しぼうりゆうしょ
「次の方、どうぞ」
制服を着た公務員らしき男が呼びかけると、目の前の扉が開き気弱そうな痩せぎすの若者が現れた。
「……」
「書類を」
「あ、すいません…」
部屋を眺め回していた若者は男に言われてそそくさと紙を手渡した。
それはなんだか茶色ばんだコピー用紙のようだった。
「じゃあそこに座って」
「……はい」
大きなソファにちょこんと座る。
何が気になるのかそわそわと落ち着かない。
否、単にこういう場所に慣れていないだけのようだ。
男がふむふむと書類に目を通す。
「ええと、大久保久大、17歳?」
「……」
若いねぇ、と久大に目を向ける。
「まだ高校も出てないじゃないか」
「……あの、中卒なので…」
ひどく小さな声だった。
やはりコンプレックスに感じているのだろう。
「ふぅん、まぁ僕の若い頃には中卒なんて珍しくなかったけどね」
中学にさえ来ない奴もわんさか居たよ、と笑いながら言ったが大久保は無反応だ。
男は一瞬寂しげな目を向けたが、すぐ書類に目を戻した。
「家族構成は、父、母に…おや、お兄さんが亡くなられてると」
そこには「兄…(故)大久保久人」と書かれていた。
うちにはきてないようだけどねぇ、と一人ごちる。
「……」
「またどうして」
「……三年前に……川で……溺れて……」
先程よりも小さく、掠れたような声になっている。
「川か、住所からして豊川かな?」
「……はい」
ふぅん、とまた書類を見る。
「で、ここにきた理由は?」
「……カッとなってつい」
男はふっと笑い
「久大くん、それじゃ犯行動機になっちゃうよ」
とつっこんだ。
「で、本当は?」
「……」
男はふぅ、と一度ため息をついた。
「どうしたんだい」
「……受験が嫌になって……」
「それも違うね」
ずっと俯いていた大久保が窺うように男へ顔を向けた。
「そうだろう、大久保久人くん」
大久保の目がカッと見開かれる。
「お兄さんが亡くなったなんて嘘だ。だって、君が久大君のお兄さんなんだから」
「…ど、どうしてそれを」
言ってハッと口を押さえる久人。
その様子を見た男はニヤッと笑い、
「だってそうだろう、あんなに浅い川で溺れるなんて、久人くんに出来るはずがない」
「……それは、僕が小さい頃だったから……」
「それだと君の年齢と合わないんだよ。弟の久大君が亡くなったのは8歳、その時君は14歳のはずだ、三年前ならね」
久人が震える。
「久人くん、どうして自分が久大だなんて嘘をついたんだい?この死亡理由書に」
「……」
その後久人が語った真実はこうだ。
ある夏、久人と弟の久大は近所の豊川に遊びに行った。
浅く、流れの緩やかな豊川は大久保兄弟の一番の遊び場だった。
といっても、中学に入ってからは久人が久大に付き合う形になってはいたが。
その日もいつものように川に行き、久大が川の中で遊ぶのを眺めていた。
毎日よく飽きないものだ、そんなことを思いながらぼーっとしていると、急に空模様が変わり始めた。
これは帰らなければ、空を見て思った久人は川で遊ぶ久大に声をかけようとした。
そこで、弟が視界から消えていることに気付いた。
慌てて見渡すと、久大は下流の方へと歩いていた。
ほっと安心して弟を呼んだ。
呼ばれた久大はぱっと振り向いた。
その瞬間、視界からまた消えた。
足を滑らせたか何かしたのだろう、まったく何をやってるんだと思いつつそこまで駆け寄ると、弟がいない。
必死に周りを探したがいない。
先に帰ったのかもしれない、そう思って家に帰ったがいない。
待っていたのは父母からの叱責だけだった。
そして夜通し近所の人と探したが、久大が見つかったのは翌日、浜辺に打ち上げられ、冷たくなった後だった。
父母は泣いた。久人も泣いた。
泣きながら葬式をした。
そして、葬式の中で、父母は言ってはならないことを言った。
「なんで久人でなく久大が……」
瞬間、久人の涙は止まった。
「……それから僕は、久大として生きることにした。最初は当てつけみたいなつもりだった。でも、父さんも母さんもすごく喜ぶんだ。久大が帰ってきたって。戸惑ってたのなんてほんの二、三日のもんさ」
あの日止まった涙が、久人の目から溢れる。
「だから三年、僕は久大として生きた。死んだ弟を思い出し思い出し、全部コピーした、でも」
「三年が限界だった、か」
久大が死んで三回目の夏、久人は自ら命を絶った。
「だからここにきたんだねぇ」
「……はい」
「よく話してくれた。君は、そこのドアから出て行くといい」
ドアの上には、煉獄、と書いてあった。
「……地獄行きじゃ……ないんですか?」
「ああ、もし君が嘘を突き通したら地獄だったけどね。そこの煉獄で自殺の罪を償って、天国の久大くんに会うといい」
「……はい」
最後に一礼して、久人は出て行った。
男は書類にはんこを押し、ふぅっと一息ついた。
「今のは感動的だったなぁ……じゃあ次」
呼びかけると、禿頭の偉そうなのが入ってきた。
「ああ、あんたは地獄行きだ、政治家だもの」