1話 ことの始まり
晴天、緑豊かな山々に囲まれた田舎。
今は春休み。春の気配が間近まで迫り、辺りに若葉が芽吹き始めた田舎の道路を、私こと「古乃小乃実」は一人で自転車を漕いで走行していた。
動きやすいスポーティーな服装で、頭にはお気に入りのオレンジ帽子。
スマホなどの私の持ち物が入ったオレンジ色のリュックは、自転車のカゴにすっぽり収まっている。
側から見れば私は、サイクリングを楽しむただの一般人に見えるかもしれない。
でも、私はただの一般人じゃない。
しばらく道を進むと、道の先に大きめの水溜りを発見した。
水溜りはかなり深そう。このまま勢いよく突っ切ったら足元は無事では済まない。
「よーし……」
それでも私は、速度を弱めずペダルを漕ぎ続ける。むしろ先程よりも更に速度を上げ、自転車全体に力を込めながら前進していく。
「それっ!」
自転車が水溜りに飛び込むその瞬間。私が乗る自転車はわた毛のようにフワリと浮かび上がり、水溜りの上を軽く飛び越えた。
「上出来っ!」
水溜りを超えたところで自転車に込めていた力を緩めると、自転車はドスンと音を立てて地面に荒々しく着地した。
着地の衝撃でベルが「リン」と少しだけ鳴った。
「うわっ! うわわっ!?」
着地が荒すぎたせいか、車輪の軌道が少しよれてバランスを崩しかけたけど、なんとかバランスを取り戻す。
「危なっ……」
独り言を呟きつつも、私は目的地を目指して再びペダルを漕ぎ出した。
先程、私が自転車を浮かべたのは魔法の力だ。
私は、現代ではとても珍しい魔力持ちの人間……つまり魔法使いなのである。
とは言っても、まだ魔法学校に通う前の魔法使い見習いだけど。
そんな私は今現在、とある目的により自然あふれる道を走行中。
しばらく道なりに進んでいると、前方からお婆さんが操縦するトラックが走ってきた。
「あれまぁ、小乃実ちゃんじゃない。古乃さんとこの」
運転手は私を見つけるなりトラックを停止させ、窓を開けて私に優しく声を掛けてきた。
「あ、こんにちは!」
私も自転車から降りてお婆さんに挨拶をする。
「久しぶりぃ。小乃実ちゃん、これからお爺ちゃんとこに遊びに行くの?」
「いえ、今日は山に住む魔法使いさんのところに用があるんです、本当はお爺ちゃんの家に行く予定だったんですが……」
「あれまぁ、あの付喪神の鉄さんとこ……あぁ、小乃実ちゃん、付喪神さんのとこに魔法の修行しに行くんだったねぇ。お爺ちゃんから聞いたよぉ」
「そんなところです……正確に言うと、魔法学校に通う間だけお世話になるだけで……」
本当は魔法学校に通う間は祖父母の家に泊まる予定だったのに、お爺ちゃんが勝手に宿泊先を変えてしまったのだ。
しかもそれを聞いたのが昨日の晩。
『小乃実、大鐘鉄次って付喪神を覚えてるか? その鉄さんに、小乃実が魔法学校に通うことを伝えたら、もし良ければこちらで面倒見ると言ってくれてな! だから宿泊先は爺ちゃん家から付喪神の家に変更になった! 小乃実の荷物は既に付喪神の鉄さんとこに置いといたからな! それじゃ!』
なんて一方的に電話越しに言われ、私が返事をする間もなく電話を切られてしまった。
「魔法学校行くの? すごいねぇ、本格的に魔法の勉強するなんて……普通の人じゃ想像もつかないわ」
目の前のお婆さんは私の事情など一切知らない様子で、ただ嬉しそうに話を続ける。
「昔はあんな小さかったのに、今じゃ小乃実ちゃんは立派な魔女さんだものねぇ」
「いえ、まだ魔法使いにはなれてません。これから魔法使いになるために、学校に通って本格的に魔法を学んでいくんです」
