第4章「好きに書かずにいられない」②
港町カイサーは、エスペーシア王国内で唯一の自治領で、7人の豪商が貿易業を中心とした治世を築いている…
と、幼い頃に学校で習った。
訪れたことはあるけれど…
もう10年以上も昔のことだ。
記憶も、あまりはっきりとはしない。
大きな帆船が船着き場にズラリと並んでいたことは覚えているけれど…
何がどの船で、と教えてくれた父の言葉はぼんやりとしている。
城下町の市場よりも人が多くて、人混みの苦手なわたしは早く家に帰りたかった…
んじゃなかったかな。
人が多いのは、貿易船だけでなく客船も行き交っているからだ。
これは推測だけど、ポモさんは港町カイサーからセレアル侯国へ戻るか、また旅を続けるのだろう…
護衛を依頼していた船長と別れて。
船長は、ポモさんについて行くとは書いていなかった…
ただ、新しい滞在先を探しているとだけ…
ポモさんと別れた後、船長はどうするのだろう。
そこから違う船に乗ってエフクレフさんと旅を続けるのか、それとも自分の船を探すのか。
いや、そもそもポモさんと一緒に船に乗るという選択肢も捨てきれないわけだし…
あー! ダメだ!!
バクリッコさんのお祖母様の家に泊めてもらっているのに、不安で眠れない。
今日はいろいろなことがありすぎて疲れているはずなのに、これからのことを考えると目が冴えてくる。
考えないようにする…
なんてできそうにない。
目を閉じると、船長の顔が浮かぶ。
初めてわたしの小説を褒めてくれたときの笑顔…
わたしの小説を添削した後の苦い顔…
ドアを開けたとき、一瞬だけ見えた申し訳なさそうな表情は忘れられない。
…思い出していると、口の中にほろ苦いカラメルの味が蘇った。
わたしの人生は変わった。
それまで、やりたいことのない人生、ひたすらやりたくないことを避けて生きる人生を過ごして来た。
でも…
そんなもの、もういらない。
災難でもいいからと人生に刺激を求めていたわたしの前に、船長は現れた。
そしてわたしは舞い上がり…
心を折られた。
もう生きていることすら…
なんて考えたこともあったけれど…
今は生きていてよかったと思っている。
この辛く苦しい記憶も、人生には必要不可欠なものだと気づけたから。
それは、甘いプリンにほろ苦いカラメルが欠かせないようなもの…
なのかもしれない。
船長との思い出を反芻しているうちに、わたしは深い眠りへと落ちていった。
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わたしがバクリッコさんと一緒に港町カイサーへ辿り着いたのは、翌日の午後だった。
船長が城下町を離れてから3日しか経っていないけれど、もうここにはいない確率は上がっている。
仕事があるバクリッコさんと町の入口で別れたものの、わたしは途方に暮れてしまった。
…あまりの人の多さに。
毎日がお祭り騒ぎって、このことね…。
ざわめきの海を漕ぐように、わたしは人並みの中を客船が停泊している港の一角へと向かった。
似たような帆船がずらぁ〜っと並んでいる船着き場を歩く。
あたりを見渡すと、本当に人だらけだ。
しかも、よく見ると旅商人よりも見送りに来たと思われる人のほうが多い。
見るからに過保護そうなお母さんとか、なんでも持たせようとするおばあちゃんとか…
娘を見送るお父さんは、言葉少なだけど片時も娘のそばを離れようとしない。
面白い…
なんだかとっても小説が書きたくなってくる。
想像の翼を広げて、心躍るような文章を並べて…
あの人たちの物語を紡いでみたい…!
ああっと、ダメダメ…
今は船長を探さないと。
こんなに人がいるんだ、きっと探していれば会えるはず。
楽観的なのも長所だよね…
そんなことを考えながら、わたしは波止場を歩き続けた。
客船の合間を縫うように探し続ける。
目印は、煉瓦色のふわふわの髪の毛。
隣に従えているであろう黒いボサボサ頭の背の高い男の人、もしくはトマト色の髪の女の人。
そうだ、目立つ髪色のポモさんを探していれば、船長に行き着けるかもしれない。
わたしは、出港しそうな帆船を優先して見て回った。
時折「船長!」と呼ぶ声が聞こえて胸が高鳴ったけれど、すぐに「ここにはいろんな『船長』がいて当たり前なんだ」ということに気づいて大きく深呼吸を繰り返した。
相変わらず、船着き場はごった返している。
こんなに船があって、こんなにたくさんの『船長』がいるけれど、わたしが探している『船長』はただひとり…
どこにいるの?
