それで良いのか、シルキーちゃん
鋭い風切り音を置き去りに、次兄の放った矢は、馬車と追いかけてくる戦闘狂の間に突き刺さった。
それも、戦闘狂を妨害しそうにない、道の端の方に。
戦闘技能だけは信頼できた次兄の、あり得ない失態に、飼い主の頭に爪を立てたままのふわもこワンコが、ええっ?! という表情になった。
シャルロッティも、口を開いても問題無ければ、ええ~っ?! と、叫ぶところである。
次兄よ、貴方は見当違いのところに矢を打ち込んで、一体何がしたかったのだ。
……まあ、真面目に戦闘狂を狙ったところで、あちらは、背に負った得物を片手に、嬉々として矢を迎撃するのだろうが。
一応、石畳を貫通し、地面に深々と突き刺さった矢は、次兄の想定に沿う状態らしい。
傍目には、盛大に手元が狂ったようにしか見えないが、次兄の精悍な横顔には、焦りも落胆も見られない。
ふと、次兄の薄い琥珀色の瞳が、後方の戦闘狂から外されて。
その白い影は、音もなく、どこか滑る様に地を駆けた。
それは、酔狂にも戦闘狂の前を横切ったと思ったら、まさかの置き土産付きであった。
――白い影が引き摺っていたのは、遠目にも分かる程に、ぶっとい縄。
重量のある建材を支えることもできそうなその縄は、シャルロッティの細腕では運ぶのも一苦労であろう。
そして、本当にどんな手妻を用いたものか、シャルロッティが気づいた時には、縄の片端が、次兄が射た矢に固く結び付けられていたのである。
そして、その縄の反対側はどこにあるかと言えば、戦闘狂を挟んで、白い影が咥えていて。
順当と言えば順当に、――しかし、戦闘狂を知るものなら驚倒すること間違い無しに――足に絡んだ縄のおかげで、還暦越えの御老人は、石畳を敷き詰めた地面と強烈な接吻を交わす羽目になる。
が、とてもすごい音がしたのだが、歯が折れるには、まだ勢いが足りなかった模様である。
「――何しやがる、こんの、犬っころがっっっ!!!」
戦闘狂の元気一杯な怒声が、大通りに響き渡った。
二本の尾が特徴的な、次兄の飼い犬であるオサキの妨害を受け、やや切れ気味の戦闘狂に、シャルロッティは舌打ちを禁じ得なかった。
――元帥もそれなりにイイお年なのだから、前歯の一本や二本位失くして、ふがふが話していても、誰も大して気にしないと思う。
だが、周囲を困らせるくらい元気過ぎるのが、戦闘狂と呼ばれる生き物だ。
還暦越えの御老人は、脚に縄を絡ませたまま、勢いよく立ち上がる。
次兄以外の目には奇怪な姿に映る、二つの尾を有した神の犬の末裔は、自らが咥えていた縄に拘泥しなかった。
……確かに、何やら馬鹿力を発揮した戦闘狂に、縄を引き千切られてはその行為に意味など無い訳で。
――それに、主の師(仮)に、一瞬でも隙を作ることが出来ただけで、獣の目的は達成されていたのだ。
気が付けば、走り出そうとした戦闘狂の背後に、また、白い影が現れた。
今度の影は、二つかつ、荷物付き。
二つの影の片方から、これまた白い、小さな影が、勢いよく飛び出す。
元帥の頭上を飛び越えた、白い影と共に、背後の影が運んでいた荷物――今は灰色の幕か――が戦闘狂を包み込む。
音を伴わない一連の有様は、奇妙に現実味を欠いていた。
――人は、周囲を把握するのに、視覚だけではなく、聴覚にもそれなりに頼っているのだと、シャルロッティは実感する。
と、戦闘狂を覆った幕――ではなく、暴漢を捕縛する為の投網だろうか? ――の端に、幾つもの矢が突き刺さった。
中のものを容易に逃さないよう、地面に深々と突き立ったそれらは、次兄が文字通りの矢継ぎ早で射たものだ。
四頭の白い獣達――次兄が拾って来た、神の犬の血を引く奇形ワンコ達も、獲物を狩る猟犬よろしく、投網に囚われた元帥に飛び掛かる。
「――しゃらくせぇっっ!!!」
「……技術長自慢の新作でも、師匠相手では強度不足だったか」
眉を寄せた次兄が、ぼそりと呟く。
――いや、普通の刃物では切れないと太鼓判を押されていた金属繊維を、背負っていたはずの大剣で両断するとか、仮にも神獣の末達を跳ね飛ばすとか、人間としてどうなのだろうか?
