ふびんなふびんな神剣さん
音もなく、蒼銀の風の如く、神獣の先祖返りが廊下を駆け抜ける。
不審者がいた空間に、どデカワンコが体当りをかましたのと、次兄が跨っていた愛犬からひらりと飛び降りたのは、同時だった。
どデカワンコの攻撃を、転がって避けた戦闘狂は、いっそ晴れやかな笑声を上げた。
意味が分からない。
「師匠、シルキーが嫌がるのに、撫でようとするのは駄目なのだ!
師匠は撫でるのが壊滅的に下手糞なのだから、他のところでもふもふの技術を修業してから来いっ!!」
「うるせぇっ!
シルキーちゃんに懐かれてるからって、調子乗ってんじゃねぇよ、この馬鹿弟子が!!」
対元帥用の重厚な弓を担いで、ビシッと指を突き付けた次兄に、キレ気味の戦闘狂が怒鳴り返した。
ところで、次兄を見上げるふわもこワンコは、まるっきり、魔王の魔手より己を救わんとやってきた、勇者を見上げる姫君の眼差しである。
傍迷惑な不審者は、ちゃんと現実を直視するべきだと思う。
ぶっちゃけ、元帥は、完全にシルキーに嫌われていると言うのに。
次兄は、仮にも自分の師に向かって低く唸る愛犬(特大)を止めもせず、おもむろに、持っていた弓をシャルロッティに押し付けてきた。
木材や金属で構成された複合弓は、それなりに重量があり、次兄の不意打ちに、シャルロッティは弓を抱えてよろめく。
シャルロッティとて、別にこんなものは受け取りたくも無かったが、そうもいかないので仕方がない。
次兄が発症中の厨二病(症状:『ぼくがかんがえたさいきょうのぶき』)、もとい、武人の道楽、もしくは養父が優しい笑顔で評した漢の浪漫の産物は、制作も手入れも大変手間が掛かる代物だ。
うっかり壊してしまえば、次兄と一緒にはっちゃけている、王城の鍛冶頭の機嫌を損ねて、中々に面倒臭いのである。
鉄鋼付きの革手袋を嵌め、掌に拳を打ち付ける次兄を見て、元帥は酷くつまらなそうな顔をした。
「……あの、殿下……?」
「うちの師匠が迷惑をかけて申し訳ないのだ、ヨアナ殿。
今後、この様な事が無いよう、きちんと言って聞かせておくのだ」
おずおずと声をかけてきたお義姉様に、元帥と肉体言語で語り合う気満々の次兄が、すまなそうに眉尻を下げる。
「――いえ、それよりも――」
未だにふわもこワンコにしがみ付かれ、困り果てた様子のお義姉様は、次兄を挟んだ、どデカワンコの反対側に手を差し伸べた。
「……神剣様は、よろしいのでしょうか……?」
……そこには、大理石の硬い床に突き立ちブルブル鳴動し、バチバチと火花を散らして、全身全霊で存在を主張する、神々しき緋色の刀身の剣が一振り。
見るからに特別感漂うその剣は、神の犬の末裔達が拾われたのと同じ時期に、次兄に憑りつきだした神剣さんである。
元は、シャルロッティ達の祖である半神の愛剣で、長らく神殿の最奥で大事に大事に安置されていた、これ以上無い程由緒正しき神造の剣だ。
――が、素手で人を殺傷できる上に、『さいきょうのぶき』は持ちたい派ではなく創りたい派な次兄に放置プレイをかまされまくり、今では立派に呪いの剣と化している。
何処に放置されようが、何時の間にかすぐ傍に現れるとか、次兄の愛用品達に嫉妬して、焼け爛れさせて全部台無しにするとか、一体どこのヤンデレだ。
因みに、この件に関し、管理責任者であった神官長は、ふびんな神剣さんの現状に滂沱の涙を流しつつも、完全に諦観の域に達している。
まあ、だって、次兄だもの。
「――ああ、ヨアナ殿、別に気にしなくてもよいのだ。
あれは、人に対して使うものではないのだからな」
「ラザロス兄上、元帥閣下を人と認識している方は、兄上ぐらいだと思います」
使って! ――ねえ、使って!!! と、言わんばかりの神剣さんを目の当たりにしながらも、真顔で言い切った次兄に、シャルロッティは突っ込んだ。
恐らく、シャルロッティを含めた殆どの人間は、元帥閣下について、『種族性別:元帥』・『習性:戦闘狂 *腕に覚えのある人は注意!! 近寄るな危険っ!!!』と認識していると思われる。
そして、次兄の言葉に、還暦越えの御老人は、玩具を取り上げられた子供の様な顔をする。
対人戦において、神剣さんを活用する気が皆無の次兄とは違い、元帥の方は、神剣さん憑きの次兄とやり合いたくて仕方がないようだが。
……戦り合うのも、殺り合うのも、どちらにしろ後始末が大変なので、シャルロッティとしては止めてほしい。
切実に。
次兄は、ブルブルバチバチと、未だに諦める様子の無い神剣さんを見やり、面倒臭げな顔で頭を掻いた。
「師匠の定義付けが何であれ、ここであれは使えないのだぞ。
――王城が半壊したら、皆が困るだろう。
前に、素振りをしていたら勝手に爆発して、森の一部が焼け野原になったのだ。
疲れてしばらく動けなくなったし、狩るつもりだった獣達が逃げて、散々だったのだ」
「ラザロス兄上、きちんと管理して下さいよ、そんな危険物!!」
――張り切り過ぎた神剣さんが空回って、次兄から使えない子認定を食らっていた件について。