大江のひとりごと 土
今週も金井が表紙か。
周囲は私に気を遣って金井の話はしないけど、この漫画雑誌で自分が二番手に降格したことは感じていた。
大丈夫、私は大丈夫。
話題を振られたら言うこともできるのに、皆がその話題を避けるので、私も気にしてないアピールすらできない。
あー息苦しい。
きっと皆、心の奥底では二番手に成り下がった元看板作者だと思って同情しているんだわ。
私の漫画が一番好きって言ってくれる人は巨万といるのよ。
二番手に下がったといっても、日本で一番売り上げが多い漫画雑誌の中で二番に君臨してるのよ?
そんな目で見ないでくれる?
同情する雰囲気を作る担当、編集、アンチども。
よく頭を冷やして考えなさいよ。
私ぐらいのキャリアになると、私にあれこれ修正を指示するような人間はいなくなる。
「ありがとうございます、今週分のもいいと思います」
ええい、ちょっと待ちなさい。
その見え隠れする妥協止めてくれない?
営業スマイルの担当を呼び戻し、原稿用紙を破り捨てた。
「何てことするんですか!」
「もう一日私に時間をちょうだい」
そう言って、あるところに電話をかけた。
かつて私を人気ナンバー1に押し上げた人物。
「またGをお願い」
「またぁ?」
冗談でしょ? 今はもう必要ないでしょ?
相手は電話口でケタケタ笑っている。どうやら本当に冗談だと思われているらしい。
「私は本気よ、またトップを取りたいの」
私がゴーストライターに頼ったのは、私が鳴かず飛ばずだった頃。
いつまでたっても連載は取れないし、読者アンケートからも、良くも悪くも印象を残せていなかった。
もはや、この雑誌に載っていても載っていなくてもどちらでもいいような漫画。
瀬戸際だった。
小指一本でなんとかしがみついていた。
その時、当時付き合っていた彼氏が、こういう漫画描いてよ! と、遊びの中で軽口をたたいてきた。
少年漫画の定番を考えていた私にとって、それはふざけすぎてる、と思うようなメチャクチャな内容だったが、一読者の意見を反映させようと、プロットを書いて提出すると、それが通ったのだ。
信じられなかった。あんなに何度も突き返されていたプロットが、会議で通った。
ハレルヤ!
ハレルーヤ!
彼氏に気前よく、書いてほしい展開があればその要素を入れてあげる、と言い、色んな案を引き出した。
彼氏がしゃべった内容そのままが漫画になっているのを見て、さすがに彼氏も自分の案が採用されたことに気が付いた。そして純粋に喜んだ。自らゴーストライターを名乗り出て、丸々一話作ったこともある。
彼氏のおかげで、私は大事なことに気が付くことができた。
自分が描きたい話と、読者のニーズに差が開いてはいけないことを知り、読者アンケートにも目を向けるようになった。趣味ならばいくら浮世離れしていてもいいだろう。だがこれは商売なのだ。
どうやったら売れる漫画が描けるのか、というのを考えるのも大事なんだ。独りよがりになってはならない。
だが、そんな人生を大きく変えてくれた彼氏とも、別れがやってきた。
私生活では、合わない部分が出てきたからだ。
自分を変えてくれた男、尊敬する男。
そして、これからもよき相談相手になってほしい男。
円満で別れ、その後もいい関係を続けてきた。
彼氏と別れてしばらくの間は、できるだけ読者や担当、編集の意見を受け入れた。
そして、皆で漫画を作っていた。
だが、いつからだろう。
自分の我が出てきた。
経験から自分の意見に絶対の自信を持つようになってきた。
担当、編集の意見に耳を貸さなくなり、誰も何も言わなくなった。
すると、ついに長らくトップを張っていた私は、少し前にデビューした金井に抜かされてしまったのだ。
内心動揺していたが、周囲には悟られないように気を張った。
ほれ、みてみろ。
そう思われているような気がしたからだ。
だから、なに?
痛くも痒くもありませんけど?
トップで居続けるより、自分が一番伝えたいこと、描きたいことを描けてる今が幸せですよ?
