『地図の外の街』
仕事帰りの夜道は、いつも決まっていた。
駅前のコンビニで缶コーヒーを買い、川沿いの道を抜けて自宅マンションへ。
ただ、それだけのはずだった。
その夜も同じように歩いていたのに、
ふと視界の端に――見覚えのない路地があった。
街灯が一本、淡く滲んでいる。
風が通らないのか、やけに空気が重い。
立ち止まったまま、スマホの地図アプリを開く。
「位置情報が取得できません」
そんなメッセージが表示された。
「……なんだ、電波が悪いのか」
そう思いながらも、なぜかその路地に足を踏み入れていた。
路地の奥には、小さな商店街のような並びがあった。
古びた看板、閉ざされたシャッター。
けれど、一軒だけぽつんと灯りのついた店がある。
“白地商店”と書かれた古い看板。
読めるようで、どこか文字が歪んで見えた。
中から出てきた老婆が、こちらを見て微笑む。
「お帰りなさい」
思わず足を止める。
「……人違いじゃないですか?」
老婆は首を傾げ、ゆっくり言った。
「ううん、皆さんそうおっしゃるの。でも、いつか思い出すのよ」
背筋に冷たいものが走った。
見渡すと、他にも数人の人影がある。
誰もが静かにこちらを見て、微笑んでいる。
まるで、ずっと前から自分を知っているように。
慌ててスマホを取り出す。
カメラを起動し、店の外観を撮影――
だが、保存フォルダには何も残っていなかった。
「おかしいな……」
そう呟いて振り返ると、
さっきまでいた路地の入り口が、もう見えなかった。
街の音が消えている。
聞こえるのは、自分の鼓動だけ。
歩き出す。
けれど、どこへ行っても同じ景色が続く。
同じ通り、同じ看板、同じ人。
まるで、街そのものが輪になっているようだ。
焦りが喉を締めつける。
「出口……どこだ……」
やがて見つけた交差点の掲示板。
そこに貼られた紙に、見覚えのある顔があった。
“行方不明者:〇〇(40代・男性)”
写真の中の男は、自分だった。
震える指でスマホを開く。
地図アプリが自動で更新される。
白い空白の中に、ゆっくりと文字が浮かび上がる。
> ――現在地:白地町
そして、画面が暗転した。
夜風が吹き抜ける。
ふと顔を上げると、街の人々が一斉にこちらを見て、微笑んだ。
「お帰りなさい」
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> それ以来、この街を検索しても、
地図には存在しないと表示される。
けれど、噂は残っている。
「夜に“白地町”という地名を見たら、
絶対にその道を進んではいけない」




