345 せっかくだしやってみよ 後編
第二音楽室から、かなり速いテンポで叩かれるドラムの音が聞こえる。
今は放課後、とりあえず、引退はしていない三年生を含む生徒達は部活に精を出している時間帯。
「…………む。ここはどこでござるか」
中学生とは思えないほどに背が小さい剣道部主将、伊団望志(正しくは一t法師)は、校舎内で迷っていた。ここどこ? 学校って事しかわかんない。
仕方が無いので、すぐそこでクラリネットの練習をしていた吹奏楽部員に聞いてみる事にした。
「ちょいとよろしいでござるか? ここはいったい何処でござろう」
「……えと、あの……自分の通ってる学校なんじゃないんですか?」
「拙者、方向音痴でござる」
「そ、そうですか……。三階のコンピュータールームの前です」
「ふむ、助かった。感謝する。練習の邪魔をしてすまなかったな」
そう言い残して去ってゆく伊団望志を、えっちゃんこと枝奈は見送らなかった。そんなことより練習。
「こんにちはっ!」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くと、鞄を提げたニ年生の奈那子が居た。
「こんにちは」
そう返してもらうと、奈那子は少し早足で、第二音楽室の中へ入る。
「こんにちはっ!」
『こんにちは』
そこに居た先輩に返してもらい、自分の担当する楽器であるチューバの元へ向かった。
鞄を隅のほうに置き、ケースを開けてマウスピースを取り出す。
「よ、奈那子」
「あっ、修也!」
テナーサックスを持った修也に声をかけられただけで、奈那子の顔は笑みで一杯になる。
それを見て修也は少し照れたかのように笑い……振り返って、背後からちょっかいを出してくる、トランペットパートの翔を睨み付けた。
流石に、楽器を持っているかいないか確認せずに殴りかかったりはしない。
「何か用かよ」
「それ奈那子さんに言われたら何て答える? 『話したかっただけ』とか? わーお」
奈那子に声をかけた時とは違い、少し低めの声になった修也を翔は笑いながらからかう。
「よし、分かった。お前の分の楽譜配んないから」
「え、ちょっと待って!? それ困る!」
楽譜係でもある修也ならではの反抗、翔は慌てて謝り始めた。
それを見て少し可哀想に思ったのか、修也は「分かった、分かった」と言って楽譜を渡す。
楽譜を受取った翔は、『もうからかいません』という意思表示なのか、さっさと自分がいつも使っている場所へ退散して行った。
「よーお、何言われた?」
「お前の分の楽譜配んないって言われた。でも貰った。よかった」
「あそ」
聞いた割には興味無さそうにする、トロンボーンパートの岳は、こちらへ向かってくるパーカッションパートの夏江に気付いた。
吹奏楽部部長でもある彼女は、超音波とも思える独特のキンキン声で岳の名を呼ぶ。
「こないだ聞いちゃったんだ!」
「…………何をっすか」
岳が言い切る前に、スパンッ! と小気味良い音と共に部長の頭が叩かれる。
「主語を入れろ、主語を!」
副部長で、フルートパートの古賀の声が、第二音画室に響いた。
「うぅ……だからね! たけるんをこないだ聞いちゃったんだ!」
「どういう意味!?」
「あ、間違えた」
岳が敬語を忘れて叫ぶと、部長は再び言い直す。
「こないだね、たけるんが、音楽室で、ドラムを、叩いてたのを、聞いちゃったんだ! よし言えたぁ!」
細切れに、ゆっくりと言って喜ぶ部長を見ながら、岳は首をかしげた。
何の事だろ。
「あ、あれじゃない? ほら、第一音楽室にある、生徒なら許可取れば誰でも使ってオッケーのドラムセット。よく岳使ってるじゃん?」
翔が何故か小声で言ってくれたことに、岳は『あぁ!』と、手の平を打つ。
「で?」
「上手だったからさ、パーカスに移ってくれないかなぁ?」
「いや、あんなん前に兄貴がやってんのちらっと見かけてそれ真似しただけだし……」
「兄貴? 上手なのその人!?」
耳が痛くなってきた。さらにグイグイ迫ってくる部長。
岳はトロンボーンをとりあえずスタンドに置くと、部長に少しどいてもらい……。
逃げた。
もー、しつっこい、あの人!
