く。
「……あなたは────」
◆◆◆
時刻は午後十一時、校舎裏。
「ちょっと、そこのきみ」
柊は後ろから声をかけられた。
振り向いてみると、そこには自衛隊がいた。
いや、自衛隊がいると表現してしまうと、なにか大勢でいるように捉えられてしまうかも知れないが、あくまでも直感的感想であり、一秒ほど時間をおいたときに表現するならば、自衛官の女性がいた、だろう。迷彩柄の軍服に紺の防弾チョッキという至極普通なテレビでよく見た姿で、体の大きさに少し合ってはいない銃を肩からさげ、頭にはヘルメットを被っている。
そんな格好だから可笑しいのか、銃につけられた確かパルキュアだったか、子供向けアニメのストラップが目立って見える。
年はたぶん、見た目より若いのだろう。けっして老けていると言いたいのではなく、大人らしい凛としたオーラがそう見せているのだ。
そんなオーラを纏う女性自衛官から声をかけられて、柊は少し緊張した。カウンセリングの時とはまた違った意味で。
そんな事を考え終わると、自分に声をかけたのではないんじゃないかと柊は思えてきた。振り向いてしまったけれど、自分のような冴えない男にこんな女性が声をかけるとは思えなかったからだ。
だが、そんな心配とは裏腹に、声をかけられたのは柊で正解だった。
「あの……ごめんね……呼び止めて、この学校きてもう一ヶ月もたつのにまだどこになにがあるのか覚えてなくて……」
見た目をある意味裏切るように、途切れ途切れの弱々しい口調で、女性自衛官は柊に少しずつ詰め寄る。
「道案内というか、施設案内というか、とにかく頼まれ事で行かないと駄目なところがあって……そこまで案内してくれないかな?」
「え、ええ……いいですけど。どこに」
弱々しさが少しずつ抜け、その分距離が縮まり、周りから見れば変な勘違いをされそうな距離まで詰め寄られた。女性に耐性がないわけでもなかった柊だったが、言われるがままに了承した。ここは学校の敷地内であったが、柊の人生上で道案内を頼まれたことがなかったので、口ではなく、その場所までついて案内することにした。
「えっと……旧校舎の横にあるっていうゴミ置き場に案内してほしいの。今までゴミ捨ては違う人がやっていたんだけど頼まれちゃってね」
よく見ると、彼女の後ろに四つ程のゴミ袋が置いてあり、道を訪ねるのに失礼だと思ったのだろうか、隠すようにしている。
「旧校舎ですか……あそこは裏山の方ですからね、わからないのもわかります。こっちです」
一応、柊も男のはしくれという自覚はあるので「半分持ちます」と、遠慮されたのを少し強引めに袋を両手に取ると、裏山の方へと歩いた。
「名乗り遅れたね、私は真田阿多御津、自衛官だよ」
と、女性自衛官は名乗った。
二人とも手が空いていなかったから、握手はできないので、真田は手を出す仕草だけを交わした。
「本当に助かったよ、この荷物というか、廃棄物をもって帰るのはめんどうだったから」
ゴミのことを廃棄物と言ったことに多少の違和感を覚えたが、それよりも、自分の名前を名乗っていないのがこそばゆく、柊は早く自己紹介がしたかった。
「俺は柊助です」
「たすけ? どうかくの」
「人助けの助です。一文字だけ」
漢字が気になった理由は知らないが、自分のたすけという字を田助や太助なんかではなく、助と書くのは珍しいことだとは思っているので快く柊は説明した。
「ありがとうね、助くん」
と、いきなり下の名前で呼ばれたのには驚いたが、これが大人の女性なんだと変な納得の仕方をして、気にするのをやめる。
その後、こんな時間になんで外に出てたのか、何年生なのか、部活動はなにをしているのかと、ゴミ置き場までの道中質問攻めにあったので、帰りは先に柊の方から質問した。
「なんであなたみたいな女性が自衛官に?」
今の時代、女性自衛官なんてものはさほど珍しいものではないのは知っていたが、目にするのは初めてだったので聞いておきたかったのだ。
「私が憧れている人が自衛官だったから……その人もう、消えてしまったけどね」
しまったと思い、
「すみません、あの、その、そんなつもりでは……」
と、慌てて謝った。
「助くんはさ、天鳴地動で両親とか知ってる人が消えてどう感じた? 私はさ、あんまりなにも思わなかったんだ。いいえ、なにも思えなかったのよ」
それを聞いた時、柊は自分と同じだと思った。そして、それと同時に全く違うとも思った。自分も彼女のようになにも思わなかった、でも、この人とは違う。
この人は自分のそういう欠けた心を埋めるために、自分が最も事件について考えていると、思いつめているとそう思い込むことをしなかった。他人を事件について軽視していると、なにも思ってはいないと軽蔑するふりもしなかった。一番事件について考えている彼らを羨むことはしなかった人だと。
「俺は……な───」
「誰だ!」
いいかけた言葉は真田の叫びによってたちきられ、柊の体が一瞬硬直する
さっきまで持ってあったゴミがなく、身動きが自由にとれるようになっていた真田は、丁度裏山をおりたところで、こちらを覗く怪しい影を見つけ、走った。
