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師の温情と氷見の味  作者: 司馬 雅


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第2部:活躍するパーマン

 第1章:蓋の裏の残響


 光禅寺で得た新たな情報。隼人は、すぐに湊警部へと電話で報告した。

「桐の箱の蓋の裏に、書き写したような跡、か…」

電話口の湊の声が、一段と険しくなる。「鑑識には、徹底的に調べるよう、改めて指示を出しておく。貴重な情報だ、助かる」

「それでそっちの方は、何か分かったかい」

隼人が尋ねると、湊は少し間を置いてから、重々しく口を開いた。

「ああ。氷見灘の親方が言っていた、東北訛りの二人組。昨日の昼過ぎ、高岡市のビジネスホテルをチェックアウトしていることが分かった。偽名だったが、ホテルの防犯カメラに残っていた映像と、親方の証言から、ほぼ間違いないだろう」

「足取りは?」

「それが、ぷっつりと途絶えている。レンタカーも使った形跡がなく、駅やバスターミナルのカメラにも、それらしき人物は映っていない。まるで、煙のように消えちまった」

またしても、壁にぶつかった。犯人たちは、相当な手練れだ。用意周到に計画を練り、警察の捜査網を巧みにかわしている。

「だが、収穫もあった」と湊は続けた。「ホテルの部屋から、いくつかの指紋が採取できた。現在、照会をかけている。それと、部屋のゴミ箱から、いくつかのパンフレットが見つかった」

「パンフレット?」

「ああ。『立山黒部アルペンルートと』、『黒部峡谷トロッコ電車』のパンフレットだ。どちらも、富山を代表する山岳観光地だが…」

立山と、黒部。

東北訛りの男たちが、なぜ、そんな場所に興味を?

隼人の頭の中で、いくつかの点が、ぼんやりと繋がり始めた。


 電話を切った後、隼人と智仁は、比留間米穀店に再び訪ねて行った。

丈太郎と和美は、心配そうに二人を迎えた。

「隼人さん、お寺では、大変でしたね」

「いや、親方に挨拶してたが賑やかになったんで、挨拶もそこそこになっちゃってね、親方も騒がしくて目が覚めたんじゃないかな」

居間の畳に座り、冷たい麦茶を飲みながら、隼人は軽い冗談を言って場を和ませた。


 仏壇の前で親方の遺影を見ながら

(一つは、ギャラリーから盗まれた、「笑ゥせぇるすまん」の未公開セル画。その裏には、ある人物に宛てた「メッセージ」が書かれていた。

もう一つは、寺から盗まれた、中学時代の原作画。その原作画が収められていた桐の箱には、ご住職が何かを「書き写した跡」が残っていた。二つの絵。二つのメッセージ。犯人たちは、そのメッセージを解読しようとしている。そして、そのメッセージは、どこか特定の「場所」を示している。東北訛りの男たちが持っていた、立山・黒部のパンフレット。それが、ヒントなのか?)

「…分からん」

隼人は、思わず声に出していた。

料理であれば、食材と調味料を前にすれば、おのずと完成形が見えてくる。だが、この事件は、肝心の食材が、まだ霧の中に隠されているようだった。

「大将、考えすぎですよ~」

智仁が、能天気に言った。

「心の声が漏れてますよ!そういう時は、美味いもんでも食って、頭を空っぽにするのが一番ですって!」

腕立てしてるさまを見て「なに、人んちでやっとんじゃ!」


 隼人は、ふと、師匠である伝助の言葉を思い出した。

伝助は、よく言っていた。

「いいか、隼人。料理ってのは、頭で作るんじゃねえ。心で感じるもんだ。行き詰まったら、一度、厨房から出て、風に当たってこい。答えは、意外と、お前の足元に転がってるもんさ」

(…そうか。足元、か)

隼人は、立ち上がった。

「丈太郎くん、少し、親方の部屋を見させてもらってもいいかい。昔のアルバムとか、何か残ってないかと思ってね」

「ええ、もちろん。二階の部屋に、そのままにしてありますよ」

何かがある。そう直感したわけではなかった。

ただ、この行き詰まった状況を打破するには、一度、原点に戻る必要がある。自分をこの道に導いてくれた、師匠の記憶の中にこそ、何か、見落としていたヒントが隠されているかもしれない。

