プロローグ
産婦人科の分娩室に産声が響き渡る、我が子の産声を聞くのは2度目だが、何度経験しても筆舌しがたい感動がある。
私の名前は清水 涼太郎 35歳 カーオーディオやカーナビ等の製造メーカーで製造技術者として働いている。
今年四歳になる長女の葉月の産声よりもかなりか細い小さな泣き声に少し心配になるが、顔を真っ赤にして必死に産声を上げている姿はなんとも愛おしい。
無事に生まれてきてくれてありがとう、そう言いながら赤ん坊の小さな手にそっと触れると小さな手で指をギュっと握り返して来る、「あなたの名前は彩月だよ」、そう話しかけるともう一度指を握り返してくる。その指の力強さに胸が熱くなり、新しい家族が増えた喜びと守るべきものが増えた責任感で身が引き締まる思いだ。
このまま当たり前の幸せな日々が続いていくのだとこのときは疑いもしなかった。
月日は流れて次女の彩月が生まれて3か月がたった、三時間おきのミルクや長女の妹への焼きもちによる赤ちゃん返りなど昼夜問わず我が家はお祭り騒ぎだ。
今日は朝から彩月の顔色が悪く苦しそうに呼吸をしている為、家族四人で病院に向かう事にした。
その病院で医師から思いもよらない診断結果を聞くことになる。
「娘さんは心臓が悪い可能性が高いです、今すぐに精密検査が必要なので大学病院に緊急搬送します」
夢であるなら覚めて欲しい、何かの間違いであって欲しい、そう願いながら大学病院の待合室で診察の順番を待つ。
すぐに順番が回り精密検査が始まる、待合室でただ待つしかなく、無事を祈ることしかできないことが歯がゆい。
普段はうるさい葉月もなにかを感じ取ったのか大人しく座って待っている。
結果が出て診察室に呼ばれる、中に入ると医師が一人いるだけで彩月の姿が見えない。言い様の無い不安が重くのし掛かる、医師が口を開く「お子さんは現在ICUにいます、説明が終わり次第ご案内します。」
「ICUってどういうことですか?」妻の声が診察室に響き渡る。普段は冷静な母親のヒステリー気味な態度に葉月が驚いて泣き出してしまう。
葉月を抱き抱えなだめながら、妻に少し落ち着くようにと話しかけるが、自分自身も声が震えてしまい動揺が隠せていない。
妻が少し落ち着いたのを見計らい医師が彩月の病状について話し始める。
「彩月さんは心筋炎か心筋症が原因で心臓のポンプ機能が弱くなっている可能性が高いです、このまま病状が悪化する場合、補助人口心臓の使用や心臓移植が必要に成る可能性が有ります」
目の前が真っ白になりかけたが妻と葉月が号泣する声に我にかえり、医師の話の続きを聞く。
「現在はICUで人口呼吸器を装着しています、心臓への負担値BNPが正常値が20なのに対し彩月さんは6000です。投薬治療などの処置をすぐに初めますが宜しいですか?」
「すぐにお願いします。薬で治る可能性は有るのですか?」薄々ダメなことに気付いていながらも藁にも縋る気持ちで確認する。
投薬治療での根治は非情に厳しいです、ただし、症状の緩和や進行を遅らせる事はできます。
今後この数値が続く場合は、心臓移植が必要に成ります。
心臓移植という言葉が頭のなかでいつまでもこだましている。
時間がたち少し落ち着いたところで医師に連れられ、ICUにいる彩月の元へと向かった。
彩月の小さな体へ小さな人工呼吸器が接続されている、顔色は大分良くなったが生後3ヶ月の娘の痛々しい姿に胸が引き裂かれそうになる。
「心臓移植しかない」という言葉がまた頭のなかをループする、生まれて初めて心のそこから神に願った。
「彩月を助けてください、助けてくれるならどんな交換条件でも飲みます、彩月の心臓の代わりに私の心臓を捧げても構いません」
突然病院の中なのに、辺りが暗くなりあれほど騒がしかった病院内の喧騒が何も聞こえなくなった。
辺りを見回すと、すぐ近くに葉月と妻の姿を見つけた。怖がる葉月を抱き上げて妻の肩にそっと触れながら大丈夫、心配するなと精一杯強がって見せる。
その瞬間目の前にろうそくの明かりが点り、石段が現れた、石段の上の方に向かいポツリ、ポツリとろうそくが点灯していく、まるで「こっちにおいで」と呼ばれているみたいだ。葉月を抱き抱えながら妻の手を引き石段を慎重に上る。二人の手はブルブルと震えている。
少し歩くと上の方に赤い柱のようなものが見えてくる、鳥居だ。不思議と先程までの焦りや恐怖は無くなっていた、ろうそくの優しい明かりのせいかもしれない。
