さよなら『桜改』
『桜改』が足を踏み出すと同時に、ふわりと浮き上がる僕の体。そして続いて起こる現象は、端的に言い表すと、『落下』だった。
目の前が大きく揺れ、痛みとまではいかないが、確かな衝撃が僕へと伝わってくる。一瞬のうちに上下がわからなくなるような感覚で、上手く働かない視覚の変わりに地面が踏み砕かれる音と機体のフレームから溢れだすギチギチという悲鳴が僕の耳に鮮明に届いてくる。
……一体何が起きたの? 『桜改』はただ一歩踏み出しただけのはずだよね。
『ふぇありーさん! だ、大丈夫ですか!?』
「な、何が起きたの?」
『さ、『桜改』が床を踏み抜きました! しかし奇跡的に機体はまだバランスを維持しています』
「床を踏み抜いた!?」
状況を推察するに、機体は格納庫デッキから足を踏み出し、片足が床に接触した段階で踏み抜いたということだろう。しかし、幸いなことに地盤自体は踏み抜かなかったため、奇跡的に倒れなかった、ってところか。
「ど、どうしたらいい?」
『歩行に関してはまだ続行出来るはずです。先程よりも、もーっとゆっくりと『桜改』を動かしてください』
僕は東藤さんに見えていないのはわかっているが、強く頷いた後、さっきよりもさらにゆっくりと操縦幹を傾ける。
そして今度は左足が浮き上がり、それと同様にコックピットも大きく上昇する。続いて訪れる落下。
『桜改』の左足が床に到達する頃には僕はコックピットの中でさながらジェットコースターに揺られているような気分を味わっていた。しかもそのジェットコースターは搭乗者の安全を全く考慮しておらず、目眩と衝撃が襲ってくるような親切設計だ。
そして再び響く床を踏み潰す音。
あー。体重の割りに足裏面積が小さすぎるんだよなぁ。こいつは設計を一から見直さないと、しっかりとした『歩行』なんて夢のまた夢だ。
そして完成する格納庫の床をぶち抜いてそびえ立つ置物、『桜改』。
外から『桜改』を見ていないので何とも言えないが、この状態でまだ二足で立っているというのは本当に奇跡なんじゃないだろうか。
「えっと、どうしたらいいかな」
『……えっと、実験を続けます。続いて、手動で右足を上にあげた後、再び前に出してください』
また無茶なことを……。上層部は僕に死ねと仰るんですね!?
手動操作を行うということは、簡単に言えば『外乱』が今の制御形体に入ってくるということだ。今でさえ均衡ギリギリのトランプタワーを立てているようなものなのに、彼女はそれを横から揺らせと言っているのだ。
いや。仲間を疑うのはやめよう。
東藤さんは僕を信じてくれたんだ。僕なら無傷で『桜改』を歩かせられるって。僕なら無傷で『桜改』に命を与えられるって。
うん。やろう。僕なら出来る。僕はBWランキング、日本三位の実力の持ち主なんだ。月島妖精、突貫します!
そうして僕は意を決して、操縦幹のボタンを複数回押し込んだ。これは右足と腰回りの命令を意味し、僕が操縦幹を倒すと機体の右脚はゆっくりと浮かび上がっていく。
そして右足を前に出そうとした瞬間に、突如コックピット、いや、『桜改』全体が大きく揺らいだ。
そして下の方から聞こえる機体の悲鳴声。擦れ合う金属音とでも例えるべきだろうか。そんな破壊が聞こえてくると同時に、『桜改』はゆっくりと傾いていく。
もちろん僕はそんな命令は出していない。
まだ三回しか乗ってないけれど、もうベテランパイロット(笑)の僕にはわかる。これはダメなやつだ。
『さ、『桜改』、左足首破壊! じ、自重に耐えきれていません!』
「やっぱりぃぃぃ!」
『ふぇありーさん脱出してください! どんどん足首が潰れています! 今に『桜改』は倒壊します!』
ゆっくりと、だが確実にコックピットは前に傾いていく。もう今にも倒れそうだ。
僕は『桜改』を早々と諦め、脱出しようとコックピットハッチに手をかけたんだけど。
いや、待てよ? ここから出てどうやって降りるの? そういえばコックピットの何処かに脱出用のロープがあったような気がするけど、どう考えてもそんな悠長に脱出している時間はない。
「と、東藤さん! どうやって降りればいいの!?」
『ど、どうやってって……。ハッチを開けて降りれば……あっ!』
