第1章「好きで書かずにいられない」②
「どうしたの? 仕事帰り?」
いつもと変わらない笑顔に、曖昧に頷いてみせる。
どうやら、王室広報部の情報はメイドさんには届いていないらしい。
わたしは、クミンちゃんに促されるままベンチに腰掛け、帰社してからのことを長々と語った。
クミンちゃんは、やはり王室広報部については初耳のようで、口をあんぐりと開けてわたしの話に聞き入っていた。
しかし、話題が『週刊さんぱんち』の小説になると、
「ああ! 船長さんの! わたしも楽しみにしてるんだぁ。原稿受け取り係なんて羨ましい! 船長さんから原稿貰ったら、すぐに読めるなんて夢みたいだねぇ!」
いつもの間延びした口調で嬉しそうに口を開いた。
やっぱり、あの小説にはファンが多いようだけど……ん?
「せ、せんちょう…さん?」
「そうそう、ジーク船長さん! 変わった名前だよねぇ。なんか、とっても遠い国からいらっしゃった人みたいなんだぁ。何でも屋をやってて、今はエスペーシア王国で仕事中らしいけど…」
「ちょ、ちょっと待って!」
どこまでもひとりで喋り続けそうなクミンちゃんを必死に止める。
「船長って…ジークさん、船乗りの仕事もしてるの?」
「うーん…わたしも詳しくは知らなくて…。いつも一緒にいる相棒みたいな用心棒のエフクレフさんが、ジークさんのこと船長って呼んでるの。それで、街の人たちも船長って呼んでるんだと思う」
「相棒みたいな、用心棒…」
つい先ほど、編集長から聞いた「こわーい雰囲気を醸し出してくる」背の高い大柄な男の人…。
そうだった、それでわたしはクミンちゃんに愚痴を聞いてもらいに来たんだった。
が、しかし。
「エフクレフさんって、とっても親切で良い人なんだよねぇ」
クミンちゃんがそんなことを言うので、わたしは危うく「ええっ!?」と飛び上がるところだった。
「この前ね、わたし、おつかいの帰りに転んで紙袋に入れてたりんごを道にばらまいちゃったんだけど、エフクレフさんが全部拾ってくれて…。見た目はちょっとイカつくて怖いけど、優しい人だよ。シーナもきっとすぐ仲良くなれるから、大丈夫!」
「そ、そうかなぁ」
「うん、そうだよぉ」
クミンちゃんは、いつもと変わらない笑顔で頷いてくれた。
お城で働くメイドさんでありながら、クミンちゃんは城下町の人々について詳しい。
情報通の彼女が良い人だというのだから、きっととても良い人…なのだろう。
…ほんの少し、元気が出てきた。
「ありがとう、クミンちゃん」
クミンちゃんは、どうしてお礼を言われているのかわからないというように首を傾げていた。
と、中庭に面した食堂の窓に明かりが灯った。
気がつけば、あたりはもう薄暗くなっている。
思ったよりも長居をしてしまったようだ。
クミンちゃんは、夕食時の仕事が忙しくなる頃だろうに、わたしを城門まで見送ってくれた。
「もう仕事で会える日はなくなっちゃうみたいだけど、今日みたく遊びに来てくれると嬉しいなぁ。あ、マーサちゃんに舞台の本番は観に行けるようになったって伝えておいて!」
わたしはクミンちゃんに大きく頷いて、エスペーシア城をあとにした。
持つべきものは友人…そんなテーマの小説も、今度書いてみよう。
ほんの少しだけ明日を楽しみにしている自分に驚きながら、わたしは薄闇の石畳を我が家へ向けて歩き始めた。
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翌日の午後、わたしは編集長から渡された地図を片手に城下町の裏路地を歩いていた。
初夏の風は素肌に心地よく染み込んでいく。
おろしたてのワンピースも、いつもより高めに結ったポニーテールも、優しい風の中で嬉しそうに揺れていた。
路地裏といっても、ほんの少し建物の陰になった通りは薄暗いだけで、荒んだ様子はない。
エスペーシア城の警護団である騎士団が見回りをしているため、小さなゴミひとつ落ちていないのだ。
地図に従い、キレイすぎる裏通りをコツコツと歩いていき、ようやく目的地に辿り着く。
…そこは、よく見知った場所だった。
冬の間、食料を保存しておく物置のような小屋。
入口は路地裏に面しているが、切り立った場所に建てられているため、反対側は大通りからよく見える。
今から2年前、誘拐されたターメリック王子様が紙飛行機を飛ばして助けを求めたことで有名な小屋。
どうやらジークさんは、ここに相棒のエフクレフさんと一緒に住んでいるらしい。
腕時計を見ると、約束の時間までまだ10分ほどある。
早すぎても失礼なので、時間まで待つことにした。
小屋の扉には、表札らしい木の板が下げられていて、そこにはト音記号とヘ音記号が彫られていた。
ジークさんとエフクレフさんのことなのだろうか。
わたしは、暗記させられた「人名変換表」を必死に思い出そうとしていた。
…確か、合唱の練習で人名の話題になったことが…あ、そうそう!
