第1章「好きで書かずにいられない」①
とある船団Tの皆様へ、私なりの愛を込めて…
※2019年10月完成作品
あなたなら、どちらを選ぶだろうか。
手に負えない災難が起こらない代わりに、お腹の底から笑えるようなことも起こらない日々。
もしくは、毎日が一瞬のうちに過ぎていき、手に負えない災難ばかりが襲いかかってくる日々。
わたしなら、迷わず後者を選ぶ。
なぜなら、わたしはすでに前者だからだ。
毎日、勤め先である香辛出版とエスペーシア城を往復する生活。
城内でぬくぬくと暮らす王子様の日記を、公開して良い部分だけ丸写しして持って帰る毎日。
決して楽しくないわけじゃない。
エスペーシア城で働く友人も出来たし、香辛出版の編集長は優しくて良い人だ。
ただ、あまりに同じ日々が続くので、気が狂いそうになってきただけ…。
友人や妹は、それは贅沢だと口を揃える。
それでもわたしは、人生に刺激を求めていた。
災難でもいいから、この単調な生活に終止符を打ってほしいと、心のどこかで願っていた。
そう…災難でもいいから。
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エスペーシア城の向かいに建つ、2階建ての建物。
その1階が香辛出版の事務所である。
王子様の日記を持って、いつものようにポニーテールを揺らし、ヒールを響かせながら帰社したわたしを待っていたのは、衝撃的な報せだった。
「ええっ!? 『月刊王室』、廃刊になるんですか!?」
編集長に呼び出されたわたしは、机の前で柄にもなく大声を上げてしまった。
編集長も、普段は蚊の鳴くような声で喋るわたしの大声に驚いたらしく、珍しいものを見る目を向けてきた。
わたしが担当していた『月刊王室』廃刊の理由、それは。
エスペーシア城内に、王室の今を国民に広く知らせる部署「王室広報部」が新設されたため。
「なるほど…それは仕方のないことですね…」
とは呟いてみたものの、いきなり、というのは解せない。
こちらに何か連絡があるべきでは?
おかげでわたしは…
「そういうわけだから、シーナ君が王子様の日記を持って帰って来るのは、今日で最後だったんだよ」
唯一の仕事を失ってしまったじゃないか!
「あはは…。だから、王子様も従者のパンデロー君もしんみりしていたんですねぇ…」
「広報部設立の件には、パンデロー君も携わっていたというからな。まあ『月刊王室』が廃刊になっても、こちらにはまだ2冊も週刊誌が残っているから大丈夫さ」
「………」
危うく、あと2冊? と聞き返すところだった。
わたしは、自分が担当している『月刊王室』以外の雑誌を知らない。
そんなんでいいわけがないのだけど、あまり興味もないのだから仕方がない。
わたしの沈黙を頷きと判断したのか、編集長は目を細めて右手を差し出した。
わたしは、その手に持ち帰った王子様の日記を渡す。
「はい、ご苦労さん」
今日で最後とは思えない、普段通りのやり取りだ。
編集長はわたしの原稿を受け取ると、かけていた老眼鏡を外し、目を細めて確認を始めた。
オールバックの髪は黒々としてフサフサなのに、老眼だけは確実に進行しているらしい。
「…よし、いいだろう。これが『月刊王室』最後のネタだ。…シーナ君、最後ぐらい自分で記事にしてみたらどうだい?」
予期せぬ突然の提案に、わたしは咄嗟に首を振った。
「いやいや! いいですよ、そんな…最後なんだから、ちゃんと専属の方が書くべきです!」
必死に断ると、編集長は「そうか…」と残念そうな困ったような顔で机に視線を戻した。
どうにも、友人の娘というポジションのわたしが扱いにくいようで…。
担当の月刊誌もなくなってしまったし…もう辞めようか。
わたしが書きたいのは記事ではなくて、小説なのだから。
「あの、編集長…」
この機会に辞職を…と、言葉を続けたが、編集長にはわたしのか細い声なんて聞こえなかったらしい。
「大丈夫だよ、シーナ君。心配しなくても、次の仕事なら、いくらでもある!」
「…え」
編集長は、ポカンとするわたしに構わず、机の引き出しから雑誌を1冊取り出すと、
「明日からは、これを担当してもらう」
机の上に、ばさっと投げてみせた。
タイトルは…『週刊さんぱんち』
