表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

DAY7:【緊急離脱魔法】

すみませんちょっと思ったより忙しいです!なるべくエタりたくない!

「最初からこうすればよかったよな」


 闇夜を見上げる酒場の中。今日も男たちは下品に騒いでいる。


「いや、本当にその通りだぜ」

「一つの指示文(プロンプト)で完結するのに拘りすぎてたよ」

「せっかく四人いるんだ、有効活用しなきゃな」

「さあ、やろうぜ!」


 テーブルの上に置かれたいくつかのジョッキは、その表面に結露した水滴を、魔力照明の光を受けて冷たく煌めかせている。その間に、一人目の男の詠唱が響く。


「【ヴィル・テル・プル】、【特定目的造形魔法。女性の石像。反・男性。小型。強・全身像。反・部分的。健全。】を生成してくれッ!」

『【特定目的造形魔法。女性の石像。反・男性。小型。強・全身像。反・部分的。健全。】ですね。承りました』


 現れた〈精霊〉は言葉を残し、


「さあこれで―――」


 男はそこまで口走ると、脳裏に走る雷鳴を感じる。文字列としては長くないものの、ここ数日で最適化を重ね、さらにそこから少し改変した指示文(プロンプト)―――そこに込められた緻密な情報量が、比較的複雑な〈魔法陣〉を生み出して、彼に魔法を伝授する。


「……どうなった!?」

「大丈夫だ、〈魔法陣〉はちゃんと頭に入ってきたッ!」

「ヒュゥー!」

「よっしゃ早速描いていこうぜ!」


 四人は興奮を隠さない。彼らは今まで、『煽情的』とか『淫ら』とか『反・健全』とか、そういう胡乱と言わざるを得ないような単語ばかり試していた。そしてそれらを入力するたびに、【〈魔法陣〉自動生成精霊】は「生成された〈魔法陣〉に不健全な要素を検知しました」とだけ返し、彼らは「だぁ~っ」などの言葉を発した後、酒を飲み、解散するのだった。

 しかし、今回は違う。

「〈魔法陣〉から不健全な要素を判定」―――どこからともなく聞こえる声は、さも簡単なことのようにいつもそう告げる。実際のところ、そんなことを厳密に実現するのはほとんど不可能と言っていい。

 〈魔法陣〉は圧縮された暗号文のようなもので、内容がほとんど同じでも、その構造はまるで違う。もちろん〈魔法陣〉を描ける人間がいる以上、別に読むことが不可能というわけではない。しかし非常に難しいし―――仮に完璧に読めたとして、全ての不健全を弾く(・・・・・・・・・)なんてことは不可能だ。いくらリドリーザ博士でも絶対に無理だ。

 つまり、こうだ。


「石塊は用意したか!?」


 まず今から【特定目的造形魔法】が起動され、テーブルの上に石像を生み出す。1週間ほど前までは「何かを作る指示文(プロンプト)はまともに使えない」というような言説も飛び交っていたが、それは真の意味で一から(・・・)作る場合の話でしかない。「石を削る魔法」という形でなら、粗雑なものなら作り出せるのだ。


「バッチリだぜ!」


 第一の男が答える先では、第二の男が心臓を高鳴らせている。その鼓動は期待であり、緊張だ。彼が作る魔法は―――言うなれば、「石像を精巧にする魔法」とでも言うべきもので。


「うおおッ!」


 第三の男が声を響かせる。彼の担当は……簡単に言うなら、「石像の露出度を減らす魔法」だ。もちろん、それをそのまま指示文(プロンプト)にするわけではない。分業式の採用によって、「服を一見すれば肌のようにも見えるものに変更する魔法」などの逃げ道を取ることが可能になったのだ。


「よし使うぞ! 魔法陣起動だ!」


 第一の男が描き上げた魔法陣に、第四の男が手を伸ばす。彼は比較的魔力量が多いので、ひとまずの様子見として最初の起動役をすることになっている。しかし、それだけではない。彼が指示する〈魔法陣〉は、ある意味最も重要なものだ。完成した石像を極めて破廉恥に後処理するにあたって、彼らは【高度細工精霊】に似た魔法を作ることにした。不健全な絵が描かれたからといって、それを描くのに使われた筆記具をへし折るわけにはいかない。

 発動の光が炸裂する。

 彼らの鼻息が一層荒む。片手に握られたジョッキが振り回されて、その中にある液体たちが踊り狂い、酒場の内装を隅々まで見つめる。テーブル、照明、カウンター、窓、その向こうにある月。そして―――。


「よし、準備は万全だ」


 そう言いながら扉を開ける、髭面の男。

 喧騒はもうしばらく続くが、実際のところ、それは本題ではない。



「【強・超・大・体重を減らす魔法。反・人体改造。反・大魔法。強・反・攻撃魔法。任意解除。反・不可逆。矛盾がない。一回作用。弱・重力魔法。効果時間:一日以上。】」


 夜風の中で男は叫び、手元のスクロールに魔力を流した。

 実際、別に叫ぶ必要はなかった。別に音声で指示文(プロンプト)を入力しているわけでもなく、2日前に作った〈魔法陣〉を時間差で起動しているだけ。誰かに声を聞かせたいわけでもないし、聞かれたとして不審者と思われるだけだ。何より、魔法名が余りにも長ったらしい。これを一息で口に出すため、男は何度かの練習を必要とした。

 しかし、彼は叫んだ。そちらの方がかっこいいと思ったからだ。


「よっ」


 叫んだあと、体が浮き始めた(・・・・・・・)ことを確認して、


「よし!」


 彼にしては珍しい、極めて陽気な歓声を上げた。

 実際、髭面の男は高揚していた。精神的にも物理的にもだ。【強・超・大・体重を減らす魔法】による浮遊感の中で眼下を見れば、闇はますます濃くなっていき、大地はますます遠ざかっていく。最高だ、髭面の男はそう思った。自分をあれだけ束縛した大地が、寂しげに眼下で小さくなっていくのを見て、最高に幸せな気分だった。


