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リマ episode2


「米美味い!めっちゃ甘くない?高いやつ?」



悠介が目を見開き、こちらを見つめる。



「こないだちょっと良い鍋買ったんだけど、それで炊いたの。全然違うよね?炊飯器の味飽きちゃって」

「全然違う。旅館行った時に出てくる釜のご飯みたい。美味いわー。おかず無くてもいける」



悠介は本当に美味しい時、無言になる。

動物のように、子どものように、もくもくと咀嚼していく姿を見て、愛おしくなる。

自分にも母性があるのかもしれないという錯覚を、すぐに受け流した。



昨日から料理を仕込んでいて良かった。

小ぶりの土鍋には、昆布、鰹節、椎茸でダシを取ったおでん。

大根、玉子、もち巾着、牛すじ、つきこんにゃくがユラユラと浮かんでいる。

グルタミン酸の旨味もと、中玉トマトを2つ、ダメ押しでタコも入れた。

味付けは白だし、醤油、塩、みりん、オイスターソース。昔ながらの製法にこだわる本醸造の薄口しょうゆと、九州の甘めの出汁醤油をブレンドした。

塩は、ミネラル含有量が多い沖縄の平釜製法のもの。

調味料は、添加物や化学調味料を使用していない質の良いものを選んでいる。

何度も改良を重ねて作った今回のおでんは、我ながら自画自賛できる出来に仕上がった。


サラとアイミ、母と妹からも評判の良い自家製キムチ、切り干し大根の中華風サラダ、ひじきの煮物、はちみつ漬けの梅干し、きゅうりのぬか漬け、塩麹に浸けて焼いた鮭。


小さなテーブルに並ぶおかず達を、2人で淡々と口に運んでいく。



「若い時ってさ、米と肉さえあれば良かったじゃん?」

「うん」

「もう今とかさあ、こういう小鉢系のおかずがありがたいんだよねー。ちょっとずついろんなもん食いたい。歳食ったわあ」



悠介は嬉しそうにぬか漬けを口に運んだ。



わかる。

私も悠介も、歳を取った。



9年前、18歳でIRESに入店した。

6歳年上の悠介は、ギラギラしたヤンチャさが抜けきっていない、ただの若い黒服だった。



20歳の時、悠介が結婚していることを知った。

子どももいるようだった。

結婚4年目らしい。

奥さんは同業だろうか。

美人なんだろうか。

何故だかショックを受けている自分に困惑した。



大学に通いながら週4でIRESに出勤し、課題と営業ラインに追われ、同伴もこなし、時にはアフターも頑張り、寝不足で友達と遊ぶ。


彼氏ができたり、別れたり、また新しい彼氏ができたりした。

充実していた。

忙しすぎた。

そのおかげで、悠介のことなんてすぐに気にならなくなってた。



22歳の時、店舗グループの新年会で、悠介が離婚したことを聞いた。



同じ時期にお店に入ったあたし達はそこそこ仲が良かったし、それから一緒に飲みに行くことも増えた。

大学を卒業する直前、初めて悠介と寝た。

酔った勢いだった。

後悔と幸せが渦巻き、訳がわからなかった。

怖くて、自分達の関係性を問うことができなかった。


それでも悠介は毎日連絡をくれて、休みの日は一緒に過ごし、お揃いの指輪を買ったりした。




就職してからIRESの出勤は週1,2回程度に減ったけれど、毎週デートをしていた。


絶対にお店の人間にバレてはいけないと、爆笑しながら2人で変装コーディネートを決めたことも、昼間に公園でのんびりしたことも、少し遠出して温泉旅行に行ったりしたことも、とても楽しくて幸せだった。


