二人の溝
二人とも風呂から上がりさっぱりしたところで、ほかほかのメルディへ話しかける。
「メルディ、真剣な話がある」
「どうしました? お腹空きましたか?」
「ちゃかさないで欲しい。ほら、こっちに座って」
「はいはい、自分勝手なマスターですね」
「ちゃかさないでってば。自分でも分かっているんだろ」
「……」
彼女は努めて平静を装っていたが、一瞬だけ眉毛の端を落とした。俺のすぐ正面に座らせ、深呼吸する。
「メルディ。俺は君を愛してる。その返事を貰っていない」
「返事をする必要があるんですか? 私にはあなたと生きていくしか選択肢がないのに」
「ある」
俺は彼女の、膝上で軽く握られた手を取る。びくりと震えたときには拒絶されたかと思ったが、それは懸念で済み握られてくれた。
「あるよ。今はこうして、君に触れられるんだ。もう俺のOAISで、脳内の電子データに存在するだけの『メルディ』じゃないんだ。君はひとりの女性なんだよ」
「だったらどうしたんですか。理由になってませんよ」
「メルディ。君はいつも俺に言っていたじゃないか。『現実を見てください』と。地球にいた時、メルディは自分自身を現実のものじゃないと言っていたんだ」
彼女は幻想に住む自分を理解してしまっていた。それゆえ常に事務的な態度で接し、俺の想いを冷まそうとしていたんだろう。
しかし彼女は、彼女の言う『現実』のものとなった。あとは彼女自身がそれを認めるだけだ。
「だから一人の女性として、俺と同じ現実に居るメルディとしての気持ちを聞かせてほしい」
「……」
「不安なんだよ、俺。メルディに嫌われてはいないと思ってる。でも、どれくらいの感情を持ってくれているのか全然分からないんだ」
OAISは脳波を認識して操作・動作を取ることが出来る。そのため彼女に対する好意は、4年間脳波という形で伝わり続けていた。
ただ、彼女がそれについて言及する時の返答は、必ず『現実を見てください、マスター』だったのだ。
俺のことをどう思っているのか。仲の良い友人程度なのか。踏み込んだことも話せる親友くらいなのか。それとも、男女として付き合ってもいいと感じてくれているのか。
「幻想と現実」という彼女自身を仕舞い込んでしまう戸棚が開いた今、本音を聞きたい。
「……」
彼女は俯き黙ったまま動かない。行き場のない沈黙がしばらく続く。
大して好きじゃないのではと、不安に耐え切れなくなったのは俺のほうだった。
「あー、えっと。本当に思っていることをそのままで良いんだ。言いづらいかもだけど、友達くらいにしか思ってないっていうならそれでも……」
「そんな訳、ないじゃないですか!!」
弱気になり、つい予防線を張ろうとしてしまった時に怒号が飛んできた。俺から一方的に握っていた手が強く握り返される。
「ずっと、ずっとです! 私は我慢していたんです! あなたとでは住む世界が違うからと、私は偽者の存在なのだからと!!
私は嬉しかった! 容姿どころか思考も感情も仮初の私を、一途に求めて努力したあなたを目の前で見せ付けたでしょう! 毎日私が身体に気をつけてってあれだけ言ったのに、頷くだけでいつ寝てるかも分からないほどゲームをして!
挙句の果てに私が欲しかったから優勝した!? おかしいじゃないですか! 私はどうすれば良かったんですか!」
「メ、メルディ落ち着いて」
「あなたが言えと言ったのだから黙って聞いてください!!」
「はい」
「あなたの元へ来たことを心底後悔していました! 私が抱く感情が恋だと、愛だと、あなたと過ごし始めてから気付いたんです!
