絆
「あ、おかえりー。電話誰だったのー?」
「先生だよ」
「……そう」
美月はそれ以上何も聞いてこなかった。
「じゃあ、私たちお風呂入るから」
「あ、うん」
「覗いちゃダメだからね〜」
「そんなことしないから」
そう言って、二人は浴室へ行ってしまった。
浴室に向かう途中で、紺野さんはチラリと僕の方を見た。
どうしたの?
と聞こうとしたが、彼女は何事もなかったかのように扉を閉めてしまった。
一人きりになった僕は、今日の出来事を振り返っていた。
美月の過去を知ることは出来た。
いや、美月の過去というよりは麗奈さんの過去という方が正しいかもしれない。
だが、それでも有益な情報を得られたのは確かだった。
明日は帰宅日だ。
記憶の手がかりを探すという目的は既に果たされていた。
しかし、先生や紺野さんの言葉が気になっていた。
……あと少し、あと少しで全てが繋がる気がする。
そうすれば、美月も記憶を思い出せるかもしれない。
何より、僕がそうさせてあげたかった。
今まで記憶を取り戻すことだけを目的に、ここまでやってきた。
それは彼女にとって、周囲の反対や親の厚意を拒絶してまでもやり遂げたいことなのだ。
今までに辛いことも沢山あった。
だけど、その度に僕たちは協力して乗り越えてきた。
何だかんだ言いながらも手伝ってきた僕は、いつの間にか記憶を取り戻させてあげたいと思うようになっていた。
そして、僕はある決心をした。
お風呂から上がってきた二人に、僕は早速提案をした。
「明日帰るつもりだったけど、もう一日だけ情報収集してみない?」
「えっ?」
「ホテルが三人同室になったおかげで、資金が大分浮いたと思う。それを考えれば、あと一日くらいこっちにいても何とかなるんじゃないかな?」
「私は別に構わないですけど、美月さんはどうですか?」
「……そうだね、ここまで来てすぐに帰っちゃうのはもったいないしね」
「じゃあ、決まりだね」
こうして僕たちは、明日も手がかりを探すことになった。
……しかし、この決断が後の運命を変えてしまうことを、僕たちはまだ知らなかった。
「じゃあ、そろそろ寝よっか」
「今日は疲れたからよく眠れそう〜」
僕たちは、先ほど決めた場所へと寝転んだ。
「気持ちいいです……こんなフカフカなベッドで寝られるなんて幸せです〜……」
紺野さんが既に眠りそうになっていた。
「紅葉ちゃん!夜はまだまだこれからだよーっ!!」
「えっ!?……ちょっと、何ですか!?」
美月は、仰向けになって寝ようとしていた紺野さんの上に馬乗りしていた。
「ちょっと、美月さん重いですから。降りてください……」
「むっ、何やら聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ~?……そんなこと言う紅葉ちゃんには、こうだ!」
何を思ったのか、美月は突然紺野さんのことをくすぐり始めた。
「ひゃっ……!や、あはははっ」
「ほらほら喰らえ〜!」
「も、もうやめて、ください〜!」
そう言われ、美月は一度手を止めた。
「紅葉ちゃんって、くすぐられるの弱いんだね〜!」
「わざわざそんなこと言わないでくださいっ!」
「……ほら、ツンツン」
「ちょ、っと……いい加減にっ……!」
「美月、僕がいるってこと忘れてないよね?」
「あっ。忘れてた……」
スキンシップを取ることが得意なのは良いことだと思うが、美月はそれが時々度を越してしまうことがある。
もちろん、それは彼女の長所なのだが、匙加減ができないことに対しては少々呆れてしまう。
「僕、やっぱり別の宿探そうかな」
「ごめん!ごめんってば!」
「……別に僕はいいけど、紺野さんが可哀想だからやめてあげなよ」
「秋山君〜。助かりました〜……」
紺野さんは、顔を真っ赤にして涙目になっていた。
……そんな顔で見られたら変な気分になる……
ようやく解放された紺野さんは、汗をぐっしょりとかいて横たわっていた。
真面目な彼女がこうして乱れた姿になっているのは、なんだか妙な気分だった。
「な、なんか色っぽいね……」
「……美月がやったんでしょ?僕は知らないからね。ちゃんと謝っておきなよ?」
「も、紅葉ちゃん、ごめんねー」
「……許さないです。せっかくお風呂入ったのにこんなに汗かいちゃって。……何より、異性の人がいる前でこんな事されるのは恥ずかしかったです……」
紺野さんの顔が紅潮しているのは、笑ったからという理由だけではなかった。
むしろ、彼女が言ってた理由の方が大きいのかもしれない。
「ごめん、デリカシーがなかったかも……」
「全くです。最近の美月さんは調子に乗りすぎです」
「以後、気をつけます」
「ダメです、許さないです」
「えー……どうしたら許してくれるの?」
その答えが何となく気になってしまった僕は、興味のないふりをしつつも聞き耳だけ立てていた。
すると、思いもよらない言葉が彼女から発せられた。
「……私と、手を繋いで寝てください」
……紺野さんは、こういうことを言うタイプだったろうか?