「硬派なウチとしては珍しいんだが、こういうゴシップ系の雑誌も扱うことになってな。『刺激的なパンチを3発お見舞いする』という意味の3本ネタの雑誌だ。まだ模索中の内容もあるが、とりあえず今週号を読んでおいてくれ」
ゴシップ誌だと言われたものの、表紙には美味しそうなパフェのイラストが描かれている。
どうやら、目玉記事らしい。
『締めパフェ…北の島国、ノルテ王国からやって来た、謎の伝統行事に迫る』
「…あんまりゴシップ感ありませんね」
「仕方ないだろう、模索中なんだから。それに…この国は、そういう国なんだから」
そういう国…
つまり、平和すぎる国だということ。
サフラン国王とナツメグ王妃の夫婦仲はすこぶる良好で、スキャンダルなんてものとは無縁…というか、縁があっては困るのだけど、本当になーんにもない。
事件らしい事件といえば、2年前に起こったウェントゥルス教北風派によるターメリック王子誘拐未遂事件。
…それ以降は、特に何もない。
本当に、何もないのだ。
わたしは、平和な国の平和なゴシップ誌をパラリとめくってみた。
締めパフェについてのうんちくが長々と語られ、挿絵担当が頑張ったであろうパフェの絵と店の地図が所狭しと並んでいる。
そんなありふれた特集の次ページには、連載小説が掲載されていた。
2本目のネタらしい。
『恋という名のスパイス』
作者の名前は、ジーク。
…そんな人、香辛出版にいたっけ…?
首を傾げながら、小説に目を通す。
…恋の物語だった。
お互いの気持ちに気づいていながら別れ別れになってしまった男女が、世界を巡り巡ってやがて再会する…というもの。
随所に散りばめられた思い出の、なんてきらびやかなこと。
美しい風景描写、キャラの立った登場人物たち。
…思わず読みふけってしまった。
読者に寄り添う丁寧な文章のおかげで、恋愛を知らないわたしでも、登場人物に感情移入して読み進められる。
だから、面白い。
「…シーナ君?」
編集長の声に、はっと顔を上げる。
しまった、仕事中だった。
面白いものを見つけると周りが見えなくなってしまうのが、わたしの悪い性格だ。
「申し訳ありません! 取材記事を読まないといけないのに…」
まるで居眠りがバレたような気まずさに、慌てて頭を下げる。
しかし、編集長は宝物を見つけた男の子みたいにニコニコと微笑んでいた。
「君も、ジークさんの小説のとりこになってしまったみたいだな。面白いだろう?」
怒られるのかと身構えたわたしが拍子抜けして「はい、とても」と頷くと、まるで自分が褒められたような満面の笑み。
「ジークさんは多才だから、こちらも無理を言っていろいろと頼んでしまうんだよなぁ。そのパフェの挿絵もジークさんが描いてくれたんだ」
「ジーク、さん…」
なんとも聞きなれない、変わった名前。
エスペーシア王国の人ではないと、すぐにわかる。
…いや、もしかして知らないのはわたしだけかもしれない。
王室担当のわたしは、城下町の噂話なんかには、とんと疎いのである。
それを察してくれたのか、編集長は得意げに笑うと、
「ジークさんは、城下町の何でも屋さ。頼めば何でも引き受けてくれる。金は思った以上に取られるが、いつも最高級の働きぶりで文句は言わせない。そして、自分のことを多くは語らない人でね。だから、こちらも知らないことのほうが多いんだが」
と、簡単に説明してくれた。
「シーナ君の言う通り、この『週刊さんぱんち』は明らかに名前負けしていてパンチに欠ける。そこで城下町の人気者に取材を頼んでみたらなんと! 取材を引き受ける代わりに小説を書いてくださったというわけだ」
「…そりゃ、自分のことを記事にされるよりマシでしょうからね」
それぐらい、わたしにもわかる。
「で、この小説が面白いもんだから、こちらも連載をお願いしているわけだが……あっ!!」
「ぎゃっ! なんですか!? いきなり!」
編集長が突然大声を出したので、わたしはその場で飛び上がってしまった。
編集長はわたしの文句も聞こえていないのか、キラキラとした瞳でわたしを見つめると、
「ジークさんの原稿、これからはシーナ君に持ってきてもらうことにしよう!」
「…えっ! わ、わたしが…?」
「どうかな? これなら、今までの仕事とあまり変わらなくて君も楽だと思うんだが…」
