第二章
病院の建物から離れにある研究施設へは、100メートルほどある地下通路を通っていく。
地下から地上階へはエレベーターで上がり、階数の表示にはBから4Fまである。
三階でエレベーターのドアが開き、フジオカに続いてジョーが出ると、建物内はよくある病院施設の内装といった感じで、特別変わったところはない。
フジオカとジョーは廊下をしばらく歩くが、国に極秘でやっているという割には施設の床面積は広い。
これだけ大きな建物が作れるということは、それ相応の儲けがあるということだろう。
どんなに法外な金額をふっかけても、命が助かるとなれば金持ちはいくらでも金を出すに決まっている。
ジョー自身も相当な額を支払っていた。
そんなことを考えながら歩いていると、前を歩くフジオカの足が突然止まる。
「ここです。」
二人の前にある部屋のネームプレートには「面会室」とあった。
フジオカがドアを開け部屋の中に入るとジョーも後に続くが、入ってすぐに特殊な部屋の造りに気付く。
広さは6畳ほどだが、奥の壁の上半分がガラス張りになっており、その向こうにさらに別の部屋があり、ドラマなどで出てくる刑務所の面会室に似ていた。
上半分がガラス張りの壁の前には机と椅子が二脚あり、フジオカが座るとジョーは同じように隣の椅子に座った。
「これはただのガラスではなくマジックミラーなので、こちらからは向こうが見えても向こうからは見えません。また、この部屋は防音室になっていますので、向こうの声はマイクで集音したものが、こちらのスピーカーで聞こえるようになっていますが、こちらの声は向こうへは届きませんので、声を出してもらっても大丈夫です。見学者は自分や身内のクローンと直に対面すると、驚きのあまり取り乱し、中には失神してしまうこともあるので、このような直接対面しない形式をとっています。クローンからしても、目の前にいる人物がいきなり失神したら困惑しますからね。」
フジオカはそう説明していると、マジックミラーの向こう側の部屋のドアが開いて、一人の中年の男が入ってきた。
白衣のような服を着ており、おそらくこの施設の職員だろう。
マジックミラーの向こうにもこちらと同じようにテーブルとソファーがあり、男性職員はソファーに座ると、テーブルの上にあるワイヤレスのイヤホンを右耳に付けた。
すると、フジオカはテーブルの上にある置き型のマイクのスイッチを押す。
「フジオカだ。では、アンさんのクローンを入室させてくれ。」
「わかりました。間もなくやって来る時間だと思います。」
男性職員が腕時計を見ながらそう言うと、ジョーは再び緊張してきた。
クローン人間を見ること自体がもちろん初めてだが、それが妻のものとなると恐怖さえ感じていた。
ドクンッドクンッと、心臓の鼓動は隣のフジオカに聞こえるんじゃないかというほど激しく脈を打っている。
時刻は午後一時半になろうとしていたその時だった。向こう側の部屋のドアがコンコンッとノックされた。
「どうぞ、入りなさい。」
男性職員の言葉に、ドアがゆっくりと開き女が部屋に入ってくると、その姿にジョーは目を丸くする。
「若い時の妻とまったくの瓜二つだ…」
ジョーは思わず立ち上がると、テーブルに両手をつき前のめりになってマジックミラーに顔を近づける。
19歳のアンは艶のある黒髪を胸元まで伸ばし、肌は白く「透き通る」という表現を超えて淡い光を帯びているようであった。
歩くたびに膝上まである白いワンピースの裾が揺れ、垣間見えるすらっと伸びた脚は眩しく、マジックミラー越しでなかったら直視できないだろう。
「なんと美しいんだ…。」
思わずジョーの心の声が漏れる。
匂い立つような美しさとは、きっとこういうことをいうのだろう。
彼女から出ているフェロモンが、マジックミラーをすり抜けてこちらまで届いてくるようだった。
美しさとはなんとも罪深い。ただそこに存在するだけで、人の心をいとも簡単に奪ってしまう。
ジョーは思わず胸に手をあてる。
心臓の鼓動は激しくなり、痛みを生じていた。
一方、マジックミラーの向こう側にいる19歳のアンは、初めて入る部屋だからか戸惑った様子で、部屋の中をキョロキョロと見渡していたが、男性職員に促されソファーに座る。
「アン、君は運動神経がいいね。午前中もバスケットボールで活躍していたそうじゃないか。」
男性職員の言葉にアンは小さく微笑む。
「身体を動かすのは好きよ。」
アンの声を聞いたジョーは感激したように目を輝かせる。
「声も若い頃の妻と同じだ…。」
「奥様のクローンが実在することは、納得していただけましたね?」
「ええ。」
ジョーはアンを見つめたまま答える。
「クローンに何か聞きたい事はありますか?」
フジオカに聞かれると、ジョーは少し考えてからこう言った。
「これまでの人生を振り返って、幸せだったかどうかを聞いてもらえますか。」
フジオカはマイクのボタンを押すと、ジョーの質問を職員に伝えた。
「ところで、これまでの19年間の人生を振り返って幸せでしたか?」
男性職員がそう尋ねると、急に風変わりな質問をされたことにアンは戸惑いの表情を浮かべるが、少し考えてからこう答える。
「ええ、幸せよ。この施設のご飯は美味しいし、仲のいい友人たちと一緒に過ごしている時間も楽しいし、親のいない私たちが、こうやって健やかな日々を送れていることに感謝しているわ。」
「クローンたちにはここは孤児院だと伝えてあります。」
マジックミラーのこちら側のフジオカは補足説明を入れるが、ジョーはそれが聞こえていないかのように呆然とアンを見つめていた。
「この子を殺さなければならないのか…。」
ジョーの口からため息のように出た言葉に、フジオカが頷く。
「確かに、殺してしまうには美しすぎますね。」
フジオカのその一言は、ジョーは混迷をさらに深いものした。