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ひきとり屋  作者: 葵枝燕
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二人目 佐竹健悟

 こんにちは、葵枝燕です。

 『ひきとり屋』、第二回でございます。

 今回の主人公は、会社の女上司からのストーカー行為に悩む男部下です。前回同様すっきりしない最後を迎えますが、この作品はこんな感じの話ばっかりになると思うので、ご了承ください。

 それでは、第二話「二人目 ()(たけ)(けん)()」、開幕です。

 鍵を取り出す。そっと、辺りを何度か見回す。そうしてやっと、鍵穴へ鍵を差し込む。ドアを開け、素早く身体を中へと入れる。そしてまた素早く鍵とチェーンロックを掛ける。どうやら今日は、ついてきていないらしい。少しほっとしてリビングへと向かう。

 割と高級な住宅街の中でも、セキュリティーの整っているはずの六階建てのマンション。その三階の一室に俺は住んでいる。だが、それでも安心できない。俺は今、すぐにでもどこか別の場所へ引っ越してしまいたかった。

 鞄をソファーへ放り投げ、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。喉を流れていく液体が、なぜだか心を落ち着かせた。

 ヴーッヴーッヴーッ。突然の音の侵入者。自分の携帯電話のバイブレーションだと気が付くのに少し時間がかかった。慌てて、缶ビールをテーブルへと置く。

 ヴーッヴーッヴーッ、ヴーッヴーッヴーッ。音は止まらずに鳴り響いた。俺の中で何かがむくむくと広がっていく。恐る恐る銀色の通信機器へと手を伸ばした。そっと画面を覗き込む。

 〈(くり)(やま)さん〉——その名前と共に、掛けてきた相手の電話番号も並んでいた。俺にはそれは、恐怖にしか見えなかった。震える指で、通話と書かれたところに触れた。耳へと持っていく手が思うように動かないような、奇妙な感覚に捕らわれる。

「も、もしもし」

『あ、やっと出てくれた。おかえりなさい、(けん)()くん。今日もお疲れ様』

 耳へと流れ、脳へと伝わるその声は、優しげなのになぜか恐怖を感じさせた。

「栗山さん……」

『はい、栗山もえです。今日も健悟くんのことばかり考えていたわ。ねえ、いつになったら二人で会えるの? 二人っきりに、なれるの?』

 少し息を吸ってみる。落ち着けと、言い聞かせた。

「もう掛けてこないでくださいと、伝えたはずですが」

『健悟くん、冷たいのね。それとも、ただの照れ隠しなのかしら。ふふっ。健吾くんって、意外にかわいいところもあるのね。そういうところも、好きよ』

 受話器を通した向こう側で、きっと相手は優しい微笑を浮かべていると想像できる。それでも俺は、一刻も早く会話を断ち切ってしまいたかった。

「とにかくもう、掛けてこないでください。会社以外で栗山さんと馴れ合うつもりはありませんので。失礼します」

 相手の次の言葉を待たず、俺は通話終了の画面へ触れた。長い溜息を吐き出す。手のひらにも額にも汗が浮かんでいた。スポーツの後のような清々しいものではなく、ただべたべたと気持ち悪いだけの汗だ。

 これでもう終わればいいのにと、何度願ったかしれないことをまた思う。ああ言っても、どうせ彼女はまた俺へと連絡するのだろうことはわかっていた。


 栗山もえさんと出逢ったのは、大学を卒業してすぐに入社した大手の文具メーカーでだった。俺が配属された企画課の一部署で、部長の右腕として活躍していたのが栗山さんだった。まだ三十五歳だが、周囲が一目置く存在だ。彼女のアイディアには皆驚かされるし、すごい人だとは思う。

 だがそれは、あくまでも仕事上での話だ。栗山さんは三十五にして未だ独身。別にそれが悪いことだとは言わないが、美人で面倒見もいいのに彼氏がいないというのは珍しい気がする。それなのに、部下達に合コンに誘われると徹底的に拒むのだ。人付き合いが苦手なようには見えないが、全ての合コンの誘いを蹴りまくっていた。