「…なるほど」
思案しているように見せかけて、腕を組む。
これでも、女優の卵…の姉、演技には自信がある。
もちろん、わたしの決意は固まっていた。
編集長に言われなければ、自分から言い出すつもりだった。
原稿を取りに行くついでに、この人から小説の極意を聞き出せたら…なんてことすら考えている。
頃合いを見計らって、口を開く。
「わたしにやらせてください。小説原稿の受け取り係」
編集長はわたしの返事に満足したようで、うんうんと大きく頷いていた。
「よかった。それじゃあ早速、明日ジークさんの隠れ家に向かってくれ。受け取り係が代わることは、こちらから連絡しておく」
「…代わるってことは、先週号までの受け取り係もいたってことですか?」
何気なく口にした質問を、わたしはひどく後悔することになった。
編集長は満面の笑みを崩さず言い放ったのだ。
「ああ、いたよ。でも、もう行きたくないとごねられててね…。なんでも、ジークさんに付き従っている相棒というか用心棒みたいな背の高い大柄な男の人が、こわーい雰囲気を醸し出してくるらしい。シーナ君も気をつけるんだよ」
「…………」
気をつけるって…何を? 何に? え?
いやいやいや、待ってくださいよ編集長…
…ああ、胃が痛くなってきた。
わたしも行きたくなくなってきました…なんて、嬉しそうな編集長の前では口に出せないし…。
残念ながら、わたしの決意は波に洗われた砂山のように崩れさろうとしていた。
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家路の足取りがこんなにも重かったことはない。
だれかに話を聞いてもらいたいのに、そういう日に限って一緒に暮らしている妹は、今日も舞台の稽古で遅くなるという。
石畳に響くヒールの音も、元気がなく平べったい音色だ。
まだ初夏だというのに、太陽は季節を間違えたかのように、わたしを照りつけながら西へ西へと降りていく。
眩しい夕陽に、今日も感謝感謝〜。
…ふと、エスペーシア城で働く友人のことを思い出した。
彼女の仕事は日暮れ前に休憩があるらしく、この時間は中庭でいつもの「感謝の言葉」を唱えていることが多い。
「そうだ…クミンちゃんに会いに行こう」
だれにともなく呟いて、わたしはいつもの四つ角を家とは反対側に曲がった。
わたしが初めてクミンちゃんと出会ったのは、今から3年ほど前、お互いに22歳だった頃のことだ。
初対面だけど同い歳ということもあって、わたしたちはすぐに打ち解けた。
そして、夕闇迫るエスペーシア城の中庭で、わたしは自分のことについて大いに語った。
実家が香辛料を商っているから、商品と区別するためにシナモンである自分はシーナ、マサラである妹はマーサと呼ばれていること。
今は父の友人であるタイム編集長の下で香辛出版の簡単な仕事をさせてもらっているけれど、本当は小説家を目指していること。
城下町の比較的中央にあるボロい一軒家に、女優を目指す妹と一緒に暮らしていること。
…などなど。
今思えば退屈な話題だったろうに、クミンちゃんは嫌な顔ひとつせずに聞いてくれていた。
あの日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。
「…着いた」
思い出に浸りながら歩いていると、もう目的地に着いてしまった。
エスペーシア城の警備は…ものすっごくユルい。
どのくらいユルいかというと、まず城門に人がいなかったりする。
新人だった頃は、だれもいない城門で「おっ邪魔しま〜す」なんておどけて頭を下げていたけれど、あまりに自分の声が響き渡るので恥ずかしくなってやめた。
東西にのびる廊下を横断していくと、中庭に出る。
エスペーシア城は、城門に人がいない代わりに城の造りは意外と入り組んでいるらしく、城内をくまなく歩き回っているはずのわたしでも、いまだに玉座へは辿り着けたことがない。
…いや、玉座なんて最初から存在すらしていなかったりして…あは、まさかね。
そんなアホみたいなことを考えながら中庭を歩いていると、
「シーイーナー!」
大きな白樺の木陰から、メイド服の女の子が飛び出してきた。
頭のてっぺんで亜麻色の髪のお団子が揺れている。
クミンちゃんだ。
つづく