なんの問題も無く、交際を始めてから3年が経っていた。

あたしは25歳になり、その頃あたりからなんとなく体の不調が増えた。



急激に仕事が忙しくなっていた。

新入社員に教えることも多く、上から求められることも多く、顧客からの当たりはきつく、同期はポツリポツリと辞めていき、胃が痛くなることが増えた。

毎月200時間以上働き、さらに残業。

鎮痛剤が手放せなくなっていた。

休みの日は1日中死んだように眠り、寝ても寝ても疲れが取れず、夜中に起き、フラフラで荒れた部屋を片付け、溜まった洗濯物を洗い、コンビニ弁当を食べて、また眠り、仕事に行く。


そんな日々が数ヶ月続いたある日、下半身に痒みを感じてトイレに行くと、下着に黄緑色のポロポロとしたおりものが付いていた。



「カンジダだね。膣内の炎症。錠剤出しておきます。かゆみが強い時の塗り薬も」



初老の医師の口調は、機械のようだった。



「あの、カンジダって、性病とかではないんですか?」

「性病じゃないよ」

「原因とかあるんですか?」

「んー、疲れとか、寝不足。ストレス。風邪ひいてもなることあるよ」


パソコンの画面から目を逸らさない医師には覇気が感じられず、これ以上質問するなという圧を感じる。


なんだか申し訳ない気持ちで診察室を出て、待合室の椅子に座った。



薬を飲めばすぐに治る。

今は頑張るしかない時期だ。

もう少ししたら、仕事も落ち着いていくはずだ。



キッズコーナーから子どもの泣き声が聞こえ、スマホから目線を上げる。

2歳か3歳くらいの女の子に母親らしき女性が駆け寄り、抱き寄せた。


もー何してるのー。危ないでしょ!気を付けてー。どこぶつけたの?おでこ?ここ?痛い?


矢継ぎ早に質問を続ける母親は、なかなか泣き止まない子どもの様子に焦っているようだった。

母親のお腹が大きいことに気付き、目線を逸らす。

逸らした先にも妊婦がいて、膨らんだお腹を撫でている。



なんとなく居心地の悪さを感じた。



いつか悠介と結婚して、妊娠して、子どもを産む。

そんなことは夢なのかもしれない。



玄関で使用済みのスリッパを機械に投げ入れると、領収書と処方箋を片手でグシャっと潰した。



聴き慣れない電子音が響き、ハッとして自分のスマホに目をやる。

画面は暗いままだ。

悠介といる時は、スマホをマナーモードにしていることを思い出す。


「学校だ、ごめん、ちょっと」



バツの悪そうな表情で、悠介が玄関のほうに駆けていく。



「はい、お世話になっております、はい、大丈夫です。………はい。………はい。わかりました、迎えに行きます。ちょっと出先なので、3、40分くらいで行けるかと思います」


二人きりの時とは違う、外面モードの悠介の声。



熱か、怪我か。

上の子か、下の子か。



噛んでいたご飯の味がしなくなり、静かに箸を置く。



電話が終わっても、悠介は数分戻ってこなかった。

きっと元奥さんにラインをしているんだろう。



ふーーーと、長く息を吐きながら、悠介が戻ってきた。


「熱出たって。迎えに行ってくるわ。ごめん」

「大変だ。早く行ってあげな」

「あー、久々会えたしゆっくりできると思ったのに。食器だけ片付けてくわ」

「良い良い!子ども待ってるから!ほら!」



ごめん、ありがと、連絡する!

申し訳なさそうに笑いながら荒々しくキーケースと財布をポケットに突っ込む。


玄関で一度キスをして、手を振った。



鍵を閉め、その場に静止する。

もうエレベーターに乗った頃だろう。



リビングに戻りベッドに腰掛けると、気の抜けた短いため息が出た。


「ふぅ」


乱雑に置かれた悠介用の箸を見つめる。

食器を片付ける気分にはなれなかった。



今日はこれから何をしようか。

午後の予定が何も無くなった。

ネトフリで映画でも観ようか。

ヨガでもしようか。



シーツから悠介の香りがして、なんとなく外に出なきゃいけない気がした。



スマホを開き、ラインをスクロールする。



悠介からのラインはまだきていない。

常連のお客様と柚菜からの着信を確認すると、電話のマークをタップした。



「はーい」

「柚?今大丈夫?」

「うん大丈夫〜。みーに離乳食あげてた」

「昨日電話くれてたんだね。ごめん出れなくて。どしたの?」

「あー、わっくんのことなんだけどー。昨日ちょっと揉めて」

「まじ?なんで?」

「何か、キャバの女の子と頻繁に連絡取ってるっぽくて。ライン見せてって言ってもよくわかんない言い訳して見せてくれないし、キレてくるし。ん、もっと?食べるの?わかったよー持ってくるから。お姉ちゃんごめんちょっと待って、みーおかわりだわ」



