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第4章「好きに書かずにいられない」③


やがて、ポモさんは船員さんの後を追うように客船の中へと入っていった。



「…気づいていたんですね。ポモコがセレアル侯国の一侯爵家の娘、ポモドーロ・カッペリーニ嬢だということに」



気配を消していたエフクレフさんが、すっとわたしの隣に並んだ。



「エフクレフさんのおかげですよ。いろいろヒントくれましたよね。ポモさんの言葉をメモしておいたほうがいい、とか」


「……」



お互い、客船のほうを向いたまま話しかけているけれど、お互いの耳には相手の言葉が届いている。



「ちゃんと特ダネとして記事にしてもらったんですよ。今頃は、城下町中がポモさんの話題で持ち切りのはずです」


「それはよかった。……」



ふすっと鼻で笑った後、無口なエフクレフさんはそれきり黙ってしまった。



…潮風は、すっかり凪いでいる。



わたしはあたりを見回した。


エフクレフさんがいるのだから、船長もこの近くにいるはずなのに、姿が見えない。



まさか、もうここには…


と、不安に駆られていると、



「……船長なら、宿屋ですよ」



仕方がないとでも言いたげなエフクレフさんの声が、人気のなくなった波止場に響いた。



「僕が止めたんです。船長は待っていてください、と」


「え、ポモさんのこと、お見送りさせてあげなくてよかったんですか?」


「今生の別れ、というわけではありませんから。…ただ、船長には見せたくないものがあって」


「見せたくないもの…?」


「あなたが持ってきたポモコのハンカチです。てっきりポモコが持っているとばかり思っていたので驚きました」



淡々と話すエフクレフさんからは、驚いた様子は微塵も感じられなかった。


よっぽど感情が表に出ない人なのだろう。



「…どうして、船長にハンカチを見せたくないんですか?」



なかなか話し続けてくれないので尋ねてみると、エフクレフさんは初めて仏頂面を崩し、苦い顔で小さく笑うと、



「ポモコの家の紋章が似ているからです。…船長の…いや、船長を大切に想っていた人に」



そう、ぽつりと呟いた。



「……」



潮騒に飲まれそうなか細い声が耳に届いて、私の頭の中でハンカチの刺繍が蘇った。



豊かな金髪をなびかせた、美しい女の人の横顔…


凛々しい眉に、優雅に細められた薄紫色の瞳。



「…キレイな人だったんですね、船長の大切な人って」


「……」


「あ、船長のことを大切に想っていた人、でしたね。すみません」


「……」



エフクレフさんは黙りこくってしまった。


まだ行方不明の状態なのに、わたしが過去形で話したから怒っているのかもしれない。



謝ったほうがいいかなと思っていると、大きな汽笛とともにポモさんを乗せた大型客船が動き出した。


2階の甲板でポモさんがひょこっと身を乗り出して、大きく手を振っている。



わたしも負けじと手を振りまくったが、腕が隣に立つエフクレフさんにバシバシ当たって迷惑そうな顔をされてしまった…


まぁ、仕方ないか。



それにしても…


ハンカチの刺繍ひとつにまで気を遣うなんて…


エフクレフさんの船長への思いやりは半端じゃない。



もしかして…



あのとき黙りこくったのは、思い出していたからかもしれない。


あの刺繍に似ている彼女と、船長との思い出を…。



すぐに気付けないあたり、わたしの小説家としての洞察力もまだまだね。


…と、作家でもないくせにエラソーに心で語っていた、そのときだった。



「エフクレフ! ポモコは無事に船に乗れたか?」



宿屋の建ち並ぶ大通りから聞こえてきた、耳に馴染んだ声。



低くもなく高くもない、これといった特徴のない声だけど、わたしにとっては大切な…



大好きな人の声…!



「船長!!」



よかった…


また会えた…!



