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【1】1人足りない教室

――卒業式当日の朝。といっても特別なことがあるわけではない。

いつも通りの時間に起きて、軽く顔を洗った後に朝食を食べる。いつもと同じ食パンと味噌汁とバナナ。この朝食のメニューは高校生になってからの定番で、「高校生なんだから自分で朝ごはんくらいやってよね!」と母に言われたのがきっかけだ。パンには味噌汁ではなくスープの方がお似合いかもしれないが、お腹に溜まれば正直何でもいい。


「ちょっとお父さん、先にご飯食べちゃって!」

「いやぁ、こっちの方か……?」


俺が黙々とご飯を食べる横で、シャツにアイロンをかけているのが母で、鏡の前でネクタイを選んでいるのが父。そして、あくびをしながら階段を降りてきたのが(生意気な)高1の妹。


「おはよ、お兄ちゃん」

「ああ、おはよう」


妹は今日も普通に登校日なので、俺と同じでいつも通りの動きをしている。つまり、ドタバタしているのは親だけということだ。

(それもそうか……)

今日が終われば、もう制服を来て学校に行くなんてことはない。進む大学はもう決まっているので不安はないが、高校までとは生活も一変するだろう。


思えば3年間というのはあっという間だった。

ついこの間入学したような気がするのに、もう卒業。3年間ずっと楽しいことばかりだったとは言えないが、こうして思い返すと名残惜しさがある。

食べ終わった後の食器を片付けて、歯磨きをする。そしてすっかり着慣れた制服に袖を通――そうと思ったが、シャツがない。


「母さん、俺のシャツは?」


大体のことは母が知っている。というより「握っている」という方が正しいのかもしれない。


「あんたね、最後くらい綺麗なシャツで行きなさいよ!」


ああ、さっきアイロンかけられてたのは俺のシャツだったのか。どうせベストとブレザーを着たらシャツの襟くらいしか見えない。という言葉をぐっと堪えてお礼を言うと、母は一瞬息をのんだかと思うと、急に俺の髪をわしゃわしゃと撫でて去っていった。


「やっぱ卒業式だからじゃない? ほら、大きくなったなぁみたいな感慨深い感じしちゃってるんだよ」

「そういうもんなの?」

「しーらないっ」


いつの間にか側にいた妹の方が、母の気持ちを分かっているようだ。

皺一つないシャツに袖を通してズボンを履き、ネクタイを締める。

(入学した時は全然上手く結べなかったんだよなぁ)

ふと、また思い出が蘇ってきた。

入学したての頃。確かあれは、入学式から2日3日経った頃だったような。



まだクラスの中にグループなんて出来ておらず、だれも彼もがそわそわしていた時期。ネクタイが上手く結べない、かといって親に頼むのもなんか…と思った俺は、結局ネクタイをせずに登校していた。教室の場所を頭で思い出しながら、同じように右往左往している同級生たちの間をすり抜け、廊下を歩く。


「あっ、そこの君。ちゃんとネクタイしないと」

「すみません。なんか上手く結べなくて」

「まぁ最初は難しいか。誰か友達にやってもらいなさいね」


多分、他のクラスの先生だ。さすがは進学校といったところだろうか。軽い注意はされるが、多少であれば見逃してもらえる。成績が良い生徒が集まっているので、派手なことはしないと思われているのだろう。

鞄に仕舞っていたネクタイを取り出しながら教室に入る。席は一番後ろの窓側。最初は出席番号順だったが、入学して早々に席替えが行われたからだ。この席になれるのは結構運が良い。


「――いいなぁ、その席うらやましいわ」


ふと顔をあげると、前の席の男子が振り向いてこっちを見ていた。確か名前は……


「俺、佐藤さとう。よろしく」


そうだ。最初に声をかけてくれたのは佐藤だった。少し日に焼けた肌と焦げ茶色の髪。何となくサッカー部っぽいと思ったが、体育の授業でサッカーのセンスが全くないことが分かるんだった。


「あの、僕は結城ゆうき……これからよろしく」


そう。その次が右隣に座っている結城だった。細身のメガネをかけている、いかにも優等生って感じ。確かに結城は頭が良かったが、それ以上に運動ができる奴だった。見た目と中身が噛み合っていないナンバーワンといえる。


「あ、俺は横山、横山新よこやまあらた。よろしく」


先に言ってしまうと、この2人とは結局3年間付き合っていくことになる。ただ、仲良くなったきっかけは声をかけてくれたこと、ではない。


「ところでさ。もしかしてお前たちもネクタイ上手くつけられなかった感じ?」


そう、佐藤の言う通り。俺たち3人はネクタイをつけていなかった。佐藤と俺はシャツのボタンが一つ開いているが、結城は律儀に上まで閉めている。

(さっき「ネクタイ友達にやってもらいなさい」とか言われたけどさ……)

せっかくクラスメイトと話せたと思ったら、揃いも揃って不器用だった。

最終的に他の男子に頼んだか、それとも自分で上手いことやったのかはあまり覚えていない。



「――ちゃん、お兄ちゃん!」


しまった。友人との出会いを思い出していたらそろそろ家を出ないといけない時間になってしまった。といっても、いつもの登校時間よりは遅い集合時間なので、特に急ぐこともない。