エフクレフって、ヘ音記号のことだ!
と、いうことは、ト音記号がジークさんってこと…?
ジーク……ト音記号は、確か……
「ジークレフ…」
なるほど…と、わたしは扉の前でうんうんと頷いていた。
変わった名前だとは思ったけど、ジークレフだからジークなんだ。
それって、わたしのシーナに似てる、かも…。
いったいどんな人なのか、会うのがますます楽しみになってきた。
何分ぐらい経ったかなと腕時計を見ようとした、そのとき。
「ジークさんなら、お留守ですよー。もうすぐ帰ってくるかなーと思いまーす」
大通りから声が聞こえてきた。
逆光になっているせいでよく見えないが、声のトーン的に女性のようだ。
「エフさんも一緒に出掛けてるみたいで、朝から見かけてませーん」
てくてくと近づいてくる彼女がだんだんと見えるようになって、わたしは声もなく驚いていた。
首もとで切りそろえられた髪は、まるで瑞々しいトマトのように真っ赤に輝いていたのである。
彼女はわたしの視線に気がついたのか、髪を指に絡ませて「地毛でーす」と楽しげに笑った。
「ボクの名前はポモドーロ。周りからはポモって呼ばれてるけど、ジークさんとエフさんからはポモコって呼ばれてまーす。ポモコのコはボクっ子の子だそうでーす」
ボクっ子…自分のことをボクって呼ぶ女の子…なるほど。
「ボクはジークさんにお仕事を依頼してて、今日はちょっと相談に来たんです。…えーっと…?」
彼女の戸惑った様子に、わたしはまだ自分が何も喋っていないことに気がついた。
「あ、わたしはシナモンといいます。香辛出版でジークさんの原稿受け取り係を任命されました。周りの人はシーナと呼ぶので、ぜひ…ポモさんも」
「はーい! よろしくです、シーナたん!」
ポモさんは、にっこり笑って頭を下げた。
シーナ、たん…?
…まあ、いいか…なんか可愛いし。
ポモさんは窓の下にある石段にちょこんと腰掛けると、わたしにも隣に座るよう促した。
「いつもここに座って、ジークさんとエフさんのことを待ってるんです。シーナたんも、ぜひ」
ポモさんはジークさんとエフクレフさんと親しいようだが、呼び方がクミンちゃんの情報と違っている。
どうしてだろう…気になる。
「ポモさんは、ジークさんのことを船長って呼ばないんですか?」
なんとなく尋ねてみると、ポモさんは「う〜ん」と考え込んでから、
「ボクには、船長がたくさんいるんですよー。だから、ジークさんはジークさんでーす!」
と、歌うように答えてくれた。
船長がたくさんいる…ポモさんは、船乗りさんなのだろうか。
大通りを見つめているポモさんを、さりげなく観察してみる。
変わった名前に、変わった髪色…この国の人ではなさそうだ。
小柄でわたしと同じ背丈だけど、この落ち着いた感じ…歳上、かな。
醸し出される雰囲気は、なぜかエスペーシア城のターメリック王子様によく似ていた。
…そういえば、クミンちゃんには挨拶に行ったけど、王子様や従者のパンデロー君には会ってないなぁ…。
今度、何かお菓子でも持って行こうかな…トマトを使ったお菓子…。
ポモさんの真っ赤な髪をじっと見つめていると、突然ポモさんが立ち上がり、そのトマトのような髪の毛がふわっと揺れた。
「ジークさーん! エフさーん!」
手を振るポモさんの向こうに、人影が2つ見えた。
日が陰ってきたのか、先ほどよりはよく見える。
スラリとした男の人が、先に立って歩いてくる。
ふわふわの髪の毛は煉瓦色で、ちらりと見えた瞳は木賊色。
焦げ茶のロングコートがとてもオシャレだ。
「ポモコ、来ていたのか」
よく通る声は若干渋めで、貫禄ある顔からわたしより10は歳上に違いない…はっ、わたしってば失礼なことを…!
