DAY6:閑話(下)
「……これは」
助手は思わず息を呑んだ。
「助手よ。わざわざ資料を集めてもらって悪いが、私もその辺りは一通り調べたのだ」
「それじゃあ」
「リドリーザは失礼な奴だから、死ぬ前に友に何かを伝えもしなかった。しかし、あいつの考えそうなことはそこそこわかる……いくら既存の〈魔法陣〉関連書物から学習させたとはいえ、人工〈精霊〉のベースを作ったのは結局あいつだ。あいつは本質を見ようとしない愚か者だったから……この〈精霊〉も、巷の連中が考えているより非本質的な所を重視するだろう」
「というと―――」
「『傑作』だよ。あとは『高度に動作する』、それに『反・矛盾』あたりか。これらを指示文に混ぜ込むだけで、〈魔法陣〉のクオリティが全体的に向上するのを確認した。……まあ世間でも、『教科書から抜粋』辺りは発見されているようだがな」
「……そんなことで」
「それで、だ」
廊下の天井に備わったものと比べても相当に強烈な魔力照明の下で、博士は説明を開始する。
「……助手よ。【言葉で伝えた〈魔法陣〉を自動生成する精霊】を使うにあたっては、逆用が重要になると私は考えている」
「逆用というのは……つまり、反・指示文のことでしょうか」
「違う。あれは確かに有用なテクニックだが、私が話しているのは……もっと根本的な理屈だ」
酔っ払いの夢めいた猥雑な紫光に包まれながら、博士は〈魔法陣〉のうち一つを指さす。
「例を挙げよう。君は精神操作系の魔法を槍玉に上げていたが、あれはあれで作ろうとするとなかなか難しい。精神というのはあいまいな存在だから、対象となる存在を明確に指定しないといけないし……【〈魔法陣〉自動生成精霊】は既存の魔法の模倣をしているに過ぎない。ある程度複雑な感情になると、結局〈魔法陣〉を手描きするのと同じようなことになるだろう」
「……それは、先ほどの『逆用』と関係が?」
「うむ。『精神を操作する魔法』を逆用すれば、『精神を操作される魔法』になる。この〈常時陣〉がそうだ」
博士は意気揚々と言った。
助手は首を傾げざるを得なかった。
「操作されるですか」
「ああ。つまり、効果範囲内で発生した精神操作をついでに受ける魔法ということになる。逆用前と違って対象ははっきりしているし、感情も向こうが指定してくれる」
「ええと……つまり、近くで誰かが【恋愛魔法】の実験をしたら、博士も影響を受ける、と?」
「まあそうなる。実際は、反・指示文で除外を繰り返すことで恋愛だの自己暗示だのを弾いているがな。対象を絞れば燃費も上がる、『傑作』記法と合わせて〈常時陣〉も作れるというわけだ」
「……なぜそんな魔法を」
「盗聴のためだよ」
博士はそこまで言うと、部屋の中を少し見まわして……「実演してやろう」と助手に言った後、そっと手を伸ばしてこう呟いた。
「【ヴィル・テル・プル】」
『お望みの魔法をお教えください』
何とも不気味な相貌の〈精霊〉が、光の粒をまき散らしながら出現する。
「いいか。今こいつは『お望みの魔法をお教えください』と言ったな」
「はい。……言ったというか、送ったというか」
『お望みの魔法をお教えください』
「そう、こいつは音声で話してるんじゃない。私たちの意識に直接言葉を送っている」
「それが……どうかしましたか。【通話精霊】と同じ理屈では」
『お望みの魔法をお教えください』
「いや、違う。あいつほど仰々しい奴じゃない……この言葉は、精神操作で送られているんだ」
助手の目が見開かれる。
「……それじゃあ、『盗聴』って言うのは」
「そうだ。具体的には……こいつが生成する魔法を聞いたときに言う『ナントカ魔法ですね。承りました』を盗聴する。これにより、範囲内で作られた魔法を盗み見できる」
