第21話【本気を出す影】
闘技場の空気が一変した。
ユリナ・ダークネストが紅紫の瞳を細め、薄く笑みを浮かべた瞬間、漆黒の魔力が地を這うように広がっていく。
それはただの魔力ではなかった。
観客席の生徒たちにまで影響を及ぼす“圧”。幻覚と錯覚が重なり、視界が揺らぎ、鼓動が乱される。
「……なんだ、これ……!」
「幻覚……いや、心臓を直接握られてる……!」
目を逸らしていても精神が削られ、吐き気と恐怖が襲う。次々に席を立ち、逃げるように退席していく生徒たち。
やがて残ったのは――Sクラスの面々、多学年の実力者、そして四大一族の同学年の者たちだけだった。強固な魔力耐性を持つ、一握りの強者だけが残っていたのだ。
俺は炎を纏い、必死に闇を押し返す。
《フレイム・バースト》で爆風を生み、迫る影を弾き飛ばす。だが次の瞬間には再び闇が絡みつき、胸を締め上げた。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。幻の影がいくつも現れ、現実が崩れていく。
――防ぎ切れない。このままでは殺される。
「……もう終わりかしら」
ユリナが小馬鹿にしたように囁き、ゆっくりと歩み寄ってきた。
膝が崩れ、地に片手をつく。
彼女の影が覆いかぶさり、圧がさらに強まる。
ユリナはしゃがみ込み、冷たい指先を伸ばした。
俺の頬をなぞり、唇を吊り上げる。
「期待したのに……やっぱり雑魚だったのね。あの時、“名前を刻ませた”相手だっていうのに」
彼女の両手が俺の顔を挟み、紅紫の瞳が至近距離から覗き込む。
その瞬間、心臓が握り潰されるような圧が走り、呼吸が止まった。
――視線が合った。
白い本が勝手に開き、赤と黒の光が奔る。
《闇視の眼:模倣未完全》
黒炎のような奔流が脳裏に押し寄せ、俺の瞳に闇と炎が交じり合う異質な輝きが宿る。
無意識に、彼女の力を――映し返していた。
「――っ!?」
ユリナの目が大きく見開かれた。
至近距離で覗き込んだ瞳に、抵抗の力を感じた。あり得ない。彼女の“視線の力”を跳ね返すなど、経験したことがなかった。
瞳を持たない魔物に通じないことは過去にもあった。だが、瞳を持つ人間に通じなかったのは――これが初めて。
絶対であるはずの力が揺らいだ。ユリナの胸に冷たい動揺が走る。
次の瞬間、ユリナは弾かれたように飛び退いた。
闇を裂き、距離を取って俺を凝視する。
観客席の残った実力者たちも息を呑む。
模倣の正体までは誰も分からない。だが――確かにユウマが“何か”で抵抗したことは、魔力の波長を通して理解できた。
「……今のは……」
ユリナが低く呟く。紅紫の瞳には驚愕と、そして初めての“警戒”が浮かんでいた。
俺は荒く息を吐きながら立ち上がる。
胸の奥で理解する。彼女の力は完全には模倣できない。けれど、確かに抗う術にはなる。
――ユリナは俺の天敵であり、俺もまたユリナにとっての異物。
互いの存在を深く刻み合った、決定的な瞬間だった。




