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オウム真理教で考える宗教の始まりと教祖が得る益。

読むのが辛かったら一番最後だけでもぜひ

 おそらく義務教育を終えた人なら知ってる人が多いであろうオウム真理教。最終的にサリンばらまきだとかそういった凄惨な事件を起こし、解体された宗教ですね。そんなオウム真理教がどうして生まれたのか考えたことはありますか?私は信徒ではないし、死刑になった松本智津夫さん本人でもないので絶対的な正解は分かりません。しかし彼が求めていたものから、なぜ作ったのか、少しわかる気がするんですよね。私は彼が単なる狂人であったとは思っていません。また、宗教からどういう成果を彼が得たのか私なりに考えてみました。なのでまず彼が求めていたものから話していこうと思います。

 まず、私は松本さんが求めていたものとは、この世界に生きているという証明だと思うんですよね。彼は、幼少期から盲学校に強制的に移され親から見放されたり、視覚障害ゆえ医師免許が取れなかったり、と彼自身ではどうしようもない挫折、いわば社会(世界)からの拒絶とでもいえるような体験を多くしました。だから、彼はみんなと同じ社会に生きているという感覚を持てなかったんですよ、きっと。ゆえに、どうにかして社会に認めてほしかったんだと、私は考えています。

 それを象徴する話として、彼には幼少期や盲学校時代に様々な問題を起こしていたとかそういう話があります。問題の多くは、落とし穴を仕掛けるだとか金銭の搾取とか人に対するものです。これって子供時代によくある、「意地悪してでもいいから好きな子の気を引きたい」みたいじゃないですか?また、問題行動以外にも、生徒会長や児童会長などに立候補していたなど、真っ当な手段で認めてもらおうとすることもありました。結果は全部落ちたらしいですが。こうした彼のエピソードからはひしひしと欲求を感じるんですよね。

 そしてこの欲求は彼の夢にも表れていると思います。彼の夢は内閣総理大臣なのです。この役職は日本という社会のトップであり、この社会に認められなければつけないポジションです。逆に言えば、この役職についている人は、基本的に社会から認められた人なんですよ。また、前述した生徒会長なども、盲学校という社会のトップのようなものです。ただ、内閣総理大臣になるには巨額の資金が必要です。ゆえに、彼は盲学校時代に金銭を搾取していたのではないかなと考えています。

 さて、長々と彼の欲求やそれに付随する夢を私なりに記してきましたが、ここからが本題です。なぜ彼は宗教を始めたのか。そして宗教が彼にもたらした利益とは何だったのかについてです。

 まず、始めた理由ですが、主な要因は欲求を満たすため。つまり、内閣総理大臣になるためでしょう。宗教の規模が大きくなれば、資金もたまりますし、組織票も生み出せます。

 そして、それ以外の要因として鍼灸師を経験しての無力感があると考えています。医師になれなかった彼は鍼灸師になったのですが、結局病気の人は救えないという無力感を感じてしまいます。様々な工夫をする中、彼がたどり着いたのが宗教です。いろいろと宗教を学んだ彼は国家を変える必要があるという思想に至りました。

 そうして、欲求と思想が結びつきオウム真理教という団体を作ったのだと考えています。一つ目のプランとしては、選挙に勝って内閣総理大臣として国を変える。二つ目のプランはうまくいかなかった時に武力で国を変える。両方とも宗教があれば有利ですし、武力を抱える組織として宗教団体というのはいろいろ都合がよかったのでしょう。組織員全員が同じ思想を持っており一致団結をしているなどの特徴含めて。まぁ結果としてはいずれも失敗に終わり、国は変わらなかったわけですが。こういったことから彼がどこかで成功できていれば、あんな事件は起きなかったんじゃないかなと個人的には思ってしまいますね。仮定の話なんかしても意味はないですけど。

 最後に、結局宗教が彼に何をもたらしたのかについてです。もたらされたものは二つあると思ってます。

 一つ目は、規模は小さいですが夢をかなえたことです。宗教というのは閉鎖的ではありますが、立派な社会です。欲求と思想が結びついてなければ、これだけで満足していたのではないでしょうか。まぁ彼の社会からの断絶を思うと、オウム真理教程度の規模では満足できなかったかもしれませんが。

 二つ目は、彼の存在証明です。彼は、社会で生きていると証明したがっていると散々書いてきましたが、はたから見れば彼は宗教を通して存在証明を行えていたのです。宗教というのは思想の塊です。自らが良いと思ったことや世界をよりよくするにはどうすれば良いかなど、そういった教祖の思想を信徒に共有しているのです。ゆえに、信徒にとって思想の大本である教祖は必ず存在するのです。また、他人の思想に入り込むといった形でもそれはなされています。考えてみてください、あなたの思想の軸として私の教えがあるとします。私の教えたことがあなたの思想の大部分となっているのです。それって私がいたという証明そのものではないですか?事実キリスト教などでも、イエスがいたかは現代人には分からないにもかかわらず、聖書や規則などといった形の思想を通して、信徒はその存在を信じ込んでいるでしょう。つまり自分の思想を教祖として名前付きで残すということは、信徒がいる限り後世において存在証明になるのです。ある意味、思想を受け継ぐということは現代に教祖を復活させることと捉えてもいいかもしれませんね。

 以上が宗教が彼にもたらしたものです。彼は宗教を開いた時点で欲求を満たせていたと私は考えています。

 まとめると、彼の欲求は他人に認められること。そして生きていくうえで思想が生まれ欲求と結びついた。その結果、宗教が生まれた。それで少しは欲求を解消できたはずが止まれず事件に至り、オウム真理教は解散に至ったということですね。

私はだれが作ろうと芸術や音楽に罪はないと思っているのですが、麻原彰晃が歌っている超越神力という曲はなかなかいいなーと思っています。

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