そんな、予感めいたものに、隼人は突き動かされていた。


第2章:師匠からの贈り物


 比留間家の二階。階段を上ると、もわっとするような熱気と共に、古い木の匂いと、インクの香りが混じり合った、懐かしい空気が隼人を迎えた。そこは、師匠・比留間伝助が、生前、書斎として使っていた部屋だった。

 壁一面を埋め尽くす、巨大な本棚。料理専門書に混じって、歴史小説、民俗学、そして、おびただしい数の漫画本が、ぎっしりと並べられている。伝助は、無類の読書家であり、漫画好きでもあった。特に、同郷の藤子Ⓐ先生の作品は、すべて初版で揃えるほどの熱狂的なファンだった。

 隼人は、その本棚を眺めながら、修行時代の記憶を辿っていた。

夜、仕事が終わると、伝助はよく、この部屋で隼人に様々な話をしてくれた。料理の極意、人生の哲学、そして、彼が愛してやまない、漫画の物語。

「いいか、隼人。物語ってのは、人生の羅針盤だ。道に迷った時、どの方向に進めばいいか、教えてくれる」

そんな師匠の声が、今にも聞こえてきそうだった。


 隼人は、本棚の一角に、古びたアルバムが数冊、立てかけられているのを見つけた。そっと手に取り、埃を払ってページをめくる。

そこには、若き日の伝助と、まだ二十代の隼人の姿があった。店の前での記念写真、漁港での一枚、祭りの日のハッピ姿。どの写真の二人も、日に焼けて、満面の笑みを浮かべている。懐かしさに、思わず胸が熱くなった。


 アルバムの最後のページ。そこに、一枚の色褪せた写真が、大切に挟まれていた。

それは、伝助と、もう一人の男性が、肩を組んで笑っている写真だった。背景には、雄大な立山連峰がそびえ立っている。伝助の隣にいる男性は、眼鏡をかけた、優しそうな顔立ちの男だった。

(この人は…誰だ?)

隼人は、その顔に見覚えがなかった。

写真の裏を見ると、伝助の丸っこい字で、こう書かれていた。

『昭和五十年、夏。立山にて、生涯の友と。』


 その時だった。階下から、智仁の慌てた声が響いた。

「大将!湊警部から電話です!」

隼人は、急いで階下へ降りた。携帯を取ると、息を切らした湊の声が飛び込んできた。

「さっき照会に出していた指紋の身元が、一人、判明した!」

「はい、それで!」

「ああ!前科持ちの広域窃盗団のメンバーだ!そして、そいつの所属するグループは…東北を拠点にしているが、数年前、ある組織の傘下に入っている!」

湊が告げた組織の名に、隼人は息を飲んだ。

それは、以前に、札幌の事件でその存在が明らかになった、日本の裏社会に深く根を張る、あの古い組織の名だった。

「黒蓮会…!」

「そうだ!どうやら、この氷見の事件も、奴らが裏で糸を引いている可能性が高い!」

全ての点が、一本の黒い線で繋がった。


 東北訛りの二人組。黒蓮会。そして、立山。

犯人たちが目指す場所は、ほぼ間違いない。

隼人は、先ほど見た写真の光景を思い出していた。

立山連峰を背景に、師匠と肩を組んでいた、あの謎の男。

(生涯の友…)

「湊さん」隼人は、決意を固めて言った。

「俺たちも、そっちへ行っていいかな。親方と立山が何か今回の事に凄く関わってる気がしてならなくて!」

が、湊はためらった。「…いや…う~ん…」

隼人に話はしたが、彼らは一般人、捜査を手伝わせる訳にはいかない。

『だが彼らは(黒蓮会)に詳しい情報を持っていそうだし、洞察力は信用できる』、意を決して

「わかった、いいが、あくまで観光客として、来てくれるか、俺個人で動いてる訳ではないんだ、立山駅で落ち合おう」

隼人たちは急ぎ旅館に帰り、支度を整えて一路立山に向かった。

『この進展は何か師匠がもたらしてくれてるのかな』

そんなことをボンヤリとタクシーの窓から氷見の町を眺めながら想いに耽っていた。


 第3章:立山の麓にて


 氷見から車を飛ばし、およそ二時間。隼人と智仁が、立山黒部アルペンルートの玄関口である立山駅に到着した頃には、太陽は西の山々に傾きかけ、空は茜色に染まり始めていた。麓の空気は、平地とは違い、ひんやりと澄み切っている。