そう思わないととてもじゃないけど落ち着いていられなかった。
だが、一緒に悲しんだり、喜んだりしてくれる人がいないと、寂しいことには気が付いていた。
救世主はなかなか来てくれなかった。
さては、ケーキでも買って喜ばせようとしてくれてるな、なんて甘いことを考えていた。
一時間がたって、ようやくマンションのインターホンが鳴った。
「遅いじゃない」
インターホン越しで会話する前に、ドアを開けた。
「悪い悪い、ちょっと偵察に行ってたんだよ」
「まさか、金井んとこに行ってたの?」
「ああ、そしたらびっくりだよ」
元カレは周囲を気にしながら、中にはいった。
「金井先生、極秘入院してるんだって」
「ええっ」
願ってもないチャンスだ。
「本当なの?」
「ああ、病院の庭でちょっと変わった日光浴してるの見たんだ」
「日光浴? なんだか余裕ね」
雲行きが怪しい。
「ああ、話しかけてみたんだけど、あんまり話をしたくなさそうだったからら、今度ゴルフでも行く約束をして切り上げてきたよ」
「何やってんのよ」
日光浴してるってことは、もう描き終わったってことよね?
うかうかしてられないわ。
「G、お願い」
「分かってるよ、あとGって呼ぶの止めろよな」
カリカリするのは分かるけどよ。
ぶつぶつ言いながら色んな案を提案してくれた。
それは私が最初に描いた原稿より、はるかに面白かった。
「ありがとう! 助かったわ」
そう言って、原稿を持ったまま、病院に向かった。
日光浴をしている金井を、起こしてやる!
日光浴してる場合じゃないことに気づかせて焦らせてやる!
そして互角の勝負ができるってもんよ。
時期が外れたマフラーを持ったままオバサンが突進してくる。
「あぶなっ」
間一髪で避けることに成功した。
信号待ちをしていると、今度は前から白いワンピースを着たオジサンが向こう側に立っていた。
今日は変な人によく会う日なのかしら。
これも漫画の肥やしにできれば。
白いワンピ-スのオジサンとすれ違う時、いい匂いがした。
女の部屋からの帰りかしら。
他人の日常を想像するのは楽しい。
病院に着くと、金井が地面に埋まっていた。顔だけ日光浴しているのか。
今日は本当に変な人によく会う日だ。
俺は近づく足を止めた。一人の女の子と話していたからだ。
「おじちゃん、何してるの?」
「静かに絶望してるんだよ」
「どうして? おじちゃんは希望でいっぱいだよ?」
「どうして?」
「今生きてるんだもん」
金井は黙り込んだ。表情までは見えない。
「私、もうすぐ死ぬの。末期がんなんだって」
「おじさん、君の人生で一番面白い漫画を描くよ、必ず」
「漫画描けるの? おじさんすごいね! 約束だよ?」
「うん、約束」
私は逃げた。
どこかに行く宛もなく、逃げた。
そりゃ逃げるしかないでしょう?
あんなもん見せられちゃったら。
通りがかった川に原稿用紙を投げ捨てた。
気づかせてやるつもりだったのに、自分が気づかされちゃったよ。
人気だけを考えた漫画と、たった一人の子どもを笑顔にすることだけを考えた漫画。
「私、漫画家やめようと思う」
電話した先は母親だ。
漫画家デビューが決まった時に電話したのも、母親だった。
「うん、いいんだ。辞める理由ができたから辞めるの」
通りすがりの老婆がハンカチを差し出してくれた。
ああ、私泣いてるのか。
ごくろうさま、と労を労う電話口の母親と、ハンカチを渡して立ち去ろうとする老婆、どちらに礼を言っていいのか迷った挙句、どちらにも言うことが出来なかった。
今までなら、漫画で借りを返すぞって思えたのに。これからは何もない。
だけど。
だけど、リレーを繋げることはできる。
あんな素敵なおばあちゃんみたいに、困ってる人を助けることは出来る。
私は漫画家から、ようやく大江君江として生きられるんだ。
子猫の泣き声に振り向いた。
今まで見向きもしなかったのに。
足にキズがついていた。
今までなら気づきもしなかった。
老婆からもらったハンカチで傷口を縛る。
猫が走り去っていった道が、さっきとは違って見えた。




