番外編二 澪尾と呼ばれた日
寒緋桜が葉桜に変わりました今日この頃。今日は三月三日、雛祭りでございますね。
こんにちは、葵枝燕でございます。
今回の『ひきとり屋』は、前回予告した通り番外編です。結構活躍(?)してくれている、澪尾ちゃんが主人公です。
それでは、どうぞご覧下さい。
わたしには、生命がない。故に、体温というものも、内臓も、家族も、存在なんてしていない。生き物じゃないわたしには、心もない。そのはずなのに、るみちゃんの思いや感情は痛いほどに感じてしまう。
「あんな人、死ねばいいのに」
るみちゃんは良い子だと、わたしは思う。時折見せる笑顔は、お母さんが生きていたときと変わらない。だけど、やっぱりるみちゃんは変わってしまった。
それがわたしには、哀しくて、寂しくて、そして、力になれないわたし自身が憎くて仕方がなかった。
来見堂家は、この町有数の旧家だ。もっとも、わたしにとってはそんなことはどうだってよかった。ただ大切にしてもらえれば、わたしはそれだけでよかったのだ。
今までお店の中にいて、仲間達が買われていくのを見届けてきた。だけど、その中のどれぐらいが、持ち主に大切に扱われてきただろうか。買いに来る客を見ているうち、わたしには客の性質を感じる目がついた。一見おとなしそうに見える少女でも、その性質はわたし達にとっては極めて残酷である場合が多い。店を出た瞬間グルグルと振り回される仲間を、何度も目にしていた。そんな扱いを受けるくらいなら、一生をこの店で終えてもいいとさえ思っていた。
長いこと、わたしは店の中の飾りだった。手に取ってくれない客がいなかったわけではない。ただ、一般的にいってわたしの容姿は“不幸の象徴”らしかった。
そんなわたしを買ってくれる人がついに現れた。それが、来見堂家の次期当主の奥さんだった。来見堂家が何なのかは、わたしにはわからなかった。けれど、店主の何だか媚を売っているような表情と仕草から、この町の権力者に違いないということだけは理解した。
そしてわたしは、来見堂家の次期当主の一人娘である少女に出逢った。それが、来見堂るみちゃんだ。わたしは初めてその名前を聞いたとき、“る”と“み”が多い名前だと思った。それだけだ。興味なんてなかった。
るみちゃんはわたしに、アルジャンという名前を付けた。ドイツ語で“お金”を意味する名前だ。るみちゃん曰く、お金というそのままの意味で付けたわけではないらしい。わたしの黄金色の瞳を見て、そう名付けたという。まだ七歳だった少女がなぜドイツ語を知っていたのか疑問ではあるけれど、きっとるみちゃんは頭が良いのだろう。
るみちゃんの部屋には、たくさんの仲間達がいた。イヌ、アヒル、ゾウ、ウサギ、イルカ――。様々な仲間達がいた。その誰もが幸せそうだった。
「みんな、この子はアルジャンっていうの。仲良くするのよ」
るみちゃんはそう言って、わたしをみんなに紹介した。みんな、わたしを温かく迎え入れてくれた。
ここはきっと、居心地がいい場所だと、そう思えた。
でも、幸せな生活は長く続かないものであるらしい。
わたしが来見堂家に来て、三年が経った夏。来見堂家当主夫人になっていたるみちゃんのお母さんが亡くなった。長いこと病気だったのだという。恐らくはわたしを買ったあの頃から、病は身体を蝕んでいたのだろう。人間でもない上に生き物でもないわたしから見ても、彼女は美しく優しい人だった。
るみちゃんは、とても寂しそうで哀しそうだった。けれど、わたし達を見ると笑顔を見せてくれた。お母さんの死から半月が経つ頃には、すっかりそんな様子は見せなくなっていた。元気な明るいるみちゃんに戻ってくれた、だからきっと大丈夫――そう思っていた。
るみちゃんのお父さんが、あんなことを口走るまでは。
お母さんの死から、一年経ったある日。当主であるお父さんは、夕食の席で突然にこう言い放った。
「新しいお母さんを迎えることにしたよ」
わたしはその時、るみちゃんの隣の席にいた。わたしはすっかりるみちゃんのお気に入りだったのだ。家の中なら、どこへ行くにも一緒だった。
「お父さん、何言ってるの?」
娘であるるみちゃんの戸惑いの声を無視して、お父さんは黙々とご飯を口に運んだ。そして、食べ終わったのか、黙って席を立つとそのまま食堂を出て行った。
「佳代さん、どういうこと?」
るみちゃんは家政婦長の佳代さんに話しかけた。佳代さんは、るみちゃんが生まれる前からこの家で働いている。るみちゃんは、佳代さんなら何か知っていると思ったのだろう。佳代さんは困ったような表情を浮かべながらも、教えてくれた。