 そんな彼女に俺が想いを告げられたのが、俺の誕生日でもある二月十四日のバレンタインデーだった。「ずっと、初めて見たときからあなたを愛しています。もうあなた以外考えられません。どうか付き合ってください」と、優しい声で言われた。でも俺には、それを受けることはできなかった。丁重に、相手に付ける傷がなるべく少なくなるように言葉を選んで断った、つもりだった。

 しかし彼女は、俺を諦めようとはしなかった。家の住所、俺の家や携帯電話の番号、携帯電話やパソコンのメールアドレス、挙げ句の果てには実家の住所や電話番号まで調べ上げて、熱烈なラヴコールをしてくるのだ。

 もう何度も「やめてください」と頼んだ。それでも、彼女はやめない。それどころか激しさを増した。俺が一人暮らしをしている部屋の前で待ち伏せしているぐらいはまだよかった。実家に押しかけ「健悟くんとお付き合いさせていただいています」と、両親と兄夫婦に堂々と言ったときは、正直恐怖した。

 それでも俺には、彼女の想いを受け入れるわけにはいかない理由があった。


 日曜日。朝の喫茶店。熱いブラックコーヒーを一口含んで、俺は向かいに座る彼女を見た。

 目の前にいる彼女――(すぎ)()()()は、薬剤師になるべく医大に通っている学生だ。苺ののったショートケーキを幸せいっぱいな顔で見つめている。ミルクたっぷりのコーヒーのような色の髪を一つにまとめて、最近買ったという縁が紫色の眼鏡を掛けている。「視力落ちちゃったんだよねぇ……」と、悲しげに語っていたことを思い出した。

「ケン、ケーキ食べないの?」

 少し遠慮がちなその声に、ふと我に返る。知可だって忙しいのだ、よけいな心配はかけられない。

「もしかして、甘いもの、嫌いだった?」

「そんなことはないけど」

 そう言うと、ほっと安心した表情になる。そんな彼女がかわいくて、俺はやっぱり彼女のことが好きなのだと思ってしまう。恥ずかしいから、一度も知可本人には言ったことがないけれど。

「よかった。ケン、最近元気ないみたいだったから、悩み事でもあるのかと思ってたんだ」

 そんな知可の言葉に、俺は嬉しさと共に何か別の感情を持ってしまった。何か知られてはいけないことを知られてしまったような感覚。心配してくれていることには少し嬉しさを感じた。だけど、知可には話せない。会社の上司にまとわりつかれてるなんて言ったら、知可は多分本気で心配してくれる。だからこそ話せない。俺と違って、知可はまだ学生だ。変な心配をかけて知可の夢を壊すわけにはいかない。

「そんなことないから。知可は気にすんなよ」

「そう? でも、悩みあったらいつでも言って。言われない方がつらいんだから」

 知可の優しい言葉に、俺は久しぶりの安心感を覚えていた。


 知可を駅まで送り、俺は自分の部屋へと足を進めていた。今にも折れそうな三日月が夜空に浮かんでいる。頭の中では、知可の声と笑顔とが浮かんで、自然と俺は笑顔になった。

 部屋に帰り、ふと電話を見た。固定電話の留守電のランプが赤く点滅している。何気なく押してしまう。普段の俺なら警戒していたはずだった。

 抑揚のない女の機械音声が、メッセージが入っていることを告げた。

『もしもし。健悟くん? 私、栗山です』

 その声に俺は驚いて電話の方を振り返った。赤いランプが点滅しながら彼女の声を吐き出す。

『今日、健悟くんを見かけたわ。すずらんって名前の喫茶店に入っていったわね。知らない女と一緒だった。二人とも、幸せそうに笑っていた。誰なの、あの女。健悟くんの隣にいていいのは私だけよ。どうしてなの健悟くん。私を見て。私だけを見て。あんな女より、私を見てよ。どうして無視するの。健悟くん……』