どちらかと言うと、美月の方がそういうことを言いそうなものだけど。
もしや、美月の過度のスキンシップに毒されてしまったのだろうか?
などと、下らないことを考えていた。
「そんなことでいいの?」
「はい、お願いします」
罰として強制するならまだしも、紺野さんは律儀にお願いしていた。
それが、なんだか彼女らしいと思った。
しかし、それと同時に何とも言えない歪な光景に、僕は笑い出しそうになっていた。
「私が朝起きるまで絶対に手を離しちゃダメですからね」
「えっ!?それはちょっと自信ないなぁ……私が寝ちゃったら離しちゃうかもしれないし」
「じゃあ寝ないでください」
「えー、そんなー……」
「……冗談ですよ」
何故だか冗談には聞こえなかった。
とにかく、今の紺野さんは変だった。
さっきまでとは明らかに様子が違う気がする。
急にどうしたのだろうか……?
「分かったよ。今日は手を繋いで寝てあげる。それで許してくれるの?」
「はい」
「そっか、ありがとう。……でも、寝る前にもう一回シャワー浴びた方がいいかも。……私がやっといてこんなこと言うのもおかしいけど」
「……そうします」
そう言って、紺野さんは再び浴室に行ってしまった。
二人きりになった僕らは、適当な場所に腰を掛けていた。
紺野さんからは先に寝ててもいいと言われたので、電気は消しておいた。
そのため、室内の明かりは殆ど無く、申し訳程度にベットの照明が燃えていた。
「……紅葉ちゃん、なんか変じゃなかった?」
「うん。どうしたんだろうね」
「くすぐられ過ぎて疲れちゃったのかな……?」
「まあ、それもあるんじゃない?」
そう言いつつも、僕は美月が飲み物を買いに行ってた時の会話を思い出した。
……あの時、紺野さんは何か言おうとしていた。
もしかしたら、それと何か関係があるのだろうか……?
そんなことを考えていた矢先に、美月は突然口を開いた。
「……充君、ここまで手伝ってくれて本当にありがとう」
「美月まで急にどうしたの?」
「ううん、本当にそう思っただけ。二人がいなかったら、私は何も出来なかったと思うから……」
「そんなことないでしょ。他の人があれだけ止めたって突っ走ってくんだから、きっと僕たちがいなくても美月はここまで来れたと思うよ?」
「……それはないよ。私は無力だよ。一人じゃ怖くて何にも出来なかった」
「美月……」
「私がここまで行動的になれたのは二人がいてくれたからだよ。充君が裏で動いてくれたり、紅葉ちゃんが私の背中を押してくれたり。そんな風にサポートしてくれたからここまで来れた」
「……ねぇ、美月」
「なあに?」
「美月はさ、今でも記憶を取り戻したいって思ってる?」
気付けば声が震えていた。
僕が怖がっていてどうする。
一番怖いのは美月なんだから、僕がもっとしっかりしないと……
「……もちろんだよ。初めて会った時と変わらない。私は記憶を取り戻す」
「そっか……」
「充君は?」
「えっ?」
「充君は昔のこと全部忘れたいって、今でも思ってる?」
不意打ちの質問に、僕は動揺してしまった。
何かを求めているような彼女の視線が、更に僕の心を揺さぶった。
そんな僕の様子を感じ取ったのか、僕が答えを出す前に彼女は再び話し始めてしまった。
「別に無理に答えを出さなくてもいいよ。ただ自分に素直になるだけでいいんだよ。きっと」
「僕もそれくらい単純に生きられればいいんだけどね……」
「まあ、思い通りにいかないことだらけだけどね。でも、だからこそ困った時はお互いに手を取り合えばいいんだよ」
僕は黙って話を聞き続けた。
「私が二人に助けられたように、紅葉ちゃんが困ってたら私は手を差し伸べるよ。もちろん充君にもね」
「ありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃないって。……むしろ、お礼言わなくちゃいけないのは私だよ。本当に今までありがとう」
