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葛城智子のひとりごと 日

 幸せな朝だった。

 昨日はそのままジョセフの担当の家に泊まったのだ。


 だが、余韻に浸ることなく、手早く朝ご飯を作る。

 十年先、二十年先の健康を保障しようと、和食にする。

 担当によれば、近頃はどこの職場にも味噌汁メーカーが置かれているという。

 積極的に発酵食品を採ろうということらしい。


 いつもなら食パンにピーナッツバターをてんこ盛りに乗せて食べるが、この人になら任せて大丈夫、と思ってもらえるように、一肌脱いだ。


「親に連絡しなくて大丈夫? 実家暮らしなんでしょ? 心配してるんじゃない?」


 自分に迷惑が被るのを嫌がっているのが見え隠れする台詞に、ほうれん草を絞りながら力強く否定する。


「うち、今弟の方が大変だから、私が一人や二人帰ってこないところで平気。着信も全然来てないし。普通、心配だったらメールぐらいするでしょ」


 だから、まだまだ一緒に過ごせるよ、とアピールを含ませる。


「ああ、魚焦がしちゃったかも」


 母の見様見真似で魚を焼いてみたが、普段まったくしないせいで、手際がボロボロだ。


 できれば、まだ寝ていてほしかった。なんだかテーブルについて待たれると、監視されている気分だ。


 こっそり失敗させてよ。


「今日、何時に帰んの?」


 随分薄情な質問だ。


「特に決めてないけど」


「大学は?」


「四年だからほとんどないのよ」


「じゃあ、就活してんだ?」


「まあ、ぼちぼちね」


 嘘だ。本当は二か月も放置している。次々とくる不採用通知に、人格自体を否定されている気がして、心がポキッと折れて以来、ご無沙汰だ。


「うちの会社、受けてみれば?」


「ええ、無理だよぉ」


 つい、媚びた口調になる。


「編集部は激務だけど、智子ちゃん可愛いから受付に置いてくれるよ」


 そうかなぁ、といいながら、満更でもない気分だ。


「でも、本は大好き。色んな世界に連れてってくれるし、色んな人の中に入れて、他人の五感を体感できるのって、本だけでしょ? 作者の頭の中にお邪魔してるみたいでなんだかくすぐったいけど、禁足地に踏み入れるあの快感は他では味わえないって思うの。それに、本の匂いって、私いっちばん好きかもしんない」


 担当は、鬱陶しがるでもなく、特に興味の色を示すでもなく、単に私の勢いに圧倒されていた。


「禁足地かあ。智子ちゃん、なかなか面白い表現をするんだね」


「私、本に対して敬意を払っていたつもりだったけど、失礼なことしちゃった」


 年上で、しかも聞き上手な担当のおかげで、ここを私は贖罪の場に選んだ。


「神様って信じてる?」


「その話、長くなるのかな?」


 聞き上手も腹の虫には勝てないらしい。私の手が止まっていることを気にしていた。


「手短に話すわ」


「分かった、なら質問に答えよう。俺は神様にしろ、宇宙人にしろ、幽霊にしろ目に見えないものは信じてない。もし神様がいるのなら、善人が病気で苦しみながら死ぬことはないし、この世の惨劇はすべて説明がつくものになってるはずだから」


「私はね、いると思うんだ」


「俺の意見無視かい」


 ぼそっと担当が呟いたが、軌道に乗らせてもらった。


「どんな時も、神様が見守ってくださってるんだって。その時も、神様がそう言ってるんだって、勝手に決めつけてた。ここで話かけなさいって言ってるんだって。私、何かあるたびに神様を都合よく持ち出すところがあるみたいで」


 担当は、話の着地点を探っているような顔でこちらを伺っている。


「万引きでもしたの?」


「ううん、ナンパしたの、生まれて初めて」


 担当は眉を顰める。


「ずっと、誰かに言いたかった」


 両手を上げて伸びをした。ナンパをした相手がジョセフだってことは伏せておく。


「ナンパしたことが、引っかかってたの?」


「本屋さんでナンパしたことがね。本を愛する人たちにとって、本屋さんは聖地だから」


「じゃあその本を作ってる俺たちは神様?」


 担当はおどけた。そこに感じの悪さはない。


「話を聞いてくれてありがとう、神様」


 なんとかできた三品を盛り付けて、向き合っていただきますをする。

 好きな人と向き合って食べるのが、こんなに幸せだなんて。

 好きな人が自分の作った料理を食べてくれるのが、こんなに幸せなことだなんて。


 食べてくれてありがとう。

 自然とそう言っていた。


 手放すことなんて考えられない。

 おいしい、と言って完食してくれたことにも、ありがとうと伝えた。


 歯磨きもせずに、カバンを持ったまま出かけるので、逃げるようにしてどこに行くの? って聞いたら、会社、とそっけない答えが返ってきた。


 時間ギリギリまで付き合ってくれて、ありがとう。

 伝えるまもなく出かけていったけど、施錠した後の鍵の始末を言わなかったってことは、夕食を作って待ってろってことかな。


 洗濯物を干したり、煮物をことこと煮たり、幸せの匂いに包まれながら、鼻歌が漏れる。


 テレビで流れるニュースは、夜のニュースだった。

 留守番しているはずの摂津に電話をかけて、状況を確認した。

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