 駅のロータリーで待っていると、険しい表情の湊警部が歩いて来た。

「来たか。話は後だ。まずは、宿を確保しろ」

湊は、近くにある「万寿荘」という、古びた山小屋風の旅館を手配してくれていた。

「俺たちは、周辺の聞き込みと、アルペンルートの職員から話を聞く。夜、改めてお前たちの部屋で落ち合おう。それまで、勝手な行動はするなよ」

そう言い残し、湊は再び慌ただしく去っていった。

旅館の部屋で一息ついた後も、隼人は一枚の写真を眺めていた。師匠の色褪せた立山での友との写真

。丈太郎に借りてきた。

『生涯の友・・・』何か気になってしょうがない、隼人の感が騒いでる。


 その夜。

万寿荘の一室で、隼人、智仁、そして仕事を終えた湊が、小さなテーブルを囲んでいた。

「駅の防犯カメラに奴らの姿があった、そして、そこの喫茶店『なみき』でも奴らが話してたと目撃証言があった」

一呼吸して「『昨日の夕方、登山客にしては、装備も軽装、言葉が東北訛りの二人が最終のケーブルカーで登っていった』と間違いなく奴らだな、『明日の朝、天狗平てんぐだいらの山荘で落ち合う』みたいな話を聞いたらしい」

「天狗平ですか、やはり、彼らは山に入ったか」旅館にある観光地図を広げて眺めている。


 そのとき隼人のスマートフォンが震えた。

『大将、出ましたよ』

スピーカーから、札幌の常連客兼小料理探偵団の諒平が少し興奮してる声が響く。

『指紋から身元が割れた男、やはり元黒蓮会の末端構成員で現不知火しらぬいでした。そして、そいつと行動を共にしている、もう一人の男の素性も、ほぼ特定できました。青森出身の、元鍵師。どんな鍵でも開ける、その道じゃ伝説的な腕を持つ男だそうです。おそらく、ギャラリーや寺の宝物庫に侵入したのも、この男でしょう』

さらに、諒平は、黒蓮会の最近の動きについても報告した。

『黒蓮会は、一年前から、ある「計画」を進めていたようです。それは、戦後、GHQによって没収され、行方不明になったとされる、旧日本軍の秘密資金…通称「M資金」の在り処を探し出すというものです。彼らは、その在り処を示す「地図」が、ある寺の人物によって、何らかの形で暗号化され、隠されていると信じていたらしいです』

「ありがとな、諒平」

そうして電話は切れた。

 隼人はタクシーでここに来る途中に今回の事件を諒平に調査依頼していた。

M資金、地図、そして暗号、光禅寺、藤子Ⓐ先生の二つの未発表作品。

そこに隠されたメッセージ。

全ての点が、恐るべき一本の線で繋がった。

「住職は…」隼人が呟く。「黒蓮会に、脅されたのかもしれない。そして、その答えを、二つの作品に分けて隠したんだ。万が一の時のために…」

「とんでもない話になってきたな…」

隼人からの報告を受け、湊は、頭を抱えた。

「さっすが諒平っすね!」自慢げに智仁が腰に手を当ててプロテイン飲みながら言った。

「お前がえばんな」


第4章:捜査開始


 まだ星が瞬く、夜明け前の午前四時。

朝靄がうっすら立ち込めた八月にしては肌寒い中、立山駅のケーブルカー乗り場には、一般の登山客に紛れて、十数名の男女が集まっていた。隼人、智仁、そして湊。さらに、湊が信頼する部下の刑事たちが、私服と登山用の装備で、その中に溶け込んでいた。彼らの目的は、観光ではない。国宝級の宝を狙う窃盗団、そしてその背後にいる巨大組織「黒蓮会」との、静かな戦いの始まりだった。