妻と葉月の震えも止まっていた、葉月が自分で歩くと言い出し、石段を上り始める。危ないから先に行くなと声をかけるが、「パパ、あっちから呼んでる声がするよ」と言い残すと一人でのぼっでいってしまった、妻の手を引きながら急いで追いかける。
鳥居の手前で葉月が待っていた。「あのお家から声がするよ」葉月の指差す方を見ると鳥居の奥に立派な神社が建っていた。
葉月と妻の手を握り鳥居に向かい一礼をしたあとに鳥居をくぐっていく、社殿に向かい歩いて行くが社殿自体が優しい月明かりのような光を帯びていることに気が付いた。
社殿の前に到着し「失礼します、どなたかいらっしゃいませんか?」と声をかけると中から「入りなさい」と優しくも凛とした男性の声が聞こえる。
中に入るとご神体の前に、男性が立っていた。肩まであるきれいな銀髪を一つに結び、立ち姿は神々しいの一言だ、後光が差すかのように優しい光に包まれている。
「私は清水 涼太郎と申します、もしかしたら私の願いに応えて頂きこちらに呼んで頂いたのでしょうか?」
「我が名は月読命、如何にも、汝の子を思う強き願いに答えるためにそなたをここに招き入れたのは我である。」
さらに言葉は続く。
「そなたの子を助ける事は造作もないことだが、それには一つ条件がある」
条件という言葉に少し身構えるがすぐに返事をする。
「月読様、娘を助けて頂けるのであれば何でもさせていただきます」
月読命がこちらに近づき私、妻、葉月の頭に軽く手を触れる。次の瞬間、目の前の空中にきれいな森の映像が写し出される。
「我が神力を少しそなたらに分け与えた、この映像が見えるか?」
三人が頷くのを見て言葉を続ける。
「この世界は我らが地球と同じように管理する別な星である、実はこの星で困ったことが起きており、我が使徒としてこの星に行き問題を解決して欲しいそれが頼みじゃ」
突如映像の中に大きな炎の大鷲が写りこむ、炎の大鷲は辺りを飛び回る、鷲が飛んだあとは激しい炎に包まれる。あっという間に辺り一面火の海だ。
「月読様、あの炎の鳥はなにものですか?生き物?」
月読命は汚い物でも見るように画面を一瞥しこう答える
「あれは呪われた魔族の放つ魔法だ、地球とは違いあちらは大気中に神力や魔素が溢れており、誰しもが魔法や奇跡を使うことが出来るのじゃ」
画面にフードを深く被った大きな男が映る、杖をもつ右手を見て驚く、肉がついていない。ただの骨だ。
「やつはリッチ、魔族の魔王の側近だ」リッチの杖に炎の大鷲がとまった。
画面をよく見ると燃え広がる炎の中心部に小さな村が有ることに気付く。
村は水の膜で覆われており村の中までは炎は届かないようだ。
村の中心部を見ると青い龍が鎮座しており、時折水の膜に向かい水を吐き出している。どうやら水の膜はこの龍の魔法みたいだ。
「あの村は創世の一族の村だ、この世界を創成した際にに我が分体を世界の調停者として置いたのがあの村の始まりだ。以降3000年以上、調停者のお陰で世界は平和だった」
月読命は悲しげに画面を見つめながら話を続ける。
「そなたにはあの村を復活させ再び調停者の一族が世界のバランスを取れるように魔王をこらしめて欲しいのじゃ」
妻と顔を見合わせる、喧嘩すらしたことの無い男に魔族とのバトル、明らかに人選ミスだが私をわざわざ選んだ理由がわからない。
「恐れながら、月読様、私にその役が勤まるとお考えになった理由をお聞かせください」
月読の命は静かに優しい眼差しをこちらに
向ける、心があたたかくなり今なら何でも出来るそんな気持ちになる。
「最大の理由は子を助けるための決意が非情に強かったことだ、それに自分が怖くても家族を引っ張り恐怖に立ち向かえた点と、物事を冷静に分析し決断できる点も評価しておる。
あちらの世界では決意の強さが自分の強さに直結する為、そなたは強くなれるはずじゃ」
「少し状況を整理する時間をください」
現在の状況を客観的に整理する、仕事柄要因分析と状況判断は得意分野だ。
「頭の整理が着きました、月読様の条件は当然 受けさせて頂きますが、その上でいくつか質問させていただいても宜しいでしょうか?」
月読命は優しく微笑みながら頷く。
「まず最初の質問ですが、魔族の魔王と言うことは、魔族以外の魔王もいると言うことでしょうか?その場合何人いますか?複数いる場合敵対する魔王は何人でしょうか?」
月読命は少し驚いた顔をしたが、すぐに答える、魔王は8人で現在は全て敵対してるとのことだ。
「月読様が直接神罰を下すことは出来ないという理解で宜しいでしょうか?
私の前任者はいましたでしょうか?
