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第1章「好きで書かずにいられない」③


「狭くて散らかっているが…まあ、くつろいで待っていてくれ」



お茶も出せずに申し訳ないと謝り書斎へ向かう船長に「お構いなく〜」と声をかけ、わたしは客間らしき場所に置かれたソファに腰掛けた。



もともとが物置なので、部屋を仕切っているのはベニヤ板である。


船長が書斎と呼んだ場所も、北向きの角を仕切っているだけの場所だ。


それでも、客間…というか居間に置かれたソファは座り心地の良い見るからに高級品だ。



テーブルも良い香りのする木で出来ている。


わたしは木材に詳しくないのでよくわからないけれど…ヒノキ、かもしれない。



唯一の出窓には、花瓶に金糸雀色の薔薇がいけられていた。


ここは男ふたりの隠れ家…薔薇をいけたのはおそらくポモさんだろう。



ひと通りあたりを見回して歩いてみたけれど、船長は書斎から出てこなかった。


キレイに片付いている部屋なので、迂闊に何かに触って壊してしまったら大変だ。



手持ち無沙汰になったわたしは、常に持ち歩いている『執筆セット』をカバンから取り出した。


メモ紙の束とプロットの束、真っ白い紙束に書き上がっている部分の原稿、鉛筆と添削用の青ペン。


赤は目に眩しいから、あまり使わない。



「昨日はどこまで書いたんだったかな…」



書き上げた原稿とプロットを見比べる。


大長編を書いているせいか、伏線は常にチェックしていないと忘れてしまうのだ。



…うーん、伏線なんて高度な技術を使おうとするから、いつもプロットと違う話になってしまうのかも…。



あれこれ見比べて、ようやく鉛筆を手にした、そのとき。



「申し訳ない、直していたらキリがなくなってしまって…」



原稿を抱えて居間へと現れた船長は、鉛筆を手にしたわたしとテーブルに広げられた紙束を前に固まってしまった。



「……」



あああ…なんてこった…


わたしってば、人様のお家で何やって…!



「ご、ごめんなさい! 勝手に私物を広げてしまって…! あの、今、片付け」


「シーナ…小説を書いているんだな…」



船長は、感慨深げにわたしの広げた紙束を見つめていた。



拙い文字で出来上がった、拙い文章が埋め尽くす紙束…


こんなもの、あのステキな小説を書いている船長に見られるわけにはいかない!



「あ、えっと、これは、その…人様に見せられるようなものではなくて…」


「なるほど、わかった。まだ見せられないのなら、どんな内容かだけでも教えてくれないか?」



船長は、自分の小説そっちのけでテーブルを挟んでソファに座ると、わたしの顔を覗き込んだ。



まだ見せられない…そういう意味の見せられないじゃないのだけど…。


まぁ、内容だけなら…



「わ、わたしの小説は…冒険もの、です。…読んでてワクワクするような、少年たちの大冒険を書いています」


「へぇ…読んでみたいな」


「ダメですよ! 完成してないですし、内容も拙いですし、ほんとに、ほんとに見せられるものじゃなくて」


「シーナ」



船長の声はまるで弓矢のように、テーブルの上の紙束をかき集めているわたしを貫き、動きをピタリと止めた。



思慮深い木賊色の瞳を見つめていると、船長はゆっくりと口を開いた。



「人に見せられないものを書いていたって、だれにも読んでもらえないだろう。自分ひとりで書いていたってダメだ。自分の書いたものを読んでもらってはじめて自分を理解してもらえるんだと、俺は思う」


「……」



わたしを諭す、ありがたいお言葉…


目からウロコって、こういうときに使うのかもしれない。



わたしは、声も出せずにただポカンと口を開けていた。



今まで、自分の筆の遅さを言い訳に作品を見せられずにいたことまで、船長にはお見通しのような気になってくる。



「…しかし、完成していないなら、まだ読めないんだな。なんだか無理を言ってしまった」



船長のなんともいえない哀愁の漂う表情に、わたしは思わず「書きます」と口を開いていた。



「船長のために、何か書いてきます。お手間をとらせない、短いものを」



そう宣言しながら、我ながら名案だなと心の中でほくそ笑む。



できるかできないかなんて、そんな些末な問題は気にしない。



まずは、ここから。



だれかに読んでもらうことを恥ずかしがっていては、小説家になんてなれるわけがない。



「わたし、小説家を目指しているんです。今まで機会がなくて自分の作品を読んでもらうということがなかったので、つい恥ずかしくなってしまいました。…でも、船長の言葉で目が覚めたんです。だから、書きます」



あなたのために。



わたしの決意とは裏腹に、船長はなぜか眉を八の字にしていた。



「いいのか…? 変なことを言って、無理をさせていたら申し訳ないんだが…」


「わたしが書きたいんです。書かせてください。そして、ぜひ読んでください」



だれかのために何か書くというのも、だれかに向かって自分の作品を読んでほしいと言うのも、わたしにとっては初めてのことだ。


そのことに気がついてくれたのだろうか。



「…わかった。どんな作品か、楽しみにしている」



船長はフッと口角を上げて微笑んだ。



…心臓がバクバクとうるさい。



昨日、この人の小説に出会って心を奪われて、わたしもこんな小説を書いてみたいと思った。


作者に会えただけでも幸せなのに、この人のために小説を書くことになってしまった…!



…夢みたい…


夢、じゃないよね…?



