葛城摂津のひとりごと 水
俺、葛城摂津(25)は、ペンを走らせながら、テレビから流れるニュースに対し、猛烈に怒っている。
片側に砂糖を、反対側に塩をまぶしてある煎餅を、意に反して佐藤側を下に口に入れてしまったぐらいの絶望を味わっている。
応援していたアイドルが、グループを卒業し、女優を目指すと言い出したのだ。
一度しかない人生。本人がどう生きようか、他人がリモコンで操作できるわけではない。
周りからこうあってほしい、という自分を生きるより、自分がこうありたい、と思う自分を生きられる彼女を勇ましく思う。
だが、あえてここで言わせてほしい。
お前のグループへの愛はそんなものだったのか。
傍から見ると、まだ発展途上のグループを、見限ったように映ってしまう。
アイドルがグループを離れるたびに、俺は問いたくなるのだ。
これだけ光を浴びて、ファンに感謝され、愛してもらえる仕事に就けるという幸せを、一握りしか味わえないこの幸せを、手放すということが、どれだけ惜しいことかということを。
その幸せを、投げ捨てる価値が、未知数の未来にあるのかということを。
俺はとにかく、映画館で映画が始まる前に、ポップコーンをひっくり返してしまった時ぐらい、彼女たちのグループに対する愛情の希薄さが、歯がゆく、残念に思う。
俺たちファンの方が、よほどグループへの愛情が大きいような気がする。
このメンバーと、今いるファンと一緒に、大きな景色を見て行こう、という気概を持った本物のアイドルであってほしかった。
俺はどこかで、アイドルには、そのアイドルグループのファン代表であってほしいと思っている。
それは、野球選手にも近い思いを抱いているのかもしれない。
FAを取得したとしても、ファン代表として、その球団を生涯愛し、この球団で優勝したい、とファンの前で高らかに宣言してくれることを、夢見ている。
だが、現実には、そうは言っていられない。プロとて試合に出場できるならば、どこの球団でも構わない、もともと女優になりたいが、有名になるために、まずはアイドルの道に進む。そういう人だってザラにいるのだ。
俺たち一般人でも、教師になりたくてもなれずに塾講師になった人もいれば、獣医になりたくてもなれずにペットショップの店員になる人もいる。
それで、もともとの夢に挑むことを、止める人などいない。
そう思うと、俺たちファンが厄介な存在なのかもしれない。
自分の思いをアイドルに押し付け、責任まで負わせようとしているようにも思えてくる。
これまで希望や元気を与えてくれたことに感謝をし、自分やファンの気持ちに真摯に応え、気持ちがグループから離れたので、グループに対し、百パーセントの気持ちを向けてくれる女の子に、その席を譲るという彼女を、温かく見守るのがファンの役割ではないだろうか。
人間だから、気持ちは変わる。
だが、その時、グループのことを愛していた彼女の気持ちは本物だ。
自分の気持ちをだますことなく、自分の人生を生きている彼女を、責める資格は誰にもない。
その時、その瞬間、グループを愛し、グループの為に頑張ってきてくれてありがとう。
俺だって、バイトの身分とはいえ、一瞬でも、お客様の為に頑張ったと胸を張ることができたなら、きっと誰かのファン代表だ。
俺みたいに、未練がましく辞めないでくれと思ってくれるファンの、ファン代表になれるまで、もうしばらくは辛抱してみるのも悪くないか。
そう思って、途中まで書いていた辞表届を破り捨てた。