第五幕:追跡
ハジメの車まで数分で到着すると、二人は素早く車に乗り込んだ。
「カァ君」
と、ハジメが車の中で呼びかけると、カラスをデフォルメした3Dキャラクターがフロントガラスの右下に現れる。カーアシスタンのカァ君という。ハジメのネーミングセンスがはっきりと分かるキャラクターだ。
「データ転送」
ハジメが左腕の腕輪型デバイスを手のひらでさっとなぞると、ヘッドアップディスプレイとなっているフロントガラスに先程逃走した車の画像が表示される。ナンバーなどの細かい情報も鮮明に映っていた。
「警視庁へ監視ネットワークの使用許可を申請して」
ネットワークとの通信をしている間、カァ君がバタバタと羽をはためかせる。
約五秒で帰ってきた結果をカァ君が伝える。
「承認されました」
「早いな」
「当然。さっきの交戦ログをつけて送ったから。自動で処理されたんでしょう」
ハジメは簡潔に説明をつけたした。
「検索を開始」
カァ君がそういうと、また五秒ほどで結果が表示された。
フロントのディスプレイに地図が表示され、該当車輌の通行情報が表示される。
「港の方向ね……。追いましょう」
ハジメの声に反応して車が動き出す。自動運転システムによりハンドル操作は不要だ。普段はハンドル自体がダッシュボードに格納されている。
追跡中の車の中でレイジはハジメに聞く。
「さっきの奴ら、何者なんだ?」
「おそらく、海外からのスパイ……というかその下っ端だと思う」
「スパイ? なんでスパイが子供をさらってくんだよ」
「まぁスパイと言っても国に所属してるわけじゃなくて、どっかのクレイジーなテロ組織と繋がって犯罪を実行してるだけだと思う。子供をさらって、その子を洗脳してスパイに仕立て上げるか、もしくは単に人身売買で売っぱらうかとかね」
「……結構物騒だな」
「先進国はどこも日本と同じような社会になって基本的には安全……特に都市部はね。だけど、一部あぶれてしまった国や人もいるってこと」
「……合理性とやらについていけなくなったんじゃないか?」
「さぁ……。新しいものを受け入れられない人間が、いつでも一定度いるってだけかもしれないし」
ハジメはあっさりとしたトーンでレイジに対して答えた。
しばらくすると、フロントディスプレイに表示されていた追跡中の車の動きが止まる。
「やっぱり港から外に出る気だ」
「そんなので、あいつら逃げ切れるのか?」
「普通は、逃げ切れるとは思わないけど……。もし日本の中で手引きをしている人間がいるなら、スピード特化の高速艇とかを用意しているかもしれない」
「……」
湾岸近くまで到着すると大きな橋がかかっていた。車の通りはあまり多くない。
「カァ君、飛ばして!」
ハジメの車がぐんっと加速してGが二人の体にかかる。
「あ、相変わらず速い……」
そこから五分とせず港に到着した。
港に黒い高速艇が止まっている。大きな船ではないが、二、三十人なら乗り込めそうだ。
「やっぱり。あれ最新の高速艇。あれなら警察と軍の追跡を振り切れる可能性はある」
「あれ……アルじゃないか?」
レイジが指差す方向に、高速艇の中に十名弱の子供が乗っているのが見える。その中にアルもいる。子どもたちは縛られて動けないように拘束されて、船内の一角に集められていた。子どもたちだけではなく、黒い服の男達が数名乗っていることも視認できた。
「既に何人かさらってたってわけ……」
「どうする? 俺たちだけで助け出せるのか?」
「……そうね……警察本体に応援要請を――」
言いかけてハジメは止まった。
「……既に警察が出動してるみたい。他のルートから情報を入手したんだと思う。もうすぐここに到着する」
「そりゃ良かった! んじゃ俺たちも手伝うのか? それとも――」
「……警察からは付近の探偵への注意喚起がでてる」
そう言って、ハジメは顎の下に手を当ててしばし考え込む。
レイジは尋ねる。
「……どういうことだ?」
「手出し無用ってこと」
「……そうなのか……まぁ、警察が対応してくれるなら安心だな?」
レイジはこの時代の警察のことをあまり知らないため、疑問形で確認をとるような言い方になった。