「いいわねぇ。そうそう、鉄さんの魔法の腕前はすごいのよぉ、魔女さんの小乃実ちゃんにとってもいい参考になるとおもうよぉ」
「それは楽しみですね!」
付喪神の鉄次さんとは、それなりに顔馴染み。
初めて出会ったのは、私が小学1年生だった頃。
夏休みはよくお爺ちゃんの家にお世話になり、そこでお爺ちゃんを尋ねてやってきた鉄次さんと初遭遇した。
硬そうな黒髪、真っ黒な黒目、高い背丈。どこか妙な雰囲気が漂う、男性の見た目をした不思議な存在。
幼かった私は最初、鉄次さんの見た目に驚いたのを覚えている。
でも、私の驚きに反して鉄次さんはとてもいい人で、小さい私と色んな遊びに付き合ってくれた。
私を抱えて空を飛んでくれたり、ホウキを使った空の飛び方を教えてくれたり、葉っぱを速く遠くに飛ばす遊びを教えてくれたり。
とにかく鉄次さんは、魔法の遊びをたくさん教えてくれた。
あまりにも楽しかったから、お爺ちゃんの家から帰るのが嫌で大泣きしたくらいだ。
だけど中学生になってからは部活動でずっと忙しくて、お爺ちゃんの家にはあまり行かなくなった。鉄次さんともそれっきり。
正直な話、私は鉄次さんとの再会を前にかなり緊張している。
「あの……私、久しぶりに鉄次さんと会うのですが、鉄次さんはお変わりないですか?」
「すっごく元気よ。変なところで頑固だけど、すっごく優しいところは相変わらずね。小乃実ちゃん、魔法の勉強頑張ってねぇ」
「はい、魔法の勉強頑張ります! それじゃあ!」
私はとりあえず元気よく返事をすると、自転車に乗って再び道を走り出した。
目指すは、付喪神の住む山のてっぺん。
しばらく走り、ようやく山の中へと突入。
若葉が茂る木々は風に揺られて楽しそうに枝葉を揺らし、頭上から差し込む木漏れ日が、古いコンクリートをまばらに照らし出す。
「とりゃー!」
そんな大自然広がる山の、上へと伸びる長い坂道を、私は全力で駆け上がっていく。
普通の人なら根を上げるであろう急な坂が来ようが、私は速度を一切落とさず全速力で進む。
魔力持ちの人間は、普通の人より頑丈な上に力も出る。だから険しい山も余裕で登れる。
(綺麗な山……こんな山の中に、本当に鉄次さんが住んでるのかなぁ……)
私は自転車を走らせながら、付喪神の鉄次さんについて考える。
鉄次さんは鉄の車輪に命が宿った、約二百歳くらいする付喪神らしい。お爺ちゃんの住む地域を守り、時には魔法や不思議な術で手助けをしているとのこと。
よく地元のイベントを魔法使いとして手伝うそうなので、地域の人達とはそれなりに交流しているみたい。
(鉄次さん、人とよく喋ってたなぁ……)
そんな鉄次さんとは、これからは魔法学校に通う間だけお世話になる。
(鉄次さんは元気で明るい性格だけど、明治辺りに生まれた付喪神らしいからゲームとか全然知らないだろうなぁ……)
私はゲーム機が入っているリュックをじっと見つめる。
(確か鉄次さんは変なところで頑固だって聞くし、私が魔法の勉強をする間は遊びとか全部禁止してきそうだなぁ……)
(持ってるゲームが見つかったら「魔法の修行には不要だ!」とか言われて没収されたりして……)
そんなことならゲーム機を家に置いてくれば良かったかもしれない。私は少し憂鬱になりながらも、それでも私は山を自転車で登り続ける。
「…………あっ、あれかな?」
しばらくすると、道の先に開けた土地を発見した。
太陽の光が綺麗に差し込む明るい土地。周囲には珍しい木々が生えていて、庭と思われる空間には整えられた植物が綺麗に植えられている。
「綺麗な庭……うわっ!?」
