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第2章「好きを書かずにいられない」①


何があっても、あなたについて行く。


この退屈な世界から抜け出せるのなら。


たとえこの身に危険が及ぼうとも、あなたと一緒にいられるなら構わない。



『船長! わたしも一緒に連れて行ってください!』



夕暮れの港町。


声も限りに叫ぶと、客船に乗り込もうとしていた船長が振り向き目を丸くしていた。



『シーナ…!? どうしてここに…!?』


『船長を追いかけてきたからに決まってるじゃないですか! わたしを…置いていかないでください!』



もう、あんな退屈な毎日はイヤ。


船長のいない日常なんて、もう日常じゃない。



『わたしには…わたしの毎日には、船長が必要なんです。あなた無しの日々なんて、もう過ごせそうになくて…だから、あなたが反対しても、わたしはついて行きます』


『……』



船長は何も言わなかった。


ただ、口を引き結んでわたしを見つめている。



強い潮風がわたしのポニーテールを揺らし、船長のロングコートをはためかせた。


思慮に満ちた木賊色の瞳がわたしを見据えている。



今の人生に満足しているのか?



あのとき、そう尋ねた瞳。



『……海の………を忘れるな……』



耳に馴染んだ声が、わたしを現在へと連れ戻す。


しかし…


船長の言葉は、潮風に流されそうなか細いものでよく聞き取れない。



申し訳なく何度も聞き返すと、



『海の上にいるということを忘れるな! 海に出るということは、途中で引き返せないということだ! それでもいいのかと聞いている!』



船長は、もっと近くに寄れと言わんばかりに叫んだ。



途中で引き返せない旅。


わたしが飽き性だって言ったこと、覚えていてくれたんだ。


こんなときでも、自然と胸が熱くなる。



だからこそ…あなたと一緒にいたい。



わたしは、決意を込めて船長の瞳を見据えた。



『それでもいいです。だって…船長と一緒にいられるなら、退屈になんてなったりしないから!』



わたしの声に応えるように汽笛が鳴り響き、客船がゆっくりと動き始めた。



船長はロングコートの裾をひらりとはためかし、颯爽と船に跳び乗った。



『仕方ないな…。シーナ! そんなに一緒に行きたいなら走れ!』



ぐっと身を乗り出し、わたしに手を差し伸べている。



わたしは、その嬉しそうな顔に向かって波止場を駆け出していた。


ヒールを鳴らし、スカートをはためかせながら。



客船の速度は増していく。


もう、船尾は波止場から離れてしまっていた。


それでも、わたしは走った。


めいいっぱい腕を伸ばしてくれている船長に向かって、勢いよく飛び出す!



『船長ーっ!』



思いきり伸ばした腕を、船長の大きな手ががっしりと掴む。


そのまま引っ張られ、わたしは船長に抱き抱えられるようにして客船に乗り込んだ。



間に合った…!



『船長! あの…ありがとう、ございます…』



すっと身体を離しても、胸の鼓動がおさまらない。


俯いた顔を上げられずにいると、



『何を照れている。恥ずかしいのはこっちだ』



怒ったような声に視線を向けると、船長はさっと目を逸らして、



『置いていかないでだの、一緒にいたいだの…人が大勢いる場所で言うことじゃないだろう』



横から見ていても眉間のシワがわかるくらい、船長は顔をしかめていた。


でも耳たぶは紅く染っている。



『すみません、夢中だったので…』



素直に謝ると、船長ははっとしたように首を横に振った。



『いや…気にするな。シーナが自分の意思で動いてくれたことが、俺は嬉しいんだ』



船長は覚悟を決めたようにわたしに向き直ると、すっと右手を差し出した。



『…これからもよろしくな、シーナ』



心臓がここ一番で大きく高鳴った。


手が…震えている…どうしてかは、わからないけど。



わたしは思いきり船長の手を握り返した。



『こちらこそ、よろしくお願いします!』



船長は、これからもいろいろなことを教えてくれるに違いない。


なんて…なんて素晴らしいんだろう!



新しい日々と人生…期待に胸躍らせるわたしと、照れくさそうな船長を乗せた客船は、大海原を南へ向けて走り出していた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



今日も、窓辺には金糸雀色の薔薇の花がいけられている。


テーブルを挟んで座る船長が原稿から顔を上げるまで、わたしはずっと薔薇の花びらを見つめていた。



原稿をめくる音が聞こえるたび、息もできないくらい胸が苦しくなる。


船長に原稿を見せるのは今日が初めてじゃないのに、3回目である今日も原稿を渡す手は震えていた。



でも…この震えはいつものものとは違う。



つい先ほど船長に渡した原稿は、完成作品。


1回目に「感想は最後まで読んでから」と言っていた船長の感想がようやく聞ける…!