振り返り呼びかけると、大通りの真ん中でその人は足を止めた。



日も沈んで薄暗くなった波止場に冷たい風が吹き抜けて、彼のロングコートを揺らしていく。



凪の終わりの中で、磯の香りを胸いっぱいに吸い込み、わたしは声高く叫んでいた。



「あなたを追いかけて、ここまで来ました! わたしも、一緒に連れていってください!」



叫びながら何かに似ていると思ったけれど、それが何かは思い出せない。


それでも言葉は次から次へと溢れて止まらなかった。



まるで…


最初から用意されていたセリフのように。



「わたしには…わたしの毎日には、船長が必要なんです。あなた無しの日々なんて、もう過ごせそうになくて…だから、あなたが反対しても、わたしはついて行きます」


「……」



薄闇の中に佇む船長は、口を真一文字に結んで黙っていた。



かろうじて見える表情は複雑で、何か言いたそうな気もするし、呆れてものも言えない顔のようでもある。


ただ…


思慮深い木賊色の瞳は、わたしをじっと見つめている。



…かと思いきや。



「…ぷっ、あはははは!」



人気のない波止場に、船長の大きな笑い声が響き渡った。



「あー、面白いな。シーナ、まさか狙っていたのか?」


「…へ? 何をですか?」


「なんだ、気づいていないのか。作者のくせに。…俺は3回も読んでいるから、内容は全部頭に入っているが」



『作者』という言葉で、やっとわかった。



このシチュエーション…


以前わたしが書いた小説とまるっきりおんなじなんだ!



呆然とするわたしを前に、船長は必死に笑いを堪えている。



ひどい…


これじゃまるで、わたしが冗談を言ってるみたいじゃないの。



「ダメだって言われても、ついて行きますから。…わたし自身の経験値を上げるために」



言い放ってからむくれてみせると、船長は怪訝な顔で首を傾げていた。



その何もわかっていない顔に向かって、わたしは言葉を続けた。



「クヨクヨ悩んでいる間にも腹は減るし、暗く沈んでいるときにも色々なところで面白いことや楽しいことが起きている…そう教えてくれたのは船長です。わたしは、もっといろんなことを船長に教えてもらいたい。何事も経験なら、わたしはいろんなことを船長と一緒に経験したいです」


「………」



真一文字に引き結ばれた唇、思慮深い木賊色の瞳を見つめる。


目を逸らしたら負けだ…そんな気がする。


わたしは、少し恥ずかしくなりながらも、船長の瞳をじっと見据えていた。



船長の手紙は、もちろんカバンの中に入っている。



船長がわたしの小説を何度も読み返してくれたように、わたしも船長の手紙は暗唱できるほど読み込んでいた。



ここで帰るわけにはいかない。


というか…


帰れないよ恥ずかしくて!



「…シーナ…」



船長は、いつの間にか悲しげにわたしを見下ろしていた。



「小説は、もう書かないのか?」



…もしかして、わたしが何も書けなくなってしまったと思っているのだろうか。



いや…違う。



悲しげに見えた瞳には、静かだけど決意を確かめるような色が見える。



それなら…


わたしも伝えよう。



自らの意志を。



「…小説、書きますよ。当たり前じゃないですか。だってわたし、書かずにいられないんですから!」



そこからは、もう止まらなかった。


わたしは、船長に何もかも打ち明けた。



一度は筆を折りかけたけど、白い紙にひたすら鉛筆を走らせたこと。


ただの文字列が文章になり、やがて物語になったこと。


…書くことで心のモヤモヤが浄化されて、悲しさも吹き飛んでしまうこと。



「…そうか」



すべてを話し終えると、船長は静かに頷いて、



「小説を書くことで心が落ち着くなら、シーナにとって小説家は天職だな」



ぽつりと呟いて、ふっと笑った。



「……」



ああ、まったく…


なんちゅーこと言うんだこの人は!