私が庭の植物に見とれていると、大きな植え込みの陰から小さな何かが飛び出した。
「あ、ゴーレムだ……」
陶器製っぽい見た目のゴーレムが、鋏を背負いながら私の前に現れた。
「すご……」
世間では主に金属製のゴーレムが活躍しているので、このような伝統工芸のような見た目のゴーレムを間近でお目にかかるのは初めてだ。
「……」
そんなゴーレムは私を真っ直ぐ見つめると、後方にある立派な木造立ての門を指差した。
「あ、向こうに見える門が家への入り口なんですね」
門の前には二対のカエル型の石像が置かれている。なんだか神社みたい。
「……」
ゴーレムは私から顔を逸らすと、鋏を背負ったまま無言で門に向かってズンズンと歩き出した。
しばらく歩くとその場で停止し、私の方に身体を向ける。
「あ、ついてこいってことかな……」
私は自転車をその場で停め、カゴから取り出したリュックを背負ってゴーレムの後を歩く。
「……」
ゴーレムはのっしのっし歩いて門の前で一時停止。すると、大きな両開きの門が勝手に開いた。
「古い魔法使いの家って感じだ……」
一昔前のドラマや時代劇でしか見たことがない仕掛けが作動し、私はほんの少しだけ感動する。
「お邪魔します……」
開いた門を通り抜けた瞬間、空気が変化したのを感じた。
肌寒い空気はどこかへと消え失せ、それと入れ替わるように春の陽気が押し寄せる。
でも、空気以上にすごいものが目の前に現れた。
「すごい家……!」
私の目に飛び込んできたのは、広い庭と木造立ての大きな和風建築の家。明らかにお金持ちの家だ。
全体的に綺麗で、所々に付けられた洋風の窓がどこか明治っぽい。
「観光名所みたい……」
「おっ、来たな」
私が家に見とれていると、家の中から一人の人影が姿を現した。
硬そうな黒髪、真っ黒な黒目、高い背丈。どこか妙な雰囲気が漂う、男性の見た目をした不思議な存在。
彼こそが、この村に住む付喪神の魔法使い「大鐘鉄次」だ。
彼は過去に出会った時と見た目が一切変わっていなかった。今は黒いTシャツにジーパンの、とてもラフな姿をしている。
「よっ! 小乃実、久しぶりだな」
鉄次さんは笑顔を私に向け、元気よく手を振りながら私に歩み寄ってくる。
「あっ、あの! お久しぶりです……!」
久しぶりに会う鉄次さんに対し、私は緊張気味に挨拶をする。
「こっ、これからお世話になります! 鉄次さん、宜しくお願いします!」
そんな私の固い挨拶を見た鉄次さんは、それでも相変わらず優しい笑顔を私に向ける。
「ははは、俺とは久しぶりに会うもんな。緊張するのも無理はないよな」
背が高く強面の印象があるはずなのに、鉄次さんからは圧が感じられない。鉄次さんは相変わらず、柔らかい物腰で私に向かって話をする。
鉄次さんは小学生の頃に出会った時から一切変わっていないようだ。
「すいません! 鉄次さんの言う通り、久しぶりに会うので少し緊張してます! それに鉄次さんは二百歳の付喪神ですし、国から保護されているすごい存在で……!」
「あー、それかぁ。大丈夫大丈夫、付喪神の間では二百歳とかそこまですごくないからな。他と比べたら若造だ、俺より歳上はゴロゴロいるくらいだしな」
「京都の老舗みたいな謙遜をしますね……」
「ふふっ……」
私の例えを聞いた鉄次さんは少し吹き出す。
「はは……はっははははは!」
しばらくして鉄次さんは、急に豪快に笑い出した。
「流石に笑いすぎでは……」
「いやーすまない! 小乃実から唐突に渋い例えが飛び出したからつい……! そうだよな、京都の店ってそういう謙遜するよな! あっははは!」