でもなぁ、聞きたいような、聞きたくないような…。


つまらなかったとか言われたらどうしよう…。



それは、わたしと船長をモデルにした他愛ない物語だった。


退屈しているシーナのところへ船長がやって来て、外の世界の楽しさを語る。


やがて船長は国を離れるが、シーナは船長を追って初めて自らの意思で行動するという物語。


それを3回に分けて船長に手渡していた。



…全3話とか引き延ばしてしまったけど、やっぱりヘンな話だったかな…。


あぁ、ダメだ…膝に置いた手がまた震えて…



「はー!」



わたしが必死に震えと戦っていると、船長が突然大きく息を吐き出した。



ちらっと見てみると、船長は珍しく満足そうに笑っていた。


そして、言い放ったのである。



「いいものを読ませてもらった」



…と。



「シーナの文章は軽快で読みやすいな。若干俺が美化されすぎている気もするが…まあ、そこはご愛嬌か。シーナ…ありがとう」


「………は」



ありがとう……ありがとう!?



まるで魔法にかけられたみたいに、わたしは身動きが取れなくなった。



そんな…こ、こんな片手間にもほどがあるような、小説とは名ばかりの文字の羅列に、



ありがとう……ですって!?



「シーナ…? どうした? 聞こえているか? シーナ?」



ずいぶんとボンヤリしていたらしい。



はっと我に返ると、ピントがぶれそうなほど近くに船長の顔があって、思わず仰け反ってしまった。



「うひゃあっ! な、なんですか!?」


「…それはこっちが聞きたいくらいだ。瞬きもしないで黙りこまれたら、心配にもなるだろう。いったいどうした?」



船長は怪訝な顔でわたしを見つめている。


はぁ、びっくりした…でも、それ以上に…



「あの…わ、わたし…嬉しくて…!」



やっと、それだけを絞り出した。



だれかに自分の小説を読んでもらう感覚…


自分を認めてもらえたような、これからも頑張れと背中を押してもらったような…。



自然と笑みがこぼれてくる。



「船長…こちらこそ、最後まで読んでくださって、ありがとうございました!」



大きく頭を下げる。



「………」



何も言われないので顔を上げると、船長の穏やかな視線にぶつかった。



「シーナ」



優しい声で名前を呼ばれて、心臓が高鳴る。



声も出せずに見つめていると、船長はいたずらっぽい笑みを浮かべて、



「シーナが人気作家になる日も近いな」



そんなことを言った。



「………」



船長は、いったいいくつ麻痺の呪文を口にすれば気がすむのだろう。



あまりの衝撃に、わたしの意識はどこかへ吹き飛んでしまったらしい。


その後、いろいろと話されたようだけど、あまり覚えていない。



気がつけば、いつものように船長の原稿を持って玄関に立っていた。



「それじゃあ、近々香辛にお邪魔するから」



見送られるまま、路地裏へ出る。



まだボンヤリとした頭のまま歩き出すと、船長に呼び止められた。


何か忘れ物でもしたかなと振り向くと、



「シーナ、ありがとう!」



隠れ家の玄関先で、船長が大きく手を振っていた。


いつもクールな船長にしては珍しい…


こちらが照れてしまうほどの満面の笑みまで浮かべて…



ぶわっと全身に鳥肌が立った。


心臓がドクドクとうるさく波打っている。



ああ、ダメだ…目の前がぼやけてきた…。



わたしは船長に向かってペコッと頭を下げると、そのまま香辛出版への下り坂を駆け下りた。



嬉しい……嬉しい嬉しい嬉しいっ!



にやける顔を隠すように、真夏の太陽が照りつける石畳を、ヒールを鳴らして走る走る。


今日は早く帰ろう、そして執筆中の長編を書き上げてしまおう。


あんな片手間の作品が喜んでもらえるんだから、力を入れて書いている長編ならもっと喜んでもらえるに違いない!



船長、待っていてください!


本当のわたしは、こんな軽い文章なんか書いてないんですから!


もっと重厚で心躍るような物語なんですよ!


楽しみにしていてくださいね!