8人の魔王を倒すとした場合、私の願いはいくつ叶えていただけますでしょうか?」
「くっくっ、わはははっ、」突然月読命が笑いだす。呆気に取られる私に構わず笑い続ける。
「やはり、我の見込み通りだ、良いであろう全て正直に話そう、まず我が直接世界に神罰は下せない、なのでそなたのような者達に助力を申し込んでおる。
前任者はおったが今は自ら第八魔王を名乗っておる、完全に我の人選ミスじゃ。」
月読命の目に怒りが見える。
「望みに関してだか魔王一人討伐するに対し一つでどうじゃ?」
妻と葉月が心配そうにこちらを見つめているのに気付く、心配するなと笑顔を返すと葉月も笑顔を返してくる。
この笑顔を守る為なら何でもやってやると決意を新たにする。
「お願いに関しては、最初に半分の4つを叶えていただけますでしょうか?残りの4つは1人目、3人目、5人目、8人目の魔王討伐時にお願いします。」
月読命は頷いた跡に続ける、「具体的な願いは決まっておるか?」
「はい、一つ目は、私達家族四人に月読様の強い加護を下さい、特に葉月と彩月は月読様と同じ月の文字が名前に入っております。私がいなくなっても経済的にも健康的にも困らないようにその点も考慮願います」
月読命はニコニコと微笑みながら話を聞いている。
「二つ目ですが、月読様の分体をほんのひと欠片で構いませんので私に下さい」
「我が分体を何に使うつもりじゃ?」月読命の顔から笑みが消えた。
「分体を私が製造に携わっているカーナビのようにあちらの世界のナビゲーターとして使いたいと思います」
「くっくっ、やはり面白い神の分体でカーナビを作るという発想が良い、許す事にする」
「三つ目ですが、私は日曜の夕方にやるアニメに出てくるようなきちんと子供を叱れる「雷親父」になりたいと考えていました、なので雷親父のような威厳と強さが欲しいです」
月読命は、いまいちピンと来ていないようだ、少し考え込んでいたが、なるほどそういう意味かと小声で呟く、うまく理解できたようだ。
「神成り親父という意味じゃな、ゴッドファーザーということか、聞いたことの無い職業だが、確かにそなたらしく神の使徒としても良い職業なのかもしれん」
渋いと言う意味では確かに雷親父もゴッドファーザーも渋くてカッコ良いという意味か?いまいち話が伝わって無いような気がするが誤差範囲だと思うことにする。
「四つ目はなんじゃ?」月読命からの問いに四つ目は現地の状況次第と言うことであちらにいったあとに考えさせてください。と答える。
「わかった少しそこで待て、まずは加護を与える、彩月にはあちらに戻ってから与える、当然心臓も含めて健康体になるので安心して良い」
言われるまま、その場にて待つ、月読命の手が優しく光出し、だんだん強くなってくる。
怖がる葉月を抱き寄せる。
光が徐々に弱まりもとの明るさに戻る、葉月と妻の方を見るとうっすらと光を発している。
葉月も私が光っているのが面白いらしく大声で笑っている。
「その光は直に収まる、次に分体を与える、望むべき姿はあるか?」
自分のイメージを伝えるとなるほど面白いなと月読様も乗り気だ。
月読命が何もない空中から短刀を取り出す、よく見ると空中に穴が開いていてそこから取り出したようだ、その短刀で美しく束ねられた髪を10センチ程切ってしまった。その髪に向かい呪文の様な物を唱える。
「我が体の一部をもとに我が眷属よ来たれ」
目の前に中型犬程のサイズの羽の生えたライオンが現れた、ただし、顔のあるべき場所にあるのはカーナビのモニターだ。
モニターの回りにふさふさのたてがみか生えている。
モニターには絵文字の笑った顔が表示されている、想像以上に面白く可愛い。
葉月がお名前は何て言うの?と分体に聞いている。葉月と分体が同時にこちらを見る。名前は「ナビィー」だよと答えると、一人と一匹は仲良く遊び出した。
その間に雷親父の職業設定をしてもらう。
こちらはすぐに終わったが特に何か変わった感覚はない。
ナビィーは、通常は腕輪になっており、必要なときに呼べばライオンに変形するとのこと。
ナビィーを腕輪に戻し、彩月に加護を付与してもらう為に月読命と現世に戻る。
「彩月の心臓は二日程で治るはずじゃ」
加護を付与しながら月読命が話しかける。
「出発は3日後でもよろしいですか?彩月の完治を確認してから思い残すこと無く出発したいためです。」
ちなみに魔王を倒し全てが終わったあとに、地球に戻って来る事は可能ですか?
月読命が笑顔で答える
「それが8個目の願いならば、出発した次の日に今の年齢のまま戻ってこれる様にすることを誓う」
これで現時点で考えうる全ての準備が整った、その日の夜には彩月のBNPの値が正常値の20になり、次の日の再検査で全く問題ないことが確認された。
何も知らず、驚きを隠せない医師に非常に申し訳ないと思いながら退院をする
今日は葉月を遊園地に連れていき思い切り遊ぶ事にする、こんなに楽しそうな葉月は久しぶりだ。
楽しい時間はあっという間、葉月は遊び疲れて抱っこしながら寝てしまった。
加護のお陰で筋力と体力が上がってるようでずっと抱っこしてても苦にならない。
この何気ない幸せがどれだけ大事なのか自分の守るべきものを再認識した。
その夜自分の部屋の聖なるDVDの処分とPCの初期化を行った後近所のホームセンターとスーパーで買い物をし全ての準備が整った。
いよいよ明日は出発の日だ、二人の子供の寝顔をしばらく眺めてから眠りについた。