 そんな中、湊の携帯電話が鳴った。

相手は、氷見警察署の署長からだった。

「署長?」

湊は、最初はいぶかしげにに電話に出ていたが、話が進むにつれて、その顔が驚きに変わっていく。

電話を終えた湊は、信じられないという顔で、隼人を見つめた。

「…どういうことだ、今、署長から、お前たちを、正式に、今回の事件の『捜査協力者』とするよう、命令が下った」

「なんですと?」

「なんでも、警視庁の本郷管理官から、直々に、署長へ要請があったらしい。あんたたちの力を貸してやってくれ、と。一体、あんた、何者なんだ…」

隼人は、苦笑するしかなかった。諒平と共に、春馬には、今回の件を話していた。その春馬が、本郷に報告し、本郷が、さらに手を回してくれたのだろう。あの「氷の女王様」に、また一つ、大きな貸しができてしまった。

だが、これで、心置きなく動ける。


 始発のケーブルカーに乗り込み、美女平へ。そこから、高原バスに乗り換えて、標高二四五〇メートルの室堂ターミナルを目指す。窓の外の景色が、鬱蒼うっそうとした森林から、ハイマツが点在する荒涼こうりょうとした高原へと変わっていく。その雄大な景色とは裏腹に、車内の空気は張り詰めていた。

「A班は、予定通り天狗平の山荘周辺に展開。B班は、室堂から先の登山道を監視。我々C班は、目標ポイントへ直接向かう」

湊が、地図を広げながら、小さな声で最終確認を行う。隼人と智仁、そして湊と、精鋭の刑事二名を加えた五名が、C班のメンバーだった。

 室堂ターミナルに到着すると、ひんやりとした空気が、火照った体を包み込んだ。夏だというのに、吐く息が白い。

 三つの班は、ターミナルで自然に分かれると、それぞれの持ち場へと散っていった。隼人たちC班は、登山客の流れから外れ、あまり人の通らないルートへと足を踏み入れた。隼人の頭の中には、昨日見た、師匠と謎の友人が写っていた、あの古い写真の光景が焼き付いていた。

(あの写真の背景…確か、特徴的な形の岩があったはずだ)

隼人の記憶と、湊の持つ詳細な地図を頼りに、五人は、まるで獣道のような道なき道を進んでいく。智仁の、消防士として鍛え上げられた体力が、ここで大いに役立った。険しい岩場も、彼は軽々と乗り越え、先行して安全を確認していく。


 一時間ほど歩いただろうか。

視界が開け、小さな湿原が広がった。その向こうに、隼人は、見覚えのある光景を見つけた。

天を突くようにそびえ立つ、巨大な一枚岩。そして、その麓に転がる、動物がうずくまっているかのような、奇妙な形の岩。

間違いない。師匠の写真に写っていた場所だ。

「…あそこだ」

隼人が、指差した、その時だった。

パンッ!

乾いた破裂音が、静かな立山の空気を引き裂いた。

銃声。

湊と部下の刑事たちが、咄嗟に隼人と智仁の体を地面に押し倒した。

「伏せろ!」

パンッ!パンッ!

