『元帥警報』が発令されました
*ラザロス兄やんのお馬さん視点
広大な王城の敷地は、しかしながら、全てが豪華絢爛な構造物で構成されている訳ではない。
王権の威光を示す表側の他に、城内の諸々を滞りなく動かす為の裏側の場も存在する。
当然、慎み深く客人の目から隠されるべき場所には、見栄えの為に金がかけられる筈もない。
ついでに言うと、初代国王の時代より増改築を重ねられた王城には、隙間とも表現すべき、無為な空間が出来上がる事がある。
初めから計算しているならばともかく、都度拡張を重ねれば、効率的な土地の運用に無理が生じるものだ。
――或いは、その場に染み付いた過去の不吉に、誰も手を付けられないままに、空白地帯と化したか。
半神と共に地上に降ったとされる、神馬の末裔の塒があるのは、後者の土地であった。
今は昔、そこには、紫眼の愚王により、戯れに嬲る為の玩具を収納する、塔が建てられたと伝えられている。
数多の無辜の民の嘆きや無念を呑み込み続けたその塔は、紫眼の愚王が玉座を追われた後も、解体されることは無かった。
犠牲者達は、自らに降りかかった悲劇の残滓さえ、己の意思を一顧だにせず拭い去られることを、拒絶したかったのだろうか?
塔を護るかのような災いは、しかし、時の流れの前には無力で。
今は崩れた塔の残骸が、放置されていた場所に、軍事馬鹿と名高い第二王子が、己の愛馬の厩舎と畑を手作りしたのは、十年以上前の事。
当時、既に近隣諸国に轟く戦闘狂を師としてしまっていた彼は、元より底をつく運が無かったのか、戦闘狂に鍛えられ過ぎた生存能力故か、今日も元気に脳筋扱いされていた。
――古く、風化が進んで一部を遺すだけの城壁は、紫眼の愚王の時代、王城の外縁にあたっていた場所である。
そのすぐ近く、不自然までにぽかりと空いた場には、片付けきれなかった塔の一部が、未だに転がっている。
城壁跡以外は何も無いせいで、それなりに日当たりの良い土地に存在しているのは、馬小屋と畑、それから水場と水路だ。
馬小屋は素人臭い造りだわ、林檎と人参が青々と育つ畑は、そこから見える他の建築物群の荘厳さ・華麗ぶりとの落差が激しいわで、その空間は、普通に王城の中から浮いていた。
街中と同じように、王城の敷地中に張り巡らされた水路には、澄んだ水が流れている。
それは、生活用水の重要な供給源であり、第二王子の愛馬の棲み処でも、水場へ新鮮な水を送り込んでいた。
連れの振るう鍬が土を掘り返す音を、聞くことも無しに聞きながら、アストゥラビと呼ばれる彼は、飼葉を食む。
彼の連れは脳筋でポンコツで、どうしようもない間抜けだが、彼の為にせっせと畑の林檎と人参の世話をする甲斐性に関しては、評価してやってもいい。
農業は専門外にも拘らず、彼の排泄物で作った堆肥を漉き込んだり、彼が口にしても問題無い農薬を作成したりと、連れは立派に百姓をやっていた。
最も、連れが作った林檎も人参も、殆どが彼の腹の中に消えていくので、農家とは呼べないのだが。
元々彼には、連れが世話をしている畑の収穫物を、他の人間に売らせるつもりも無いのだし。
何というか、他の人間が作った林檎と人参では、どうにもコレジャナイ感が強いのである。
無礼な人間が、偶に畑の林檎と人参を盗もうとするので、彼はその度に、盗人の髪を毟ったり頭を齧ったりして、二度とそんな気を起こさせないように努めていた。
連れが育てた林檎と人参は、全部彼のものだというのに、それが分からない阿呆は案外多い。
この前も、連れの妹の下僕が、勝手に林檎を持っていきやがろうとしたので、念入りに身体に教え込んでやったのだ。
連れが鍛えてやっているせいか、下僕への噛み付き攻撃が空振り、ちょっと熱くなってしまったのは内緒だ。
もう少しで、下僕に飛び蹴りを食らわせられそうだったのに、連れに止められたのは惜しかったし、怒られたのも釈然としない。
物が壊れたのは、下僕が避けたせいである。
