夜逃げ屋本舗
水蒸気オーブンレンジがチンとなる。ザックリ温めモードでバリバリさを復活させたアップルパイを取り出した。
皿に切り分け上にアイスクリームを盛り付ける。カウンターにおいたコップに生けていたミントの葉を千切りアイスに載せた。
そのお皿を黒くんと、美和ちゃんの前に置くと、二人は子供のように目を輝かせた。
クリームケーキも素敵なモノ。しかしこういう焼きたてのパイは、また違った心踊らせるホカホカした空間を作り出す。
「中にカスタードクリームまで入っていて美味しい! 手作りでこんな凝ったパイ作れるなんて月さん凄いですね!」
美和ちゃんの言葉に、恥ずかしくなりイヤイヤと首を横に振る。
「コレはね、冷凍パイシートだよ。それに近所のケーキ屋さんのケーキの端切れを敷き詰めて、上に煮リンゴとプリンを広げて蓋をして焼いただけなの」
私は手抜きを白状する。パイのパリパリさを守るためのスポンジは買ってきたもの。カスタード風に見せているクリームはプリンで代用とかなりのなんちゃって料理なのである。材料で私が作ったものはリンゴの砂糖煮くらいである。
それでも美味しいと言ってくれたので良かった
「ところで、結婚式まであと一ヶ月チョットだけど、引っ越しとかの準備は進んでるの? 大変でしょ? 色々平行して行わないと駄目だから」
私は話題を変えることにする。
「黒沢さんが、色々手伝ってくれるので、大丈夫です」
美和ちゃんはニコニコと答える。ラブラブという音が聞こえて来そうな二人の様子に、なんかほのぼのして私もニコニコして珈琲を飲む。
「引っ越しといったらさ、チャンとした業者に頼んだほうがいいですよ」
渚くんが、ほのぼのとした空気に、水を差すような事を言ってくる。その言葉で私は気分はロウになっていく。
「引っ越しでも事件あったんですか?」
黒くんがニヤリと笑って妙な言い回しで聞いてくる。私は溜息をつく。
※ ※ ※
一応もう入籍もして、しかも転居届けもしてしまっている。
書類上では実は私はもう横浜市民ではなく川崎市民になっている。しかし未だに会社では月見里で過ごし、実家で暮らしている。
引っ越しは挙式の一週間前。私はネット見積もりで最も安かったカタツムリ引っ越しセンターという業者に依頼をする。
『カタツムリって引っ越しするにも家すでに背負っているじゃん』と思わないでもない。
私は大手の安心感とか、サービスの良さとか、引っ越し業者の名前でもなく安さで選んだから仕方がない。
カタツムリが前もって届けてきた段ボールがビックリするほど少なかった。スーパーで足りない段ボールを集める所から私の引っ越し準備は始まった。
元々、夏休みの宿題でも早めに片づけてしまう主義。私の部屋はこの時期で既に段ボール箱が積まれ倉庫のようになっていた。荷詰めしたのは季節外れの服。実家にあった新生活に使えそうな引き出物の食器類など。
こんな状況でも日常生活を過ごすのには全く困らないという事実に気が付く。
結婚式のスケジュールを決めたり、席次表を決めて作成したり、結婚式で使用する音楽を決めたり。
出席者から挨拶してもらう人を決めてお願いしたりと、本格的に結婚準備が忙しくなってくる。
大陽くんとのメールのやりとりも、実務的な事ばかりになる。逆にその忙しさがマレッジブルーにする余裕も、喧嘩なんてする暇すら与えず、二人で驀進しているといった状況。
それは、私が月見里から大陽になるまでの心の移行だったのかもしれない。
私を示す名前を先ず変え、今までの生活を少しずつ大陽仕様にシフトチェンジしていく。そういった中で一番変わっていったのは親との関係かもしれない。
何も親に相談もせず必要最低限の報告だけをしてきた私が何でも話すようになっていた。結婚式の亊が中心であるが。
自分の話したい話だけをして娘の話なんて聞こうともしなかった父が、渚くんの事とかも気にしてくる。話を聞きたがり、結婚準備で困っている亊はないか? と口を開けば聞いてくる。
私がそれまでの人生の中で最も一家団欒を楽しんだ日々でもあった。
そんな慌ただしいようで穏やかな日々もあと一週間という時に、私の夜逃げ事件が起こった。
単身引越という亊で私も気楽モードで、実家では引越業者の方と私と父と母。
大陽くんのマンションではトラックを先回りして移動した私と母。そして大陽くんの三人で充分だと思っていた。姉の時もそうだったので。
実家にて引越業者を待っていたのだが、待てど、暮らせどこない。そして約束より一時間も遅れで玄関のチャイムがなる。
ロン毛茶髪の今時という兄ちゃんはヘラヘラやってきて、「ども~」と見た目通りチャラい挨拶をする。
そして三階にある私の部屋まで登ってきて、『えぇえ~!』と何故か不満そうな声をあげる。
「こんなの、俺一人じゃ無理じゃないですか~」
彼はそう言って、会社に電話しだす。
「すいませ~ん、全然話違いますよ! 荷物けっこういっぱいで~。 え、手伝いるっていっても、すげ~小っちゃい女と、おっさんとおばさんですよ」
横にいるので、すべて聞こえているけれど、その兄ちゃんはそんな会話をし出す。
文句言われる筋合いはない。訪問はなかったので、ネット見積もりした時もちゃんと正確に荷物を私は申告した。
ただ机というラジオボタンだけでは不安だったので、備考欄にちゃんとサイズも書いておいた。
それを判断した人の、見積もりミスともいうべきパック設定になっていたようだ。
でも頑張れば出来るよね? という感じだと思うのだが、そういう方向にはその兄ちゃんはいかなかったようだ。