「【耐寒魔法。反・不可逆。効果時間:】あーっと……【耐寒魔法】!」


 より具体的に言うならば……彼はあまりに幸せすぎて、なるべく格好よく読み上げようと一通り覚えておいた指示文(プロンプト)をすべて忘れてしまうほどだった。

 安紙に描かれた〈魔法陣〉が、ぼんやりと夜空に灯りを投じる。それは月光と混ざり合って、冷たさと温かさを両立するような、決して自然にはあり得ない質感の光を作る。少なくとも、髭面の男はそう思った。「今自分を地上から見たら、夜空に輝く綺羅星の一つみたいに映るのかな」みたいなことも思った。かなり酔いが回っており、かなり酔いが回っているというのに計画を決行したという事実が、彼の愚かしさを物語っていた。

 とはいえ。


「さあ」


 愚かだからと言って、必ずしも月に行けないとは限らないのだ。

 髭面の男は決意を一層固めながら、地面と決別し、視線を真上の月へと向けた。月明かりが視界に焼き付ける残像すら、彼にとっては愛おしかった。あるいは、待ち遠しかった。そんな思いと共に男は、夜空の真ん中で等速直線運動をした。



 数時間後。

 何かがおかしい。

 髭面の男はそう思った。

 別に―――そこまでおかしいわけではない。実は生き残って天空へと逃げのびていた〈魔獣〉の一体が睨みつけてきたとか、そういうことがあったわけではない。めっぽう地味(・・)なおかしさだ。


「……どういうことだ」


 彼は呟いた。声の響き方は、地上にいるときとだいたい同じだった。用意しておいた【空気補充魔法】は、意外にもまだ使わずに済んでいる。彼の中にぼんやりと存在した「上に行くほど空気が薄くなる」という認識は、少なくともこの時点では間違いであるようだった。

 彼は少しばかり残念に感じたが、「自分は既存の常識を塗り替えている」という事実への喜びの方が強かった。実際のところ、彼がつい数時間前までいた世界に、彼ほどの高度に達したものはいなかった。【飛行精霊】は存在せず、【建築精霊】の能力には限りがあり、そもそも空に行く理由が大して無かった。空気が実際は薄くならないことだって、初めて発見したのは彼だ。

 しかしこの調子では、まだまだ見つけることがあるらしい。


「……これは」


 1時間ほど前までの彼は、まさしく順調というほかに無かった。順調に空を浮き上がり、順調に月を見ては空想をした。そして、見えない壁にぶち当たった。

 より具体的には。


遅くなっている(・・・・・・・)


 そう呟いている間にも、彼の視界はさらに遅れていく。

 〈魔法陣〉に不備があったというわけでもなさそうだった。生成を〈精霊〉に一任している以上なかなかありそうな話ではあったが、最初から減速していくならともかく、ある程度の期間等速で上昇していたのが、急に減速し始めたのだ。不備というには少し不自然だろう。

 もう一つ、おかしな点がある。


「月が」


 やはり、遅くなっている。


「どういう、ことだ」


 また視界が遅くなる。

 髭面の男は月が好きだった。夜空を動き回ってくれるうえ、日によって満ちたり欠けたりするのだ。その姿は停滞した世界を嘲笑うかのようで、憧れを抱かせるに十分だった。そうでなければ、彼はこうして夜空を上昇したりなんかしていない。なのに。

 頭上の月は動かず変わらず、さも彼自身と同じかのようだった。


「そうだ」


 男の頭から酩酊は完全に抜けていた。【耐寒魔法】に打ち消された寒気の中では、触れてはいけないものに触れているかのような恐怖があるのみだ。その狭間をかいくぐるように、彼は思考を巡らせる。


「月の動きが鈍ったのも」


 1時間前だった。


「上昇速度が下がったのも」


 1時間前だった。

 彼は答えにたどり着いていて、何となく目を逸らしていただけだった。彼は遅くなっているのではない、むしろ速くなっている(・・・・・・・)。月をめがけて上昇すれば上昇するほど、主観時間(・・・・)が加速していくのだ。


「ふざけるな」


 涙が、彼の頬をゆっくりと伝っていく。

 そう、異常なほどの「ゆっくり」だ。普通の涙ではありえないほどの、悲しみを表すには散漫すぎる速度。

 結局、そういうことなのだ。〈魔法陣〉の不備ではなく世界の法則(・・・・・)だ。この世界の空へと突き進めば突き進むだけ、主観時間の進みが加速する。突き進む速度は同じでも、主観時間が加速しているため、遅くなったかのように感じる。2倍進めば2倍遅く、4倍進めば4倍遅く。結果として、どれだけ前へ進もうとしても、主観的には絶対に空を突き破れなくなるのだ。


「クソが」


 彼は【緊急離脱魔法】の陣を取り出した。【緊急離脱魔法自動発動魔法】はうまく機能しなかった、自分で地上に戻る(・・・・・)判断は、自分で下さなくてはならない。男はようやく月から目を離すと、さんざん憎んだ元の世界を見下ろした。そこでようやく、大地が実際は球形ではなく平面だったことに気付いた。

 意味不明だ、彼は思った。

 無言のままに起動された魔法が、髭面の男に推進力を与える。視界の端で、涙の流れる速度がどんどん加速していく。その理由は空と逆に進むことで主観時間が元に戻りつつあるかだったが、きっと、それだけではなかった。

 英雄は、哀しみに暮れながら帰路についた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