船長の前では嬉しさのあまり口にも出せなかった言葉を心の中で唱えながら、わたしは船長の原稿を抱きしめた。



…それが連載小説の最終回の原稿だと気がついたのは、香辛出版に戻ってしばらくしてからだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



担当している小説が終わるということは、もう原稿を受け取りに行くこともなくなる、ということ。


原稿を受け取らなくてよいということは…


もう、船長に会う機会がなくなってしまった、ということ。



「………」



机に頬杖をついて、数えることに飽きてしまったため息を漏らす。



卓上カレンダーには、目立たないように日付に小さく丸が付けられている…


船長の原稿を受け取る日だ。



昨日の後は、日付に丸はない。



毎日見ていたはずなのに、浮かれてすっかり忘れていた。


おかげで、最後の挨拶もできなかった…


ん…いや、したかな…覚えていない。



それにしても…


もう、船長に会えないなんて。



「寂しいなぁ」



ため息とともに吐き出した言葉。



「何が寂しいんだ?」



どこからか聞こえた声に、わたしは喋り続ける。



「せっかくお喋りできるようになって、短い小説も読んでもらったのに…船長の連載が終わって、わたしが隠れ家へ行くこともなくなってしまったから、もう船長に会うこともないんだって思ったら、寂しくて…」


「俺と会うために、そんな理由がいるのか? シーナ」


「……へっ!?」



びくっと振り向いた先に、もう会えないと思っていたあの人が立っていた。



「えええっ! 船長っ!?」


「大げさだな。近々お邪魔すると伝えていたはずだが」



船長はそう言うと、私の机に視線を移した。


そして、カレンダーの丸印に気がついたのか、



「ここまで楽しみにされていたとは…もっとゆっくりもてなしてあげれば良かったな」



わたしの顔を覗き込み、くすっと笑った。



「…………」



………ぐっ……………!!



息苦しい…と思ったら、息してなかっ…



「船長、こんなとこで油売ってる暇はありませんよ」



残念ながら、後ろからぬっと現れた不機嫌な顔のエフクレフさんに促されるまま、船長は編集長の机へと歩いて行ってしまった。



なるほど、編集長のお客様としていらっしゃったのか。


もしかして、次の連載小説も担当させてください、とか?


そして、受け取りはシーナに任せてください、とか…!?


うひゃあ〜、幸せすぎるううぅ…



「シーナ君!」



妄想の幸福に浸っていると、編集長に呼ばれてしまった。


なんだよぅ、いいところで…と思ったけど、編集長が忙しなく手招きしているので慌てて駆け寄る。



自然と船長の隣に立つことになり…船長はわたしより頭ふたつ分は背が高いんだなぁと思いつつ…


なんだか緊張する。



でも編集長はお構い無しにご機嫌な顔を向けてくる。



「シーナ君、ジークさんから聞いたよ。『週刊さんぱんち』の連載小説、今度は君が書いてくれるそうじゃないか」


「は、はい…?」



何…? 何の話…?



戸惑って船長と編集長の顔を見比べていると、編集長がわたしにつられて不安げな顔になった。



「ジークさんからそう聞いたんだが…違うのか…?」



編集長の心細げな声に、ジークさんこと船長は大きく首を振った。



「いいえ、違わないですよ。次の小説はシーナが書きます。約束しましたから」



木賊色の瞳が、じっとわたしを見つめた。



…なんとなく、思い出してきた。



原稿を受け取る少し前…


船長の言葉にのぼせ上がっていたわたしの耳に届いた、別世界からの信号みたいに遠い言葉。



『次はシーナに書いてもらおう。今度、編集長に挨拶に伺うことにする。きっと賛成してもらえるはずだ』



…確か、そんなことを言われたような気がする。



わたしは、のぼせた頭でコクコクと頷いていた…ような気がする。



「シーナ君、そうなのか?」



わたしは、今度は編集長に向かってコクコクと頷いていた。



「いやぁ、助かったよ。これからの『週刊さんぱんち』がペラペラにならずにすむからね」


「あれ、以前『大国の貴族様、我が国をお忍び旅行中か?』みたいな特ダネの話、してませんでした?」



以前といっても、わたしが船長に会う前のことだけど。



「あ〜、アレを入れてもだいたいペラペラだからなぁ、うちの『さんぱんち』は。あはは」



いやいや、笑いごとじゃないと思うんだけど…。



わたしが目を細めると、隣に立つ船長がすっと小さく手を挙げた。



「それなら、シーナの小説を2話分載せればいい」



その提案に、わたしは息をのみ、編集長は顔を輝かせた。



「さすがはジークさん! その手がありましたなぁ! シーナ君、やってくれるか?」



有無を言わせぬ編集長の言葉に、わたしは今度は大きく頷いていた。



実は、心のどこかで期待していた。


自分の実力が発揮できる場所を提供してもらえることを…!



「はい、やります…わたしに書かせてください!」



胸に手を当てるわたしに、船長が「頑張れ」と囁く。


その言葉が、わたしを動かしていく。



この機会、逃してなるものか。


必ず、良いものを作り上げよう。


そしてまた…褒めてもらおう。



船長に褒めてもらえるのなら、わたしはどこまでだって飛べる!


書いて書いて書きまくってやるーっ!



わたしの背中から出ているであろう炎が見えたのか、船長の後ろに控えていたエフクレフさんがすっとわたしと距離をとっていた。



つづく

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