「旦那様には、現在お付き合いなさっている女性がいるようですよ。私の夫の話では、奥様が亡くなってすぐに付き合いだした相手のようです。多分、その方が新しいお母様になるのでしょうね」
佳代さんのご主人の誠壱さんは、るみちゃんのお父さんの専属運転手をしている。あまり顔を合わせたことはないけれど、無口というか寡黙というか、とにかく物静かな印象がある。専属運転手というその役柄から、きっと佳代さんよりも多くの事情を知っているのだろう。
「お父さんに、付き合っている人がいるの?」
「ええ。私もあまり詳しくはわからないのですけれど。ごめんなさいね」
食器を片付け始める佳代さん。その音を聴きながら、わたしはるみちゃんの顔が強張っているのを見つめ続けていた。
新しいお母さんは、それまでのお母さんとは全く違う性質の人だった。あからさまに、先妻の子であるるみちゃんを嫌っていた。
「十歳になるというのに、そんな物持って……恥ずかしくないのかしら?」
わたしを抱きかかえたるみちゃんに、冷酷にそう言い放ったことがある。
初めの頃、るみちゃんは新しいお母さんと仲良くなろうと努力していた。しかし一週間経つ頃には、それが無駄なことだと察してしまったらしかった。どれだけ自分が歩み寄ろうとも、この人との距離は縮まらず溝も埋まらない。るみちゃんはそれを理解した瞬間に諦めてしまったようだった。
新しいお母さんは、顔形こそ美しかったけれど、心は穢れていた。
それが発覚するのは、新しいお母さんが来て半月が経った頃だった。
最初にいなくなったのは、クマのリンダさんだった。リンダさんは、仲間達の中で一番の古株だった。るみちゃんにとって、お母さんからの初めてのプレゼントだったのだという。最近のるみちゃんの一番のお気に入りはわたしだったけれど、一番思い入れを持っていたのはリンダさんだった。そのリンダさんが、忽然と姿を消したのだ。
そのリンダさんの失踪を皮切りに、仲間達は次々といなくなった。ウサギのルイさんとリイさんの兄妹、アヒルのサマンサさん、キリンの真千子さん、ゾウの太郎さん――。少しずつ、しかし確かに消えていったのだ。そして、帰ってこなかった。残った仲間達も「次は自分なんじゃないか」と怯えていた。
るみちゃんは最初、どこかで失くしたのだと思っていた。いや、無理矢理にそう思おうとしていた。でもすぐに、誰の仕業なのかに思い至った。それだって本当は、信じたくなかったのだと思う。
犯人は、新しいお母さんだった。
リンダさんがいなくなって、一年。その頃にはもう、わたしとシュロスさんだけしか残っていなかった。
シュロスさんは、私と同じ姿の、仲間達の中で珍しい男性といえる存在だった。仲間達の中で男性は、太郎さんとルイさんと、そしてシュロスさんだけだったのだ。シュロスさんは、「大丈夫。みんな、きっと帰ってくる」とわたしに言った。でも本当は、シュロスさん自身も知っていたのだろう。失踪した仲間達がどうなったのか。どこへ、行ってしまったのか。
その夜は、美しい満月だった。シュロスさんとそれを見上げて、わたしは思う。
あの幸せな日々は、もう戻ってこないのだろうか。あの幸せな日々が、戻ってきたらいいのに――と。
そして突然、ドアが軋んだ。徐々に開いていく。わたしは、そのドアを見つめているしかない。
るみちゃんであるはずがない。るみちゃんは今日、亡くなったお母さんの実家にお泊まりに行っているはずなのだ。なら、ドアを開けようとしているのはいったい何なのか。
入ってきたのは、新しいお母さんだった。わたし達の元に、明かりも点けずに歩いて来る。
「ああ、あの子、泊まりに行ってるんだったわね」
独り言。感情がわからない。
「あの人もいないし。好都合だわ」
恐怖が、身体を駆け抜けていく。次々と、駆け抜けていく。感情なんて、あたしにはないはずなのに。
「こんなにいなくなっても気が付かないなんて、莫迦なのかしらね」
近付いてくる。恐怖の存在が、音も立てずに。
「さて、どれにしようかしら」
おまけ付のお菓子を選ぶ子どものような、無邪気な瞳。
「決めたっ」
無邪気な声。伸ばされる手。
わたしは、どうすることもできなかった。
シュロスさんに向けて伸ばされた手を撥ね退けることも、その腕に噛みつくことさえも、何もできなかったのだ。
翌日の夕方になって帰ってきたるみちゃんは、大慌てでシュロスさんを捜した。毛布をひっくり返し、ベッドの下を覗き、クローゼットや引き出しのありとあらゆる戸を開けた。けれど、シュロスさんは見つからなかった。