 そこでメッセージは終わっていた。俺はぞっとしてメッセージを削除した。指が、手が、身体が震える。

 恐ろしかった。ただただ恐ろしくて仕方がなかった。


 翌日は、正直に言うと会社に行くのがこわかった。栗山さんは、会社では普通に接してきた。俺以外の部下に接するのと同じように、俺に話しかけてきた。それが余計に俺の中の恐怖心を倍増させた。

「佐竹くん」

 不意に近くで聞こえた彼女の声。驚いて顔を上げる。

「明日の朝までに、この書類とこの書類、まとめてくれないかしら。皆忙しいみたいで断られちゃって」

 二つのファイルを掲げて見せて、栗山さんは言う。

「明日の朝――ですか」

「明日の午後に会議があるの。私も今夜は忙しいのよ。大事な食事会があるの。だめかしら」

 その目が何だかこわくて、優しい声の裏側に何か抱え込んでいるようで、俺は書類を受け取っていた。

「わかりました。残業してもいいならやります」

「ありがとう。助かるわ。残業のことは私が話しておくから、無理しない程度にお願いね」

 彼女が優しく微笑んだ。それでも、その裏側の暗い影は消えていなかったが、恐怖に竦んでいた俺は何も言えないままだった。


 パソコンとにらめっこするのに疲れ、俺はエレベーターで地下二階へと降りた。コーヒーでも飲もうと思ったのだ。エレベーターの扉が開く。目を開けた俺は、その光景に驚いた。

 見知った地下二階ではなかった。知らない街並みがそこに広がっていた。どこか古い印象の建物が並んでいる。

「何だ、これ」

 引き返そうとも思ったが、何故か俺の足はその街の中を進んでいた。

 そして、一つの建物の前で立ち止まる。そこには、細い文字でこう書いてあった。

【ひきとり屋 何でもひきとります。御用の方は声をかけてくださいませ】

 ひきとり屋? 俺は疑問と怪しさを感じたのだが、ドアノブへと手を伸ばしていた。からからと、涼しい鈴の音が響く。

 そこは不思議な雰囲気の店だった。色々なものが置いてある。花瓶やら、ゴルフバッグやら、大きな姿見やら……。骨董品でも扱っているのだろうか。

「いらっしゃいませ」

 声がしてそこを見ると、男の子なのか女の子なのか判別しづらい子どもがいた。黒い髪は短く、その瞳は金色に輝いている。日本人ではなさそうだが、それ以前に人間でもなさそうだ。どちらかというと猫に近い。人間と生活していても心を許さない気まぐれな生き物。

「ようこそ、ひきとり屋へ。わたし、ここの従業員でミオといいます」

 子どもは小さな紙を差し出してきた。それは名刺で、こんなことが書かれていた。

【ひきとり屋従業員:澪尾 ミオ】

 従業員? こんな子どもが?

 「ここにいらしたということは、ご依頼ですね? 少々お待ちいただけますか。ただ今、店主を呼んで参りますので」

 従業員と名乗った子ども――()()(きびす)を返し奥へと引っ込んでしまった。しばらくして、一人の女性を連れて戻ってきた。女性と分かったのは、その人が澪尾と違って長い黒髪の持ち主であったということと、黄昏(たそがれ)(どき)のような美しいグラデーションのワンピースを着ていたからだ。

「お待たせして申し訳ありません。店主のイチイキルコと申します」

 女性も名刺を差し出してきた。

【ひきとり屋店主:櫟記流子 イチイキルコ】

 女店主は優しく微笑んだ。そしてお辞儀をする。

「あの、ここは?」

「ここはひきとり屋。お客様の不要なモノをひきとるのが仕事です。モノの個数に制限はなく、命あるモノからないモノまで、形あるモノからないモノまで何でもひきとります。ただし、契約の取消し及び破棄は受け付けませんのでご了承ください」