続けざまに、数発の銃弾が、彼らがいた場所のすぐそばの岩肌に当たり、火花を散らした。

銃声は、湿原の向こう側、ハイマツの茂みの中から聞こえてくる。

「くそっ!待ち伏せか!」

湊と刑事たちが、腰のホルスターから拳銃を抜き、応戦の構えを取る。


 相手は、ただの窃盗団ではなかった。躊躇なく、警察官に銃口を向けてくる、本物のプロだ。

「なぜ、俺たちの動きがバレた…!」

湊が、歯噛みする。警察内部に、まだ黒蓮会の息のかかった人間がいるのか。

「そうかもしれん、謎が多すぎる奴らだからな」

岩陰に隠れながら、隼人が静かに言った。


「犯人グループは、一枚岩じゃない。俺が思うに、二つのグループがいる。一つは、純粋な宝『M資金』を狙う、黒蓮会の実行部隊。そして、もう一つは…」

隼人は、そこで言葉を切り、ある可能性に行き当たっていた。

「…まさか……」


 湊は、無線でA班とB班に連絡を取ろうとするが、この山奥では電波状況が悪く、うまく繋がらない。

「作戦がある」隼人が湊達に小声で伝える

隣に伏せる智仁に、低い声で指示を出した。「お前の出番だ智仁!あの茂みまで、最短距離で突っ切れ!敵の注意を引きつけろ!」

「了解です!」

智仁は、猟犬のように身を屈めると、銃弾が飛び交う中を、人間離れしたスピードで駆け出した。

敵の銃口が、一斉に智仁へと向けられる。

敵の意識が、すべて智仁に集中した、その一瞬。

湊と、二人の部下の刑事たちが、正確無比な射撃で、茂みに潜む敵を一人、また一人と無力化していく。

山中に、数発の銃声と、男たちのうめき声が木霊こだました。

やがて、辺りは、再び静寂に包まれた。

隼人は、ポケットの中に忍ばせていた、一枚の古い写真を、上からそっと押さえた。

(親方…あんたが残した、本当のメッセージは、一体どこにあるんだ…)


第5章:謎の雪解け


 銃撃戦が終わり、辺りに静寂が戻った。

湊の部下の刑事たちが、撃ち合いで負傷した黒蓮会の構成員たちと不知火の二人を拘束し、応援を待っている。幸い、智仁も無傷だった。

「…とんでもねえ度胸だな、あんた」

湊が、隼人に呆れたように言った。

「一歩間違えれば、全員、蜂の巣だったぞ」

「結果的に、うまくいった。今は、それで十分だ」

隼人は、冷静に答えると、銃撃戦があったハイマツの茂みではなく、目的の場所である、あの巨大な一枚岩の方へを見上げた。

「なかなかやるっしょ、俺、ねえ刑事さんたち~」

智仁が犯人を押さえてる所で、上腕二頭筋見せながら得意げに話している。

緊張感が解れそうな時、おもむろに隼人が歩き出した。

「おい、隼人!まだ、他に敵が潜んでいるかもしれん!」

湊が制止するが、隼人は振り返らなかった。

「いや、もうここにはいない。奴らの目的はすぐそこにあるからな」

一枚岩の麓にたどり着いた隼人は、その表面を、まるで馴染みのカウンターを確かめるかのように、ゆっくりと手で撫でた。そして、動物がうずくまっているような、奇妙な形の岩の前で、足を止める。

「大将、何かあるんすか?」

智仁が、不思議そうに尋ねる。

隼人は、答えなかった。ただ、ポケットから、あの色褪せた写真を取り出し、目の前の光景と見比べた。

 写真の中では、若き日の伝助と、謎の友人が、この場所で肩を組んで笑っている。

(この人は、一体誰なんだ…?親方は、なぜ、この人と、こんな場所に…?)

その時だった。湊の無線機が、ノイズ混じりに、麓の対策本部からの連絡を告げた。

『こちら本部!聞こえるか、湊!今、二つの絵のメッセージの解析に、進展があった!』

「なんだ!」

湊が、声を張り上げる。

『原作画が収められていた桐の箱…その蓋の裏に残されていた微かな跡を、赤外線で解析した結果、いくつかの文字が浮かび上がった!』

無線から聞こえてきた言葉に、その場にいた全員が息を飲んだ。

『――「友よ、約束のものは、始まりの場所に眠る」――』

「始まりの場所…?」

「約束のもの、とは、M資金のことか…?」

刑事たちが、ざわめく。

だが、隼人だけは、その言葉を聞いて、全ての謎が解けた、という顔をしていた。

彼は、もう一度、手の中の写真を見つめた。

そして、その裏に書かれた、師匠の文字を、指でそっとなぞった。

『昭和五十年、夏。立山にて、生涯の友と。』

「…そうか。そういうことだったのか、親方」

隼人は、天を仰ぎ、深く息を吐いた。

「どういうことだ、隼人!何が分かった!」

湊が、逸る気持ちで問い詰める。

「湊さん。この写真に写っている、親方の隣の男。この人の正体が、この事件の、全ての鍵だ」

隼人は、静かに、しかし、確信に満ちた声で言った。

「この人は、黒蓮会でも、警察でもない。この物語の、もう一人の主人公だ。そして、おそらく、『笑ゥせぇるすまん』の裏に、メッセージを託した、たった一人の人物でもある」

