下弦の月
時刻は十九時半。
遊び尽くした僕たちは、ようやく帰ることにした。
「じゃあ、また来週」
「はい。今日はありがとうございました。楽しかったです」
いつも通り紺野さんと別れ、僕たち二人だけになった。
「ねえ充君。一つ聞いても良いかな」
「……なに?」
帰り道を歩いてる最中、珍しく美月から質問をしてきた。
「充君は忘れたいって思ってるかもしれないけどさ、逆に忘れたくないって思ったことはなかったの?」
「……どうだろう。そんなこと考えたこともなかった。でも、僕が思い返すにそんな風に思ったことはないかな」
「そうなんだ……」
美月はしょんぼりとしてしまった。
と、思いきや突然喋り始めた。
「じゃあさ、これから私たちで作っていこうよ!絶対に忘れたくなくなるような、そんな思い出をさ!」
「そう、だね」
僕は、曖昧な返事しか返せなかった。
僕は思い出を作ろうと思ったことすらないし、何よりその作り方もよく分からなかった。
それに、どんな思い出もいつか忘れてしまうのではないだろうか。
そんな儚く、脆く、いずれ消えてしまうものをわざわざ作る必要があるのだろうか?
僕には分からなかった。
「また三人で遊ぼうよ、色々やりたいこともあるし!」
「僕は一緒に行くつもりはないよ」
「私たちと遊ぶの、楽しくないの?」
「別にそういう訳じゃないけどさ……なんていうか、そういうのあんまり得意じゃないから」
「そういうのって?」
「……みんなで遊んだり、人と関わることだよ」
「じゃあ、どうして私たちとは一緒にいるの?」
「それは美月に協力してるからだよ。それが終わればきっと僕たちが関わることはもうないと思う。クラスメイトとかと同じだよ、クラスが変わってしまえば今までの関係はなかったことになる。そうなってまで仲良くしようとする人なんて、ごく稀だ」
僕の言葉を聞いて、美月はあからさまに不機嫌そうな顔になった。
「そんなその場限りみたいな関係性、私は嫌だな」
「別に美月はそれでも良いと思うよ、ただ僕は違う」
違う、僕は怖いだけだ。
その場限りの関係性を飛び越えてまで人と接するのが怖いんだ。
ちゃんとした建前があれば、言い訳はいくらでもできる。
でも、それを超えるというのは自分の意思でその人と接するということだ。
そんな人の中に踏み込んでくようなこと、僕には出来ない。
あんな思いはもう懲り懲りなんだ。
「なんか納得できないなー」
「考え方が違うだけだから、納得しなくても良いよ」
「そう言われるのなんかムカつく、『お前には分からない』って線引きしてるみたい」
「事実でしょ。僕だって美月の考えてることが理解できないわけじゃない。でも共感はできない。それと同じことだよ」
僕たちは初めから正反対なのだ。
そんな人間が分かり合おうなど難しい話だ。
そもそも、記憶のことがなければ僕が関わるようなタイプの人ではない。
「私、決めたよ」
「何を?」
「私は君を変えてみせる。私の記憶が戻るか、君が変わるのが先か勝負だよ!」
何を思ったのか、美月は突然僕に宣戦布告をしてきた。
そんな行き当たりばったりの発言に、僕は思わず呆れ返ってしまう。
「……それ、僕が手伝わなかったらそもそも成り立たないよね」
「あっ、確かに……いや、それでも、私は君を変えてみせる!」
「……分かったよ、精々頑張ってね」
「うん!」
話が平行線になりそうだったので、適当に返事をしておいた。
「あっ!見てよ、月が綺麗だよ〜!」
「……本当だ、今日はなかなか明るいね」
「“今日は”って、そんなに月を見ることがあるの?」
「うん、夜空を眺めるのが好きでさ。その時によくこうして月も見たりする」
「お〜!それは奇遇だね、私も月見るの好きなんだ〜」
意外だった。
正反対だと思ってた僕たちにも、共通点があるんだな。
「なんてったって、私の名前は美月だからね!美しい月だからね!」
そう言って、誇らしげに自分の胸を叩いていた。
「それ、自分で言う?」
「言うね」
「そうですか……」
今日は下弦の月、半月の日だった。
そうこう話している内に別れ道に辿り着いた僕たちは、ここで別れた。
こうして一緒に帰ることが当たり前になっていて、お互いに手慣れたものだった。
「じゃあね!」
「うん、また」
ようやく一人になった。
こんなに誰かと一緒にいたのは久しぶりだった。
いや、そんなことはない。
最近は日常的にあの二人と一緒にいることが多い。
だけど、疲れ果てた僕はそれを正当化するためにそう思いたかったのかもしれない。
……さっき美月にはあんな風に言ったけど、どうなのだろうか?
美月の記憶が戻った時、僕たち三人の関係は変わるのだろうか?
あくまで僕は協力者だ。
間違ったことは言ってない。
そして美月は、『その場限りの関係』と考える僕を変えると言っていた。
これから何をしてくるつもりなんだろうか……
それを考えると、少し気が重たくなった。
だけど、それと同じくらい楽しみにしてる自分もいた。