「――し~~るき~~ちゃ~~~~~んっ!!!」
己の飼い犬達の妨害にも屈せず、懲りずに追いかけてきた戦闘狂に、次兄は覚悟を決めた様に瞑目した。
「――シルキー、お前にしかできないことを頼みたいのだ」
その瞬間、それまで次兄の頭上でぴるぴる震えているだけだったふわもこワンコの耳が、ぴーんっ!! という擬音語付きで立ち上がる。
……じ、じぶん、あるじに――
――頼られてる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ?!!!!!!!!
シュバッと、ふわもこワンコは、そのメルヘンな見た目から想像もつかない素早さで、次兄の前にお座りした。
そして、その紫色のつぶらな瞳は、これ以上ない程きらきらと輝いている。
ついでに、周囲に花の幻視をまき散らさんばかりの愛犬とは対照的に、次兄は沈痛な表情をしていた。
「すまん、シルキー。
……このままうちの師匠に、シャルロッティの婿の未来を、台無しにさせるわけにはいかんのだっ!!!」
ぱぁぁぁぁぁぁぁぁっっと、光り輝く笑顔(恐らく)のシルキーの肩を両手で掴み、次兄は鬼気迫る顔で言い切った。
……が、次兄の台詞の意味が、シャルロッティには心底理解できない。
一体、何がどうなって、戦闘狂が、まだ見ぬシャルロッティの婿の未来とやらを台無しにするのだ。
「――このまま、オサキ達と協力して、師匠を足止めしてくれ、シルキーっ!」
――わかりましたっっっ!!!
……本当に意味わかってるっ?! 、と、シャルロッティが問い質したくなる程、やる気満々でシルキーが吠える。
――あるじ、任せてくださいね~~~~~~~~~~っ!!!
「――あっ?!
まって~~~っ、し~~るき~~~~ちゃ~~~~んっ!!!」
止める間も無く馬車から飛び降り、目的地とは別方向へ走り去っていくふわもこワンコを、猫なで声を出しながら戦闘狂が追いかけていく。
更に、散開した四頭の奇形ワンコ達が、それぞれ異なる道に向かって走り出す。
――恐らくは、先回りして戦闘狂を妨害するつもりなのだろう。
……うん、知ってた。
シルキーちゃんって、頭の中もふわもこだったものね……。
半ば呆然と彼等を見送るシャルロッティの横で、次兄が目頭を押さえた。
「――シルキー、交渉が終わるまで、もってくれ。
……必ず、必ず、回収するのだ……」
血を吐かんばかりの次兄の言葉に、シャルロッティはぼんやりと悟る。
――そう言えば、次兄は指揮官だったな、と。
指揮下の兵の命を如何に高く売り払い、如何に最低限の損失で目的を達成するかが、指揮官の役目である。
だから、目的のために、指揮下の兵を切り捨てることを決断するのも、指揮官の仕事な訳で。
……まあ、それとこれとは別問題なのだが。
――次兄が、思っていたより人として最低だった件について。
ほどなくして耳に届いた、世にも哀れなワンコの悲鳴を聞きながら、シャルロッティは、光を失くした目で晴れ渡る空を見上げた。
なぜだろう。
シャルロッティの心境とは裏腹な、清々しい青さの空に、笑顔のシルキーちゃんの姿が見える気がするのは。
……次兄よ、大好きなお義姉様の、貴重な癒し要員たるふわもこワンコに、一体何をさせているのだ。
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