迫る足音
*初めどデカワンコ視点。
彼女の主が大切にしている景色は、記憶の中の故郷のそれよりも、活気に満ちていると思う。
修復を重ねながら使われている石畳の道も、その上を歩く人々も、彼女の故郷では軽んじられていた、人の営みそのものだ。
異質である彼女が紛れ込んだせいで、普段とは違う景色になってしまったことは残念だが、主が守ろうと定めているものを身近に目に出来たことは、単純に誇らしかった。
温かな気持ちを抱きながら、大事な主と主の妹君の乗る馬車を曳いていた彼女は、微かながらに近付いてくる音に、ぴんと両耳を立てた。
彼女達がいるのは道なのだから、何かが近付いてくるのは当たり前と言えるが、聞こえた音に、ひどく、嫌な予感がしたのだ。
突然足を止めた彼女に、御者席の下僕君や馬車の中の主達の気配が、怪訝そうなものに変わる。
ついでに、何故かついてきた馬が、むやみやたらと不機嫌そうになったのを尻目に、彼女は求める情報を精査すべく、耳と鼻を動かした。
それは、力強く石畳を蹴る、蹄の音。
此方に駆けてくるのは、一頭の馬か。
彼女の進行方向から吹いていた風の向きが、気紛れに変わった。
――無数の群衆の匂いに新たに混じるのは、知らない匂いと知っている匂い――。
彼女は、これから起こるだろう出来事を察し、ぶわりと、全身の被毛を逆立たせる。
そして、気合を入れて大地を踏みしめると、腹の底から高らかな咆哮を上げた。
***
唐突に止まった馬車に、首を傾げていたシャルロッティは、馬車の前方から上がった大音声に飛び上がった。
獣の遠吠えというには、迫力のあり過ぎるそれは、馬車を曳いていたどデカワンコのものだろう。
「何なんですかっ?!
――にゃぁっ?!」
馬車が止まったのも突然ならば、動き出したのも突然だ。
乗っていた馬車が、静止状態から一気に加速したものだから、不意打ちされたシャルロッティは、座っていた座席から投げ出されたしまった。
「――っと、大丈夫か、シャルロッティ?」
「あ、ありがとうございます、ラザロス兄上……」
シャルロッティは、自分を受け止めてくれた次兄に礼を言う。
そして、目に見えたのは、通常ならばあり得ない速度で過ぎ去っていく、窓の外の景色。
先程まで快適だった馬車の中は、異常な揺れに襲われ、何故かふわもこワンコが次兄の頭に爪をたてて、ぴるぴると震えていた。
「――ちょ、ま――と、止まって~~~~~~~っ!!!
し、死ぬっ!!
しんじゃうしんじゃうしんじゃう~~~~~~~~~~~~~っっっ!!!!!」
……それだけ叫ぶことができれば、そうそう死なないのではないだろうか。
自分の専属騎士の、半泣きでの絶叫に、シャルロッティは薄情にも程がある感想を抱く。
だって、シャルロッティの専属騎士は、主神の加護を受けた主神の寵児の中でも、とりわけ闘神に嘉された人間だ。
主に、運動神経が絡む死因については、次兄に並ぶしぶとさがあると、シャルロッティは確信している。
「――ラザロス兄上、一体何をしたのですかっ?!」
シャルロッティは、自分を抱える次兄に詰め寄った。
何か訳の分からない事態が発生したのならば、原因は大体次兄なのだ。
「――いや、心当たりは特に――」
「し~~るき~~ちゃ~~~~~んっ!!!」
妹に弁明しようとした次兄の声に、還暦越えの野太い声が重なった。
――どうして、いい年をした老人が、あんなに気持ちの悪い声が出せるのだろうか?
どデカワンコが曳きながら疾走するには無理があるのか、乗り心地が最悪になった馬車の中に、重い沈黙が広がる。
「……そう言えば、師匠を縛る時に、関節を外すのを忘れていたな……」
「ラザロス兄上、不審者の拘束は、しっかりやって下さいよっ!!」
遠い目であらぬ方向を見やる次兄に、シャルロッティは力いっぱい突っ込んだ。
どうせなら、一緒に麻痺毒でも使っていれば、ふわもこワンコ目当ての戦闘狂の復活が先延ばしできたものをっ!!
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