一人目 水門悠姫
最近、妹の瑞姫がうざったくてしょうがない。何かというとまとわりついて来る。おかげでここ十数日間、友達と遊びにさえ行けないから余計にストレスが溜まる。
……なんてことを、友人の一人である笑実に言ったら笑われてしまった。笑実には兄と弟が一人ずついる。兄弟が男だから話が合わないらしい。そんな笑実からしたら、妹という存在は憧れにも等しいものみたい。
でも、あたしはそうは思わない。むしろ、消えてくれたらいいのにとさえ思う。瑞姫さえいなければ、あたしはきっと、もっと充実した日々を送れるに違いないのだ。
そして今日も、瑞姫はあたしの腰に跳びついてきた。思いきり振り払いたかったけれど、母さんがいたから、したくてもできない状況になった。
母さんは瑞姫に甘い。五年前に死んだ父さんとの間にできた忘れ形見でもあるし、何より四十歳という高齢で奇跡的に儲けた子でもあるし、末っ子だし。つまり、瑞姫は甘やかされるためにこの世に生まれたようなものだった。あたしのわがままは聞かないくせに、瑞姫のわがままなら母さんは何でも聞いた。そういうことも、あたしを苛々させた。
「離してよ」
精一杯の低い声で言ってみる。けれど、瑞姫には全く効果がなかったらしい。先程と全然変わらない笑顔であたしの顔を見上げてくる。
「おねえちゃん、あそぼっ!」
「あのねぇ。学校あるんだから遊べるわけないでしょ。くっつかないでよ、暑苦しい」
軽く身をよじって妹の手から逃れる。目の端でとらえたその頬は、まるでフグのように膨らんでいた。顔全体で表現しているのは、つまらないという感情。嫌な予感がした。
「悠姫」
母さんがフォークを皿の上に置く。食器同士がこすれ合ってカチャと音を立てた。
ああ、最悪だ。嫌な予感は間違いなく的中するだろう。このくだりは、今月でもう十五回目だ。
「今日は休みなさい」
短い言葉。それに込められた有無を言わせない響き。命令といってもいい無茶な頼み。
「はぁ?」
「今日は学校休んで瑞姫ちゃんの世話をしなさい。学校には母さんが連絡しておくから」
「何言ってんの? 今日は部活の抽選会だから、休むわけにはいかないんだけど」
所属する女子バレーバール部の次期キャプテンに選ばれたあたしにとって、部活は休むわけにはいかないことだった。くっついてくるばかりの妹より、部活で汗を流したりチームメイトと話したりする方が楽しいもん。母さんにはきっとわからないのだろうけど。
「抽選会なんか、他の子が行くでしょう。必ずあなたが行く必要はないと思うわ」
「なんか?」
大事な抽選会なんだ。これが全国大会に行けるかどうかの大事な関門なんだ。相手が自分達より弱ければラッキーと思えるし、自分達より強ければ頑張れる。そんな大事な抽選会を、“なんか”呼ばわり? 本当に、母さんはわかってない。
「母さん、今日も遅くまで仕事だから。悠姫、瑞姫ちゃんのこと、ちゃんと見とくのよ」
結局、母さんはあたしの話も聞かぬままに仕事へと出かけてしまった。
あたしは妹と二人、明るいのに薄暗い家に取り残された。
「おねえちゃーん、ごはんまだー?」
部屋に設置してある子機を戻すと同時に、瑞姫が部屋に入ってきた。それを不機嫌に睨んで低く呟く。
「勝手に部屋に入ってこないで。何回言ったらわかんの?」
「えー? いま、はじめていわれたー」
むかつく。何でこんなのが妹なんだろう。ご飯くらい炊飯器からほじくり出せばいいじゃない。そんくらい、考えて出来ないの?
