アン&ドロシー 白いワンピースの女 第五章
ジョーとアンが屋敷のリビングに戻ると、壁の時計は午後3時を過ぎていた。
「ちょうど、おやつの時間だから、お茶でも入れよう。缶入りの美味いクッキーがあるんだ。」
ジョーはリビングの隣にあるダイニングキッチンへ行くと、上機嫌に鼻歌を歌いながらお茶の準備を始める。
庭で一緒に時間を過ごしたことで、アンと心の距離を縮められたように感じているだろう。
すると、スマホに電話がかかってくる。
ジョーはスマホを見ると表情を曇らせる。電話をかけてきたのは自らが経営している会社の社員からだった。
「休日は掛けてくるなと言ってあるのに…。」
そう言いながらもジョーは「通話」を押した。
「一体何の用だ?…なに!? 先方がそう言ってきているのか。ちょっと待て、資料を取りに書斎へ行くから。」
ジョーは急ぎ足でリビングを出ていくと、一人になったアンは近くのソファーに座った。
窓の外は一気に暗くなって、雨も降りだしてきた。
すると突然、ピカッと空が光るのと同時にゴロゴロッと大きな雷鳴が轟いた。
「きゃっ!」
アンは思わず声を上げる。
小さい頃から雷が苦手だった。
目を閉じて両耳を塞ぎソファーで小さく震えていると、脳裏に二週間前のある光景が蘇る。
二週間前。
空がピカッと光りゴロゴロッと大きな雷鳴が轟くと、アンは思わず「きゃあっ」っと悲鳴を上げた。
「アンは本当に怖がりだな。たかが雷でそんな声を上げるなんて。」
男はからかうように言うと、アンはふくれっ面になる。
「仕方ないでしょう。昔から雷は苦手なんだから。」
アンはそう言いながら窓を見た。鉄格子の向こうに広がる空は真っ黒な雲で覆われている。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。」
男の言葉にアンは眉をひそめる。
「えっ、もう行っちゃうの?」
アンの言葉に男は頷く。
「もうすぐ職員が見回りにくる時間だし、一緒にいるところを見つかったらまずい。」
男の言葉に今度はアンが頷く。
窓の外は風も強くなってきて、窓ガラスに強く打ち付ける雨音がザザザザッ…とノイズのように聞こえていた。
男は椅子から立ち上がると、ベッドに座っていたアンも立ち上がる。
男は座っていた椅子を机の上に乗せると、アンは椅子の脚を両手で抑えた。
椅子の一メートル上の天井には換気口がある。
それを見ながらアンは、突然噴き出したように笑い出す。
「どうしたの、何か可笑しなことでもあった?」
男は不思議そうに尋ねる。
「いや、初めてあなたと出会った時のことを思い出したの。ある日突然、天井から声がして、見上げたら換気口の柵の向こうに男の人がいて、思わず私は大きな声で悲鳴を上げたのよね。」
話しながら当時のことをさらに思い出したのか、アンは再び笑う。
「そういえば、そんなことがあったね。」
「あなたは、『しー、静かにしろっ!そんな大きい声を出したら、職員に見つかるだろう!』と大慌てで言っていたわ。」
「で、そのあと本当に、職員が来たんだよな。」
「そうそう。部屋にやってきた職員に、『小さな虫が出てびっくりしただけ。』と、私はとっさに嘘をついて…。」
「あの時は、職員に見つかると思って本当に焦ったよ。」
ジョーも当時を思い出すように笑った。
「私も、嘘がバレるんじゃないかと思って冷や冷やしたわ。」
「でもあの時、どうして職員には何も言わなかったの?この施設じゃ男と女で居住エリアが分けられているから、職員以外の男を見るのは初めてだったと思うけど、僕が怖くなかったの?」
「少し怖かったけれど、でもワクワクもしたの。あなたを初めて見た時に、それまでに無かった新しい何かが始まるような気がして。」
「懐かしいな。あれからもう何年になるかな。」
「5年よ。5年間もよく誰にもバレず、こうやって会い続けることが出来ているわね。」
「でも新しい何かが始まるどころか、ここでの生活は何ひとつ変わってはいない。こんな通気口を通ってじゃないと男と女は会うこともできないし、制限されることばかりでここには自由がない。」
「そうね…。」
アンは哀しそうな目で、窓の外の鉄格子を見つめた。
「じゃあ、見回りの職員が来るといけないから行くよ。きっと、またすぐに会いに来るから。」
「うん。」
アンが頷いたその時だった。
再び窓の外がピカッと光り、先ほどよりも大きな雷鳴が轟いた。
「きゃっ!」
アンは悲鳴を上げると思わず男に抱きつく。
すると男の手は小刻みに震えるアンの身体を優しくそっと抱きしめた。
二人はしばらく抱き合ってから、見つめ合うとキスをした。
唇を離しても尚、とろけるような目で二人は互いを見つめ合う。
「ずっとこうしていられたら、どんなに幸せかしら。」
「いつかここを抜け出して、外の世界で二人一緒に暮らそう。そしたら、誰の目を気にすることなく、いつでも一緒にいられる。」
男が微笑むと、アンは微笑み返して窓の外を遠い目をして見つめる。
「でも、外の世界って一体どうなっているのかしら?」
「外の世界には、絶望しかないわ。」
リビングのアンは、施設にいた頃の自らの問いかけに答えるようにそう呟くと、ソファーのテーブルの上のティッシュペーパーを一枚手に取り涙を拭いた。
そのまま立ち上がり、丸めたティッシュを部屋の隅にあるゴミ箱に捨てに行くと、その近くにあるアンティークの飾り棚が目に入った。
棚には写真立てがいくつか伏せて置いてある。
アンは何気なくそのうちのひとつを手に取ると、写真を見て自分の目を疑った。
そこには、海岸の波打ち際に立って微笑んでいる自分の姿が写っていた。
「これ、私?…って、そんなはずない。私、海になんて行ったことないもの…。じゃあ、私にそっくりなこの女の人は誰なの?」