嗚呼、神剣さん
出現は、唐突だった。
空気がびりびりと震え、神の犬の末裔達の毛が、ぶわりと逆立つ。
――丁度、茶器を片付けたばかりだったテーブルに、それは突き立った。
繊細な装飾でも隠し切れない、容易く命を絶つが故の威圧。
緋色の刀身は、遠く神代からの年月を経ても、刃こぼれ一つ、曇り一つ見当たらない。
……義姉の為に長兄が見繕った、木目の美しい一枚板のテーブルは、見事に真っ二つである。
何世代もかけて、山師が育て上げた樹齢うん百年の樹木の歴史も、テーブルと一緒におじゃんだ。
見れば、笑顔のままの義姉は、背後に暗雲を広げていた。
未だに長兄と熱々新婚生活が継続中の義姉は、長兄以外の殿方からの贈り物は塵屑同然と言い放ち、長兄から貰ったものは、一輪の花とて大事にしている。
それが、特にお気に入りのテーブルを台無しにされれば、相手が、例え夫の先祖の形見である神造の剣であろうが、激怒しても仕方があるまい。
……と言うか、次兄よ、貴方がとり憑かれているのだから、危険物の管理はしっかりして欲しい。
神剣さんの出現に驚いているお義姉様を見やり、シャルロッティは唇を尖らせる。
お義姉様にヘンな誤解を受けないよう、次兄のポンコツ具合について情報統制をしっかりしてきたはずなのに、アストゥラビや神剣さんのせいで、おかしなことになっているではないか。
――色々とアレな行動をとる次兄と同一視されて、大公妃になる女性に逃げられては大変だ、と、結婚の前に、養父とシャルロッティの意見は一致していた。
幸い、彼女は記憶喪失で、通常運行でやらかしている第二王子についての知識も失い、接点も勿論無い。
だから、関係各所への厳命と次兄本人への厳重注意で、何とかなるか、と思っていたのが――甘かった。
如何にシャルロッティが口を酸っぱくして注意しようが、次兄が次兄なりに自重しようが、ポンコツは所詮ポンコツだ。
結局、心優しいお義姉様に、自分に自信が持てない男、という、ヘンテコな誤解を招くに至ってしまったのである。
一体どうしてこうなった。
……大好きなお義姉様の謎な次兄像の形成に、愉快犯の長兄や、女性関係が悲惨すぎる第二王子を応援しようとした関係者一同が、一役どころではなく買っていたことに、シャルロッティは気づいちゃいない。
ちなみに、大公妃の第二王子への誤解について、知っている者は知っているが、積極的に誤解を解こうとしている人間はいなかった。
――このままの方が観察しがいがあるし、妻を幸せにするのに誤解を解く必要性は特に感じないし、団長の希望を潰すのはあんまりだし、と、理由は様々である。
記憶喪失の大公妃は、『以前』の友人知人との縁が切れ、大公家の領地経営に忙しく、新たな交友関係の構築に精を出すことも無い為、しばらく第二王子への誤解が解けることはなさそうだ。
「――ぬっ?!
なぜここに神剣があるのだっ?!
瓦礫に埋もれたのではなかったのかっ?!」
部屋に入って来るなり叫んだ次兄に、シャルロッティはがっくりと肩を落とした。
次兄は、また神剣さんに放置プレイをかましたらしい。
そして、神剣さんは、先回りを覚えた模様である。
……あと、次兄よ、神剣さんへの扱いが、酷すぎやしないだろうか。
ふ、と、義姉が笑みを浮かべ、ふわもこワンコがお義姉様に引っ付き、三つ脚ワンコが尻尾を丸めて伏せをした。
「――ラザロス殿、危険物の管理はきちんとなさい」
「ぬう……」
神剣さん以上の威圧感を漂わせる義姉から、次兄は目を逸らした。
「……だってなぁ、義姉上」
らしくもなく、次兄はもごもごと言い訳する。
「神剣が無くとも、私は別に困らないのだ……」
次兄よ、神剣さんの放電現象が凄いから。
――テーブルの残骸が、黒焦げになってしまったからっ!!!
「……あ、の、――殿下……?」
シャルロッティとついでのふわもこワンコを抱きしめてくれながら、お義姉様が次兄へ声を上げた。
「――神剣様は、寂しがっているだけではありませんか……?」
ぴたりと、神剣さんの放電が止んだ。
ついで、神剣さんはぶるぶると鳴動を始めたが、これまでの様な駄々っ子的なものではなく、よくぞ言ってくれたっ!!! と、感動に打ち震えている印象を受けた。
「……そうね、神剣様は、夫に寄って来る変態達と違って、人的被害は出さなかったものね……」
義姉が、目尻に浮かんだ雫を、指先で拭う。
確かにそうだ。
次兄に憑きまとったり、次兄の愛用品達を全滅させたりと、神剣さんの行動はヤンデレそのものだが、長兄に突撃してくる変態共とは異なり、人的被害を出したことは無い。
物損被害は確かにあるが、ぶっちゃけ、神剣さんよりも、某天馬の先祖返りの方が深刻である。
――自分を使ってほしいだけなのに、放置放置の放置プレイ。
全身全霊で存在を主張しても、無くても困らないという言葉が返ってくる。
……あれ、神剣さん、ちょっと、『以前』のお義姉様の様ではあるまいか……?
嗚呼、神剣さん――。
シャルロッティは、侍従見習いのアレスが差し出してきた手ぬぐいに、顔を埋めた。
「……ラザロスあにうえったら、さいていです……。
ううっ、こんなにけなげな神剣さんに、なにも、なにもかえそうと、しないなんて――」
――涙が溢れて、仕方がない……。
妹からの非難に、次兄はうっと言葉を詰まらせた。
体力行動その他諸々はさておき、王家の三兄妹の中で人格的には一番まともな為、身につまされるものがあるらしい。
「……ラザロス殿、神剣様にきちんと向き合ってあげなさいな」
「わ、悪かったのだ……」
侍女から受け取ったハンカチで、目頭を押さえる義姉の言葉に、次兄は素直に頷いた。