しばし呆然としていると、壁にかけられた鳩時計からとぼけた顔の鳩が顔を出した。



なんと…


ここに来てから1時間経っている。



「すみません! 長居してしまって…」


「いや、俺が原稿を直したいなんて言ったから…」



船長の原稿を手に路地裏へと出たわたしを、船長は玄関まで見送ってくれた。



「ありがとうございました、あの、なんだかいろいろと…」



しどろもどろになるわたしに、船長はクスッと笑いかけると、



「俺も、小説仲間が出来て嬉しい。また来週、楽しみにしている」


小さく手を振りながら、玄関のドアを閉めた。



「………」



小説仲間…わたしが…!



路地裏で危うく思考停止になるところだったわたしは、慌てて大通りへと出ると、香辛出版へと向けて歩き出した。



…ひとりでに顔がにやけてくる。



ステキな小説を書いている人に出会って、その人から仲間だって言ってもらって、書いている作品を読ませてほしい、なんて言われたら…



嬉しくないわけないじゃんっ!!



と、危うく叫びたしそうになったわたしは、香辛出版へ向けて石畳をやかましく駆け出していた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



翌日は仕事が休みだったので、わたしは夜遅くまで執筆を続けていた。



船長のための、短編小説…どうしよう。



とある有名作家の言葉に「小説を書くことは雲を掴むことよりも難しい」というのがあるけれど、まさにその通り。



煮詰まったわたしは、居間でひと息入れることにした。



わたしの部屋は、2階建ての家の2階、その南側にある。


隣の部屋からは、人の気配はない。



妹のマーサとこの家に住み始めてから、もうすぐ3年になる。


実家も城下町の中にあるのにふたりで暮らしているのは、マーサの舞台の稽古場が実家から遠いからだ。


どうしても帰りが遅くなって疲れるということで、マーサは思い切って稽古場の近くに住むことにした。


そんなマーサに便乗して、わたしも一緒に実家を出たのである。



ふたり暮しといっても、マーサは舞台の本番が近くなると帰りも遅くなるので、わたしは家にひとりきりのことが多い。


今日も帰宅したらひとりで、夜中になっても帰ってきていないようだった。


彼女は、わたしが出勤する時間帯には爆睡しているらしく、わたしたち姉妹は最近すれ違いが続いている。



いろいろ話したいことがあるのに…と、残念がって居間のドアを開けると、



「あ、ただいま、シーナ。まだ起きてたんだね」



テーブルに安売り半額パンを山積みにして、マーサがあんぱんを頬張っていた。



わたしの髪より少し赤みがかったショートカットは、朝ついた寝ぐせが残っているのか内巻きになっている。


いつも早寝のわたしを珍しがる藍色の瞳は母譲り、わたしの父譲りの紫の瞳とは似ているようで濃淡が全然違う。



わたしより4つも歳下なのに、彼女の醸し出す雰囲気のせいか、年の差なんて感じさせない…


というか、わたしがあまり姉っぽくないというのもあるかもしれないけど。



「シーナ、明日も仕事でしょ? 寝なくて大丈夫なの?」


「明日は休みだよ。『月刊王室』が廃刊になったから、もう毎日お城に行かなくてよくなったの」


「…は? え、は、廃刊…? シーナ、今、何やってんの。ひょっとして…仕事クビになった、とか…!?」



マーサの手からあんぱんが滑り落ちた。


そうだった、昨日の夜もすれ違いになってしまったから、マーサには何も話していないんだった。



わたしは、時間をかけて昨日と今日の出来事を語った。



『月刊王室』が廃刊になったこと、『週刊さんぱんち』に連載されている小説と船長のこと、わたしが小説の受け取り係になったこと、船長のために短編小説を書いていること…。


話しているうちに、なぜかわたしのテンションは斜め上にかっ飛び続けていき…



「船長ってば、わたしのこと『お嬢さん』だって! もう、ビックリしちゃった!」


「えー、シーナがお嬢さん? ぶっ、聞き間違いじゃないの?」


「そんなことないよ! だって、お嬢さんじゃなくて名前で呼ぼうって言われたもん!」



わたしは、疑惑の眼差しを向けるマーサに、とにかく船長の小説の良さを力説した。


綺麗に整った文章、ワクワクするストーリー、魅力的な登場人物…。


最後には「いいから読んでみて」と部屋に戻って鷲掴みにした『週刊さんぱんち』をテーブルに叩きつけていた。



「…そんなに?」



わたしの熱弁に、マーサは呆れているようだ。



それでも構わない。



わたしは船長の小説のページを広げてマーサに差し出した。



「時間があるときでいいから」


「….はいはい」



マーサは目の前に置かれた小説より、次に食べるパンのほうが大事らしく、テーブルのパンの塔を物色している。



…まあ、そんなものか。



わたしだってマーサの舞台、観に行くのめんどくさいときあるし、お互い様ってやつかな。



あ、舞台といえば。



「クミンちゃんが観に行けそうだって言ってたよ、マーサの舞台」


「え、まじで!? やったぁ!」



わたしの報告に、2個目のあんぱんを手にしたマーサは瞳を輝かせていた。



「今回は大きな劇場だから、お客さん大勢入れないといけないんだー。あたしも、準主役級の役もらっちゃったしね!」


「へぇ」


「シーナも、早く日にち決めてね」


「はーい」



仲が悪いわけじゃないけれど、それほど良いわけでもない。



…ただ、お互いに好きなことが違うだけ。



自分の好きなことを相手に喋りまくって、聞いてもらえなくても満足する不思議な姉妹…


でも、それでいい。


この距離感が、わたしは結構気に入っている。



壁掛け時計に目をやると、もう夜も更けに更けていた。



「じゃ、もう寝るわ。使った食器は自分で片付けてね」


「はーい、おやすみー」



マーサはあんぱんの最後のひとくちを飲み込んで、居間を出るわたしに小さく手を振っていた。




第1章おわり


第2章へつづく

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