廊下に出て、走り出す。部長に古賀先輩、タツノオトシゴが追いかけてくる。
五十メートル六秒代の全速力で、何とか振り切ったが……戻ったらまぁた迫ってくるに違いない。
「うあー、どうしよ。サボるのもなぁ……」
そうぶつぶつ言いながら歩いていると、職員室から出てきた家庭科教師、光とばったり出会った。
「どうしたの~?」
「あー、光せんせ。俺どうすべき? 音楽室帰れねー」
「……分かんないんだけど~。あ~、お菓子歩けど食べる~?」
「あ、欲しい」
あっさりと話題を変えてしまった二人は、光の根城……家庭科室へ向かう。
「やっほー! ひーちゃん先生! またお菓子ある?」
テニス部Tシャツを着た春と美代が、二人……というか、光を見つけて寄ってくる。
「そうだよ~。また食べに来るんでしょ~」
「もっちろん!」
「ひーちゃん先生のお菓子……おいしい、もん」
何故か胸を張る春と、視線だけ少し外して言う美代。
家庭科室で出されたクッキーは、美代の言ったとおりおいしかった。
「……ところで~、皆部活は~?」
『あ』
岳は慌てて第二音楽室へ走り、春と美代は『あ』と言った割にはゆっくりしてから、家庭科室を出た。
「みーちゃん、ちょっと思うんだ。何の理由も無く……と言うか、お菓子食べてて遅くなったって言ったら、絶対先輩怒るよね」
「……当然」
「どうしよ」
「……どうしよ」
校舎からは出たものの、テニスコートへ行く勇気の無い二人は、何かいい言い訳は無いか考えるために校舎の裏へ隠れるように座り込んだ。
「お腹が痛くて保健室行ってましたー」
「……二人で?」
「部活ダルかったんで」
「……よけい怒られる」
良い案どころか、マトモな案が浮かばない。
二人がコソコソ言い合っていると、普段誰も来ないはずのこの場所に、足音が三つ近づいてきた。
一つは軽やかな、一つは淡々とした、一つは静かな足音。
続いて声も聞こえてくる。
――センパァイ、普通学校でお酒なんか飲みますぅ?
――バレなきゃいんだよ。一日一㎗までだし。……あーあ、無くなっちまった。
――㎗なんて、小学生以来だわ、聞いたの。
「だ、誰だろ」
「……ふりょー?」
「ウチ等、殴られる?」
「……なんで?」
ボソボソ言い合っているうちに、足音の主が現れてしまった。
「きゃー! 殴らないで!」
「何も聞いてない……うん。だから、あの、安心? して……。お酒とか、聞いてないよ」
頭を抱えてうずくまる春と、自ら墓穴を掘る美代を交互に見て、その不良三人組は、顔を見合わせて、肩をすくめたり苦笑したりしていた。
「はぁい、じゃあねぇ、殴らないであげる。でも、お酒のことは絶対他言しない事ぉ! おっけーかな?」
軽やかな足取りで歩いてきた温海(305話で純と喧嘩しようとしてたあの子)が、二人に指を突きつけて言う。
二人がコクコクとうなずくと、
「じゃ、行っていいよん」
そう言って一歩下がった。
春と美代が転がるように逃げていくのを見送りながら、淡々とした足音の主、夕菜が言う。
「あれでバレても、私関係ないから」
「あぁ。あれでバレても、七草を仲間から外すだけだから」
「えっ。ちょっ! 待って! 待ってくださいよ!?」
必死な様子の温海に、純は耳を傾けようとはしない。ただ、少し楽しげに薄笑いを浮かべるだけだった。
「ゆう、飴持ってねぇか?」
「棒付きエク飴。七十円よ」
そう言って差し出された、棒つきの黒い物体X飴を受取ると、純はそれを舐め始める。
「……七十円は?」
「ん、一昨年テメェに貸した百円。いつ返って来んだろな」
「借りたかしら?」
「あぁ、貸したよ」
「ウソおっしゃい。貴方、人には絶対金を貸さないでしょ」
そう言われて彼は肩をすくめ、携帯型デジタル音楽プレイヤーのイヤホンで耳を塞ぐ。
「…………温海、純くんの言う事は信用すんじゃないわよ」
そう言いつつ、夕菜は何処かへ行く事はしない。
「私は純先輩についていきます!」
「で?」
冷たく返された温海が再び声を上げようとしたとき……
「見つけたぞ! 高山!」
大声と共に風紀委員……では無く、生活委員長の霊四妙羅が三人の前に仁王立ちする。
「校内で煙草をすうとは言語道断!」
「どうやったら棒付き飴の棒が煙草に見えるのよ」
夕菜の突っ込みをスルーし、妙羅は腰に差していた剣を抜く。
「今日こそその根性、叩き直してくれる! もうあの柿ピーには任せておけん!」
「牡蠣野先生、そこで泣いてるわよ」
夕菜の突っ込みはまたもスルーされ、剣を突きつけられた純は、ちらっと妙羅の顔を見上げると、
「あのさ、銃刀法違反って知ってっか?」
そう言った。