徐々に傾く機体の中で、僕は時間が止まっているかのような錯覚に陥った。
僕は小さくため息をついて、意を決したように足下のレバーに手を沿える。
「……さよなら『桜改』」
そして僕はレバーを力一杯引き絞ると、格納庫天井へと向けて盛大に射出されていった。
ーーーーーーー
「……最悪の結果ね」
「言わないでください」
ブリーフィングルームへと戻ると、頭を抱えている風見さんと東藤さんのまるで葬式のような雰囲気が僕まで届いてきた。あたふたしているだけのポンコツキャプテンは困惑しつつも笑顔を忘れず浮かべているが。雰囲気の改善には繋がっていない。
「えっと、その、どうだったの?」
死んだ表情で東藤さんが顔を上げると、彼女はのそりとリモコンを動かしてプレジェクターのスイッチを入れた。
そしてそこには直立不動の『桜改』が写し出される。
「まぁ、ある程度は、わかっていた、事なんですが。まさかここまでとは……」
「『皇帝』も設計をかなり変更しないといけないわ……」
『桜改』が右足を踏み出す。地面を踏み抜く。左足を踏み出す。地面を踏み抜く。
と、まぁ僕が中で感じていた通りの出来事が一通り再現されていた。いや確かに美しくはないけれど、予想通りといえば予想通りじゃないか。二人はなんでこんなにも死んだ魚のような目をしているんだろう?
「ど、どうしたの? ある意味予想通りじゃないの? むしろ一歩は歩けたんだから、それを喜ぼうよ! だってどれだけの強度で作ればいいかわかったでしょ?」
「そーだよ! ふぇありーの言う通り! 次に繋げてこー!」
イマイチ状況を掴めていない僕と弓佳ちゃんが口を揃えて言う。が、二人の表情は依然暗いままだ。
「……違うんですよふぇありーさん。いや、別に違わないですが」
「……?」
「いい? この踏み抜いた床なんだけど、『かなり』丈夫に作ってあったのよ」
東藤さんの言葉を風見さんが引き継ぐ。風見さんは顔を上げ、困ったような顔を浮かべながら『桜改』の足元を指差した。
「うん」
「それを踏み抜いた、と言うことは言い換えるなら『どこを歩いても踏み抜く』ということに他ならないわ」
「……?」
「コンクリートだろうが、土だろうが全部踏み抜くって事よ。例えるなら『沼』を歩くような感じね。どこを歩いても地面に足が沈んでいくから、強度云々の話じゃない。この規格の『人型ロボット』は歩くのはそもそも不可能ってことよ」
と、肩をすくめながら風見さんはそう締め括った。
つまり、接地部分の圧力が大きすぎるから、地面に足がめり込んでいってしまうということだろうか。
あー。それなら東藤さんがこれほど落胆しているのも納得だ。今回の実験結果は『桜改』を根本から否定するものなのだから。
「あ、もうついでだから言っておくけど、コックピットの振動も何とかしないといけないよ」
「何よそれ? コックピットの振動?」
「うん。振動っていうか縦揺れだけどね。機体を歩かせる度にコックピットが物凄く上下するんだ。あれがもし普通の速度で歩いたとすると、僕は意識を失う自信があるよ」
その僕の言葉に彼女たちは一瞬虚空を眺めるように思考作業を行った後、幸せが全て逃げていってしまいそうなため息をついた。
「あー。やっぱりそれも何とかしないといけないですよね。閃光の妖精なら大丈夫だと思ってましたよ」
「いや何その解釈!? 僕は普通の人間だよ!?」
そういえば、とでも言わんばかりの無表情を浮かべる東藤さん。いや、僕の安全も考慮してください。
まぁ何にせよ、解決すべき山積みの課題は見つかったんだ。今回の実験結果を反映させつつ、悠久機試作16号機『皇帝』に期待するしかない。
そして、『悠久機プロジェクト』のブレイン二人のやる気が地に落ちている様を眺めながら、その日はそのまま流れ解散となった。
ついに『桜改』の出番は終わりです(たぶん)。てことで1章も終わりです。
このお話を書き始める前まではコックピットの『振動』が一番のテーマになりそうだと思っていましたが、それより『重量』の方がネックですねー。
ふぇありー君たちは『皇帝』で無事解決することが出来るのでしょうか。2章をご期待くれると嬉しいです!