「…一体、誰なんだ、その男は!」

隼人は、答えの代わりに、動物がうずくまっているような、あの奇妙な形の岩を、強く叩いた。

ゴッ、と鈍い音が響き、岩の一部が、わずかにずれた。

その隙間の奥に、錆びついた金属製の箱のようなものが、見えた。

「『始まりの場所』とは、この氷見のことでも、東京のことでもない」

隼人は、静かに言った。

「親方と、この『生涯の友』。二人の友情が始まった、この場所のことだったんだ」

箱の中には、一体何が眠っているのか。

そして、師匠の「生涯の友」の正体とは。


 第6章:友情と弟子


 錆びついた金属製の箱は、刑事たちの手によって、岩の隙間から慎重に引き出された。それは、古い弾薬箱のようだった。鍵はかかっていない。湊が、ゆっくりと、その重い蓋を開けた。

箱の中にあったのは、金塊でも、M資金でもなかった。

ただ、油紙に何重にも包まれた、一冊の原作画と、小さな巾着袋だけだった。

隼人は、その原作画を手に取った。

表紙には、力強い、しかしどこか見覚えのある筆跡で、こう書かれていた。

『魔の城』

「これは…!」

湊が、息を飲む。それは、寺から盗まれたはずの、藤子Ⓐ先生の中学時代の原作画、そのものだった。

なぜ、こんな場所に?

 混乱する一同をよそに、隼人は、もう一つの巾着袋を手に取った。紐を解くと、中から出てきたのは、一枚の、折り畳まれた原画用紙だった。

広げると、そこに描かれていたのは、黒いスーツに身を包み、不気味な笑みを浮かべる、あの男。

『笑ゥせぇるすまん』の、未公開原作画だった。

二つの絵が、今、ここで一つになった。

だが、なぜ?

「隼人さん、これは、一体…?」

智仁が、混乱したように尋ねる。

「これはあくまで仮説だ、かなり自信のある仮説だが、すべては、仕組まれていたんだ」

隼人は、静かに語り始めた。「この事件は、二重、三重に、罠が仕掛けられていた」

隼人が解き明かした、事件の全貌。それは、驚くべきものだった。

事の発端は、数十年前。ある組織(以降影とする)が、M資金の在り処を示すという「地図」の存在を突き止め、その暗号の解読を、藤子Ⓐ先生に強要したことだった。先生は、断ることができず、暗号を解読するふりをしながら、時間稼ぎをしていた

そして、万が一の時のために、二つの作品に、それぞれ別のメッセージを隠した。

『笑ゥせぇるすまん』の裏に書かれた数字の羅列。あれは、影を欺くための、偽の暗号だった。

そして、『原作画』が保管されていた桐の箱の裏のメッセージ。「友よ、約束のものは、始まりの場所に眠る」。これこそが、本当のメッセージだった。

「だが、その『友』とは、一体誰なんだ?」湊の問に。


「それは師匠、比留間伝助……生涯の友…」

隼人は、静かに言った。

「そして、この事件の、もう一人の仕掛け人。その男こそ、藤子不二雄Ⓐ先生、ご本人だったんだ」

その場にいた、誰もが言葉を失った。

「師匠・伝助と、藤子Ⓐ先生は、若い頃、この立山で偶然出会い、意気投合した、無二の親友だったのだ

、あの写真に写っていた謎の男は、まだ漫画家として駆け出しだった頃の、若き日の藤子Ⓐ先生その人だった」

先生は、影に脅された時、旧友である伝助に、すべてを打ち明けていた。そして、二人は、ある壮大な計画を立てた。

影を欺き、彼らを一網打尽にするための、壮大な「物語」を。

 先生は、亡くなる直前、寺の住職に『魔の城』の原作画を託し、「いつか、必ず、これが必要になる時が来る」と言い残していた。そして、住職は、その遺言を守り、警察や黒蓮会が嗅ぎつけたことを察知すると、自ら、偽の盗難事件を演出し、原作画をこの「始まりの場所」に隠したのだ。