るみちゃんは、わたしを抱き上げると一階へと下りた。リビングのソファーに座って、楽しそうに編み物をしている新しいお母さんの前に立つ。
「シュロスをどこにやったの!?」
そう叫ぶるみちゃんにチラリと視線を向けた新しいお母さんは、それでもまた編み物へと手を戻す。
「シュロスって、だあれ?」
「とぼけないで! 私の部屋に勝手に入ったんでしょ!? それで、シュロスを盗んだんだ! 泥棒! 返してよ! シュロスだけじゃないわ、他の子たちも返して! みんな、私の友達なの!!」
必死に叫ぶるみちゃんに、新しいお母さんが向けたのは冷酷な眼差しだった。冷やかにるみちゃんを見て、そうして口を開く。
「あれが友達? 面白いこと言うのね」
あたたかさを感じさせない声が、部屋の空気さえも冷やしていくようだった。るみちゃんはそれだけで、もう全てを諦めてしまったらしかった。わたしをきつく抱きしめたまま、悲痛な表情を浮かべて部屋に戻ったのだ。
その日からるみちゃんは変わってしまった。家の中ならどこに行くにもわたしを連れて行ってくれたのに、わたしを部屋に置いていくようになった。クローゼットの奥深くにわたしを隠して、無言で扉を閉めて、部屋を出て行ってしまう。わたしはそれが寂しくて、哀しくて、苦しかった。でもいずれ、それは来なければならないことだったのだ。いつか大人になるだろうるみちゃんには、わたしがいらなくなる日が来る。そうこれは、いずれ訪れるはずだったことなのだ。それが少し、早まっただけのこと。
そう、諦めてしまえたら――きっと楽だったのに。
るみちゃんがわたしをクローゼットに置き去りにし始めて、いったい幾日が過ぎたのだろうか。まだ明るい陽射しが、クローゼットの中を仄かに照らしていた。
るみちゃんは今頃、学校だろうか。もう、わたしを抱きしめることもしてくれないのだろうか。
寂しさは、感情の無いはずのわたしを縛りつける。
そのとき、クローゼットの戸が開いた。視界が、光に眩む。
「お嬢様、申し訳ありません」
そう呟いた声は、家政婦長の佳代さんのものだった。
わたしは、佳代さんの夫の誠壱さんの運転する車の中にいた。
助手席に座った佳代さんは、わたしを膝に置いたまま喋らない。運転している誠壱さんも、無言のままだ。
わたしはどこに連れて行かれるのだろう。仲間達と同じところだろうか。シュロスさん達に、また逢えるだろうか。そんな思いが、次々と脳内を廻る。
しばらくして、車は止まった。誠壱さんが先に降り、その後にわたしを抱いた佳代さんが降りる。二人は、目の前の古びた建物をしばらく眺めていた。
古い木製の看板には、こんな文字が記されていた。
【ひきとり屋 何でもひきとります。御用の方は声をかけてくださいませ】
ひきとり屋? ここは、お店なのだろうか。
「行こうか、佳代」
「ええ、あなた」
誠壱さんが、ドアを開ける。佳代さんが店内に、一歩足を踏み入れた。
そこは、薄暗い奇妙な空間だった。色々なモノが雑多に置かれている。色々ありすぎて、何のお店なのかわからない。
「いらっしゃいませ」
どこか気怠げに聞こえる声がした。暗闇の中から、一人の男性が姿を現す。その顔にはまだ、ほんの少しの幼さが残っていた。
「ここの従業員で、ハオと申します。依頼、ですね?」
「はい。この子を……」
「わかりました。店主を、呼んで参ります」
男性は、ゆったりとした足取りで奥の方へ消えた。佳代さんも誠壱さんも、男性の消えた奥の方を、じっと見据えていた。二人共、無言だった。
しばらくして男性は、一人の女性を連れて戻ってきた。長い黒髪に、丈の長い藤紫のワンピース。どこか、昔るみちゃんに見せてもらった絵本の魔女を思わせる、そんな雰囲気の女性だった。
「お待たせして申し訳ありません。店主の、イチイと申します」
女性は誠壱さんに一枚の紙を手渡した。何が書かれているのかまでは、わたしにはわからなかった。
「その子を、ひきとってほしいのですよね?」
「はい。このままではこの子も、他の子たちと同じようになってしまいます。奥様に、捨てられてしまうのです」
佳代さんの言葉に、わたしは思う。ああ、やっぱりそうだったのだと。みんな、新しいお母さんの手によって捨てられたのだ。リンダさんも、ルイさんも、レイさんも、サマンサさんも、真千子さんも、太郎さんも、そして、シュロスさんも。みんな、今頃は灰になっているのだろう。わたしもいずれは、そうなっていた。
「わかりました。依頼を受けましょう。では、こちらへ」