と言うか、彼が蹴ったり踏んだりしたぐらいで壊れるものを、彼が行動する範囲に置く方が悪いのだ。
と、視界の端で白銀の被毛が蒼銀の光を弾き、彼は酷くイラついた。
しばらく前に、連れが拾って来たその獣の雌は、当然の様に連れの傍にいるので、非常に気に入らない。
付き合いの長さでは彼の方が勝るのに、でかいだけの獣の、肉球ともふもふに惑わされる、連れも連れである。
顔面に切り傷と火傷の跡が目立つ獣は、咥えていた桶を地面に置くと、桶に突っ込んでいた柄杓で、畑の人参に水をやり始めた。
神の犬の末であるという獣の性分なのか、傷跡の獣は、実にまめまめしく連れを手伝っている。
この前は、連れに荷物持ち扱いされても嫌がらず、彼が蹴り殺した熊を運んでいた。
彼が運ぶ荷物は、連れだけで十分なので、それだけはまあ、便利と言えなくもないのだが。
高く、鐘の音が響いた。
その音に、連れは顔を険しくし、彼はまたかと半眼になる。
乱打される鐘の音には、ある一定の法則があり、聞く者に、伝えるべき事柄を届けるのだ。
即ち、――『元帥』『襲来』『危険』。
通称『元帥警報』は、わりかし発令の頻度も多い。
何故か元帥なんてものになっている連れの師は、度し難い戦闘狂だけに、強そうな人間を見るとヒャッハーとテンションが上がって、暴走するのだ。
身内の筈の軍部の人間だろうと、賓客の護衛だろうと、見境が無いせいで周りの苦労もひとしおのようだ。
今現在、元帥が頭の上がらない人間は何人かいるが、物理的に無傷で元帥を止められるのは、連れだけだ。
――『迫る』『元帥』『シルキーちゃん』。
「――なにっ?!」
続いた連絡に、連れが声を上げるが、彼は白けた気持ちになった。
そんなので警報を出すな。
――ところで、連れが拾って来たのは、傷跡の獣だけではない。
そいつに加え、九頭もの奇形ワンコを連れてきたのである。
昔から、無意味に他の動物に畏れられる連れは、彼がブラッシングさせてやっていたにも拘らず、それだけで満足していなかったのだ。
……肉球ともふもふに、どんだけ憧れていたのだ、この脳筋は。
足るを知る、ということが無いのが、連れを含めた人間と言う生き物なのだろう。
連れの妹が、彼の鬣と尾の丸刈りをもくろんだので(地面に落ちていた排泄物を蹴り飛ばして阻止してやったが)、彼の被毛の手触りが獣共に劣っている訳では、断じてない。
ただ、連れが気にしている娘に、シルキーと名付けられた獣の毛は、癖になる人間が多いらしく、元帥もその一人であった。
しかしながら、元帥の撫でスキルが壊滅的で、このままではシルキーが丸禿になってしまう……、と、連れが妹のところにシルキーとやらを預けた筈なのだが。
「――くっ、師匠め、私がシャルロッティ達を呼んだのを、待ち構えていたのかっ!」
苦々し気な連れの顔を見るに、今の状況は、ある意味必然であったらしい。
元帥が、そこまでシルキー何某に執着していると分かっているのなら、獣を預けた妹に、王城に連れてくるなと言っておけば良かっただろうに。
まあ、連れが抜けているのは、いつもの事なのだけれど。
「アストゥラビ、力を貸してくれっ!
シルキーが大変なのだっ!!」
必死な表情で言い募る連れから、彼はふいっと、顔を背けた。
どうして気に食わない獣の為に、彼がわざわざ脚を貸さなければならないのだ。
ただし、連れがどうしてもと頭を下げるのなら、やぶ――
「――スカー、良いのかっ?!
頼むのだぞっ!!」
―――――――――――――――――…………………………うん?
見れば、対元帥用の弓(熊猟にも使うやつだ)を持ち、矢筒を背負った連れが、傷跡の獣に跨ったところであった。
連れを乗せる為だろう、屈んでいた獣は、優雅に身を起こし、彼に一瞥をくれると。
――嗤った。
蒼銀の輝きを帯びた、白銀の被毛を有する獣の紫眼は、あらん限りの侮蔑と嘲笑を、雄弁に語る。
そう、
役 立 た ず 、と――。
そうして、音も無く走り去る獣の背を、彼は無言で見送った。
――まだ、『元帥警報』は鳴り止まない。