ジーク船長…!
…ひたすら歩き回る。
ヒールのせいもあるけれど、だんだんと足が動かなくなってきた。
棒のようになるとはこういうことかとふくらはぎをさする。
大きな荷物もかさばって、路地裏はなかなか覗けない。
いつの間にか日は傾き、まあるい夕日が海へ向かって下降を続けていた。
…そういえば、船長を探すのに精一杯で、見つからなかったときのことを考えていなかった。
このまま日が暮れたら、わたしはどうなってしまうのだろう。
ここで一晩泊まることになるのか…でも、
その間に船長がもっと遠くに行ってしまったら…?
「…それだけは、避けないと…!」
ここはもう、情報を持っていそうな人に話を聞くしかない。
「そんな人は知らない」
…そう言われるのが怖くてとっておいた最後の手段…
使うしかないか。
波止場を10周してようやく決意した、そのときだった。
「だから〜、それはボクのことなんですってばぁ!」
喧騒の中で、その声ははっきりとわたしの耳に届いた。
「どーしてわかってくれないのかなぁ! この髪、見てください! この色が証明してるでしょ? ボクがだれなのか!」
必死にあたりを見渡す。
夕日が刺すように照りつける船着き場、目を細めた先で、真夏のトマトみたいな髪の毛が風に揺れていた。
その隣には、ボサボサ頭の背の高い男の人も立っている。
ポモさん! エフクレフさん!
よかった、まだここにいてくれた!
ふたりがいるということは…
きっと船長も一緒のはず…!
ふたりに近づく足を速める。
ポモさんの声が大きいおかげで、何を揉めているのかは大体わかった。
身分が証明できず、船に乗せてもらえないのだろう。
ポモさんは珍しく憤慨しているようで、どんどん身振りが大きくなっている。
エフクレフさんはというと、ポモさんと融通の利かない船員さんに挟まれて困惑顔だ。
わたしに…
何かできることは…
そう思ったのは一瞬だった。
要は、ポモさんがだれなのか、ひと目でわかればよいだけなのだ。
「ポモさん! エフクレフさん!」
人波の落ち着いた波止場で、声も高らかにふたりの名前を呼ぶ。
ふたりとも目を丸くしてこちらを見つめていたが、やがてポモさんが大きく手を振り始めた。
わたしは、そんなポモさんに駆け寄り「お久しぶりです」と挨拶しながらカバンの中を漁ってあのハンカチを取り出した。
「これ…役に立ちますよね?」
刺繍が見えるように差し出すと、ポモさんはぱっと顔を明るくして「シーナたん! ありがとう!」と、ハンカチを受け取ってくれた。
そして、怪訝な顔をする船員さんに向かってハンカチの刺繍を突きつけた。
「これ! 見てください! …ボクの家の紋章です!」
潮風に揺らめくハンカチ…
それをじっと見つめた船員さんは、渋々といった様子で、
「それでは、こちらへどうぞ」
とポモさんを手招きして船内へと入っていった。
「ああ〜、よかった助かったぁ〜。シーナたん、本当に本当にどうもありがとです!」
ポモさんはわたしの手を取ってぴょんぴょんと飛び跳ねた。
その暖かい感触に、自分の手が冷えきっていたことに気づいた。
海からの風は、すっかり冷たいものになっている。
「シーナたんのおかげで、ボクも自分の国に帰れます。ありがとです」
ポモさんは、やっぱり細かいことを気にしない性格らしい。
なぜ、わたしがここにいるのか…
何をしに来たのか、尋ねる気はないようだ。
この、ふんわりとした少し浮世離れしたかんじ…
エスペーシア王国のターメリック王子に似ているわけだ。
ふたりとも、平民ではない雰囲気をまとっている。
つづく