「ジークさん、こちらシーナたんです」
ポモさんの紹介に合わせて、わたしはカバンの中から名刺を出して差し出した。
「香辛出版の…シーナと申します。今週からジークさんの原稿受け取り係に任命されました。よろしくお願いします」
今日の朝から必死に練習していた挨拶、噛まずに言えてよかった。
それにしても…
この人がステキな小説を書いているんだと思うだけで…ああ、緊張する〜!
「なるほど…担当が代わるとは聞いていたが、こんなお嬢さんが来るとは思わなかったな」
名刺とわたしの顔を見比べていたジークさんは、わたしにフッと笑いかけた。
お嬢さん…? わたしが…??
「…どうした?」
あまりに放心していたせいか、ジークさんは心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
木賊色の瞳と目が合う。
…息が止まるかと思った。
「す、すみませんっ…お、お嬢さんなんて呼ばれたことなかったので驚いてしまって…」
「はは、なんだ、そういうことか。これは失礼した。ちゃんと名前で呼ぼう。…よろしく、シーナ」
「………」
どうしよう…
お嬢さんって呼ばれるよりドキドキする…!
何も言えずに固まっていると、
「船長、初対面で馴れ馴れしすぎますよ」
ジークさんの後ろから、背の高い大柄な男の人が現れた。
黒い瞳には若干の苛立たしさが滲み出でいて、なんだかとっても怖い顔だ。
この人が、クミンちゃんの言っていたエフクレフさんというジークさんの相棒なのだろう。
「馴れ馴れしい? どこが?」
ジークさんが尋ねても、彼はムスッとするだけで答えない。
その顔には、納得出来ないと書いてある。
ジークさんは彼の態度に慣れっこらしく、小さくため息をつくと、
「特に馴れ馴れしいなんて思わないが…ああ、そうだ。シーナも俺のことを船長と呼べばいい」
「は?」
「俺はエフクレフとシーナを名前で呼ぶ。エフクレフは俺を船長と呼ぶ。それならシーナも俺を船長の呼べば普通じゃないか?」
「……」
ジークさんの提案に、エフクレフさんは絶句していた。
真面目に決められれば決められるほど、自分が口に出したことがそれほど重要ではないことに気づいてしまった…そんな顔をしている。
ジークさんは、そんなエフクレフさんの顔色を読んだのか大きく頷いた。
「それじゃあ、改めまして…よろしく、シーナ」
目の前に差し出された手を、わたしはしっかりと握りしめた。
「こちらこそ…よろしくお願いします、船長」
大きな手だった。
どんなに辛いこと、悲しいことが起こっても、優しく背中を叩いてくれるような大きな手。
握っているだけなのに、大丈夫だよと言われているような気がしてくる。
「あっ!!」
突然ポモさんが大声を上げたので、わたしは驚いて船長の手を離してしまった。
船長とエフクレフさんも目を見開いている。
「ど、どうしたポモコ」
「予定の順番、間違えてました…。ジークさんに会う前に、ちょっとお買い物に行くんでした…」
「な、なるほど…それなら、エフクレフを連れていくといい。気をつけてな」
「はーい」
ポモさんは、エフクレフさんと一緒に大通りへと歩いていった。
用心棒を付けるなんて、とても大事なお買い物らしい。
「原稿なんだが…まだ少し手直ししたいところが残っているんだ。時間を貰えるだろうか」
「はい! どうぞ! わたしが早く来てしまっただけなので…というか、時間ならまだまだありますから、どうぞお気の済むまで直してください!」
船長の申し訳なさそうな顔に、わたしは緊張のあまり早口になってしまった。
それでも船長は「そうか、ありがとう」と安心したように隠れ家の扉を開けた。
外で待っていようと立ったままでいると、船長は中に入って振り向き、
「嫌じゃなければ上がってくれ、俺なら書斎にこもっているから」
と、困ったように笑った。
わたしは紳士な船長に「お邪魔します!」と声をかけて、隠れ家へと入れてもらった。
つづく