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スウェーデンという経験  作者: 泰平
3/10

短編連載(3)

泰平タイヘイと申します。

大学生時代の留学経験を基に書いたフィクションです。


3話目は、留学生のホーム・パーティについて...



僕自身は書きながら深刻になりなりすぎる気がございますが、読者さんには、サーと読み流していただいて、面白いと言っていただける方がいれば当分連載を続けたいと思います。

 私が授業参観に行った学校は、本当に住んでいた寮の目と鼻の先だった。授業参観が終わった後も、子供たちとは、よく顔を合わせて挨拶をした。彼らはいつも、うつむきがちにはにかみながら、


"Hello, hello."と言って通り過ぎていった。


 そのころ私が住んでいたのは大学から徒歩で40分ほどの国際学生寮だった。一日の大半は寮で過ごしていた。特に留学が始まって、最初の半年は引きこもり気味だった。

 大学の方針なのかもしれないが、学生寮には同じ国籍をできるだけまとめておこうという感じがだった。

 小さな街の、そんなに規模も大きくない大学なのに、日本人が30人もいるもんだから、日本人は二つの学生アパートメントに分けられていた。(もちろん、中国からの留学生のほうが圧倒的に多かったが)

 ひとつはキャンパスの敷地内にあり、もう一つは街の中心に近い寮だった。

 日本人も含めて、その大学に来る留学生が住めるアパートメントは、主に大学の敷地内と、ベクショー中心街の周りにあった。(いくつかは街外れの湖のそばだった)

 ベクショーの街と大学は、それぞれ湖の対岸に位置しており、バスで20分∼30分程度の距離だった。

 寮にはそれぞれ特徴があり、大学の敷地内の寮にはヨーロッパの隣国と中国からきている留学生が住んでいた。

 私が住んでいたのは、留学先の大学が提供する寮のうち、大学からは遠く、街に近い方。日本、アメリカ、韓国からきている留学生の大半が住んでいる寮だった。

 私は留学初日に出会ったような自由奔放なメキシコ人学生や、コロンビアなどラテンアメリカからきている留学生とも、そこで出会った。


 ラテンアメリカからの留学生はみな音楽、ダンスに長けていて、はじめ私は彼らの活気と勢いに圧倒された。

 彼らの活気の段違いさに気づいたのは、毎年らしいのだが、毎日開かれる懇親会 “Welcome Party”で。一学期が始まって1,2週間は毎日のように各寮で、ダンスパーティーのようなものが開かれていた。


 毎学期、ある寮が パーティー寮“Party Dorm” と呼ばれ、各国のパーティー好きが集った。


 私も何度かは参加したが、そこで知ったのは、日本と韓国からきている学生を除いて、多くの学生は友達を大勢招いての “Home Party” が大好きなことだった。

 実態は友人を招いて食事をし、お酒を飲んで語り合う、日本でいうと親身な家族同氏の会食に近い。

 違いは特にアメリカ人学生にとっては毎週欠かせない、社交の場で、あまり親しくない人もとにかくたくさん呼ぶ、ということだった。


“Let’s make some food and chill tonight!” 「今夜何かご飯を作って、おしゃべりでもしようぜ!」と毎日のように私も誘われた。


 初めのころは英語を練習するいい機会だと思ったので、誘われるたびに参加し、日本食などをごちそうしてあげた。


 アメリカ人だけでは決してないが、彼らはよく笑う。時々彼らが可笑しくてたまらず夜中に笑い転げているところに、その階に住んでいる留学生、主に日本の学生が「静かにしてほしい」と言いに来ることがあった。


 とにかく、“Home Party”は様々な国からやってきた留学生と仲良くなれる絶好の機会だった。


 彼らは「静かにしてほしい」と日本語で()()訴える日本の学生に対して、優しくきっぱりと、


“If you want to say something to us, please speak English.” 「何か言いたいことがあるなら、英語で話してほしい」ということがあった。


 そして、日本人学生から理由を聞くと謝りながらも、


“Sorry for bothering you but you may join us too if you cannot sleep now.” 「邪魔してごめんなさい。でももし寝られないなら参加したらどうか。」とその日本人学生を誘った。これには本当に驚いた。


 私はうるさい側の留学生だったので、日本人学生がどんな反応するのか気になって話を聞いていた。


彼らは “I’d like to do but I cannot join tonight. I have something to do in tomorrow morning.” 「参加したいけど今夜は無理。明日の朝にやらなきゃいけないことがある。」と断った。


 それから、私と数人を除いて、日本人学生はほとんど一度も、彼らのホーム・パーティには参加することはなかった。そんなことが何度かあって、次第にうるさくても何も言ってこなくなり、何人かの日本人学生は静かな寮へ引っ越してしまった。


 後になって聞いてみると、「やはりうるさすぎて嫌になって、引っ越した」らしかった。私は少し気の毒な気がしたが、


「初めは少し参加したかったけれど、同じ階のほかの人の迷惑になるがわかっていて参加するのは気が引けた」と一人が言っているのを聞いて、仕方のないことなのかもしれないと思った。


 (彼らからすれば)一度きり文句を言っただけで、後は口をつぐみ、限界がくると何も言わずにいなくなってしまう日本人学生は薄情らしかった。アメリカ人以外の留学生たちからしても、相当薄情なことらしかった。そのうち一人、これはカナダとアメリカ人のハーフが言った言葉が印象的だった。


“I thought he was my friend.” 「彼を友達だと思っていた。」


 彼は友達ではなかったと。


 私には日本人の留学生の行動の方が理解できたし、パーティー好きな集団よりは、いくらかまともに思えたが、引き続きパーティー好き達に誘われれば、3回に1度はホーム・パーティに参加した。


 何度目かのパーティーで、まだ恨みの冷めないアメリカ人学生に、


“This is not the friendship we call, and it’s even worse for us to have moved him out. He told it’s been too loud!? Why didn’t he tell me that?”「何も言わずにいきなり引っ越すなんて友達のすることじゃない、しかも俺たちがうるさかったからなんて。なぜ彼は何も言わなかったんだ。」と言われた。


 私はその日、酔っ払った複数のアメリカ人から「日本人は薄情だ」としきりに言われた。日本人学生の一人がすでに引っ越してしまった後だったから、仕方のなかったことだが、私は気分が悪かった。


 正直その日は酒を飲みすぎて、パーティー後半の記憶があまりないんだ。


 私は彼らに、すでにその日本人学生は「静かにしてくれ」と注意していたことを思い出させ、彼の行動についての私なりの理解を話して伝えた。が、やはり理解しがたいようだった。


「本音を伝える」というのは、心に何枚も纏っている「殻」のようなものを一枚一枚脱ぎ捨てる行為に等しい。それは、「相手を傷つけてしまう」という想像を伴いながら恐る恐る行われる。


 しかし、ある人はそもそも「殻」を私や彼(日本人学生)のように纏っておらず、纏っていないからこそ、(少々のことでも)本音と建て前を使い分ける行為が理解できないのだ。


なぜなら彼らは私たちの「殻」の部分を、私たち自身だと思って見ているから。


「置き去りにしているのは、彼らなのか、俺なのかどっちなんだ?」と思うんだ。


連載にしましたが、毎日2千字くらい書いて投稿していきます。

全体で、約2万字ほどの一片の短編小説にする予定です。


泰平

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