幸福の選択
挙式まで一ヶ月という忙しいタイミングで、黒くんと実和ちゃんのカップルは我が家にやってきた。
エレベーターを降りてキョロキョロしている二人に、私は玄関のところで手をふり部屋の位置を教える。
「暑かったでしょ~入って! 入って!」
「お久しぶりです。お休みの所、急に押しかけてしまって申し訳ありません」
黒くんが花束とケーキの手土産を私に手渡す。そして玄関まで出迎えに出ていた渚くんに恐縮しながら頭をさげた。
「聞きましたよ。こんなタイミングでプリンターが壊れるなんて災難でしたね」
渚くんはニッコリと二人を迎える。
そう、黒くんのもっているプリンターが壊れたのだ。席次表とかネームプレートといった創作物が多いこの時期に。
去年の年末に買ったばかりなので、無料修理期間なのでよいのだが、二週間程修理にかかるという状態。
来週までには、ペーパーアイテムをホテルに届けないといけない時期だけに困り果てていた。
そういう事情で我が家のプリンターを使ってもらうことにしたのだ。
そういえば、この二人は私の結婚式の時あったままで、一年以上ぶりなのかもしれない。
流石に黒くんは結婚式の主役の一人だった渚くんは覚えているだろう。
渚くんは出席客の一人でしかなかった黒くんを覚えているのだろうか? と不安を感じたが、ニコニコ話しているので大丈夫かと思う。
「本当に参りました。こんな時にプリンターが壊れるなんて」
恐縮しまくる黒くんに首を横にふり、部屋の中へと促す。
実和ちゃんは、ウチに遊びにくることを楽しみにしていたようで嬉しそうに部屋を見渡している。
私が結婚したあと、実和ちゃんは黒くんと付き合い始めた。週末はラブラブと二人で過ごす事になって、我が家に遊びにくる事がなかなか出来なかったからだ。
「うわ~素敵な部屋ですね」
お世辞ではない感じの実和ちゃんの言葉に内心ホッとする。共働きである為に、そこまで掃除が行き届いているというわけではない。
昨晩必死で掃除した。二人は興味ありげに、本箱や、棚の上並べられた映画グッツを眺めたりしている。私はソコって埃はたいたかな? と不安になってくる。
「まあ。のど渇いたでしょ? まずはお茶でも飲んで落ち着いて」
私はトレイにアイスティーの入ったグラスをもって、二人をソファーに促した。
そして、今日ここで作るべきペーパーアイテムを確認する。席次表とネームプレート付き冊子の二点を二百人分。
席次表は、B5ペラ刷り。すぐに出来るとして、二人のプロフィール紹介等をのせた冊子はB5サイズを二つ折り六ページ。それを金の紐で軽く纏めたもの。そして表紙には名刺サイズのネームプレートが付く。
その説明をうけ、渚くんはアレっという顔をしたので、黒くんが照れくさそうに頭をかく。
「冊子のデザインは、お二人の結婚式のアイデアをパクリました。ネームプレートの後ろに新居の案内を載せるって良いアイデアだったので」
「いや、百合ちゃんがドヤ顔で威張っていたアイデアだだけど。なんだ実は誰もがやっている事なんだと思ったらそういう事だったのか」
納得したように、渚くんは頷く。私、そこまでドヤ顔した覚えはないのですが……。
そう、この冊子タイプのネームプレートは私達の結婚式に時に作ったものと同じ。
それを山形に伏せた状態でおくとネームプレートになり、冊子は冊子で楽しんでもらえる。
しかもそのネームプレートの後ろは新居の地図と住所と電話番号が入っている。今後新居に遊びに来る場合は、ソレを頼りにして来てもらえたら良いというもの。
私達の場合は、付き合っている時の二人のエピソードを四コマ漫画にしたもの。小学校の時の集合写真を使い『小学生の二人を探せ! ゲーム』といった感じのモノで構成した。
そして、先に名刺用用紙を使いネームプレートを印刷して、冊子を作る事にした。二人が印刷している間に、私は金のゴムをB6サイズに二百本切る。渚くんには結び目をつくっていってもらう。その様子を黒くんが申し訳なさそうに見つめてくる。
「すいません、そんな事をさせてしまって」
「いいの! いいの、この人、自分の結婚式の準備の時、寝ていて何もしなかったから」