姪っ子がテーブルを叩いている音だろうか。

ああああぁ!と叫ぶ赤子特有の愛らしい声と、スリッパのパタパタした音が聞こえる。



「はいどうぞー、あーん。美味し!あ、ごめん、でね、旦那のインスタ見たら、キャバの女の子にコメントしてたりして。付き合いでキャバ行くのはわかるけど、普通インスタで絡む?と思って」

「あー、それは嫌だね。snsは魔界よ」

「見たら病むってわかってるんだけどー、見ちゃうよね。何も良いことないのに。毎日あたし寝不足でボロボロなのに、何綺麗な女の子と楽しく絡んでんのと思って」


柚菜の声が、小さくなっていく。



「なんか、みーいて幸せだけど、メンタル落ちてて。クマひどいし、シミ増えたし、体重も戻んないし、夜泣きで寝れないし。どんどん老けてく。旦那浮気すんじゃないかなとか、不安で」



泣いているんだろうか。

声が小さく震えている。



「いやー浮気は無いんじゃない?わっくんも付き合いで仕方なく行ってる部分もあると思うよ?柚も寝不足のせいで情緒不安定になってるんだと思う」

「うーん。まあ、信じてるんだけど。お姉ちゃん、もし飲み屋でわっくん見かけたらすぐ連絡して?動画も撮ってくれたら嬉しい!」

「証拠ね笑 あはは、わかったよ。みーは?元気なの?」

「元気元気!もー最近後追いやばくてー。何もできない!トイレもゆっくりできないし。あたしがオムツ付けたいくらい」



10分ほど他愛も無い話をしているうちに、柚菜の口調に少し力が戻ったように感じた。


来月、柚菜が好きなカフェに行く約束をして、電話を切った。

スマホを枕に投げ、空を見つめる。



疲れた。



柚菜の旦那は、クロだ。

肉体関係は無いにしても、ラインを見せず、さらにキレるなんて、わかりやすすぎる。



あたしのお客様の8割は既婚者だけれど、普通に彼女や愛人の話をしてくる。

奥さんがブスだのデブだのレスだけど抱けないだの浮気したいだの、とんでもない発言をする客なんて、ザラにいる。

奥さん大好き、子どもが大好きとのろける客も、何故か不倫をしている。

そして、下ネタ全開の気持ち悪いラインを送ってくる。


意味がわからない。

なんでこんな人間が結婚できたんだろうと、10代の頃はよく思った。



水商売を初めて9年。

狂った価値観に慣れてしまった。

もうどんな客を見ても、なんとも思わない自分がいる。

それでもまだ、いつかは悠介と結婚したいと、頭のどこかで考えてしまう。



夫婦の仲の良さが垣間見える、子育てを楽しんでいる今時の若いママ。

柚菜のインスタ投稿と、現実の彼女との解離。

反比例を増していくその曲線グラフに、失望する。



考えれば考えるほど、結婚なんてしないほうが良い。

結局いつもそんな結論にたどり着いている。




今すぐに部屋を出たかった。

歩いて、駅前の本屋に行こう。

音楽を聴きながら歩こう。

帰りに近所のドラッグストアに寄って、トイレットペーパーと洗剤のストックも買ってしまおう。



バケハを被り、リップだけを塗り直すと、ウォーキング用のスニーカーを履いた。



ドアに手をかけながら片手でラインを開くと、悠介からのメッセージはまだ無かった。









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