鏡の前で軽く髪を整えて、おかしなところがないかを確認する。


「いってらっしゃい」

「うん」


ほぼ空っぽの鞄を肩にかけて、家を出る。家の近くに桜の木はないのだが、どこから飛んできたのか、花びらが道端に落ちていた。

いつも通り電車に乗り、30分ほどで最寄り駅についた。ここからは、学校まで歩きだ。いつものペースで行けば10分ちょっとで着くだろうが、今日はゆっくり歩いてみたくなった。

(結構咲いてるな)

俺が通う学校の魅力の1つとして、通学路の桜並木がある。川沿いに桜の木が並ぶ様子は、ぼんやりしながら歩いていても春を感じるほどだ。


「よっ」

「おはよう、横山」


軽く肩を叩かれたかと思うと、いつの間にか佐藤と結城が隣にやってきていた。佐藤は自転車に乗りながら地面を蹴って進んでいる。結城は自分の鞄を佐藤の自転車に乗せて、身軽そうだ。


「なんかちょっと寂しいよな」

「今日で最後だからね」

「結城はともかく、佐藤に寂しいっていう感情あるんだ」

「お前は俺のこと何だと思ってるんだよ!」


自然と笑みがこぼれた。一見すると共通点の無さそうな俺たち3人が、こうして一緒に笑っている。もちろんこの2人以外の友達だっているが、ここまで打ち解けられたのは佐藤と結城だけかもしれない。

桜並木を歩きながら他愛ない話をする。

今までにあったおもしろエピソードとか、今後のこととか……あとは春休みなにするかとか。


友達と話しながら歩く道は、1人で歩く時よりも短く感じる。俺たちは「卒業式」と書かれた看板を通りすぎて、真っ直ぐ教室へ向かった。

教室には既に殆どの生徒が揃っていた。早めに出たつもりではあったが、ちょうど良かったらしい。

ガラリと扉が開く。


「みんな、おはよう。さあさあ席に着いちゃって」


担任の先生が教室に入ってくると、ざわざわとしていた空気が少し引き締まった。だが、何と言っても卒業式の日だからか、どことなく浮わついている。今日は返却物や卒業祝いの品が送られるということで、席は出席番号順だ。俺と結城は席が前後で、結城が軽くこちらを振り返ってくれるので、話し相手には困らない。


「あれ……渡辺は?」

「ん?」


振り返った結城の視線は、一番後ろの窓側の席に向いていた。そこには誰も座っていない。


「誰か、渡辺さんをみた人はいる?」


先生が問いかけるが、誰も知らないようだ。もちろん俺も、一緒に登校した2人も知らない。


―――――渡辺か。

渡辺仁わたなべじん

渡辺は何というか、良くも悪くも目立っている奴だった。白い肌にさらっさらの黒髪。恐ろしいほどに整った顔。こう説明すると弱々しい感じになってしまうが、決してそんなことはない。背は高いし、運動もできる。しかも頭まで良いときた。廊下ですれ違った女子が振り返るくらいに目立つ存在。

今にも消えてしまいそうな透明感と、高校生特有の力強さが共存しているような、何とも言えない不思議な雰囲気を持っていた。


「でもさ、渡辺ってこういう時に遅刻するタイプだっけ?」

「別にそんなことないと思うけど」

「てか、よく分かんないよな」


近くの席からそんな会話が聞こえてくる。

確かに、渡辺はよく分からない奴だった。渡辺の容姿を説明するのは別に難しいことじゃない。でも何というか、私生活の情報が全くといって良いほど入ってこないのだ。

教室にいると耳を澄ませてなくても、どこの誰が何したっていう話が聞こえてくる。例えば彼氏彼女がいるのかとか、いつ別れたかとか、バイトの愚痴とか……。

渡辺の場合、根拠のない噂ばかりが流れている状況だ。家はとんでもない金持ちで、親が医者かなんかで、将来は病院を継ぐとかなんとか。怖そうな人たちとつるんでいるのを見た、とか。今は誰とも付き合っていないという話もあれば、いろんな子と遊んでいるなんていうのもある。

(ま、僻みからくる悪意も含まれてるか)

その容姿と能力は一目置かれる理由に十分なり得るものだった、という訳だ。

(とにかく、無断欠席とか遅刻とかするタイプではないよな)

卒業式の会場もとい体育館に移動する時間は刻一刻と迫っている。先生なんか大慌てだ。真面目な生徒がこんな日にいないんだから。


「ちょっと連絡してくるから。誰か渡辺さんの連絡先知ってる子は連絡してみて!」

(そんなこと言われても……連絡交換している人がいるのか?)


想像通り、個人的に繋がっている人はいないようだ。だがクラスラインには入っている。誰か1人が電話すればいいだろうということで、1人が電話をかける様子をみんなが見守っている。


静かな教室の中に着信音だけが響いている。

そして数分待ってみても、それが消えることはなかった。


「……スマホの充電切れてるとか?」

「電車の遅延とか」

「でも今日どこも遅延してないらしいけど」


あと考えられるのは、スマホを見れないレベルで切羽詰まっている可能性だろうか。

この時点で何となく、変な感じがしていたように思う。

嫌な予感といえばいいのだろうか。誰も口には出さないが、きっとこの何とも言えない胸騒ぎを多くが感じていただろう。

―――先生はまだ戻ってこない。



















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