あっという間に視界がぼやけていく。


鼻の奥が、じんっと痛み始めた。



涙と鼻水がこぼれないように深呼吸していると、船長は「よし!」と手を打った。



「シーナ、海の上にいるということを忘れるな。海に出るということは、途中で引き返せないということだ。それでもいいのか?」


「船長…それ…」



また、わたしの小説を引用してくれている。



それじゃあ、こちらも。



「それでもいいです。だって…船長と一緒にいられるなら、退屈になんてなったりしないから!」



わたしが拳を握りしめて答えると、船長は楽しそうに「決まりだな」と笑った。



「い、いやいや、決まりだな。じゃなくて…」



それまで成り行きを見守っていたエフクレフさんが動揺している。



やっぱり迷惑かな…


そう思って様子を伺うと、エフクレフさんは心配そうに船長の顔を覗き込んでいた。



勝手についてきたわたしの身に何か起こったとき…


残された船長はどうするのか、どうなるのか…


それを考えているに違いない。



エフクレフさんの心遣いに気づいているのか、船長は神妙に頷くと、



「その代わり、自分の身は自分で守るんだぞ」



と念を押し、わたしも「もちろんです」と頷いてみせた。



「…何が起きても、僕は知りませんからね」



エフクレフさんの不機嫌そうな呟きを、船長は聞こえないふりで通したいらしい。


宿屋へ行ってわたしの部屋を取るようにと指示を飛ばしている。



そんなの自分でできるのに、と思ったけれど、ここはご好意に甘えることにした。



二人きりの波止場に、潮風が吹き抜ける。



「船長、あの…すみませんでした。突然隠れ家を飛び出したり、お見舞いに来てくださったのに門前払いしたり…妹が突然ぶん殴ったり」



口に出してみると、とんでもない仕打ちばかりだ。



「いや…いいんだ。気にしないでくれ」



船長は、そう言いながらも左頬をさすっている。



マーサのパンチ、まだ痛むのかな…


何か、ほかの話題にしたほうがいいかな…


ああ、そうだ…



「船長のプリン、とっても美味しかったです! ありがとうございました!あんな限定品のもの、初めて食べたから美味しくて美味しくて…」



勢いよく話し始めると、頭の上に温かい感触が広がった。



「良かった…本当に元気みたいだな」



船長の大きな手が、わたしの頭をポンポンと優しく撫でていた。



…こういうときって、どうしたらいいんだろう。


子ども扱いは嫌です!


…なんて言えるほど、わたしは大人じゃないし…


それじゃ、いっそのこと思いっきり…



「んもぅ、元気ですよぅ! さっきからそう言ってますぅ!」



子どもっぽくむくれてみせると、よっぽど面白い顔だったのか、船長が堪えきれずに吹き出した。



…うーん、複雑。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「さて、シーナ。これからもどんどん小説を書いてくれよ」



宿屋へ向かう道すがら、船長は涙目を拭いながら微笑んだ。



「わたしだって、船長の小説読みたいです。また書いてくださいね!」


「…はいはい」



負けじとにっこり微笑んだのに、船長の返事はいまいち覇気がない。



そんな暇はないのかもしれないけど、船長の小説のファンとしては次回作が気になる。



あ…


わたしがもう書き上げたと知ったら、それを読んで何か書いてくれるかも。



「船長、これ…わたしの新作です」



カバンの中から、紐で綴じた小説を取り出す。



タイトルは『好きに書かずにいられない!』



「船長に読んでもらいたくて、持ってきました」



そう言って差し出すと、船長はパッと顔を輝かせて受け取ってくれた。



「ありがとう、シーナ。ゆっくり読ませてもらうよ」



優しい微笑み…


不思議と、この人にならダメ出しされたって平気な気がしてくる。



でも…


もしまた心が折れたら…?



ふと過ぎった不安に、小さく首を振る。



大丈夫。


そうなったらまた書けばいいのだから。


楽しいことも辛いことも、全部好きに書いちゃえばいい。



「これは、どんな話なんだ?」



瞳を輝かせながら尋ねてきた船長に、わたしは満面の笑みで答えていた。



「小説家を目指す女の子の物語です」



おわり

わたしは小説家を目指していますが、この物語がフィクションであるように、シーナはわたしそのものではありません。

もちろん、船長の人柄や彼の身に起きた出来事もすべてわたしの創作です。

わたしには逆立ちしても手に入れられないような行動力の名のもとに、これからもシーナの活躍は続いていきます。

この先も、どうぞよろしくお願い致します。

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