「まぁこの時点で彼らが動いてるなら、奴らを逃がすことはしないと思うけど……」
「はっきりしない言い方だな」
そんなやりとりをしていると、すぐに警察本体の車両が数台港に到着した。大きな黒塗りのバンのような形をしている。到着すると、すぐに中から数十名の隊員が現れる。
「おお!早い。この時代の警察は優秀だな」
レイジが素直に称賛した。
警察はすぐには高速艇に近寄らず、隊列と高速艇との間の距離は数十メートルほどを保っていた。
ハジメはフロントディスプレイを操作して、警察の情報を探っている。
「どうやら、既に警察側の高速艇も付近を包囲し始めてるみたいね。となると……」
犯人のうち一人が高速艇の甲板の上にでてくる。側に子供のうち一人を連れている。
犯人は片手に拳銃を持っていた。ハジメが持っている非殺傷用の銃ではなく、実弾が撃てるタイプのようだ。
「おいおい、あれ……」
「まぁ、人質ってことでしょうね」
「まじかよ」
「まぁ当然の帰結よね……」
「……警察はどうすると思う?」
「まぁ普通に考えて、犯人達は追跡経路の確保を要求する。警察は――その要求を認めるはずがない。つまり強行突入ね」
「おいおい……。色々交渉とかあるんだろ。子供の人命がかかってるんだ」
「それは……多少はあるかもしれないけど……」
ハジメはゆっくりと先を続けた。
「警察としては人質の安全よりも犯人逮捕を優先する可能性が高い」
「なんで!?」
レイジは語気を荒らげた。
「……あいつらは日本に潜り込んでるスパイと関係性を持っている。つまり、あいつらを逮捕すればそのスパイ網を一網打尽に出来る可能性がある」
「……それで?」
「なんだかんだで今も日本は他よりも安全な国だし経済的にも上位の国。大国としてのプレゼンスもある。だからここを狙って潜入してくる奴らは少なくない」
「……で?」
「海外のテロ組織や犯罪組織と繋がりのあるスパイを放置すれば、国民の危険が脅かされるってわけ」
「それはそうだろうが……」
「逆に言うと、あの子どもたちを犠牲にする可能性があったとしても、奴らを捕まえたほうが他の国民を守ることになるかもしれない」
「そんなの屁理屈だろ。だいたい『かもしれない』でそんなことして良いのかよ。」
「……屁理屈じゃないし、冷静に考えてほしい」
そういうとハジメはすぅっと息を吸い込む。
「いい? 例えば、警察が突入することでのあの子どもたちが傷つく確率、それによる国家への損失、あの犯人たちがどの程度の日本国内スパイを持っているかという見積もり、そのスパイ網が日本のどの程度の国民に害をなすのか? テロ組織と関連していればその被害者は万では足りないかも知れない。そういった全ての要素を加味して行動は決定されなければならない。」
「そんなの不可能だ」
「いいえ可能。それを可能にするためにThe Systemがある」
「また、それかよ……。こういう問題は人間が決めるべきだろ」
「勿論、最終的には人間が決める。だけど前にも言ったけれど、今までの積み重ねの信頼性ってものがある」
「……」
レイジは黙って俯く。
「でもな……俺には君がこう言っているようにも思える……。重要な判断をThe Systemに任せてきた結果、その判断に従えば誰も責任を取らなくて良いから、皆それに従ってるだけってな……。君は人間が最後に決めるって言ったが、実際の所はどうだ? 確かに制度上は人間が決めてるのかもしれないが、人間より精度が高いと認めた瞬間にその判断を覆すのは実質的に不可能になる。それにな、そうしてずっと従ってるだけなら……『積み重ねの信頼性』ってのも怪しいもんだと思うぜ。本当は正しかったかもしれない、別の可能性の結果なんて分からないし、そのうち気にもしなくなってくだろうからな」
「――そんな……」
珍しくハジメは動揺した声を出した。
「とりあえず、俺は行く」
そういうと、レイジは車を出る。
「どこに?」
「アルと他の子供たちを助けに」
「無茶にもほどがある」
「無茶は――しない。俺がミスれば、余計にアル達を傷つけるからな。とにかく、出来ることを探すってだけだ」
そう言い捨てるとレイジは車から離れ、物陰を伝いながら高速艇に近づいていった。