そう言いたくてたまらない。でも言ったら、瑞姫は母さんに言うだろう。「おねえちゃんがねぇー」と、甘えた声で母の腰にしがみついて言うんだ。少しの脚色をのせて。そしたら母さんは、あたしを厳しい目で睨んで「悠姫、お姉ちゃんでしょう? 瑞姫ちゃんに優しくなさい。まったくあなたってば本当に……」とか言うに決まってる。そんなの、絶対に嫌だ。
「ねぇ、そとにたべにいこうよー」
瑞姫がいつもの甘えた声で言う。いつもなら振り払ってしまうんだけど、今回はそうしなかった。いいことを思いついたのだ。
妹を迷子にしてしまおう。
そうして母さんには「知らない」と言いとおせばいい。
「そうだね。たまには外に食べに行こうか」
精一杯優しい声をつくって言う。母さんには遠く及ばないだろうけど。
瑞姫の顔がパッと輝いた。
瑞姫の右手を引いて、昼間の街を歩く。人っ子一人いない静かな街路。
あたしは「少し用があるから、あたしが戻ってくるまでこの店にいといてよ」と言い残して、瑞姫を一人、近所のファミレスに残した。そこは普段、部活帰りにあたし達がよく行く行きつけの店で、店員さんとも顔馴染みだった。本当はそんな場所に、こんな奴を置き去りになんてしたくなかったんだけど。
「ふぅ……」
小さく息を吐く。久しぶりにいい空気を吸い込んだような、そんな気がした。しばらくぶらぶらと歩くことにする。
道端に寝そべる猫達。人の全くいない公園。シャッターの閉まった店ばかり連なる商店街。普段はどうでもいいのに、その全てが何だか輝いて見えた。
ふと、足を止める。何だか見慣れない景色が周りに広がっていることに気が付いたからだ。ここらへんはチームメイトとも談笑しながら歩くはずの道だ。そのはずなのに、全く見覚えのない景色が広がっていた。どこか古い印象のある、そんな建物ばかり並んでいる。その内の一つに、なぜか目が吸い寄せられた。
その看板には、細い文字でこう書かれていた。
【ひきとり屋 何でもひきとります。御用の方は声をかけてくださいませ】
あたしはひとりでにそのドアノブへと手をかけていた。それこそ無意識に。そっと木製のドアを押し開ける。チリリン……と軽やかな音がした。
「あのー、すいませーん……」
店内は薄暗く、その不安から小さな震える声で呼びかける。しかし、中から返事はない。人の気配もないように思う。変な雰囲気の店だった。
しかし、よく見ると綺麗なモノが結構並んでいた。林檎の形のガラス玉が付いたストラップ。綺麗な刺繍をほどこされたハンカチ。手作りだと一目でわかる水色のワンピース。滑らかな肌をしたフランス人形は美しい青い目をしている。その中に混じって、レンズが片方取れたサングラスだの、フレームの歪んだバドミントンのラケットだの、少し前に流行ったシリーズ物の少女漫画の一巻だの、よくわからないモノも置かれていた。
一体ここは、どんなお店なのだろう。
「いらっしゃいませ。ひきとり屋へようこそ」
不意に聞こえた声に、あたしは驚いてそちらを見る。会計をするところなのだろう木製の台の向こうに、一人の女性がいた。黒くて長い髪は、薄暗い店内でもきらきらと輝いて見えた。いつか授業で聞いた“緑の黒髪”って、こういう髪のことを言うのかもしれないと思った。その人はそっと、あたしの方へ歩み寄ってきた。
「私は当店の主をしています、イチイキルコと申します」
その人はそう言うと、着物の袂から何かを取り出し、あたしに差し出した。戸惑いながらも受け取るとそれは名刺で、こう書かれていた。
【ひきとり屋店主:櫟記流子 イチイキルコ】
「ひきとり屋?」
つい気になって、そう声に出していた。女性――店主は優しく微笑み頷いた。
「ここはひきとり屋。お客様の不要なモノをひきとるのが、私の仕事。ここにあるのは、そんなモノ達。この世のありとあらゆるモノをひきとるお店。物から生物まで、全てをひきとるお店。その個数に制限はありませんが、その代わり契約の取り消し及び破棄は受け付けませんので、予めご了承を」