その言葉に胸が締め付けられた。
まるで最期の別れのような、そんな言い分だった。
「秋トリオは永遠に不滅だよ。きっと、これからも手を取り合って生きていける。例え、いつかお互いのことを忘れる時が来たとしても、一緒に過ごした日々は無くならない。そう思うんだ」
「……そう、かもね」
そこで、僕たちは口を閉ざしてしまった。
その沈黙を打ち破るように、少し間を開けてから彼女は話し始めた。
「……正直ね、麗奈ちゃんの話を聞いて少し怖くなっちゃったんだ……」
突然しおらしくなってしまった彼女を見て、僕は何も言えなかった。
「……昔の自分の写真まで見たのに、何にも思い出せなかった。そのことがすごく怖かった」
やっとの思いで紡ぎだした言葉は、あまりにもありきたりな言葉だった。
「……やっぱり、明日帰る?」
美月は、首を縦に振ることは無かった。
「それはもっと怖い……このまま中途半端なまま戻って、不安を抱えたまま生きたくない……」
彼女の声は、今にも泣き出しそうだった。
そんな姿を見てられず、僕は自然と彼女を抱きしめてしまっていた。
「みつる、くん……?」
「大丈夫だから。僕も紺野さんも絶対に美月のことを見捨てない。……何があっても、ちゃんと見守るから」
僕の頭には、先生の言葉がよぎっていた。
『篠原を支えてやれるのは、お前ら二人だけだ』
この言葉が、僕の心に突き刺さった。
彼女は涙を流しつつも、笑いながら僕の言葉を返した。
「充君、なんかそれプロポーズみたいだよ」
「……ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」
「全然気にしてないよ。むしろ嬉しかった。こんなに優しくて素敵な友達がいるんだって、誇りに思うよ」
「そっか……」
「だから、明日は頑張る。記憶を取り戻して笑顔で帰る」
「そうだね」
僕たちの話が落ち着いたところで、紺野さんはシャワーを浴び終えたようだった。
「……あれ、お二人ともまだ起きてたんですか?」
「うん」
「紅葉ちゃんはそろそろ寝る?」
「私はそのつもりですけど」
「じゃあ、私たちも寝よっか」
時刻は既に二十三時を過ぎていた。
「そうだね」
最後の光だったベットの照明も消して、僕たちは一つのベッドに横になっていた。
三人で一緒の布団に入っていたので、とても暖かった。
……何故だか、この温もりが懐かしいと感じた。
少し考えて、その理由が分かった。
幼い頃、今みたいに家族三人で寝ることがよくあった。
この温もりは、その時と同じものだった。
ふと横を向くと、紺野さんはすっかりと寝てしまっていた。
美月は、紺野さんの言いつけを守っていたのかそうではないのか分からないが、まだ起きていた。
突如として、僕の手は謎の暖かさに包まれた。
「……美月?」
「なにも言わないで」
暖かさの正体は、彼女の手だった。
そして、その手は少し汗ばんでいた。
布団の中で密集してるから、ただでさえ湿気が多い。
しかし、彼女は一向に布団の外に手を出そうとはしなかった。
僕は仕方なく彼女に従った。
ただ、握られているだけでは手を動かせないので、僕は彼女の手を優しく握り返した。
その瞬間、ハッと息を飲む音が聞こえた。
そして、少し赤みを帯びた顔でこちらにゆっくりと向いた。
僕たちは見つめ合うような形になり、お互いの顔を凝視していた。
しばらく見つめあって顔を背けるのが気まずくなったのか、お互いにそのまま固まってしまった。
しかし、美月の指は落ち着きなく動き回っていた。
それが、彼女の気持ちを表してるような気がして、なんだか可愛らしかった。
それからどれくらい経ったか分からないが、気付けば僕は寝てしまっていた。
この日、僕たち三人は手を繋いで眠った。
それはまるで、僕たちの絆を表すかのように固く結ばれていた。




