通行人Aに声をかけたクラスメートのひとりごと 木
いつもなら見てみぬふりだ。
A子のことを認識したところで、向こうが気づくまでは話しかけることはない。もしA子から話しかけて来れば、今気づいたとばかりに笑顔を向けるだろう。
朝から表面を撫でる会話を繰り返したくない。いまいち本音を言わず、誰に対しても同じ態度で接するA子の八方美人さは、私にとっては警戒すべき素質だった。
私は薄いコミュニケーションで友達を感じるタイプではない。
A子を追い抜かさず、一定の距離を保ちながら駅の中を歩く。
しかし、スマホを見ながら歩いているうちに、急接近してしまったようだ。
聞いたことのないようなA子の声が聞こえてきた。
思わず話しかけてしまった。
チラシを手に持ったまま、A子は顔をしかめている。
だが、それもつかの間、ここがフライパンの上だった事を思い出したポップコーンのように、二人の会話は一気に弾けた。
打ち解けた手ごたえを感じた私は、A子に授業を抜け出して秘密の花園に誘った。
高校の屋上までA子を連れて行くと、昼休みに隠しておいたハングライダーをお披露目した。
「カッコいい! 人間だったらきっとイケメンね」
A子の反応には満足した。
「これで、空を飛ぼう。操縦なら任せて」
授業に退屈すると、私はいつも屋上からハングライダーで空を飛んでいた。
飛んでいる間は、くそったれな授業も、くそったれな先生も、くそったれな因数分解も、消えてなくなればいいのに、と思っていたことが、ちっぽけに思える。
風が体を通り抜け、景色が心に染みていくのが、愛おしい。
この幸せをこいつになら教えてあげてもいいだろう。
最初こそ尻ごみをしていたものの、私の粋な演出に応えるかのように、ハングライダーに手をかけた。
飛び立つ前、飛び立つ瞬間、飛んでいる間。どれをとっても至福の時だ。何事にも代えられない。
「楽しい?」
A子の態度で、答えは出ていたが、私は聞いてみた。
「最高! もう死んだっていい」
授業を抜け出してハングライダーで飛び立つ若者なんて何人いるだろうか。
A子もこっち側の人間でよかった。
このハングライダーに乗せたのが、A子が初めてでよかった。
色んな景色を二人で見下ろしながら、やはり今日の授業の因数分解について御託を並べる。
ちっぽけな自分たちを共有する。
なんて悪い趣味に引きずり込んでいるのだろう。
それでも悪友だって、友達がいないよりはマシだ。
私の人生、彩られてる。
因数分解の話から、源氏物語の話に移る。
季節が移るように、じっくりと。
登場人物がクラスメートかのように、馴れ馴れしさを含んだ言い方をするのが面白い。
A子に倣って、私もその言い方で楽しんだ。
カップルが昼間から屋根の上でじゃれあっていた。
瓶の中に手を突っ込みあっている。
自分たちのことは棚にあげて、威嚇することにした。
明日にでも、昨日の自分たちは尖っていたことに気づくだろう。
だが、自分たちがなんにでもなれると思っている今は、それに気づくことはない。
急低下して迫ると、片方が屋根から落ちていた。
「落ちたのどっちだろう」
「たぶん、男」
「死んだかな?」
「かもね」
他人事のように言う。
A子の化けの皮がめくれている。
かさぶたが取れた時のように、ささやかな喜びにあふれている。
そんな心の隙間を誰かが狙ったのかもしれない。小腹が空いたので、ハングライダーから降りてケンタッキーを食べている間に、ハングライダーは盗まれてしまった。