女性が、誠壱さんと佳代さんを木製の机に誘導する。
もう、るみちゃんの元には帰れないのだと、ふとそんな思いがよぎった。
誠壱さんと佳代さんが帰ったあと、わたしは独り残された。
るみちゃん、寂しくないかな……。そんな心配ばかりが、胸の内を占める。
「こんにちは、キルコさん」
突然、男性が入ってきた。筋骨隆々とした、強面の男性である。
「フタオさん、お久しぶりっす」
「お前しかいないのかよ、ハオ」
強面男性は、その顔に嫌そうな表情を露骨に浮かべた。この従業員男性が嫌いなのだろうか。
「キルコさんなら、奥にいますよ。呼んできましょうか?」
「仕事の邪魔はしない主義だ!」
強面男性がまるで誰かに宣言するように言う。それを聞いた従業員男性がわざとらしく溜め息を吐く。
「女性限定でなんて、本当に迷惑な人ですね。理解し難い」
「この、狐野郎が」
狐野郎? この従業員の男性は、人じゃないのだろうか。ひょっとして、わたしと同じなのだろうか。いや、単に狐のような狡賢い性格の、と言う意味なのかもしれない。狐が本当に狡賢いのかは、わたしにはわからないけれど。
「それ、もう一回言ったら、首に咬みつきますよ。何だったら、咬み切ってあげましょうか? 今、ここで」
従業員男性の目が光る。いつかるみちゃんと見た、テレビのドキュメンタリー番組を思い出した。色々な動物に密着し、子育てや狩りの様子などを紹介するものだった。その番組で見た一場面を思い出したのだ。従業員男性の目の輝きは、獲物を捕らえようとするときの肉食獣にどこか似ていた。
「ほーう? お前がやる気なら、相手してやろうじゃねえか」
「ほんの戯れですよ。本気にしないでください、フタオさん」
二人とも笑っているけれど、一触即発という状態に近い危うさが伝わってきた。しかし、不意に強面男性の表情が驚きへと変わる。
「そういえば、こんなの前からあったか?」
わたしを視線で示して、強面男性は言った。従業員の男性がちらりとわたしを見る。
「さっきひきとった品です。このままじゃ捨てられてしまうから、助けてくれと」
「へえ……」
「俺は正直、ひきとってほしくなかったんですけど」
従業員の男性はそう言いながら、小さな木片と小刀を手にした。
「変な意思を感じる。これだから、人の元で長く過ごしてきたモノは嫌いなんだ。普通こんなモノは、意思を持たないはずだろうに」
従業員男性は、木片を手の中で弄びながら、無表情に言葉を紡ぐ。その様子を、不思議なものを見るように強面男性は見ていた。
「お前がそんなこと言うなんて珍しいな」
「感じるんすよ。人でいえば感情みたいなものが、これにはある。まあ、キルコさんは、それがわかっててひきとったみたいですけど」
わたしの意思に、気が付く人間がいるなんて。やっぱり、あの女性は、ただの人ではないのかもしれない。そしてきっと、この従業員の男性も。
「これは俺の想像なんすけど、多分もう少ししたら、従業員になるでしょうね」
従業員の男性の言葉に、強面男性は何も言わなかった。ただその顔に、よくわからない表情を浮かべただけ。悲哀とも、喜楽とも、憤怒とも、どちらとも取れそうでどちらとも取れない表情をその顔に刻んだだけだった。
従業員の男性の言葉が当たってしまうのは、わたしがひきとられて一週間ぐらい経った日のことだった。
「あなたに、ここの従業員になってほしいの」
店主の女性はそう言って、わたしに新しい名を与えた。澪尾という、アルジャンとは全く違う名前を。そして、アルジャンとは全然違う、もう一つの形も。
「これでハオくんも、寂しくないわね」
「寂しいと思ったことありませんけど」
「ふふ。どうかしらね」
従業員の男性の名が葉尾ということを、そのときに知った。今までのハオという呼び名はあだ名だと思っていたのだ。
「本名は違うけどな」
「本名?」
「お前も、別に本名があるんだろ。大切にしといた方がいい。思い出の一つとしてな」
その顔がどこか辛そうに見えて、わたしはそっと目を逸らした。
澪尾と呼ばれ始めて、どのぐらいの時が過ぎたのだろう。わたしは、かつての持ち主だった少女のことを思い出すことが少なくなった。きっと、あの少女はもう大人の女性になっているだろう。わたしのことなど、忘れているのかもしれない。
それでもわたしは忘れないだろう。あの少女と出逢えたこと。あの少女が感じていたこと。出逢えた仲間達のこと。幸福ではなかったかもしれなくても、憶えていよう。
あの少女がくれた名の、その意味よりも代え難い思い出を、ずっとずっと。