告白できる筈ないでしょう! 私と結ばれたが最後、あなたは生身の女性を知ることすらなく、一生家庭も持たないことくらい分かりきっています! だからっ! だから、私は……」
「メルディ…」
「――言い訳です。全て、都合のいい押し付けです。全部マスターの責任だから、私は間違っていないんだと信じたかった。 あなたの想いは届いていました。理解していました。
ですが、私は拒絶することを選んだのです。4年もの間、あなたからの好意を一片も残さず投げ捨てていたのです。 今頃になって、私の想いを受け入れて欲しいなど、不義理ではありませんか……」
豪雨のように吐露し切った後、再び俯いてしまう。
なんということだろうか。俺の言葉なんて薄っぺらく感じるほど、彼女の愛情は深かった。殆ど見た目に惚れた様なものだった俺と違って、きちんと内面まで知ってくれている。
煮えたぎるような葛藤があっただろうに、自分と戦って殺してでも俺に幸せになって欲しいと考えてくれた。
今度は、俺が彼女に歩み寄る番だ。
「メルディ」
「……なんですか」
「君にひっかかっているのは、理由をつけて俺に答えなかった自分が許せないことだけ?」
「それは、どういう?」
「自分を許せれば、もう他に俺とを隔てるものがないかってこと」
「…はい」
彼女はそう言ったきり、目を伏せてしまう。優しい心を持つがゆえに、今も自分を責めているのだろう。相手が気にしていないのに自分を追い詰めてしまう、典型的な例だ。それを解消するためには…よし。
少し追い討ちをかけるようで、あまり気乗りしないがやるしかないだろう。俺のけじめもつけなければならない。
ゆっくりと腰をあげ、座り込む彼女を見下ろす。突然立ち上がったことに驚いたのか、大きな瞳をさらに丸くしている。
その瞳の奥をしっかりと見据え、腹に力を込める。
「メルディ!!」
「っ!? はい!」
「俺は君と会ってから今までずっと怖かったんだ! 何を言っても反応が薄いし、表情だって変わらないし! 冷たくあしらわれた俺がどれだけ辛かったか分かるかっ!」
「……」
「いっそのこと俺を無視すれば良かったんだ! 嫌いだと言えば良かった! 本当に俺のことを考えているなら、すっぱりと関係を絶つべきだった! それなのに中途半端に期待させて、どうして互いに一番苦しい道を俺に選ばせた!」
「…ごめん、なさい」
「謝って欲しいんじゃない! どうしてか聞いているんだ!」
「私は、諦め、切れなかったんです…」
涙を流し始めてしまう彼女の姿に心が痛む。とはいえここでやめるわけにはいかない。
「どれだけ、不可能だと、理解していても、あなたと、結ばれたかったんです…」
「だから、俺を遠ざけなかったのか! 夢を見て、現実を見ないで!」
「…はい、ごめ、な、さ…」
俺はとうとう嗚咽を漏らして言葉も紡げなくなった彼女傍に屈む。涙の滴り続ける頬に手を当て、親指で涙を拭って前を向かせる。
「良いんだ」
「……ぅ、え…?」
「ごめん、いいんだ。メルディ。俺のことを思ってくれてたことは十分伝わったから」
「ぐす、はい…」
「それで、だけど。今言ったこと全部、俺自身にも当てはまっているんだ」
俺は腰を曲げ、額を地面へつける。
「……」
「だからメルディ。ごめん。俺は自分のことしか考えていなかった。俺は君を『愛してしか』いなかったんだ」
彼女だっていつ本当に嫌われてしまうかと怯えていただろう。やりたくもないのに、無理をして冷たい口調にするのは辛かっただろう。
俺が靡いてくれないなら要らないと、お互いのため非情になって突き放すべきだった。それをせず、メルディに中途半端な行動をするように仕向けた。
全ては俺が諦め切れなかったからだ。彼女と寄り添う夢を見て、現実から逃避して。
恋人として見ていながら、彼女の人生を見ていなかったんだ。
「もし君が俺を許してくれるのなら、もう一度チャンスが欲しい。『愛し合える』ように努力するチャンスを」
「……しょうが、ないですね。私の言うこと、全然、聞いてくれないんですから。でも、今回だけは、許してあげます」
彼女に必要だったものは2つ。1つは自身を許すために「本人からの叱咤と許し」。もう1つは「自分一人の責任ではない」と気付くことだ。
長い間一人で自分と戦っていた彼女は、一緒に背負ってくれる人がおらず抱え込むしかなかった。本来なら、俺が共に背負う人にならなければいけなかったことだ。その清算を終わらせることが出来た。
「ありがとう。頑張るから」
「はい。私は重い女ですよ」
「バカ言え。そしたら全部の女が重すぎて星が潰れるよ」
「ふふ、下手くそすぎてつまらないです」
「酷い」
「…あなた。私と」
「ああ、メルディ。俺と」
一緒に生きて。
声が重なる。
ようやく二人の距離が無くなり、歩みだせるようになった気がした。