そのあとを遅れながら柊も追う。走ることに自信がないわけではなかった柊だったが、そんなちっぽけな自信も彼女の追ってからは消えていった。
「逃げられたか……」
肩からさげた銃を構えていた真田だったが、完全に怪しい影を見失ったところで諦め止まった。
「どう……したんです、か?」
情けないことに肩で息をしている柊は、息を切らしながら言った。
「警戒してなかった訳じゃないけど、やっぱりやめた方がよかったかな、助くんに道案内を頼むのは」
「なぜですか?」
「こんな時間に生徒側の、しかも生徒会に所属する男の子と、私みたいな自衛隊側の女が校舎裏で二人っきり……意味わかる?」
少し考え、真田には暗くてわからないだろうがおそらく真っ赤になっているだろう顔で、
「べ、べつに俺は、そんなつもりでは……」
「助くんにそんなつもりがなくても、これを大人側の人間に写真でも撮られたりしたら……ものすごくめんどうなことになるの。お互いにね」
側トップメンバーの男と単体で驚異となりうる女性とが密会しているとなると、それは事情の知らない大人側からしてみれば数が武力を手にいれ、武力が数を手に入れたと思われてもいた仕方ないことだ。そして、それは三間の少なくとも一つとは今まで以上の関係悪化を招く。それを真田は危惧していたのだ。
「今日はこれで別れた方がいいわね」
「そう……みたいですね」
「まぁ、気のせいかもしれないし、最低写真を撮られていなければ問題はないでしょう」
果たしてそうだろうか、人とは思い込みの激しい生き物だ。その思い込みが時に、戦争をおこしたこともあるほどに。
それを忠告しようとした──が、それよりも先に、
「今日はありがと、これはお礼よ」
と、額になにかを当てられた。
なにかを当てられた、なんて表現はこの場合、大きく遠回った表現だ。これをもっと直接的に表現するのなら、それは英語でも、日本語でも、二文字にしかいらない。接吻、つまりはキスをされたのだ、額に。成長期の終わった女性とまだ終わっていない青年とでは身長は女性である真田の方が低かったので、肩に両手を添えて、少し背伸びする形だった。
「はひ…………?」
と、情けない声を出してしまうほど、一瞬、何が起こったか、何をされたのか、柊には理解できなかった。
彼女がいたことのある柊でも、現在を受け入れる能力が高い柊でも、額に受けたファーストキスは受け入れがたい事実二つ目認定を受けた。
キスはしてみたいと思うことも少しはある。
だが、そんなキスを初対面の女性に、銃を肩にさげた女性にされるとは思わなかったし、たかが額へのキスをファーストキスと表現し、混乱していることにも驚いた。
柔らかい唇が触れていたのはほんの一秒ほどだ。
ただ、それは柊にとってあまりに長い時間だった。
額が解放されると、柊のあわてふためくリアクションよりも早く、
「じゃあ、また会ったら続きしよ、私彼氏募集中だから」
と、小悪魔のような事を言って、彼女は暗闇に消えた。
その翌朝、全国に響きわたるであろう放送のことも、今のキスシーンが見られていたことも知らず、柊は額に残る感覚をただひたすらに胸に焼き付けていた。
◆◆◆
時は巻き戻り、柊と原和の議論の場面へと。
「先生は────仮に意図して我々が生き残ったわけではないと仮定して、この宇宙人が俺たち生き残りの存在を黙認すると思いますか、それが俺が進から頼まれた使いの質問です」
業務の時間をとっくに過ぎていた原和に、これ以上時間をとらせるのは悪いと、柊は少し早口になった。
「黙認するわけないだろうね、その仮定の中での宇宙人はあくまでも人類すべての抹消だ。なんのためにかはわからんが、それが彼らの第一の目的だろう。そして我々を消した先に、彼らの真の目的があるのかもしれない。相手は宇宙人かもしれない、存在事態が未知、だが、相手は我々を熟知している可能性がある。勝ち目は薄いね」
「勝ち目……なぜそんなことを……」
「ただ、進くんの質問に答えただけだよ、どうやら彼はこの宇宙人と戦う気が満々のようだからね」
「……えっ」
「彼に伝えておいてくれ、君の考えは正しいと、私は思うと。まず初めに自衛隊を味方につけるのにも賛成だと」
一つの質問から、質問以上の解答がかえってきたことに驚いた、進の考えをすぐにそこまで理解できることにも、原和がここまで理解することをおそらく予想していたことにも。
「わかりました。そう伝えておきます」
「ああ、頼んだよ。今度こそ、今日はおしまいだ、久しぶりにした有意義な会話のお陰で私は疲れた。今日はぐっすり寝れそうだ」
「ありがとうございました。また近々、というか明日にでもお世話になるかもしれないですが、その時はよろしくお願いします」
「ああ、予約が入らなければいくらでも君と話をしよう」
まるで恋人のように、相思相愛のように、お互いを恋しく思う者のように、ふんだんに一日の別れを惜しんだ。それほど今日は有意義であったのだ。
この後、進の計画を効率よく進める助けとなった、柊と真田のつながりを作る出来事が起こるのは、数時間後であった。