兄妹二人、馬車の中
人の集まる王都は、その分やはり活気があり、賑やかだ。
露店が建ち並ぶ、一際広いその道は、常ならば人の声が行き交い、傍らの人間と話をするのも一苦労だ。
そう、常ならば。
石畳に覆われた道の真ん中を、王家の紋章を掲げた馬車が行く。
実に静かに進むその馬車は、奇妙な事に護衛が見当たらず、裸馬が並走しているだけだった。
金色の光を帯びた白色の被毛に、惚れ惚れとするような体躯のその馬は、付いてきてやっているんだ、と言わんばかりに踏ん反り返っている。
道行く人々の視線を集める馬車の御者席で、大公家の侍従見習いは、泣きそうな顔で縮こまっていた。
一応御者なので、手綱も鞭縄も持っているが、……持っているだけだ。
彼に使う気はない。
と言うか、――使うなんて、無理だから。
侍従見習いなのに、御者の仕事を押し付けられた少年は、死んだ魚の目で進行方向を眺める。
うっかりすると、馬車を曳く獣の輪郭が滲んでくるのは、きっと、その被毛の蒼銀の輝きが目に眩し過ぎるからだ。
決して、どこぞの聖人の奇跡の様に、人垣が割れていくからでも、進む先で耳に痛い程の沈黙が広がっているからでもない。
何でこうなった、という自問には、自信を持って、団長のせいだと答えられる。
少年の雇い主である次期大公の、実の兄の、むやみやたらに動物に怯えられる難儀な体質を、彼は完全に舐めていた。
凶暴な団長の愛馬や、個性豊かな飼い犬達は、例外中の例外だったのだ。
・団長に怯えて、馬が馬車を曳かない。
↓
・団長の愛馬が、馬車馬扱いを断固拒否。
↓
・ついでに、団長と雇い主の二人乗りも拒否。
↓
・どデカワンコが、やる気満々で馬具を咥えて団長にアピール。
――という過程を経て、今に至る。
どデカワンコは働き者で、とっても頭が良く、地図を見ただけで目的地までの道順を理解したらしいので、御者未経験の少年にも、非常に優しい仕様であった。
……でも違う。
ナニカがおかしい。
賊が襲ってきたら、どデカワンコが装着している馬具を速やかに外せ、と命じられているものの、少年には無意味に思えて仕方がない。
そもそも、傷跡がおっかない強面どデカワンコ付の馬車を襲う、気合の入った賊がどこにいるのだ。
お前の方が慣れているだろう、との理由で、渋いおっちゃんから御者役を押し付けられた少年は、現実逃避にどデカワンコがくれた干し肉を齧る事にする。
団長が素材から拘って作ったワンコ用の干し肉は、人間が食べても普通に美味しかった。
◆◆◆
最先端の技術を結集して作られた王家の馬車は、揺れも少なく、庶民用のそれに比べると乗り心地は雲泥の差だ。
付け加えると、そのおかげで、乗りながら書類を読んでも、気持ち悪くなりにくい。
まあ、そうかと言って、乗り心地の良さが、気持ちの良い道中を保証してくれる訳ではないのだが。
「――それで、私が雇わない場合、その方は、見世物小屋に売られかねないと」
不機嫌全開のシャルロッティは、むっつりとしながら、読み終えた書類の情報を次兄に確認した。
お義姉様のドレス選びの機会を奪われた恨みは、態度が悪くなるぐらいでは晴らせない。
こうなったら、次兄を止めずに笑顔で送り出しやがった長兄共々、薔薇好きの貴腐人に薄い本のネタでも売りつけてやろうかと、次期大公は不穏な決意を固める。
可愛い妹に優しくない、ダメダメな兄達は、せいぜい、お嫁さんを絶賛募集中の部下達にドン引きされれば良いのである。
むくれるシャルロッティを気にも留めず、次兄はどこか暢気に頷いた。
「うむ、比較的ましな可能性がそれだろうな。
瞳の色に貴賤はないのだが、――我らが祖と同じ金色の眼は、良くも悪くも珍し過ぎる。
……彼女が傷を負った件も、半神の瞳と同じ色を、求められたせいだろう」
次兄の、薄い琥珀色の瞳に微かに過ったのは、憐憫だ。
確かに、自分でも変えようのない身体の色のせいで、消えない傷を負った少女は、気の毒としか言えないが。
「――それだけが、私の部下候補に、娼婦見習いを押す理由ですか?」
勝手についてきたふわもこワンコと、幸せそうに戯れている次兄を、シャルロッティは睨み付ける。
この国は、ある程度実力主義がまかり通っているが、それでも、風評と言うのは無視できない。
生まれ育ちをねじ伏せる程の実績を示していなければ、尚更だ。
――それなのにこの脳筋は、妹の気も知らずに飼い犬をもふりやがって……。
割と根に持つシャルロッティは、何でもいいから次兄に八つ当たりしたい気分になっていた。
「死にかけたし、後が無いからな」
「は?」
端的すぎる次兄の説明に、シャルロッティはぽかんとする。
あまり弁の立つ方ではない次兄は、私的な時はとにかく言葉が足りない。
「ラザロス兄上、分かる様に説明して下さいよ」
眉を寄せるシャルロッティに、次兄は困った顔になる。
シャルロッティは、団長だから、で、全て終わらせる次兄の部下達とは違うのだ。
顎に手をやり考え込む次兄の膝の上で、何やら昇天したらしいふわもこワンコが、でろんと伸びきっていた。
神の犬の血を引くわりには、ふわもこワンコの格好良い姿を、シャルロッティは見た覚えがない。
「一度死にかけたら、悪口ぐらいで死なないと分かるから、そうそうへこたれないだろう。
それに、大公家に護られなければ後が無いと思っていれば、やる気も出るだろうしな。
何をするにしろ、やる気は大事なのだ」
「……それ、完全にラザロス兄上の主観に基づいた判断ですよね……」
真顔で言い切った次兄を、シャルロッティはしょっぱい気分で見上げた。
父王達による教育係の選定ミスのせいで、一度ならず死にかけた次兄の感覚は、貴族や庶民の『普通』とは、大分かけ離れている。
そんな風に開き直れる次兄程、他の人間は神経が太くないのだ。
――死に瀕した経験は、例え身体に傷を負うものではなくとも、人の心に爪痕を残すと言うのに。
額を押さえたシャルロッティは、溜息を吐きつつ首を振る。
――仕方があるまい、次兄だもの。
シャルロッティは、無作法を承知で、ぐったりと背もたれにもたれ掛かった。
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