お義姉様の優しさが、尊過ぎる件について
某不審者の魔の手から逃れ、やっとの思いで避難した王太子妃の個人的な応接室は、彼女の故国の調度品とこの国の建築物が、上手い具合に調和していた。
異なる文化や風土に基づく品々を、見苦しくなくまとめ上げるのは、国外向けの生ける宝石として育て上げられた、部屋の主の感性の賜物である。
黒真珠とも評される、義姉の漆黒の瞳が、労わる様に細められた。
「――災難でしたね、二人共」
「ええ、本当に……」
うっかり、気持ち悪い某不審者を思い出してしまい、シャルロッティはげっそりと溜息を吐いた。
還暦越えのむくつけき筋肉が、涙目のふわもこワンコに迫る様は、もう、色々な意味で終わっているとしか言えない光景であったのだ。
まだそわそわとしているお義姉様が、心配そうに扉の方へ目を向ける。
少し前まで、大暴れする神馬の末裔がものを壊す音やら、某不審者の怒声やら、巻き込まれた被害者の悲鳴やらで、やたらと騒がしかったが、今はすっかり静かになっていた。
「……音が聞こえなくなりましたが、殿下はご無事でしょうか?」
「お義姉様、大丈夫です、ラザロス兄上ですもの」
浮かない顔をするお義姉様に、シャルロッティは真顔で断言する。
なんせ、近隣諸国までにその名が轟く戦闘狂に鍛えられた、次兄の生存能力の高さは折り紙付きだ。
元帥との修行時代、短剣一本で雪山に放り出されようが、元帥の故郷で神事の飛び蜥蜴狩りを行おうが、けろりとしていた脳筋である。
……まあ、流石の次兄も、七歳の時、酔っ払った元帥にばっさり切られたら、普通に瀕死になった訳だが。
――今度は死なないようにもっと鍛えるのだと、剣を振り回す戦闘狂に駄々を捏ねられて、父王は、息子の救出を断念し、まだ健康だった王妃と予備の予備を作る決断に至ったらしい。
……妹ができたから、結果オーライなのだ、とのたまう次兄は、元帥のせいで、頭にある大事な螺子が飛んでしまったに違いない。
次兄よ、貴方は元帥に怒っていいから。
真面目に。
「ラザロス殿は、あの若さで軍部を束ねるに値する能力があるのだもの。
愛馬や元帥殿が暴れたぐらいでは、びくともしないでしょう」
お義姉様に向かって、にこやかに微笑んだ義姉の横で、そうですよ、と言わんばかりに、右前脚に義足を付けた三つ脚の獣が、こくこくと頷いた。
シルキーと白銀の被毛に、同じく紫色の瞳は優し気に煌めく。
ただ、メルヘンな見た目のシルキーとの共通点はそれくらいで、ふわもこワンコの倍はあろうかと言う体躯は剽悍さが漂い、狼に似た顔立ちは鋭かった。
義姉により、三華と名付けられた三つ脚ワンコは、次兄が拾って来た奇形ワンコ集団の内の一頭である。
ワンコ達は、あくまで次兄を主と仰いでいるが、十頭も拾って来たのだから、自分達もワンコを飼ったっていいじゃない、という、長兄夫妻の我儘に応え、次兄が貸し出したらしい。
そして、三華も長兄に侍っている暁も、変態を撃退したり毒物を嗅ぎ分けたりと、長兄夫妻の安全確保に大いに貢献していた。
「――そう、ですね。
私の杞憂でしか、無いのでしょうが……」
お義姉様の指先が、養父から贈られた首飾りを撫でる。
首飾りを彩る大振りな琥珀は、丁度シャルロッティの瞳と同じ色。
その原石は、どデカワンコが咥えて持って来たところを、自分から贈っても塵屑同然だと、次兄が養父に手渡したものだ。
ちなみに、次兄が養父に余計な入れ知恵をしてくれやがったおかげで、同じ琥珀を割った双子石が、養父のカフスになっている。
……シャルロッティは、仲間はずれだった……。
次兄よ、どうして自分に琥珀を渡してくれなかったのだ。
――双子石で、お義姉様とお揃いの装飾品を作る良い機会だったのにっ!!!