 不要なモノ? ということは、この店にあるのは全て不要とみなされたモノ達なのだろうか。

「お客様にもおありなのでしょう? 不要なモノ。それをひきとるのが私たちの仕事です」

 不要なモノ。俺にそれがあるとしたらそれは――……。

「栗山さんの、俺に対する愛情」

 思わずそう声に出して呟いていた。そう、彼女のあの感情さえなければ、少なくとも今のように恐怖に怯えることはなくなるかもしれない。

 俺は顔を上げた。女店主の真っ黒な瞳とぶつかる。

「栗山もえさんの俺に対する愛情を、ひきとってください」

 そう願った。これで、全てが終わりになれば――ただ、そう願っていた。


 気が付くと俺は自分の席にいた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。パソコンのディスプレイが白く光を発している。

 夢、だったのだろうか。

 契約書のようなものに、自分の名前や不要なモノを書いたことはうっすら憶えている。ただ、どうにも現実離れしていて何も憶えていないのだ。

 あれは、ただの夢だったのだろうか。

 ふと、携帯電話を取り出した。画面に触れると、留守電メッセージがあることを知らせる文字が出ていた。そこに触れる。二時間ぐらい前に入ったらしいメッセージで、相手は知可だった。

『ケン?』

 知可の声はひどく慌てていた。

『今、バイト先から帰る途中なんだけど、何か変な人がついてきてるの。多分、女の人。スカート穿いてるみたいだから……。何か怖いの。ずっと、ついてきてる。ケン、どうしよう。怖い。ケン、今どこにいるの。助けて……あっ』

 転んで携帯電話を放してしまったのだろう、小さな音がした。それでも小さな機械は切れることはなかったようで、向こう側の声を俺に届けてくれた。

『携帯、どこに……うっ』

 知可の声が痛みに歪む。

『やめて、はなし――……』

 その必死の抵抗の声の間で、物を刺すような気持ちの悪い音が響いていた。俺の身体は自然と汗ばんでいた。気持ちの悪い汗が俺の身体を濡らす。少しの間を置いてやっと声がした。

『健悟くん?』

 しかしその声は、知可のものではなかった。

『邪魔者はもういないわ。これで私達、やっと二人になれるわね』


 杉井知可は殺された。ナイフでめった刺しにされた。テレビや週刊誌は連日このニュースを取り上げた。三角関係の(もつ)れの末に生まれた悲劇だと言った。

 違う。三角関係なんてものじゃない。知可だけだ。俺が愛していたのは知可だけだった。そこに勝手に入ってきたのは栗山さんだ。

 しかし世間はそう思ってはくれなかった。「男がちゃんとはっきりしないから、犯人はこんなことをしたのだ」と、「被害者もかわいそうだが、犯人もまたかわいそうだ」と、わかりもしないくせにそんなことを言った。無責任に話を作り、盛り上がり、憶測と推測で判断し、一人の人間の命を奪った栗山さんを弁護した。

 俺は彼女の告白を断った。それなのに栗山さんは、諦めるどころかストーカーのような行動をとっていた。だが、そんなことは明らかにならず世間は栗山さんを“かわいそうな加害者”として扱い続けた。

 手遅れだったのだ。もう少し早くあの店に出逢っていれば、知可は殺されることはなかっただろうと思う。もう、戻らない。

 四日前、俺は社長に呼び出された。入社式以来、顔を見ることさえなかったその人から、「今週限りで君を解雇する。君の意見は一切聞かない」と告げられた。その今週も、今日で終わる。カーテンを開ける。俺の心と裏腹に、澄み渡った空が広がっていた。そっとテーブルの上を見る。笑顔の知可の写真があった。

 窓を開ける。ベランダへ一歩踏み入れる。ガーデニングに使っていた鉢植えを、底を上にして置く。その上に足を置いた。下を見る。人っ子一人通っていない。どうでもいい。誰が巻き添えになろうと構わない。俺の大切な人を奪った殺人犯を弁護する人間達なんて、何人死のうと構わない。

 知可はきっと怒るだろう。「どうして死んだの」と言うだろう。でも俺には、知可のいない世界で生きていくなんていう選択肢はもうない。そんな世界は俺の前にあってはいけない。

 俺はもう一度空を見る。明るい綺麗な空だった。

 そこから顔を背け、目を閉じる。

 そして俺の身体は地面へと堕ちていった。

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