鉄次さんはしばらく笑い続ける。やがてなんとか落ち着くと、改めて私に優しい顔を向けた。
「はぁ…………あんな小さかった小乃実が、もう難しいことを考えられるようになったんだな。なんだか感慨深いな」
「鉄次さん……」
「いやぁ、人の成長というものはあっという間だ……」
「……」
妙に嬉しそうに、それでいて少し寂しそうな表情で鉄次さんはそう一言述べる。
その一言に、私はどう返事をしたらいいか分からず、思わず口を閉ざしてしまった。
お互いにぎこちない空気が流れる中、鉄次は再び口を開く。
「それにしても小乃実は偉いな! 魔法の勉強の為に、俺の元で修行するつもりなんだろ?勉強熱心じゃないか!」
「あー、そういうことになってるんですね……あの、実は……」
鉄次さんが嬉しそうに語るところ申し訳ないけど、間違いを訂正する為に昨日の出来事を説明した。
昨日唐突に、祖父から宿泊先の変更を知らされたこと。私が返事をする前に祖父は一方的に電話を切ってしまったことを鉄次さんに伝えた。
「話が全然違うじゃねーか!!」
私の話を聞き終えた鉄次さんは目を見開き大声で叫んだ。
「ほんとビックリですよ! 昨日電話がかかってきたと思ったら、一方的に宿泊先の変更を聞かされたんですよ!?」
「宿泊先の話は随分前にした筈だぞ……! 銀のやつ、その日になる寸前まで忘れてやがったのか……!」
鉄次さんは腕を組んで渋い顔をしている。
「確かだいぶ前に、小乃実はこれから本格的に魔法を学ぶから、俺から魔法を教えてやってほしいって話になって……それを快諾したら、じゃあ小乃実が学校に通う間だけ俺のところで預かってほしいって言われたんだ」
「話が全然違う!? お爺ちゃんから頼みに行ってたんですか!?」
「俺と小乃実は仲が良かったし、あと俺は道具で生き物じゃないから、一緒に住んでもきっと大丈夫だろうって言われたんだ…………あ、今になってよく考えたら、銀が小乃実の許可を取ってる様子は一切無かったような……」
どうやら鉄次さんも勘違いをしていたようだ。
「お爺ちゃん、私の話を聞かずに一方的に決めてしまったんですね……もう、お爺ちゃんったら相変わらずそそっかしいんだから……」
「俺もしっかり確認すれば良かったんだがな……まあとにかく、誤解やら連絡不足で小乃実を驚かせたようだな」
「いえいえ。間違いはありましたけど、こうやって久しぶりに鉄次さんと話ができて良かったですよ」
「ああ、俺もだ。小乃実が相変わらず元気そうで良かった。そうだ、今から銀に電話して予定を変更させてもらおう。身内の家で宿泊した方が気を張り過ぎないだろうしな」
「それもそうですね……お互いに気まずいでしょうし。鉄次さん、お電話お願いしてもよろしいでしょうか」
「勿論だ。ちょっと待っててくれ」
鉄次さんは私に背を向けながらズボンポケットからスマホを取り出し、その場でお爺ちゃんに電話をかけ始めた。
「…………銀か、久しぶりだな」
電話はすぐにつながったらしく、お爺ちゃんと通話をしている。
「ちょっといいか…………あーそれなんだが…………えっ?」
電話をしていた鉄次さんが唐突に固まる。何だか嫌な予感……
「そうか…………ああ、分かった。楽しんでこい、じゃあな」
やがて通話を終了すると、渋い顔をして私に向き直った。
「鉄次さん……」
「小乃実……銀はこれから、妻と一緒に長期旅行を楽しむとのことだ……」
嫌な予感が的中した。
「銀のやつ、しばらくの間は家に戻らないらしい……」
「えぇ……」
どうやら私はしばらくの間、付喪神の家にお世話になることになったようだ。