ニッコリと笑う私の横で、渚くんは苦笑いをする。
まあ例によって、徹夜続きの後だった事もある。結局冊子印刷は渚くんの家で行ったものの、冊子作りは私と母が二人で内職のように家で制作した。
「こういう事って、後々、ネチネチ言われるから黒くんも気をつけてね」
渚くんの言葉に黒くんは引き攣った笑いを返す。
渚くんにとって黒くんは殆ど初対面に近い。しかも年上な筈なのに、私につられて『黒くん』という所に違和感を覚えた。
四人でやると、印刷する人、紙を折る人、ページに纏める人といった作業分担も出来る。しかも話しながらの作業で楽しい。
まだ読んではならない内容だとは分かっていても、見えてしまう冊子の中身。二人がそれぞれ好きな言葉。相手を何と呼んでいるか? 何処が好きかとか、付き合うキッカケとか、なかなか読んで照れる内容になっている。
「なんか、すっごく恥ずかしい! そんなに笑うなら月ちゃんたちの付き合うキッカケとかも教えてよ」
私があまりにもニヤニヤしてしまったので、黒くんも流石に照れてきたのか、拗ねたようにそんな事聞いてくる。
「いえいえ、私らはそんなにお二人のような素敵にラブな始まりではないので」
私はヘラっと笑って誤魔化す。
「確かにね~」
渚くんもニッコリ笑いながら『僕らの場合は』と続ける。私は思わず隣をみてしまう。
「花火大会を二人で観に行ったときに、凄い土砂降りにあってね、二人ともビショヌレになって最悪の状態だったんだ。でもなんかそれでも楽しくて」
アレ? いつの話をされていますか? そのイベントの思い出はある。しかしそこで告白されたという記憶が私にはない。
「で、『これからもずっと一緒に、いろんなイベント楽しんでいこう』って言ったのが始まりだったからな~」
ソレ、告白だったの? 前を見ると『素敵な告白ですね~』と実和ちゃんが感動した様子で答えている。一般的にみてもそれが告白判定なのかと気付く。
でも、黒くんは、アレ? という顔をしている事からやはりわかり辛いという事だよね?
ということは、私達は、あの夏から恋人同士だったということ? ならば、私が秋から冬にかけて片思いでヤキモキしていたという時間は何だったのだろうか?
私は思わず手を止め、何とも言えないモヤモヤしたものを心の中で感じる。
「花火大会で告白なんて、凄いロマンチックじゃないですか! そういえば月さんのプロポーズってどういう感じだったのですか? 教えてくれなくて」
実和ちゃんは、すっかり乙女モードにはいっていて、眼をキラキラとさせてさらに踏み込んだ話を聞いてくる。
実和ちゃんは大人しく、あまり自分から話しをふったり広げたりという事をしない。聞き役でいることが多いのに、こういった恋愛系の話になるとこういうノリになってしまう。
「そんな、ロマンチックなものでもないですよ、映画館に行ったときに」
必死で複雑な気持ちを整理していた私は、自分の旦那様の口から思いもしないワードが出てきて手を止めた。思わず、その顔をみてしまう。
いつものようにニコニコと笑っている。そんなに話を盛るとかいうこともしない人だけに、どんなプロポーズの言葉が出てくるのか? 実和ちゃんとは違った意味でドキドキとした気持ちで聞いていた。
「『映画のパンフレットもう二人で二冊買う必要ないよね』って言っただけで」
(それか~! ソッチが告白の言葉だと……)
「映画好きなお二人らしい、プロポーズですね!」
ニコニコと平和に話を続ける二人の横で私は、ヘラっと思いっきり作り笑いをして誤魔化していた。黒くんは何やら、首を傾げているようだ。
「あの、深夜のファミレスで携帯電話超しだという話は?」
私が動揺しながら、一人で必死に二人の時系列を整理していたら、黒くんがボソっと聞いてくる。
そうか黒くんには私がプロポーズと感じていたエピソードを話していただけに、それとの相違に首を傾げていたようだ。
渚くんは、一瞬その言葉にポカンとしたけど、すぐに「ああ」と頷く。
「それは最終結婚意志確認みたいなものなのかな?」
「はあ」