「それって……」
「まだあるぞ」
助手がその続きを言う前に、博士の人差し指が空中を彷徨い、また別の魔法陣の方を向く。
「こっちの使用済み〈魔法陣〉は付与用だ。君がこの間消えた消えたと騒いでいた、緊急用〈魔法中継端末〉十数台に使った」
「ちょ!? 何して……」
「それで、端末を透明化して、さらにキュウリっぽくした」
「…………キュウリ?」
「君は〈レクモサクソ神〉の件で騒いでいたが、あれの本質はただの燃費が良い【召喚魔法】だ。〈レクモサクソ神〉という意味不明な文字列を与えられたことで〈精霊〉が混乱して、トンチンカンな陣を作り……それが本当に偶然にも、効率よくキュウリを呼び出す陣だったに過ぎない。例えば〈魔獣〉を呼び出せと指示しても出てこない」
「……」
「【召喚魔法】の逆用は何だ?【召喚される魔法】だ。各地で発動される【召喚魔法】に乗っかって、対象の群をばら撒ける魔法。しかし十数台の〈魔法中継端末〉全てにそれを適用するのは無理筋だから、もっと低コストな手法を使った。対象を〈レクモサクソ神〉式に絞れば、『キュウリっぽい』存在を自動で呼んでくれる」
「…………」
「こうしてエリシアの各所に〈魔法中継端末〉を撒き終えたから、それを経由して【精神を操作される魔法】の〈常時陣〉を起動。これで各地で使用された指示文をすべて回収できる。とはいえそれらがすべて私の頭の中に入ってきたら流石にたまったものではない。なので」
「………………」
「例の新聞社の手法を転用した。これは逆用というわけでもないが、要するに〈魔法陣〉の代わりに文字列を印刷する方式にして、〈魔法中継端末〉から出力されてくる諸々に直接接続した。そうして出来上がったのが」
右手の指し示す方法が、またしても変化する。
助手は少々恐ろしかった。自分の背後にあるらしいそれを、振り向いたうえで視認することが、だ。しかし恐ろしいだけで振り向かないわけにもいかなくて、彼女は首を徐々に回した。そして、紙の束を見た。
「【【〈魔法陣〉自動生成精霊】の影響範囲のほぼすべてにおいて、誰かが〈魔法陣〉を生成した際、生成に使用された指示文を回収し、拠点で紙に印刷する魔法体系】……とでも言うべきものなわけだ」
「……………………あの、博士」
「どうした? 助手よ」
「リドリーザ氏が【〈魔法陣〉自動生成精霊】を発表して、そのまま死んで。今日で……」
「六日が経ったところだな」
「どうして、そんなに早いんですか?」
博士は少し嬉しそうに言った。
「加筆だよ」
「……え」
「〈魔法陣〉は複雑な上に難解だから、同じ目的を持つ陣でも、ものによってその内容は全然違う。でも……より分離的に考えるんだ。【〈魔法陣〉自動生成精霊】に作らせた〈魔法陣〉と、その動作を補助するための制御用〈魔法陣〉。これらを連結するという形なら、普通の陣よりずっと少ない手間で加筆できる」
「…………」
助手が一周回って安堵のようなものを覚え始めたところで、
「さて、【ゲルマ・ぺリス・テ】……と」
博士は【複写精霊】の〈詠唱〉をした。
助手の視界の中心に。強烈な魔力光を遮るようにして、一枚の紙切れが突き出される。それは紛れもなく、印刷された指示文リストのうち一枚のようだった。
「……これって」
助手は少々驚嘆した。その内容が余りに異質だったからだ。
「指示文リストは基本、大雑把な地域別で作っている。だから個人を特定するまではいかないが……これに関しては分かりやすいだろう。明らかに悪さをしている」
博士はどこか楽しそうに言った。
「ぶっ潰すぞ」
眩い光のその中で、助手の手中の一枚の紙には、『老化魔法』という文字列がいくつも見られた。