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葛城節子のひとりごと 木

 いつものように、夫が起きる十分前に起床し、寝顔を眺める。

 寝ているときだけは、無垢な子供のような顔をしている。

 こうしている時間が、一日のうちで一番好きだ。

 できれば、この寝顔をラッピングして、また夕方パートから帰ってきた後にも目で味わいたい。


 起きた時のギョッとした顔もたまらない。

 なので起きた瞬間をラッピングするのもアリだ。


 それはそうと、昨日は敬心には珍しく、女の匂いがした。

 恐らくこの勘は、当たっているだろう。

 その証拠に、電気を消す際、目が合うと黒目が泳いでいた。


 まぁいいわ。どうせ相手にされるはずがないもの。


 予定通り六時に目覚まし時計が鳴り、敬心が私の顔を見て、いつもの表情を浮かべる。


 生まれたばかりの雛鳥が、初めて見た者を親だと自覚するように、目覚めてから一番に見る顔は、私であってほしい。

 この一心から、この習慣を始めた。


 喜一は本当にひきこもりを実行する気らしい。

 友達が迎えに来たと言っても、行かないと一点張りだった。


「ごめんね、ちょっと体調が悪いみたいで、学校はお休みするね」


「わかりました」


 目じりを下げてショボショボと学校へ行く足取りを見ていると、こんな子供に嘘をつかなければいけないなんて心が痛くなる。


 うちの頑固息子は困ったものだ。

 いつまでもスネていられるのは才能だ。

 自分でも引くに引けなくなっているのではないだろうか。


 こんなに面倒くさい事態になるくらいなら、食べなければよかった。

 昨日の家族会議で、あの卵を使った理由は、魔が差したから、というと、皆から軽蔑の表情を向けられた。あの卵を使わなきゃあんな思いもしなくても済んだのに、と思わざるを得ない。


 そもそも、何でいつも家庭を回していると言っても過言ではない主婦の私が家庭で肩身の狭い思いをしなければならないのだ。


 ちょっとおかしくはないだろうか。

 朝からそんな話をして鬱陶しがられるのが目に見えているので、口には出さない。


 まだ喜一を身ごもっている時には、行ってきますのチューでもしたのだが、今では乾いた挨拶だけだ。


 敬心の背中を見送る。いつも思うことだが、一度も振り返らないのが、寂しい。

 それこそ口には出せないけれど。


 入れ替わりで智子がビラ配りから帰ってきた。

 何を思ったのか、卵焼きを作り始めた。

 どういう思考回路してるんだ、この子は。


 ちらちらと喜一の部屋を気にしながら、この音や匂いさえも、届かないことを祈る。

 祈ってばかりだと、神様頼みなので、うちわで仰ぐ。


「お母さん、邪魔なんだけど」


 人の気も知らないで。


 出来上がった卵焼きは、一人で平らげていた。

 自分のだけかい。私の分は?


 卵焼きの匂いを嗅ぎながら、パンをかじる。

 そろそろパートに出なければならない。


「喜一にも何か出してあげてくれる?」


「私喜一のお母さんじゃないんだけど」


 きっぱり断られた。我慢、我慢。


 自分が食べたパンと同じものを喜一の部屋の前に置いておく。


「見つかりそう?」


「分かんない。そうだ、お母さんも会社で配ってきて」


 そう言ってビラを渡された。

 しまった。聞かなければよかった。


 会社に着くと、部署で一番のイケメンの佐野浩二が、朝から不気味な女にナンパをされたと話していた。

 大声で話すので、聞きたくなくても耳に入ってきてしまう。

 自慢かい、と思って聞いていたが、本気で災難だったようだ。


 他人事にはあまり関心がないので、流して聞いていたが、佐野が見せびらかしていたビラで、金縛りにあったように動けなくなってしまった。


 智子?


 嘘よ、智子がそんなことできるたまなわけない。

 落ち着け、私。

 どうせ智子から受け取った女がナンパをしたに違いない。


 しかし、このカバンに入っている大量のビラを見たらどうだろう。

 みんな、私の娘だと思い込むに違いない。


 鼓動が早くなる。


「私も電車通勤なんですけど、もらいました、ビラ。私も話しかけられたけど、ナンパじゃなくてそこに書いてある卵についてしつこく聞いてきて、なかなか振りほどけなくて困りましたね」


 ごめんなさいね。隣の席のチカちゃんに謝る。


「すごい剣幕で迫られたけど、肌がすごくきれいな子でしたね」


 そうよ、あの子、こっそり私の化粧品を使うの止めさせないとね。


「電話するやついるのかな」


 幸い、ビラに載っている電話番号は、家の電話だ。会社には携帯電話しか申告していないので、バレる可能性はない。


「でも、珍しい卵ですよね。食用卵じゃない感じ」


 食べちゃいました、私。


 人間だいたいのもんは食べれるようになってるさ。

 少し胸を張ってみる。


「ドラゴンの卵だったりして」


 気味の悪いこと言わないでよ。あーあ、得体の知れない卵を食べるんじゃなかった。

 今になって後悔。でも、味は格別に美味しかったけどね。


 ふと、この人たちにも食べさせてあげたい、と思った。

 こういう心が疼きだしたらなかなか治まらない。


 しかも、それに拍車をかけるような悪ノリが繰り広げられていく。


「見つけたらどうするんでしょうね」


「食べるんでしょ。食べ損ねたからしっかり食べるんでしょ」


「エ~コワ~イ」


 知らないうちに絶対こいつらに食べさせてやる。

 コワ~イ体験させてやる。


 帰るや否や、喜一の部屋に入り、どこであの卵を見つけたのか白状させた。



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