「じゃあ、ギャラリーの盗難は…?」

「あれは、黒蓮会が、偽の暗号を解読するために、自分たちの手でやったことだ」

隼人が答える。「彼らは、まんまと、師匠と先生が仕掛けた、壮大な物語の罠に、はまったというわけさ」

 つまり、この事件には、最初から「宝」などなかった。

あったのは、友との約束を守るため、そして、悪を打ち破るために、命がけで「物語」を紡いだ、二人の男の、熱い友情だけだったのだ。

 箱の中には、原作画と原画の他に、もう一つ、小さな封筒が残されていた。

宛名は、「我が友、伝助へ」。そして、その下には、「もし、これを見ているのが、隼人という名の、俺の知らない料理人なら」と、書き加えられていた。

隼人が、震える手で封を開けると、中には、一枚の便箋が入っていた。

そこには、先生の、あの独特な丸文字で、こう書かれていた。

『伝助、君との約束は、見事に果たされたようだね。ありがとう。

そして隼人くん初めまして。君がこれを見ているということは、

僕はもう伝助の所にいるんだね。

 さて、君は、伝助が生前良く話していてね、『俺の生涯唯一の弟子だと、しかもただの料理人ではないようだ』と、もし、君さえ良ければ、この物語の、本当の「宝」のありかを、君にだけ教えよう。

 それは、金塊なんかじゃない。伝助と私が、この国のために、未来の子供たちのために、遺した、ささやかな希望だ。場所は――』

その先を読んだ隼人の顔に、驚きと、そして、心の底からの笑みが、同時に浮かんだ。



 数日後。

札幌に戻る列車の中で、智仁が、うきうきしたように尋ねた。

「結局、宝のありかって、どこだったんですか、隼人さん!」

プロテイン飲みながらつま先立ちしてる。

隼人は、車窓から見える、夏の景色を眺めながら、静かに答えた。

「さあな。それは、俺と、天国の二人の親友だけの、秘密だ」

その顔は、いつもの、ただの穏やかな料理人の顔に戻っていた。


 だが、その心には、日本の歴史を揺るがす、とてつもない秘密が、温かい出汁の記憶と共に、深く、静かに、刻み込まれたのだった。



 お読みいただき、誠にありがとうございました。

札幌の路地裏を飛び出し、富山県の美しい自然を舞台にした雅宗隼人と仲間たちの活躍は、いかがでしたでしょうか。

 物語の着想は、富山県氷見市が、昔行った思い出の地、ただ一点から始まりました。

今回隼人の料理人としてのルーツ、そして彼を育てた師匠・比留間伝助の存在を描くことで、隼人という人物像に、少しでも深みを持たせたいと考えました。師匠から受け継いだのは、料理の腕だけではない。物事の本質を見抜く眼差しと、どんな困難にも立ち向かう、熱い「心」。その繋がりを描けたとすれば、幸いです。

 また、舞台となった富山県の、特に氷見の海の幸や、立山連峰の雄大な自然の魅力が、少しでも皆様に伝わったなら、これ以上の喜びはありません。作中に登場する料理や景色は、作者の拙い筆力ではありますが、かの地の素晴らしい風土への、ささやかな敬意のつもりです。

物語は、一つの終わりを迎えました。しかし、隼人と、その周りに集う仲間たちの日常は、これからも続いていきます。また、いつか、札幌の「雅宗」の暖簾の向こうで、彼らの新たな物語を紡ぐことができる日を、心から願っております。

 最後に、素人ながらこの物語を生み出す、大いなるインスピレーションを与えてくれた、藤子不二雄Ⓐ先生の、偉大で、愉快で、そして少しだけ不気味な作品世界に、最大の敬意と感謝を捧げます

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