流れるように言い切って、店主はあたしを見た。その顔は、この世のものではないほどに美しいものだった。なのに、左目を真っ白な包帯で覆っている。きっと美しいはずの顔なのに、その包帯があまりにも――残酷なほどに白すぎて、あたしは思わず一歩後ずさった。
「ここに来たということは、不要なモノがおありなのでしょう?」
優しい声なのに、なぜかこわい。どうしてだろう。こんなにも優しく微笑んでくれているのに。
でも、不要なモノはあるのかもしれない。それが、あたしにとって価値を見出せないモノということなら、それは確かにある。
だからあたしは、口を開く。口の中はからからに乾いているようで、上手く言葉が出てこない。それでも、あたしはそっと願いを口ずさむ。
「不要なモノって、いらないモノってことだよね?」
それならある。たった一つだけ、でもとっても重い荷物。
「そういう意味なら、お願いします」
血は確かに繋がっているはずなのに、あたしはそれを愛せない。大切だとか、思えない。
「妹を、瑞姫をひきとってください」
妹に、水門瑞姫に、あたしは優しくしようなんて思えない。
「わかりました。ではこちらへ」
店主の柔らかな声音が、そっとあたしの身体を包み込んだ。
それからどこをどうしたのか、あまり憶えていない。気が付いたら、瑞姫の手を引いて、家の前に立っていた。ただ、何か契約書みたいなものを書いたことと、従業員らしい人が二人いたことは憶えている。従業員は、若い男性と性別不詳の子どもだった。店主は、若い男を「ハオ」、子どもを「ミオ」と呼んでいた。ただ、どんな見た目の二人だったのかまでは、はっきりと思い出せない。
そんな朧気な記憶さえも消えかけてきた頃。それは、突然起こった。
瑞姫が行方不明になったのだ。
「さきちゃんのとこにいってくるねー」と言って出かけたきり、帰ってこなかった。さきちゃんのお母さんによると、午後五時前には帰ったという。しかし瑞姫は、家に帰ってくることはなかった。
母さんは、ひどく取り乱し慌てた。「悠姫、あなたが迎えに行かないから」とあたしを詰り、泣きそうになりながら警察に連絡し、携帯電話を片時も離そうとしなかった。
瑞姫はまだ六歳だったが、子ども用の携帯電話を持たされていた。GPS機能付きの黄色い携帯電話だ。あたしだって高校入学と同時に携帯電話を買ってもらったというのに、さすがに早すぎやしないかと思った。だがそうまでするほどに、母さんは瑞姫に対して過保護だった。
しかし結局、瑞姫から連絡が来ることもなければ、瑞姫の居場所がわかることもなかった。
あたしはベッドの上で目を覚ました。
瑞姫がいなくなって、二年ぐらいが経つ。未だに瑞姫は見つからない。
その頃にはもう、あたしは確信に近いことを感じていた。
瑞姫は、ひきとり屋にひきとられたのだと。だから戻ってこないのだと。
そして、あの摑みどころのない曖昧な記憶は、夢ではなく現実だったのだと信じることができた。
今あたしは家を出て、アパートを借り、アルバイトをしながら服飾デザイン系の専門学校に通っている。両立は大変だけど、妹がいなくなって余計に息苦しさを増したあの家に、これ以上いようとは思わなかった。
母さんは、瑞姫がいなくなってから元気をなくした。仕事もやめてしまった。毎日毎日、瑞姫の部屋にこもっては泣いていた。きっと今でもそうしているのだろう。
コン、コン。ノックの音で、物思いから我に返る。こんな時期に誰だろうと、玄関の方を見やる。
今は夏休みだ。みんな、里帰りや何かで、忙しくも楽しく過ごしているに違いない。こんな、安くてボロボロのアパートを訪ねてくる酔狂な友人は、あたしにはいない。
じゃあ、誰が? こんな時期に、ここに訪ねてくるのだろう?