内心、悔しさでのた打ち回っているシャルロッティが、お義姉様に悟られないよう歯ぎしりしていると、義姉が微笑まし気な表情を浮かべていた。
お義姉様の、暗めの青の瞳に、憂いが過る。
「……殿下は、ご自分に自信が持てていらっしゃらない様ですから、どうしても、気になってしまいまして……」
まるで、日記の中の死んでしまった『自分』の様だ、と。
目を伏せるお義姉様から、義姉があらぬ方向へと目を逸らすのを、シャルロッティは目撃した。
……心優しいお義姉様が、次兄に関して、何だかものすごく誤解してしまっている件について。
いつもはぴんとした耳を、ぺったんこにして、視線を彷徨わせる三つ脚ワンコとは対照的に、ふわもこワンコは、うるうるお目めでお義姉様をガン見している。
きっと、脳筋はそんなに心配しなくとも大丈夫だと、お義姉様に伝えようとしているのだろう。
――お義姉様、うちの脳筋は、自分に自信が持てないのではなく、出来ることと出来ないことをきっちりと弁えているだけです……。
喉元まで来たツッコミの言葉は、しかし、お義姉様の優しさが尊過ぎて、シャルロッティは口に出せなかった。
養父と結婚する前に、お義姉様は、階段を転がり落ちて、それ以前の記憶を失ってしまった。
今でこそ、お義姉様はおっとりと穏やかに過ごしているが、『以前』は相当追い詰められていたようだ。
死んでしまったも同然の、記憶喪失『以前』のお義姉様の日記には、願っても得られず、想っても届かない『彼女』の、慟哭と哀切が書き記されていた。
……確かに、無責任なお喋り雀達から好き放題言われているのは、『以前』のお義姉様も次兄も同じだ。
が、周囲の期待に応えようと苦しんでいた『彼女』と、専門分野以外はみんなあきらめている脳筋とでは、全く違う。
次兄以外は全員潰した元帥の扱きと、何とか第二の戦闘狂の爆誕を阻止しようとした養父達の奮闘の結果、軍事において、次兄は突出した能力を持つに至り、その代償が専門分野以外のポンコツ化である。
とりあえず、ポンコツに、それ以上を望んでどうしろと……?
特に、長兄の謎の魅了体質のとばっちりで、女性関係が壊滅的な次兄は、義姉の惚気を助言と取り違える勢いだ。
――次兄よ、お義姉様は、夫以外からの贈り物でも塵屑扱いしないから。
お義姉様は、シャルロッティの贈り物も心から喜んでくれる、素敵な女性である。
――だから、ラザロス兄上は、私に原石をくれても良かったのですよっっっ!!!!!
……まあ、それ以前に次兄は、人間悪口を言われたぐらいで死なない・川と橋渡しの老人の夢を見たって死なないなどと、妙な悟りを開いてしまっているのだが。
そのせいか、どんな噂が流れようと、全く気にしないところが、次兄の駄目なところである。
――餓死寸前の子供を見かねたのは分かるが、なぜ虫食を貧民街に広げてしまったのだ。
おかげで、貴族達の間で、第二王子が増えるっ?! と、訳の分からない噂が広がり、シャルロッティのところまで嘆願書が来て、処理が大変面倒臭かった。
……あと、悪口は分かるが、川と橋渡しの老人の夢と死なない事の因果関係が意味不明だ。
雪山での修行中、毎日毎日、川と橋渡しの老人の夢を見ても死んでいなかったからといって、どうして死にかけていなかった証明になると思うのか……。
「――少なくとも、貴女の様に見ている方がいれば、ラザロス殿は大丈夫よ、きっと」
「ええ、ラザロス兄上は、雑草よりもしぶといですから、大丈夫ですともっ!」
慈愛に満ちた笑顔の義姉に、シャルロッティは全力で同意した。
お義姉様の優しさがなくたって、そう簡単に次兄は死なないから、別にお義姉様が脳筋の事で思い悩む必要はないのである。
*飛び蜥蜴:
肉食。
馬並みの巨躯で鱗は強靭。
お肉は美味しい(by某脳筋の親友)。
前脚に被膜を有し、足場の悪い岩山で滑空する為、遭遇は非常に危険。
元帥の故郷では、飛び蜥蜴の頭を山の神に捧げる神事があり、神への供物を供した狩人は、願いが一つ叶うとか叶わないとか。
ちなみに、当時十一歳のラザロス兄やんは、これで『犬を飼いたい』と願ったそうな……。