葛城智子のひとりごと 金
掴み損ねたジョセフは、屋根の上からするすると落ちていき、派手な音を立てて落下した。
喜一に聞こえてしまったかもしれない、と、この期に及んでビクビクしていた。
本当は自分から大声を上げて助けを呼ばねばならないのに。
窓から部屋に戻り、一階に降りた。気が動転している中、きちんと靴を履き、スピードを上げて庭に回った。
ジョセフはピクリともしない。眩暈がした。
かすかに息はある。私は震える指で救急車をコールした。
念のため、自宅付近ではサイレンを消すように頼んだ。
救急車が来るまでの間、ひどく長く感じられた。
一人で待っているのが心細く、禁断の扉である喜一の部屋を叩こうかという衝動に何度も駆られた。
土いじりは情緒面でいい影響を及ぼすと、どこかで聞いたことがあった。
十分後にようやくたどり着いた救急隊員の一人が、私の泥だらけの手を見て、ハンカチを差し出した。
手を綺麗に拭きながら、事情を説明する。
キスの場面では思わず顔を赤らめた。
救急隊員は、顔色を変えることなく、素早くジョセフをタンカに移し、救急車に運ぶ。
私も話の途中だったが、押されるように救急車に乗せられた。
ジョセフは奇跡的に、前頭部の打撲だけで、あとは擦り傷程度ですんだ。
夜になると、ジョセフは目を覚ました。
「僕はどれくらい眠っていたの?」
「七時間くらいかしら」
ジョセフは自分の手を眺めた。土いじりをしていたのは私だけよ。そう思いながら、ジョセフの綺麗な指先を一緒に眺めた。
「よかった。まだ大丈夫だ」
「え?」
ジョセフは起き上がった。
「どうしたの? まだ横になってないとダメだよ」
「締め切り、明日までなんだ」
無理やり帰ろうとするので、私がジョセフの家に行って原稿を取りに行くことにした。
地図を見ながらもらった鍵を使って入る。彼女気分に浸るなって言われても、この瞬間だけは無理な話だ。
電気をつけると、物がちらばっていた。男の子の部屋だ。思い切り匂いを吸ってみる。
少し汗臭かった。でも、好きな人の匂いは臭くたっていい匂いなんだと思った。
言われたものを集めてカバンの中に入れ、急いで病院に持って帰る。
ふわふわした気分の中、鍵を閉めたっけな、とアパートの階段のところで慌てて引き返すところで、現実に引き戻される。
タクシーで病院に帰り、ジョセフにカバンごと引き渡す。
「ありがとう」
ジョセフが漫画に集中できるようにと、部屋から出る。
当分家に帰れないことを家族に告げる。
自分が先陣を切って卵探しをすると言っていたのに、立つ瀬がない。帰るまでに言い訳を探しておかなきゃ。
「ハンカチ、返してくれる?」
いつの間にか先ほどの救急隊員が隣に座っていた。
「あ!」
私はまだあのハンカチを返していなかったことに気が付いた。
「ごめんなさい」
そう言いながら、ハンカチをポケットから取り出した。
「また誰かに貸さなきゃだからね! 彼氏、なんともなくてよかったね」
オレンジがかった目をしていた救急隊員は、爽やかに微笑んで去っていった。
か、かっこいい!
つい見とれてしまった。
しかし、よく考えるとなんともないことないのだから、失言だ。
イケメンって得だなぁ。
ぽーっとしたまま、部屋に戻る。
なんだかジョセフの様子がおかしい。
私の浮気に気が付いたのか?
「どうしよう、キャンベル」
呼ばれたことで、そういえば私のニックネームはキャンベルだったと思い出した。
「どうしたの? ジョセフ」
「続きが、思い出せないんだ」
ジョセフは、漫画の続きの構想を、どうしても思い出せなくなってしまっていた。




