高野笹子と魔法の年金
JR阪和線沿線の小さなアパートの一室で高野笹子は寝転がっていた。
眠ってはいない。が、起き上がりもしない。
天井のシミの模様を見つめたり、少女のあどけない眉根に皺を寄せて「ああ」とか「うう」とか呻いている。
毎週金曜になると、笹子はこうなるのだ。
部屋の中はすっきりとしたもので、ほとんど物がない。
学生用に設えられたワンルームのアパートは身体の小さな笹子には広すぎる。
冷蔵庫と電子レンジとテレビ。あとは卓袱台と布団を挙げればほとんど全部だ。エアコンはない。
卓袱台の上に昨日の晩食べた半額のサラダ太巻きのパックが無残に転がっている以外、目立つ物はなかった。
つまり、元魔法少女高野笹子は貧乏なのだった。
○
本当に寝入ってしまいそうになる自分を叱咤し、笹子は考えを纏めにかかる。
笹子は根が真面目なので一生懸命考えるのだが、何と言っても中学校までしか出ていない。
学のある言葉は浮かんでこないのだが、何としても明日までに気の利いた言葉を考えなければならなかった。
明日は毎週恒例の、後輩魔法少女への訓示を行わなければならないのだ。
二十七歳になった笹子は、今年めでたく魔法少女を“卒業”した。
法律上、予備役魔法少女となった笹子は毎週日曜日に各地で行われる激しい戦いに参加する必要はない。
とはいえ、良いこと尽くめでもなかった。
魔法少女一筋で二十七年の人生を歩んできた笹子にとって、卒業したからと言って働く口があるわけではない。戦闘に勤しむ傍らで高校大学に通っていた戦友や、実家の家業を継いだ同僚と違い、笹子には生きる為の道が何も残っていなかった。
日本国というのはこういうところにはある面で誠実なところがあり、魔法少女には年金が支給される。月額七万二六五〇円。これが二ヶ月に一度奇数月に役所で交付された。教育、労働、職業訓練のいずれにも参画してない、いわゆるニートであるところの笹子にとってこれは貴重な収入源である。
魔法少女の監督官庁である神祇省は、さらに条件を設けてこの額を増やす方法を提示していた。
それが、訓示である。
どうすれば、自分の体得した経験を後輩たちに伝えることが出来るか。
少ないボキャブラリーの中から、言葉を選ばないといけない。
伝えたいことはたくさんある。
戦いのコツ。ちょっとした工夫、気を付けるべきこと。
伝えておきたい情報が頭の中を駆け巡り、消えていく。
笹子は溜め息を吐いた。
いっそこの仕事を断ってしまえばどうか。
そうは言っても年金生活者である。あまり支給者である神祇省の心証も悪くしたくない。
アルバイトでも、探すか。
それも何か違う気がする。
そもそも少女の姿のままの笹子を雇ってくれるところがあるとは思えない。
悶々とする内に、時間だけが過ぎていく。
大阪の平和だけを考えていればよい時は良かった。
そんなことを考えて、笹子は小さく笑う。
自分の身の振り方の方が、大阪の平和よりも難しい問題だとは思わなかった。
○
「えー つまり、だ。大切なのは、“じじょ努力”という奴なんだ。努力と、根性。
ガッツがあれば、何でも出来る。やっぱり、そういう塩梅なんだな」
戦闘を明日に控えた魔法少女百余名を前に、笹子は講壇の上から演説を行っていた。
神祇省大阪庁舎の二階にある広々とした講堂は寒々としており、笹子の声はよく響いた。
これが神祇省との契約である。
月々の年金を増額する代わりに、毎週土曜に後輩魔法少女の前で“訓示”を垂れるのだ。
笹子はこういうことが死ぬほど苦手だった。でも飢えて死ぬのはもっと嫌だ。
「奥歯のスイッチをがっちり噛みしめてだな、気合いで……」
毎週毎週繰り返される一本調子の精神論に飽き飽きしたのか、後輩たちは生あくびを噛み殺している。
中には携帯電話を弄るそぶりを隠さない奴までいた。
舐められている。それも、完全に。
笹子は、情けなかった。
グランドサザンクロス帝国と戦っている時は良かった。
地中深くから侵攻してくる彼らを梅田地下迷宮で撃退する戦いの中に身を置けば、高野笹子は無敵だったのだ。“芋潰し”の二つ名で呼ばれた自分は、ここでこんなことをする為に戦ってきたのか。
こんな小娘たちに、馬鹿にされる為に。
○
笹子の話が中断したのを訓示の終わりと勘違いしたのだろう。へらへらとした笑みを顔に貼り付けた後輩が質問の手を挙げる。確か稲葉とかいう魔法少女だ。それなりに実力はある。
「先輩、魔法少女として一番大切なことってなんですかぁ?」
くすくすと漏れる忍び笑い。
魔法少女は、成長しない。
居並ぶ後輩と笹子の身長は背格好はほとんど変わりはしなかった。
だが。
(ああ、そうか)
笹子は、気付いた。
(こいつら、まだガキなんだな)
小さく深呼吸し、覚悟を決める。
いいだろう。この仕事を失ったって、後悔はしない。
「稲葉」
「はい」
「魔法少女に一番大切なものはな……」
(……“芋潰し”が、教育してやる)
笹子の周囲に真那が凝集する。
拳が光を帯び、急激な気圧の変化に講堂の窓ガラスがカタカタと鳴り始めた。
異常に気付いた勘の良い後輩の何人かは扉に向かって走り始めている。もっと気の利いた奴は、防禦術式の展開を始めていた。
(だが、遅い)
「強さ、だよ」
稲葉に向けて打ち出される、“芋潰し”。
数多の敵を梅田地下迷宮の壁の模様へと変えて来た必殺の一撃だ。
腹に響く轟音と共に悲鳴と土煙が上がり、講堂の床が抜ける。
高野笹子は、この瞬間、割りの良い職を失った。
○
「発気、用意!」
笹子の指示に合わせ、魔法少女たちが術式を放つ為の発気を始める。
大気中に偏在する真那を整流器である魔法少女の体に取り込み、術式に転用できる形に流れを整える発気は、魔法の基礎だが決して疎かに出来ない。
「稲葉、真那が乱れているぞ!」
「はい! 教官殿、申し訳ありません!」
「謝罪は要らん。敵は謝っても許してはくれんのだ。謝る練習より強くなれ!」
「はい!」
魔法少女の教官の職は、笹子には合っていた。
あの事件の後、笹子は請われて臨時教官に採用されたのだ。
現役復帰したので年金の支給は停止したが、それを補ってあまりある給料が口座に振り込まれていた。
言葉ではなく、身体で教える。
座学と一人稽古中心だったこれまでの教官とまるで違う高野笹子の採用は、魔法少女業界にセンセーショナルな話題として駆け巡った。
意外なことに実践式の笹子の教育方針は若い後輩たちによく受け容れられている。
手にした竹刀に体重を預けながら、笹子は想う。
本当に大切なことは、言葉では伝わらないものなのかもしれない、と。
今日も、大阪は平和だった。