立ち上がり、玄関へと向かう。鍵を開け、ドアを押した。
「どなたです……か……」
開けたドアの先には、短く切り揃えた黒い髪をもった子どもがいた。ワイシャツに鈴のついた赤いリボン、黒の半ズボンと白いハイソックスをはいている。靴は真っ黒い革靴だ。ぱっと見ただけでは、男の子なのか女の子なのかわからなかった。中性的な魅力があった。
「お久しぶりです。わたしのこと、憶えておいででしょうか?」
声は、低くもなく高くもない。それが、その性別の不詳さに拍車をかける。
「誰?」
そう言ったけれど、本当は誰だかわかっていた。
あまりはっきりと憶えているわけではないが、ひきとり屋の従業員だ。あの頃と何の変わりもない。数年経つのに、年を取った感じすらない。まるで、人ではないような、そんな奇妙な恐ろしい感覚にあたしの身は竦んでいた。
「ひきとり屋従業員、ミオと申します。主、櫟記流子の命で参りました」
櫟、記流子。懐かしいその名前に、「妹をひきとって」と頼んだ日のことを思い出した。
そうあの日、あたしは妹を捨てたのだ。
「わたしが今日ここに来たのは水門悠姫様、あなたをひきとってほしいという依頼があったからなのですよ」
「……え?」
従業員――ミオは、かわいらしい笑みを崩さないままにそう言った。あたしはその言葉に、思わず訊き返していた。
「今、何て?」
「聞こえませんでしたか? あなたをひきとってほしい——そういう依頼が来たのです」
感情を感じさせない声が、感情を感じさせない顔が、その依頼が真実なのだと突きつけてくる。
「ちょっと、待ってよ」
半歩後ずさる。崩れそうになるのを必死でこらえた。
「何で、あたしが――」
「あなたのお母様、水門梨夏子様の依頼だと聞いております。梨夏子様は、気付いていらしたようですよ」
顔を上げると、ミオの黄金色の瞳とぶつかった。その目が、静かにあたしを見据える。
「あなたが、妹さんをこれっぽちも愛していなかったということも。あなたが、妹さんのひきとりを我々に依頼したことも。そして、妹さんがいなくなってしまった理由も。全てを知った上で、あなたのひきとりを依頼してきたのです」
そこで言葉を切ったミオが、一度目を閉じた。そして、またあたしを見つめる。一瞬、悲しそうに揺らいだような気がした。
「あなたのお母様は、娘であるあなたを不要のモノと見なしたと、ご理解ください」
そんな、そんなことがあっていいの?
瑞姫が消えても、母さんはあたしより瑞姫を望むの?
あたしは、母さんにとっていらない存在なの?
思わずしゃがみこんだ。その太ももに、ぽつりと落ちる小さな滴。
母さんは、あたしを愛してくれないの?
「何で、あたしが――……」
「話は後で伺います。とりあえず今は、あなたをひきとることが最優先事項ですから」
ミオの手が、あたしの腕を摑み引き起こす。細くて頼りなさそうに見える腕だと思ったのに、いとも簡単にあたしを引っ張り上げた。
「行きましょうか」
ミオがあたしの手を引く。あたしはただ、それに引かれて歩いた。もう何も、考えられなかった。考えたところで、同じ感情が渦巻くだけだった。
暑い日差しが肌を焼く。遠くで蝉が鳴いていた。
十二月ともなると、暗くなるのも早いなぁ……と感じる今日この頃。
こんにちは、葵枝燕と申します。
この作品は、「ひきとり屋」という店を巡るシリーズ物となっています。が、一話完結になっているので、必ず順番通りに読む必要もないのかもしれない、と私自身は考えています。しかし、何か付け足すはずなので、やっぱり順番通りに読んでいただいた方がいいのかも……とも考えています。そこは、読む方々の判断に任せようと思います。
姉が“不要なモノ”として自分の妹を差し出すという、何ともまあ……な内容ですが、私自身は悠姫ではなく瑞姫の立場です。なのに、同じ立場の彼女に対してこの仕打ちは、本当、何なのかわかりません。単に、自分の生み出したキャラを不幸にしたいだけなのかもしれません。
さて、第一話から暗い内容ですみません。私はどうしても、暗めな話しか書けないようです。
また、今は冬なのに、数年後の悠姫達の世界では夏という、季節感ガン無視ですみません。
とにもかくにも、この作品は続けていく予定でいます。ネタ切れしたら、何か思いつくまで休むかもしれませんが。
読んでいただき、ありがとうございました。