「あの~、コレ俺一人じゃ無理なんで~至急人集めて出直してきますんで~またきますね~」
そう言って兄ちゃんは、ポカンとしている私らを置いて出て行った。
私は仕方が無く、大陽くんに連絡し、状況を説明する。
「なに? それ……。 まあ、今言っても仕方がないから、またお引っ越し屋さんが来た段階で連絡してね」
まあ、そう言うしかないでしょう。
そして、仕方がないから我が家では珈琲でも飲むことにする。
「お前の珈琲を、こうして飲めるのも、もう少しで終わりなのだな~」
父がしみじみと、私の煎れた珈琲をのみ、三人リビングで寛ぐこと二時間。引っ越し屋さんから電話もなければ、もちろんトラックがやってくることもない。
「そろそろお昼か、よし! 俺が特性焼きそばを作ってやろう」
俺様で、関白亭主に見える父。しかし昔下宿していた事もあり意外に炒め料理は得意。家族に美味しいといって食べてもらうのは好きだったりする。
父お手製の塩焼きそばを三人で食べてかたづけ等して一時間チョットの時間が過ぎる。しかしまだなんの連絡も来ない。私は一応大陽くんにLINEをいれておく。
部屋にいても落ち着かないので、そのままリビングにて三人で、とりとめもない会話をする。
十五時になり、再び珈琲でも飲みますかという話になる。私が煎れた珈琲とお隣から昨日頂いた薄皮まんじゅうを楽しむ。
十六時過ぎて流石に、待ってられないと引っ越し屋さんに連絡をいれた。
『今調整しています、もう少しで作業員を向かわせます』という返事をもらう。私はその電話に溜息をつき、その旨を大陽くんに連絡すると、電話の向こうからも溜息が聞こえた。
時間短縮の為にも、三階にのぼり部屋の荷物を一階に降ろしておくことにする。あらかたの箱の荷物は一階に降ろしたら六時になっていた。
仕方がないので、母とサラダと肉と野菜の炒め物といった簡単の夕飯を作り食べ終わる。でもまだ引っ越し屋も来なかった。引っ越し屋に電話をかけても、『もうすぐ行きます』と繰り返すだけ。
こうなったらお風呂でも入るかと自棄になった二十時頃に、実家にトラックがやってきた。
午前中にきたあの茶髪の兄ちゃんは、何故か自慢げに『仲間を集めてきました』と私達に言い放つ。
もう文句を言うのも疲れたのでお願いすることにすると。
兄ちゃんは連れてきた三人の作業員と共に、走るように三階までいき家具を運ぶ。人数に物いわせあっという間にトラックに荷物を積み込む。
逆に言えば、四人もいらないだろうという荷物だから、そうなって当然なのだが……。
「では、荷物引っ越し先に運びますので! 後ほど現地でお会いしましょう!」
質問する暇も、『この時間なのに?』という突っ込みをする暇もあたえられず彼らは去っていった。我に返った私はすぐに大陽くんに電話する。
「あの、引っ越し屋さんね、今出たの」
「え! 今?!」
「と、とりあえず今からソッチ私も向かうね」
私はそんな時間ではあるものの、慌てて電車で一時間チョットかかる大陽くんのマンションに向かう。もちろん母をそんな時間に動かすわけにはいかないので私だけ。状況が状況だけにこの日は大陽くんのマンションに泊まることも許可してもらえた。
途中大丈夫だとは思うものの、LINEでまだ引っ越し屋さんが来てないかと大陽くんに確認しながら移動する。
必死な思いで大陽くんのマンションに辿り着いたのは二十二時チョット過ぎだった。でもまだ荷物は届いていなかったらしい。
心配になって、引越し屋さんに連絡すると、もう営業も終わったというアナウンスが流れるのみ。
「あのさ、もうこんな時間だけど、本当に荷物くるの」
私もそう思うだけに、首を横に傾けるしかない。お風呂にうっかり入る事も出来ず、二人でリビングに並んでTVを見ている事しか出来ない。
そして日付が変わった時間にベルが鳴る。
「お待たせしました~カタツムリ引越しセンターです」
インターホンからそんな声が聞こえる。私はため息をつきながらボタンを押しマンションの入り口の鍵を解除する。
「いや~道が混んでいまして、遅くなりまして申し訳ありません」
一応そのように謝ってくる。朝見たときよりも窶れの見える顔に、文句もなんか言えなくなる。
「お疲れ様でした、あの時間が時間なので下の階に迷惑かけないようにお願いします」
そうとだけお願いしておく。そうして四人がかりで、私の荷物の運びいれ作業は深夜にこっそりと行われることになった。
内心のトホホな気持ちを隠しつつ、荷物を運び終えた男の子たちにお茶を出す。四人の男の子はよほど喉が渇いていたのだろう。えらく美味しそうにお茶を飲みそして去っていった。
(なんで、華々しいはずの新生活のスタートが、こんなにも夜逃げのような状況になるのだろうか?)
※ ※ ※
「……という感じだったの」
私は黒くんと美和ちゃんに向かって話し終えて、ため息をつく。美和ちゃんはビックリしたように目を丸くして、黒くんは苦笑している。
「大変だったんですね~」
同情の目で美和ちゃんは、まっとうな感想を伝える。
「なので、業者選びは気をつけてね。私みたいに安さだけで選ばないで」
私の言葉に美和ちゃんはコクリと頷く。まあ、もう依頼しているし、名前を聞くとメジャーなところなのでそんな心配はなさそうだ。
ティータイムを終わらせた私達は、ペーパーアイテムの作成を再開させた。
夜逃げ屋本舗
1992年 日本
監督・脚本:原隆仁
脚本:真崎慎、長崎行男
キャスト:中村雅俊、
高木美保、
益岡徹、
榊原利彦