黒くんは、それになんとも間抜けな言葉を返す。そして私の誤魔化し笑いでなんか察したらしい、ズレまくった私らの関係を。
「どうしたの? 手止まっているよ!」
渚くんの言葉に、私は『イヤイヤ』と首をよこにふる。
「けっこう、こういう話改めてするのって、恥ずかしいかなと」
そう誤魔化しておく。
「ま、一方的に笑って、黒くんたちだけ恥ずかしい思いさせるのも可哀想じゃん」
その言葉に、二人が思いっきり顔を赤らめる。確かに渚くんも中の文章を読んでニヤニヤしていた事を思い出す。
「ということは、出会って数ヶ月で付き合う。半年もしないでプロポーズってずいぶんテンポ早いですよね、迷う事とかなかったのですか?」
黒くんは、逆にコチラの恥ずかしい話を聞くという、攻撃に転じてきたようだ。
後悔か、私は後悔というものは無かった気はする。でもあえて何も言わずにチラリと隣を見上げた。
「ないかな? まあこの年だし、告白するにしても、結婚もありと考えられる相手を考えません?」
その言葉に私と黒くんはビックリした顔で渚くんの顔をみる。
「え、最初からそこまで考えていたの?」
「え? 男性なのに結婚願望強い方だったのですか?」
私達二人の言葉に渚くんはウーンと悩む。
「いや、三十くらいに出来たらいいなという感じ? 単に恋愛を楽しむだけの為に人と付き合うというのも面倒だし」
恋愛を楽しむことをモットーにしてきた男が、その言葉に引き攣った笑いを返す。
「でまあ、どうせ百合ちゃんとこのまま付き合っていくなら、恋人でも夫婦でも大した違いはないから。変わらないなら、しちゃっても良いかなと」
「はあ」
渚くんらしい言葉だと私は思う。ソレに慣れていない黒くんは、何と言っていいのか分からないという顔で、曖昧な相槌をうつ。
実和ちゃんにはその言葉が、ラブにロマンチックな内容に変換されているようだ。素敵な映画を観ているかのようにホクホクした顔をしている。
「そんな簡単に、結婚なんて決めていいもの?」
からかうように言う私の言葉に、渚くんはポカンとした顔をする。
「簡単に決めたわけでもないよ。
すぐに後悔するような選択なんてそもそもしてない。現に今、すっごい幸せで満足しているし」
ニッコリ笑う天然の渚くんの言葉。慣れてきたと思うのにこう不意にこられると真っ直ぐな言葉に思わず赤面してしまう。
向かいの席をみると目をハートにした実和ちゃんと、苦笑しつつ嫌みっぽく笑う黒くんの顔が見えた。
「新婚って感じでいいですね~」
黒くんの嫌みっぽい言葉に、照れもあり睨む。
「そちらだって、二人っきりの時はもっとデレデレな状態では」
突っ込むと黒くんは笑いを引っ込め、実和ちゃんは顔を赤くして目をそらす。
二人って思いっきり馬鹿ップルになるタイプなのだろうか?
想像してみて、コチラが恥ずかしくなってしまった。四人いるうちの三人が照れているという事で我が家のリビングに微妙な空気が流れる。
「あっ、三時だからおやつにしない? さっき頂いたケーキもあるし! 昨晩百合ちゃん焼いたアップルパイもあるし食べよう!」
脳天気な渚くんの言葉が、そんなどこがモヤモヤした空気を吹き飛ばす。
私は立ち上がり、お茶の準備に向かうことにする。
印刷も順調だし作業も半分くらいは進んだ。この分だと今日中に余裕で終わることができそうだ。
「じゃあ、お茶はダイニングの方でいいかな?」
作業場所で飲食するのは危険。しかも今回している作業は大切な結婚式のアイテム。汚すわけにはいかない。
渚くんは珍しく率先して、食器棚から皿を出し、いそいそと冷蔵庫からケーキの箱を出す。
手伝いたいとか、お客様の前で良い亭主のふりして格好つけるとかいうのではなく、早く食べたいからだろう。
私はそんな渚くんが可愛くみえて、思わず微笑んでしまった。こんな巨大な男性が可愛く見えるというのも、新婚ボケのなせる技なのかもしれない。
幸福の選択(THE OBJECT OF BEAUTY)
1990年 アメリカ
監督・脚本:マイケル・リンゼイ=ホッグ
キャスト:ジョン・マルコビッチ
アンディ・マクダウェル
ホス・アクランド
ピーター・ライガート